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胞子の傘に包まれて・・・  作者: 矢久 勝基
クロテングダケの妖精 フリギネア編
9/10

第二節 フリゴと悠斗

 しばらくの後、なんとなくどうしようもないのでフリゴは小さな公園のベンチにいた。

 なんだかしらないがその隣には先ほどの幼児がいる。見ず知らずのおばさんに「何歳ですか?」と聞かれたりもしたがそんなの知るわけもない。ひょっとして親とでも勘違いされているんだろうか。

「ねえ、どしたのよ。あたしがなにかすればいいの?」

 意外におとなしくなっている彼に声をかければ、

「……」

 彼はしばらく黙った後に

「ちっくんいやなの……」

 とつぶやいた。

「ちっくん?」

 人間の言葉はだいたい理解しているつもりだったが、ちっくんという言葉はフリゴの辞書にはなかった。

「ちっくんとケンカしたの?」

 フリゴはケンカも嫌いだ。悲しくなる。なぜ仲の良かった者同士や、逆に赤の他人と罵り合わなければならないのか。

「早く仲直りしなきゃダメだよ。手伝ってあげようか?」

 男の子がうなずく。

「よし、行こう。どこにいるの?」

 フリゴが立ち上がると、男の子は首を横に振った。

「え、どういうこと?」

 迷子なのだ。だがそれがどういうことかを説明できる歳ではない。

「わからないの? ちっくんがどこにいるかが?」

「……」

 今度はうなづく。妖精はどうしたらいいのかわからない。


 結局、ちっくんを探して街を歩くことになった。まぁどうせターゲットを探して街を歩かなければならなかったわけだからやっていることは同じなのだが、実は今、フリゴはほんのちょっとだけ楽しい。

……意外にも、まったく興味がなかった"子供"というものがかわいく感じられたのだ。

 手を差し伸べるとその小さな手で握り返してくる。自分が一歩歩くごとに男の子は2,3歩歩いて、そのたどたどしさがかわいらしい。思えば、こんな弟がほしかった。

「お前、名前は?」

「……悠斗」

「ゆうとね。ゆうとはおなかすかない?」

 その答えを聞く前に腰ポケットから小さな袋を取り出した。

「これね、うまいよ」

 中にはどんぐりをはじめとした種や木の実がいくつも入っている。その中でもやわらかいものをいくつか選んで悠斗の口に放り込んでみた。

「うまい?」

「……」

 悠斗はうなずいている。そんな表情を見て、あまり表情が豊かでない彼女の顔がめずらしくほころんでいる。

「あ、そうだ」

……歌を、歌ってあげたいと思った。

 歌は人を元気にさせる。歌が与えてくれる不思議な力の何よりの信奉者であるフリゴは、おとなしくしていても決して笑おうとはしないこの少年の表情を幸せにする方法として歌を思いついたのだ。いや、歌しか方法が思いつかなかった。

「あのね、歌を……」

 が……彼女は言いかけたその言葉を最後まで言い切ることはできない。自分には歌えない理由があった。

 キノコ妖精の毒は、ある一定の条件をもって人に注入される。

 フリゴのそれは"歌"なのだ。彼女の歌は大洋に浮かぶ大型船をも沈める人魚、セイレーンの歌声に匹敵する魔力を秘めており、しかも彼女の毒性が最悪に近いほど強力なので、対象の死を視野に入れて歌わなければならなくなる。

 毒性というのは持って生まれたもので、例えば妹のムスカリアの毒などは逆立ちしても人は殺せない。歌の大好きなのに、歌えば人を殺してしまうかもしれない強い毒性を秘めているという皮肉が、彼女は大嫌いだった。

「ゆうとは、歌は好き?」

 かわりにそんなことを聞いてみると、うなづく悠斗。

「じゃあ何か歌ってみて」

 彼はしばらく無言だったが、やがてなにやら旋律らしきものが、手をつないで歩く二人の前に踊り始めた。

「♪いちーーのにーーーーにーーーのーーにーーーー、しゅーーぱーーーにぃーーー」

「あはは、なにそれ」

 フリゴは笑ったが、それでもいくぶん、心が軽くなった気もした。


 そんな悠斗があるところで立ち止まった。

「どうしたの?」

 ある一点を見つめて、明らかに腰が引けている。手を引っ張る力が強くなり、ひとたび離せば逃げ出しそうだ。

「ちっくんいやだ!!」

「ちっくんがいるの?」

 辺りを見回すフリギネア。日の落ちきっていない午後の青空と、何の面白みもない四角い建物が林立している路地には特に誰の姿も見えないが。

「ちっくんいやだぁぁ!!」

 また大きく泣き出してしまう悠斗。フリゴはよくわからないままだったが、彼の目線まで腰を下ろし、彼の両肩をつかむ。視線が、地面から程近いところでぶつかった。

「逃げてもダメなんだよ。逃げれば逃げるほど、自分が嫌いになるんだから」

「やだーーーーやだやだぁぁぁ!!!」

「あたしみたいになるなっ!!」

 ここでフリゴはややこっけいな説教をした。

「自分のことを嫌いになると、なかなか戻れないんだよ」

 ある程度生きてくると、自分が何ができないのか以上に、何をしていないのか……つまり、どこでずるいのかがわかってくる。それを自分自身で憎みながら、人にはそうでないほうが良いといいたくなるものだ。

 フリゴは自分のことが嫌いな理由を、実は自分自身が作り出している部分も多いことを知っている。自分が愛せない部分だから、人が同じことをしていると腹が立つのである。

 もちろんそんなニュアンスは幼児の彼には通じていない。が、見ず知らずの女の人の目が、真剣なことだけは伝わってきて黙った。

「あたしが一緒にいってあげるから。ちっくんと仲直りしなよ。ね?」

「……」

「ちっくんに会いに行こう」

「……」

「ほら。こっち?」

 立ち上がり悠斗の見ていた方へ腕を引っ張る。その先には「緒方小児科」と書かれた看板がある。


 小児科のドアを開けるなり、受付の窓口にいる中年女性は「あらあら」と短い言葉で二人を出迎えた。その目の先でフリゴが口を開ける。

「ここにちっくんっていう子はいるの?」

「ちっくん?」

 首をかしげる中年女性。小さな声で「さぁ……」と受け流すと、

「悠斗君を連れてきてくれてありがとうございます」

 と言い、「今、お母さんに連絡しますね」とも言った。そして奥へ通される。

 中には先ほどの中年女性よりは若そうな男が白衣を着て大きな椅子にふんぞり返っていた。入るなり、その男の大きな声が悠斗を襲う。

「ダメじゃないか。勝手に病院を抜け出したりしちゃ。 お母さんも心配していたよ」

(イヤな奴……)

 フリゴは直感でそう思った。思うが早いか悠斗を自分の背中に隠す。するとこの、緒方と言うのであろう名前の医者はそんな彼女の容姿を一度なめるように見入った。華奢な身体でありながらプロポーションはよく、露出の多い格好も相まって男の目を引いてしまう。

「あなたは?」

「だれでもいいよ。それよりちっくんはここにはいないの?」

「ちっくん?」

 一瞬、考えた先で、医者は笑い出した。

「ちっくんは人じゃないですよ。注射のことです」

(イヤな奴……)

 そうなのかと思う前に、この男の人を食ったような声のトーンが気に食わない。そんなことも知らないのかというイヤミっぽい物言いだった。

 というか、フリゴは注射というものがなんなのかを知らない。

「よくわかんないけどちっくんやめてあげて。嫌がってるでしょ」

 医者は眉毛を動かしてやれやれと言う表情を見せた。向こうにいる先ほどの中年女性と目を合わせ、その心の中は笑っているようだ。小馬鹿にしているようで腹が立つ。

「あなたはその子の保護者ですか?」

「違うけど」

「ではあなたが口を挟むことではないはずですが? 違いますか?」

(コイツ大嫌い)

 そう思った瞬間のフリゴの瞳は、人間とは異質な色に輝いていた。


「それでっっっっ!? 病院の人間たち全部張っ倒してきちゃったの!!??」

「悪いと思ってるけど……」

「わ・る・い・わ・よ!!!! なんてことしてんのよーーーーー!!!!!」

 ヴィロサの怒声がまるで稲光になって目に見えそうで、「都合の悪いことは基本無視」が信条のフリゴもさすがに小さくなっていた。

「私たちが手を出したら人間と同じじゃないの!!」

 傍若無人に自分たちのテリトリーを侵す人間。でも、妖精たちはそれを同じ方法で取り返そうとは思わない。キノコの毒は人間たちに危害を加えるためにあるものではないのだ。

 それをハッキリさせておかないと、結局は人間との全面戦争になるだろう。勝つ勝たないではなく、それをキノコの妖精たちの多くは望んでいなかった。

 フリゴもそう。だから、かっとなったことは反省している。

「まぁ過ぎちゃったことは仕方ない。それはいいわ。でも」

 ヴィロサはフリゴの背中にある違和感を指差した。

「何で子供つれてきちゃってんのよーーーーーー!!!!」

「……ばれた?」

「馬鹿」

 悠斗はフリゴの背中におぶさって、のんきに眠ってしまっている。バレバレも何も、その小さな顔がフリゴの首から覗いていて、隠すつもりがあったのかすら怪しい。

「な・ん・で、つれてきたの!?」

 ヴィロサは繰り返した。ターゲットでもない、それも幼児を、きのこ妖精の住処に連れてくるなど、ご法度もご法度。ご法度すぎて御ハットトリックなどと言いたくなるほどにとんでもないことだった。

「飼いたい」

「はぁ!!!??」

「かわいいから飼いたい」

「か……」

 開いた口がふさがらないヴィロサ。今しがたの御ハットトリックなど足元にも及ばない、もはや、御ハットリクンデゴザルと言えるほどの大御法度だ。

 怒りを通り越して途方にくれるしかない。

「異論もなさそうだね」

「ありすぎて困ってんのよーーーーー!!!!」

 古来、人間の住む場所に妖精が住み着いた例はある。おとぎ話などに出てくる不思議な力を持った美しい姫君のほとんどはきのこ妖精であり、ごく最近に至るまで人間とは身近な存在だった。

 が、逆はない。きのこ妖精ではないが海に根付いた妖精"ドライアード"……乙姫と呼ばれた娘が住処に人間を招きいれた例はあったが、やはり人間を不幸にした。

 人間と妖精は生き方の次元が違うのだ。人は、妖精の刻の流れに耐えうる力を持ち合わせてはいない。

「ね? わかる? 私たちと一緒に住んだとしてもその子は幸せになれないのよ」

「……」

 フリゴは、しばらく何もいわなかった。


 フリゴは自分が嫌いだった。

 だから、好きになれるものがほしかったのかもしれない。好きになったものを通して自分のことが少し好きになれれば……そこまで考えたかは知らない。ただ、彼の手をつないで歩いたたった少しの時間が、彼女にとってはとても楽しかった。

 自分でない自分がいた。

 別の自分を見つけられる可能性を見出したのかもしれない。だから、共に暮らせないことを知りながら、キノコの住処に彼を連れてきてしまったのかもしれない。

「あ、ゆうと、起きた?」

 ヴィロサに時間をくれと言い、大きな木の根元に悠斗を寝かせて隣でその様をじっと見つめていたフリゴが笑いかける。

 だが彼にしてみれば、起きてみたらまったく見覚えのない木立の幹に抱かれているわけで、そんな笑顔など見ている場合ではない。

「ママは?」

 フリゴはその一声を聞こえなかったかのように手のひらに載せたひまわりの種を悠斗に差し出した。

「食べる? うまいよ」

「ママは!?」

「ママじゃないけどあたしがいるよ」

「ママぁぁ!」

 わっと泣き出す悠斗。さびしくなったのだろう。フリゴも負けじと大声になった。

「なんでよ!! さっきあんなに楽しかったよね!?」

「ママぁぁ!! ママぁぁぁぁ!!!」

「!!!」

 血が湧き上がるようにフリゴの頭の中を暴れる感覚を覚えた。一瞬、首を絞めんばかりの衝動に駆られたが、すんでのところでそれは枯れ、泣きはらしている彼に並んでもう一度座りなおす。

 深呼吸……。シラカシの香りがする。一般的には感じることはできないかもしれないが、カシの周りに群生するクロテングダケにとってはいわば、親が自分を包んでくれたときにする安堵の香りであり、自分はここにいるときだけ、ささやかな幸せを感じられる。

「……」

 なるほど……。親の匂い、か……。

 彼女は、いまだに泣き止むことのない悠斗の涙をぬぐってやった。そしてつぶやく。

「歌を、歌ってやりたかったのよ。お前に」

 歌はいい。歌は、力をくれるのだ。自分が歌を彼に歌えさえすれば、彼の気持ちを落ち着かせることも、自分の不器用な気持ちを伝える事だってできるのに……。

 毒キノコの妖精として生まれてきて、有り余る力を授かって……それでも、自分はこの子供に対して無力だった。何もしてあげられない。

 泣きたい……。

 やっぱり自分なんて大嫌いだ。泣いた子供をあやすことすらできない。いや……

(あたしはこの子が喜ぶ方法を知っているのにそれから逃げてる)

 それが、嫌いなのかもしれない。

(あたしが、ゆうとにしてやれること……)

「……」

 彼女は、四六時中かかりっぱなしの音楽のボリュームを上げて、他の何も聞こえなくした。そして立ち上がる。

「よし、忘れた。 お前のことなんて忘れるよ。帰ろう」

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