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5「贄と初陣」

<11/23>

一部文章変更。とうとう5話が終わったああああ!

「これからA班の他のメンバーの所へ向かう」

 廊下に黒兎のヒールと青年が履き替えた革製の音が響く中、兎が言った。

 ジャバウォックは青年の腰に掛った皮ベルトに収められている。二人の進む先には施設の外へ続く観音開きの扉が在った。


 研究室の機械的な造りと打って変わり、色の異なる木を交互に組んで模様を作ったクラシカルな扉に付いた細工物のノブを回し引くと、何処までも続く森と其の手前に蒸気自動車が止まっていた。


「古い・・・」

博物館級の古さを誇る乗り物を目の当たりにして、頭に浮かんだ感想が思わず口をついで出た。

「仕方ないだろう、地上から落ちて来た物で主に遣り繰りしているのだから」

女王ケチぃし・・・、とぽつりと呟き、新装備が中々買えない事を兎は嘆いた。




 がたがたと所々に小石の転がった道を鰐の頭の様な窯を前方に付けた蒸気自動車が思ったよりは軽快に走って行く。まぁ、自転車並の速度ではあったが、徒歩よりはましだろう。

外観はキュニョー式の初期型だが、中のボイラーを小型化で瞬間湯沸かし式の物に換装し、時速四キロ程度から十数キロには走行速度を上げる事が出来る様になった。他には、復水器を付けて給水の回数を減らす改良がされている。しかし、其れでも何度かは給水が必要で、後方の荷台には水の入ったポリタンクが積まれていた。



 車は並木道に入り、右手には湖が陽光を受けて(きらめ)いている。

 


「そう言えば此処は昼間なんですね」

 地上では多分真夜中を過ぎた所だろう。しかし、此処は真昼だ。地下世界で陽が昇っている事自体可笑しい事では有るが、まぁ、そういう様に造られたのだろう。

「気付いた通り、此処の昼夜は地上と逆だ。基本的に昼間地上で戦闘行為を執るのは目立つからね。人が主立って行動する時間は休眠を摂るように環境が造られている。君も授業中に()り出されたくは無いだろう?」

 確かに、二重生活ヒーローものの様に仮病を使って場を抜け出す様な事は現実的に考えて、そう何度も出来ない。更に単位が足りなくなれば、もう一度三年生という事も有り得る。

「そうですね・・・」

 昼夜が逆で本当に良かったと思う。

 ほんの少し沈みかけた気分を紛らわす様に、青年は枝葉越しに見える青々とした空を見上げた。


 涼しく、軽やかな風が頬を撫で、木漏れ日が柔らかく照らす此の状況からは凶暴な狂気と此れから渡り合うとは想像もつかない。

 気分良く、目を細める青年の横で運転しながら兎は此の地下世界に在る地理について説明を始めた。


 右手に見えるのがハシュラヴィア(Hash Labia)の湖。(ほぼ)円形の湖畔に芋虫のオーナーが経営する遊楽街(ゆうらくがい)が立ち並び、建物の外観は、遠目には背の低い茸が(ひし)めき合っている様に見える。二人が出立した城の周辺から此の区画までは彼等の上司であるハートの女王が統治する場所であり、人頭税以外の地下での貴重な法人税徴収先となっていた。


 兎の話を聞きながら、青年は湖畔に(たたず)む建造物を眺めた。

アールデコを思わせる外観をしたドーム状の建物の群は、まだ営業時間では無いのかひっそりとしている。

「俺は昼よりも夜の方が好きだ」

 そう言って黒兎は口の端を少し上げて笑った。

 確かに、夜は桟橋に設置された硝子製の浮きを利用したライトが綺麗だろう。と青年は納得したが、其の事と兎の言葉の本当の意味が噛み合っていなかった事に彼が気付いたのは、もう少し先の話である。


 湖から更に北に在るのがミルドウッズ(Milled Woods)の森。Under groundに点在する森の中でも最大の規模を誇る其の地は、ハートの女王と並んで地下世界を治める白の女王の領地との境界に在り、歩く木々が絶えず位置を変えては立ち入る者を迷わせる。過去に森を盛大に焼き払い、強引に城の女王の元へ辿り着いた少女も居たが、あんな先代アリスは破格過ぎて比較にならない。一般的には、白の女王から届く招待状が有ると何の支障も無く通り抜けられる事から、多分安易に稜線を犯さない様、白の女王側が作ったのだろうと目されていた。


 両女王の国境に面し、森を横切る様に(そび)える壁に囲まれた灰色の区画は成り金ビルが自治する街、モレスタウン(Mole’s Town)と呼ばれ、其処は厄介事を起こした者が入れられる監獄街(かんごくがい)である。闘技場での見世物を始めとする血腥(ちなまぐさ)い催しが娯楽として日常的に行われ、治安も当然悪い。(しか)も野郎ばかりで眼の保養も無い。と兎は自分の主観も挟んだ。


 最後に、此の地下世界の最北端に存在するのが狂気の溜まり場、ルインベル(Ruin Vale)。渓谷と何処までも続く絶壁を合わせた様な地形をした最果ての地である。

 生在る者より生じた狂気の殆どは、引き寄せられる様に此処へ集まる。

そうして集まった複数の狂気は似た波長の物同士で引き寄せ合い、一定量を超えると実体化するのだが、(まれ)に狂気の質が強い物は独立して実体を持つ事も有り、時には具現化せずに、発生源である生物の中に留まり操る事もある。

 また、実体化した狂気は発生する要因となった物に執着する傾向が有り、力が強ければ地上に戻ろうとする事が多い。

 そういった狂気が地上に出てしまった場合や、ルインベルに辿り着く事無く地上で実体化した場合は、青年の様な協力者が主体となって対処するか、人の眼には異形の者として認識されない様な装備を纏った上でUnder groundの戦闘部隊が出撃する規定になっている。


 補足として、白の女王の領地と狂気の溜まり場を隔てる様に空いたエリアには複数の観測所が設けられており、狂気が具現化したのを確認するとUnder groundの本部に連絡が入る様になっている。

 地図上での国境線を見ると、白の女王側に含まれる様だが、場所自体に正式な名前は無く、暫定的にバウンディド・エリア(Bound―darea)と呼ばれている。


 今回行くのは、そういった主立った場所では無く、ハートの女王の領土内に在る普通の森である。

 道すがら始まった講習が終盤に差し掛かった頃、蒸気自動車で通行可能な道は終わり、二人は徒歩で其の先に在る針葉樹が鬱蒼(うっそう)と茂る森に分け入って行った。




 黒く煤けた森の中に鳥のけたたましい声が響き渡る。

 枝葉は意思を持ったかの様に不穏に揺れ、滞留した空気は重く湿った其の性質と同じく、場の人間を陰鬱とさせる。少なくとも青年はそうであった。

 地表から突出した草木の根に足を取られる事十回、肩に落ちた虫を見て悲鳴を上げる事三回、窪地に転げ落ちる事二回。決して気を付けていなかった訳では無いのだが、そこそこの都会で育った青年にとって慣れない地形に苦戦するのも当然の結果であった。対して、兎は見えないレールでも敷かれているかの様に難無く進んで行く。しかし、青年との距離を広げない様に、待つか引き返すといった事が多い為、其の歩みは速くない。

余りの不甲斐無さに、いっその事叱責してくれた方が楽だと青年は思ったが、かと言って強く責められても如何仕様も無く落ち込むのは必至である。どちらにしろ、折れやすく矮小(わいしょう)な神経は扱いが大変面倒臭いのであった。


 青年の仕様(しょう)も無い心の葛藤など露知らず、兎は同僚の位置を確認する為か、付属のインカムで時折話している。

 此処までは、歩き始めて程無く打ち上げられた照明弾を指標に進んでいたが、其れから大分時間が経過している為、辿った道が正確であったかは(いささ)か気がかりな点である。しかし、黒兎が連絡を入れる毎に照明弾が打ち上げられるのを考えると、その内合流できるだろう。



 上空を見上げて、進むこと三時間。枝の隙間から覗く前方に、濃い灰色のシルクハットを被ったスーツの男と茶色の毛に覆われた獣の姿が見えた。獣の方は負傷しているのか座り込み、男の手当を受けている。

「待たせたな」

 黒兎が軽く手を振って、二人に声を掛けた。

「お、大和か」

「そいつが二代目か?」

 スーツの男が顔を上げ、獣も其れに(なら)う。

 近付くに連れ、彼等の姿が青年の目にはっきり見え始めた。男の方は寸足らずの望遠鏡に似た目と、顔の側面まで達する程裂けた口をした銀色の鉄仮面。獣は巨躯(きょく)彼方此方(あちこち)に切り傷と縫合痕が見受けられ、細められた(まなじり)から覗く眼光は鋭く、凶悪なヤンキーかスジものにしか見えない。

 普段なら絶対お近付きにならない種類の方々だが、好む好まざるに拘らず、恐怖の申し子然とした二人は此方に向かって近付いて来る。

熊と見紛う程の体格をした山鼠と、狡猾に(わら)う殺人鬼にしか見えない造作の鉄仮面に取り囲まれ、追詰められた獲物の如く青年は射竦(いすく)められた。


 怖い。焼きどころか、ドスかチェーンソーの刃でも入れられそうである。


 白い手袋を()めた鉄仮面の細い腕が(おび)える青年に向かって伸び、(あたか)も其れが当然であるかの様に、彼の手は頭頂部に出来た青年のたん(こぶ)に当てられた。

 転んだ幼児に親が御呪(おまじな)いでも()ける()の行為に似ている。

「A班へようこそ、新人君。私は神谷(かみたに)英明(えいめい)。一戦闘員ではあるが、医師も兼ねている。怪我をした時は直ぐ言いなさい。人は脆いからね・・・」

 穏やかな声の丁寧な物言いであった。名前からは彼が(かつ)て人間であった事が(うかが)える。しかし、其の面差しに人らしさは無い。裂けた口の隙間からは赤黒く炭化した表皮の一部と思われるものと筋繊維に沿って這う剥き出しの電極、そして犬歯の様な牙が覗いている。若しかしたら、あの顔に張り付いている物は仮面では無く、義肢の様な身体の一部なのかもしれない。

「俺はヤマネだ」

 鉄仮面に足を挫いていないか等、問診を受けている横で獣が声を掛けた。青年の五倍もありそうな手で乱雑に握手をする。ぶんぶんと振られた腕が根元から抜けると思ったが、鉄仮面に「脱臼させるな」と叱られると、萎んだ犬の様に落ち込んだ。悪気は無さそうなので少し不憫に思った。

「・・・三国・・、有子です。宜しくお願いします・・・」

 怖い人達では無いのは分かっても震える声で自己紹介をするのが精一杯で、彼は自分の小心さに少なからず辟易(へきえき)した。

 こんな物々しい人達の中では自分は何もする事が無いのではないだろうか。

 青年の不安を余所に、山鼠、鉄仮面、兎の三人は円陣を組む様な形で座り込み、家族会議的な小会議を開始していた。


「新入りはどうする?」

「二代目のジャバは」

「剃刀・・・・」

 山鼠と鉄仮面の問いに対して兎の答えは力無かった。

「使えんな」

 すっぱりと切り捨てる様に結論付け、円陣から、ちらっと鉄仮面が此方を見た。

 面と向かって言われるとショックである。

「と、なると・・・」

 何なのだ。何だか嫌な予感しかしない。

『餌役だな』

 グッとナイスサインを出し、三人の意見が見事に一致した。





 悪性の狂気は正気な物を引き込もうとする性質が有り、自然と寄って来ると言う。

 ・・・・しかし・・・・。


 青年は木の枝の上から逆さまに吊るされていた。決して気が違った訳でも、奇抜な事をして目立とうという訳でもない。蟲を(おび)き寄せる為である。それと、抵抗に疲れてぐったりした姿でもあった。


「此れって、吊るす必要有るんですか?」

「まぁ、雰囲気付けだ」

 兎がしれっと、答えた。

 なら、下ろしてくれ。何故雰囲気云々(うんぬん)の為に、回避に時間の掛かるリスキーな方法を取らねばならないのだ。

 青年は表情を曇らせた。

 確かに今現在、彼が戦闘に加わっても足手纏い以外の何者でも無い。この先真眼が飛躍的に成長するかどうかも今の所未定である。といって、この扱いは無いだろう。逃げ遅れて、本当に餌になったら如何するのだ。そう言えば、此の組織、労災は入っているのかも定かではない。


「まぁ、何かあったら助けてやるから」

 山鼠が快活な声でフォローするが、フォローになっていない。

 何か有ってからでは遅いのだ。


 暫く放置されてから一時間、遠くで木の倒れる音が聞こえた。

 今回の捕獲対象だろうか。

 音は次第に大きくなり、近付いて来るのが分かった。

最初の音を聞いてから数十分経過した頃、視界の先に、表皮がゲルの様に震える黒い塊が、めきめきと木を(きし)ませて此方に迫る様子が映る。


 掘削機に似た歯の間から涎が垂れていた。気持ち悪い。


 剃刀刃になった儘のジャバウォックをベルトから外し、必死の形相で縄に切れ目を入れる。蟲との間合いが二十メートル付近になって、やっと縄を切り終わったが、()しくも運動能力とバランス感覚の低い青年は無様にも胴体着陸するに至った。

ぐえ、と踏み付けられた蛙の様な情けない声が出たが、気にしている余裕も伸びている暇も無い。思ったよりも早い速度で近付いて来る蟲に背を向けて、青年は走り出した。



 指示通りに決められたポイントを走って行く。

捕獲様の仕掛けの巻き添えを食わないようにしなければならない上に、引き離し過ぎれば囮の意味が無くなってしまう。しかしながら青年は迫り来る異形の怪物を引き離せる様な脚力を持ち合わせていなかった。


 もうこんな仕事辞めてやる!



  仕事が始まったばかりでは在ったが、青年は離職を検討し始めていた。こんな事が日々続くのであれば、割りが合わない。

 仕事初日の幸先(さいさき)は余り(かんば)しいとは言えなかった。

 森を抜けると目の前に打ち捨てられた採石場が広がった。其処から一キロ先には有刺鉄線の張られたコンクリート製の壁が(そび)え立ち、壁の向こう側はモレスタウンとなる。此処を含めて街の周辺からは石炭を始め鉄鉱石等が取れ、土地の彼方此方(あちこち)に採掘様の穴が見られる。土竜穴の様な其れ等は街の名前の由来の一つでもあった。

 蟲を(おび)き寄せた此の場所は街を管理するビルという名の蜥蜴(とかげ)の私有地だが、資源を掘り尽くして利用価値の無くなった場所を気に掛けるような男では無いので、多少のどんぱちは問題にならないだろう。

 其れよりも坑道を増やし過ぎた為に緩んだ地盤が青年の足元で崩れないか如何かが問題だった。


 勢い余って岩肌にぶつかりながらも左方(さほう)九十度に方向転換し、重機用に切り出された交互に折れ曲がる道を青年が駆け上がる。蟲は先回りの為か道の間の段になった斜面を無理に登ろうとしたが、自重と強度の低くなった地盤の所為で登った(そば)から足元が大きく崩れ、ズルズルと下段まで滑り落ちる。学習能力は多少有るのか二度程落ちてからは道形(みちなり)に追走し始めた。

 蟲が無理に動いて地形を崩しても落ちないように、青年は(ふち)を避けて走っている。傾斜は緩めだが、距離が長く、一段登る毎に体力を削られていくのを感じた。

「もう、何でトロッコくらい無いんだよ!」

 彼は、半ばやけっぱちで叫んでいた。確かに採石場と言えば、必ずと言って良い程トロッコが在る。しかし、無駄は出さない方針を打ち立てている此の土地の持ち主に()って全ての機材は引き払われ、周囲には手押し車の一つも無かった。


「其処で止まって引き付けろ」

 採石場の半ばを登った所で、事前に配布されたインカムから聞こえた鉄仮面の指示に従い、青年は其の場で足を止めた。言われずとも、もう体力の限界である。

「絶対に大丈夫ですよね?」

 恥などとっくに掻き捨てて、足元を大いに震わせながら、青年はマイクの向こうへ言葉を投げる。

 此処までは計画通りに事が進んでいたが、最後の詰め部分は如何なるか分からない。罠の作動時に餌役である青年を回収するタイミングを間違えられたら死ぬかもしれないし、良くても、キャプテン何ちゃら的な義足の人になりそうだ。ほんの少しでも、気休めでも良いから安心出来る言葉が欲しかった。

「ベストは尽くすよ」

 穏やかに言われた其の答えは、予想した以上に素気無(すげな)かった。せめて、大丈夫だと言ってくれ。余計に不安になるではないか。

 もう天にでも祈るしかない。

 蟲は太い腹を引き摺り、一部が道からはみ出しながらも、既に曲がり角を越えて此方へ迫っている。

 後数歩で呑みこまれそうな程に距離が詰まった其の時、頭上と足元で爆発音が轟き、青年は宙を舞った。

 別に、突如チート能力が目覚めた訳でも、物語前半にして、主人公が昇天した訳でもない。

 舞ったと言えば耳触りが良いが、実際は爆破の寸前、鉄仮面が撃ったワイヤー付きのフックに引っ掛けられ、上空に引き上げられただけである。

 坑道内に仕掛けられた遠隔操作式の爆弾に依って、()り出した斜面が軒並み崩れ落ちていく。雪崩れ込む頭上からの落石と、一気に消えた足場が蟲の動きを遮り、何トンも有る岩の中に閉じ込めた。


 多少落石が(かす)ったが、大きな傷も無く頂上の安全圏まで到達すると、青年は少しだけ安堵した。

「それにしても、よくあの低予算で機材が(そろ)ったな」

 今回はワイヤーを握って青年を牽引(けんいん)する手伝いしか出番の無かった山鼠が首を(かし)げる。

「私の生前の貯金だ」

 鉄仮面が呟く様に言った。班内の治療費や使用する資材の一部は其処から出されていた。医者であった時の癖が抜けないのか怪我等は見過ごす事が出来ないのである。

 本来は妻と老後を過ごす為に貯めたものであったが、彼女は老いる間も無く、結婚から五年で此の世を去ってしまった。使い所が有るなら其れで構わない。

 只、此れで(ほぼ)底を()いたが。

「真眼の精度が上がれば、もっと楽に片付けられるんですけど・・・」

 昔を少し思い出して感傷に浸る其の顔を青年は貧した事に嘆いていると勘違いしたようだ。

「いや、そうじゃ無いんだ」

 鉄仮面が少し困った顔をして言ったが、あまり意味が伝わった様には見えず、不思議そうに首を捻るだけだった。


「先行ってるぞ」

 採石場の崩壊が収まった所で兎が大剣を手に跳び下り、辛うじて岩の隙間から露出した蟲の表皮に刃先を突き立てる。続く動作で剣の(つか)の傍に付いたレバーを引くと、其の根元に在る針が赤と緑に二分された表示の赤に傾いた。

 ヴンという大型モーターの起動する様な音と共に、(つば)の中央に埋め込まれた針時計と円形の(とい)(はま)ったデジタル時計が動き出し、蟲の表皮に紅く光る大小計四つの丸時計が浮き上がる。

 上段に並んだ三つの小さいデジタル時計は、左から年、月、日を表し、下段の大きい針時計は時、分、秒を表している。其々は時計と言うよりもタイマーに近く、吸い取った時間と其の効果が切れるまでの残り時間を表示していた。今回は巨大な蟲を城の収容所まで運搬する事に加えて瓦礫(がれき)から掘り起こす作業も有る為、時間設定を二日にしてあるが、不測の事態が起こらなければ、もう少し早く着くだろう。

 兎が大剣を鞘に納めた所で、鉄仮面と青年を腕に乗せた山鼠が崩れた斜面から下りて来た。



 山鼠は持ち前の強力(ごうりき)で岩を退()け、鉄仮面は帽子に仕込まれた電動ドリルで砕いた岩を身体に沿う様に装着した筋力強化用骨格を使って運んで行く。

 黒兎は剣で巨岩を運べる重さまで切り、腕に抱えると砲丸投げの要領で瓦礫下へ放り投げた。

「横着するな」

 万一足場が崩れる事を警戒して、手持ちで下まで運んでいた鉄仮面が黒兎を(たしな)める。

「へいへい、分かりましたよ」

 黒兎は、青年が此れまで彼の口から聞いたのとは違う、ふてた言い(よう)で鉄仮面に返答した。言葉の遣り取りからして、付き合いは長いのだろう。


 青年はと言えば、ちまい剃刀(かみそり)で何が出来る訳も無く、全身の体重を掛けて岩を押してみたものの動く(きざ)しは一向に無い。勢いを付けてタックルしたら痛い上に滑って盛大にこけた。

 せめて剃刀から長い棒にでもなってくれれば梃子の原理で多少なりとも動かせるのに・・・。

「もう少し如何にかならないかなぁ・・・」

 ちら、とベルトに収まったジャバウォックを見たが、当の本人は寝ているのか(はな)から気にも留めていないのか真一文字に目を閉じた儘である。




「?」


 立っていた時は昼光(ちゅうこう)(まぎ)れて分からなかったが、青年がへばった瓦礫の隙間から薄く光が覗いている。

 クレバスの様な裂け目に腕を伸ばすと、指先につるりとした感触の物が触れた。どうやら、其れは蟲の表皮の様である。


 後先考えずに触るんじゃ無かった・・・。


 背中にさぶ(いぼ)でも出来る様なゾワゾワとした悪寒を感じ、手を引っ込めようとしたが、出来なかった。

声を上げる間も無く、光の向こう側から強く()かれる感覚と共に、次の瞬間には地表に青年の姿は掻き消えていた。





「そういや、新人は?」

 最初に青年の不在に気付いたのは山鼠であった。

「居ないな」

鉄仮面が視覚カメラの範囲を広げてみたが、其れらしい人影は見当たらない。

「さぼりか・・・」

 黒兎が早々に結論付けた。

「お前と一緒にするな」

彼は仕事を放り出す様な人間には見えなかった。しかし、姿が全く見えないというのは如何いう訳だろう。

「瓦礫の隙間に挟まったか?」

「まさか・・・」

 山鼠の意見を否定はしてみたものの、彼の鈍臭さについては否定の仕様が無い。

 まさかが、まさかと成り得るのか。



「探してくる」

「そう言ってさぼるつもりだろう。私が探す」

 兎が先んじて探索を申し出たが、動き出す前に鉄仮面に止められた。


 此の場所は金属を含む地質である為、金属探知機は役に立たない。赤外線とエコーを組み合わせての捜索をし始めた。











 嗚呼、また落ちるのか・・・。


 BAR ALICEからUnder groundに落とされた時に通った暗闇の中よりも質量の有る重い空気が漂う中を青年は落ちて行く。纏わりつく風は通常より抵抗が強く、(よど)んで気持ちが悪い。

 片栗粉を水に溶いて作った(なま)(ぬる)(あん)の中を潜って行く様な感覚が一番近いだろうか。息が出来るのはせめてもの救いだが、肺の中まで否応なく浸食される不快感と込み上げる吐き気は如何にも我慢出来そうに無かった。


 地上と樹上の計2回、高所から落ちて多少は慣れたのか、其れとも煙の様に引き摺り込まれた蟲の内部では夢幻(ゆめまぼろし)と同じく怪我などしないと思ったのか、心の何処かは一時ばかり冷静であった。

 しかし、蟲にとって自分は異物であり、敵である。最初に地下世界へ落ちた時の様にクッションが敷き詰められているとは考えられなかった。

 然も水中に墨を落とした様な、煙に似た物が漂う赤茶けた闇は底が遠いのか近いのかも分からない。


 此れって不味く無いか?


 いや、非常に不味い。


 次第に不安が増し、頭の中では「悲報!死亡フラグ」の見出しがチラついているが如何仕様も無い。何故自分だけ、こんなに不運が(まと)まって舞い込むのか。

 先の経験で何をしても意味が無い事は実証済みで有る為、此処は成るに任せるしかない。

 粘膜の様な分厚い闇を抜け、青年は枯葉の山に似た物の上に吐き出された。



 出来るとは思っていなかったが、着地は当たり前の様に失敗し、再び胴体着陸したのは言うまでも無い。

 更に残念な事に、とうとう我慢の限界を越え、少しゲロってしまった。

 周りに人が居なかったのが、せめてもの救いである。


 青年は吐瀉物(としゃぶつ)律義(りちぎ)に埋葬している途中で、自分の周囲に在る物に気付き悲鳴を上げた。

 枯葉だと思っていた物は、(はね)と四肢の引き千切れた虫の死骸であり、青年の足元に累々(るいるい)と積み上がっている。触れた(てのひら)には砕けた翅と体の一部が張り付いていた。


 慌てて後退り(あとじさり)した拍子に、足元の屍の山が崩れ、下へとずり落ちる。


「・・・・蟲・・・」


 通り過ぎた個所から斜面が盛り上がり、無数の屍が一つの塊となって其の長い首を(もた)げる様子が青年の眼に映り込んだ。

 ザラザラと余分な欠片を振るい落とし、現れた異形。其れは、甲虫と(さなぎ)、そして虫特有の蛇腹に似た腹部をコラージュした様な太く長い体躯に、節足動物を思わせる何十対もある足を生やした化物(ばけもの)であった。








 其の頃、蟲の外側では瓦礫の上で鉄仮面が探索を続けながら頭を悩ませていた。

 何処を探しても青年の影が見当たらないのである。


 Under groundで支給される装備には、一つ一つに追跡用のチップが組みこまれている。

 在庫管理は言うまでも無いが、仲間内で其々の位置を把握し、素早く陣形を()る目的の他、地上で動く事が出来なくなった者、又は遭難した者を迅速に救出する為というのが主な理由である。

 しかし一方で、地上にUnder groundの存在を知られない様に装備が不正に流出していないか、回収し忘れた物が無いか、虜囚(りょしゅう)となっていないかを調べる目的もあった。


 無論、青年の装備にも同じ事が言え、全てのチップが壊れていなければピンポイントで位置を示す筈だ。一応反応は拾えたが、不思議な事に一点では無く広い範囲に(わた)り信号を発していた。

 其の範囲内の何処かに居る事は間違いない。只、エコーや赤外線装置には反応が無いというのが奇妙であった。故障しているのだろうか。

 試しに照明弾を放ち、計測してみたが、異常は無かった。益々謎である。


 (いぶか)る鉄仮面の足元で、短い揺れを感じたのを皮切りに、一帯が鳴動(めいどう)し始めた。

 瓦礫の表層が崩れ落ち、(うず)もれた蟲の背が(あら)わになる。

 蟲の背に(ひび)が入り、其処から羽化したての翅が二対姿を現した。


「おい、大和!如何いう事だ」

 地鳴りの中、鉄仮面が黒兎に説明を求めて叫んだ。

 確実に蟲の時間は止めた筈である。しかし、目の前の光景は其れを否定していた。

変生(へんせい)まで予測出来るか!」

 負けじと兎が叫び返す。

 彼の持つ剣は、時を止める対象に刃を差し込み、指定する事で機能する。今回、対象として指定されたのは芋虫の形態をした蟲であった。つまり、幼体。蛹化(ようか)をすっ飛ばして成体になった蟲には何の拘束力も無い。

 言うなれば、病原体に合わせて抗体を作ったは良いが、治癒の途中で(かた)が変わってしまった様なものである。

 面倒臭い仕様の割には、実に役立たずな機能としか言い様が無い。

「全く、此れまでの事が無駄になった・・・」

「何だよ、其の()もお前の所為だっていう様な言い方は」

 眉間を摘まむ様な仕草で呟いた鉄仮面の言葉に兎が反発した。

「分かっているなら、もう少し其の足り無い考えを何とかしたら如何だ。新人の失踪も教育係として目を配っておくべきだった。違うか?」

 話しながら、鉄仮面は帽子に仕込まれたガトリング砲を構え、翅の根元を狙い撃つ。全弾命中した筈だったか硝煙(しょうえん)の消えた後には傷一つ付いていなかった。

「じゃあ、お前の高尚(こうしょう)なお(つむ)なら何とかなったのかよ」

 語気は荒いが、苦虫を噛み潰す様な言い方になったのは、思う所が無い訳では無かったからだ。




「あいつ、飛ぶのか?」

 二人の口論を遮る様に山鼠が声を上げた。

 蟲は翅をバタバタと動かして(もが)き、埋もれていた瓦礫から(せり)()がって行く。

 硝子を掻き鳴らす様な耳障りな高音と共に、羽化した蟲の頭部が岩から突出した。








 蟲の内部に落ちた青年はと言えば、虫の死骸が寄り集まって出来た(しょく)(わん)に足を絡め取られて身動きの取れない状態であった。

『我等が存在を脅かすは(たれ)ぞ』

 幾重にも重なった低重音が身体の側面に開いた複数の気門より発せられ、(かび)臭い吐息(といき)が立ち()める。酷い臭いに青年は思わず顔を背けた。


『人か・・・』


『人だ』


『憎らしや』


 其々の気門は個々に意思を持つかの様に喋り出す。



『毒を()き、住処を奪い、命を蹂躙(じゅうりん)する高慢で愚かなる者よ・・・』

 無数の屍より生まれた一体の異形は、背に生える二対の(しな)びた翅を揺らし、震える青年に向かって顔を伸ばして来る。

 細い(かぎ)爪が青年の頬をなぞる様に触れた。

『真実を見通す其の目が見据える先は(なんじ)にとって地獄となろう・・・。我等の血肉と為るがいい』

 蟲の腹を始めに、下顎までの各部位の繋ぎ目が(ばら)け、身体の上半分が(ふくろ)(うなぎ)の様な巨大な口と化した。

 体節毎に生えた四対の脚に顔を固定され、脚の自由も奪われた青年には逃げる事も儘ならない。


 無駄な足掻きと知りつつも、剃刀を抜き去り、構えた。

 手が震え、刃先も震える。

 いや、剃刀自体が揺らいでいた。

 最初にジャバウォックと対峙した時と似て、揺らぎは何かの実像を結ぼうとしていた。


 此れは・・・・・・。


 見えた、と認識した途端に剃刀は新たな姿へと変容し、はしりと手に収まった。

 矛先は既に敵へと向いている。起死回生のボタンに指先が掛けられた。



『ぎゃああああああああああああああっ』

 シュッと吹き付けられた白煙に蟲がたじろぐ。




 流石・・・・・・・、ゴ○ジェット。




 青年の手に握られた、円柱型をした鉄製の缶には某有名殺虫剤の商標が、ゴシック体の目立つ色で記されていた。









「名誉ある撤退でもするか?」

「却下だ」

 黒兎が言った冗談交じりの提案を鉄仮面が即座に(はた)き落す。

 只、兎がそう言いたくなるのも分かる程、三人は幼体から成虫へと変生した蟲に苦心していた。

 羽化したては(ひしゃ)げていた翅も体液で満たされ、今や飴色のしなやかな物へと変わっている。蝉の翅に形の似た其れが動く度、衝撃波級の突風が吹き荒れ、攻撃しようにも近付く事が先ず出来ない状況であった。

 既に蟲の脚が二対瓦礫から這い出している。全身が外に抜け出すのも時間の問題だろう。

進退窮(きわ)まったか」

 此れだけ強力な個体になっては何時地上へ出てもおかしく無い。

 一応、最悪の事態を回避する為に仏蘭西の地下廃棄施設からちょろまかした・・・、もとい拝借した核物質で制作した弾頭が有る事は有る。しかし、其れは本当に最後の手段な上、人間である青年が何処かに居る以上使用出来ない。


 ほんの少し、先代アリスならば、と頭を(よぎ)ったが、居ないものは仕方が無いと直ぐに考えを隅へ追い遣る。


 此の(まま)手を(こまね)いて見ている事しか出来ないのか・・・。そう歯噛みした時、金属が(ひしゃ)げる様な悲鳴が耳を裂いた。


 見れば、何故か今迄正常な動きをしていた蟲が急に(もが)き始めている。

 (ようや)く瓦礫から抜け出た身体も横倒しになり、三対の脚が空を掻き、全身を丸める度に、キシキシと体の節が鳴る。

 のたうつ身体は急激に膨らみ、其の姿は(さなが)護謨(ごむ)風船の様だ。


「何だか不味くないか?」

 不穏な空気を感じ取り、三人は距離を取ろうと後退(あとじさ)る。

 有り難く無い事に予想は的中し、歪な形状で限界まで膨らみ切った蟲は、正体不明の内容物をぶちまけて活動を停止した。



「・・・・・・・・・・・・・」

 例に漏れず、ぶちまけられた内容物をまともに被って閉口した三人は、遠くから見ると地にそそり立つ黒い柱の様である。

 蟲が破裂した爆心地には一際(ひときわ)大きな塊が落ち、べとりと其の一部が崩れ落ちると隙間からは何故かハシュラヴィラの主の姿が覗いていた。

 そして、直ぐ(そば)では、破裂と同時に弾き出された青年が同様にヘドロの塊と同化して転がっていた。



 仕事が始まってから良い事など何も無く、強いて挙げるとすれば(はか)り切れない重さの蟲を運ぶ必要が無くなったという点だけだろう。



 やっぱり、辞めよう。此の仕事。



 目を閉じた儘の暗い闇の中で青年は固く誓った。






今回、小道具として登場した蒸気自動車ですが、作中に書いてある通り、キュニョーという人物が初めて制作した乗り物で、蒸気機関車や現行の自動車よりも前に歴史に登場しました。

現在、製造している会社は少ないですが、エコの観点から再び脚光を浴び始めているそうです。

インターネットで検索すると、エンジンの機構や簡素的な構造のミニチュアを制作する紹介動画等が有るので、調べてみると面白いと思います。


本文中に出てくるUnder groundの各地地名は主に、其の場所の雰囲気に合いそうな複数の英単語を組み合わせています。

ハシュラヴィア(Hash Labia)は赤線寄りの歓楽街なので、退廃的なイメージの単語を使用。Hash(麻酔ににも使用されるけど、素人が使うとラリっちゃう危険な草の事)+La(フランス語で人、物等の前に付ける言葉。確か、男性名詞の時はLe、女性名詞の時はLaだったような気がする)+Labia(唇とか口に出して言うとアウトなものとか。ホントはヴィラにしてたと思ったんだけど違ったみたい)といったもので構成されています。

ミルドウッズ(Milled Woods)はMilled(略式で、うろつくという意味合いの動詞Millの状態動詞だったっけ?多分そんな感じ)+Woods(文字通り木々)。

モレスタウン(Mole’s Town)は犯罪都市なので、Mole(モグラ)+'s(所有格)+Molest(PTAで言ったら袋叩きに合いそうな事)+Town(まんま町ですね)。

ルインベル(Ruin Vale)は荒れ果てた場所と決戦と別れの地という意味合いから、Ruin(破滅とか荒廃させる等の意)+Vale(谷、又は別れ)。

バウンディド・エリア(Bound―darea)は危険な場所を囲い込むような形である事と、左遷された人が行く危険な場所という設定から、Bound(隣接する事や束縛、固定の意)+d-d(地獄行きを宣言された、酷い、糞野郎とかを表すdamnとかdamnedの略称)+Dare(立ち向かう)+area(区域)が組み合わさっています。


<五話内で使用したアリスの要素>

元ネタのアリスで登場する茸の上で水煙草を吹かしていた芋虫は、此の話では遊楽街のオーナーになっています。女衒(ぜげん)って煙草吹かしてそうでしょ?

また、茸は此処では建物として登場しています。

此処の白の女王は鏡の国のアリスに出てくる白の女王と編み物をしていた老羊と混ぜたような気がするけど記憶が確かでないなぁ。自分で取った筈のメモもネタになりそうな一部分を絵で抜き出しているから読み返してもよく分からなかった。

最後に、監獄街を牛耳っている蜥蜴のビルは、元ネタのアリスでは「尻を蹴られて煙突から飛び出した蜥蜴のビル」といった感じで唄の一節になっています。

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