野営地・聡の過去
「何かあったのか?」
透がタイムマシンの外壁の裂け目から外に出るのと同時に、待ち構えていた聡が心配そうな面持ちで声をかけてきた。
「お前がなかなか出てこないから、今、なかに戻ろうかと思ったところだったんだ」
「……いや、実は、聡が脱出に成功した直後に、ラプトルに似た小型恐竜に襲われたんだ」
透は聡の顔を見ると事情を説明した。自分の声が予想以上にぐったりとして響くのを透は感じた。
「……あのデカいやつの他にも、まだ恐竜がでてきたのか」
透の発言に、聡は信じられないというように言った。
「……なんとかやつら振り切って逃げてきたが、当分、タイムマシンのなかには入らない方がいいだろう」
聡は透の科白に短く頷くと、
「しかし、貨物室の恐竜のほとんどが既に覚醒してしまっているようだな」
と、聡はどうも腑に落ちないというような顔つきで述べた。
「あの事故の影響で、一匹から二匹、檻から逃げ出すようなことがあったとしてもおかしくないと思ったが、しかし、それにしてはやけに数が多い……しかも、ほとんど全ての恐竜が薬の影響を受けていないなんて」
「……確かにな」
透は聡の疑問に同意した。
「恐竜も個体によってはたまに薬の効きが悪いやつもいるみたいだが、今回はどうも数が多過ぎるな」
透は過去に一度だけ、ジュラ紀から未来へ恐竜を移送した際、貨物室の恐竜の薬が切れていて、檻のなかで恐竜が激しく暴れ狂っているという状況に出くわしたことがあった。しかし、そのとき薬の効果が切れていたのはその恐竜一匹だけで、今回のように何十匹もの恐竜が同時に覚醒しているということはなかった。
「あるいは恐竜を眠らせた担当が新人で、薬の分量を間違えたり、そもそも睡眠弾を打つのを忘れてしまったとかかな」
透は言った。
「……かもしれないが」
そう言った聡の表情はあまり透の意見に納得しているようには見えなかった。聡には何かべつの意見があるように見えた。が、結局、聡が自分の考えを述べることはなかった。変わり聡は透の顔を見やると、
「ひとまずそれは置くとして、今日の野営はどうするかということだな」
と、改まった口調で言った。
透は聡に言われてはじめてそのことに気がついた。タイムマシンが大破してしまった今となっては、この、どの時代のどことも知れない場所で、なんとか一夜を過ごさなければならないのだ。空に目を向けてみると、空は既に夕暮れの到来を予感させる淡い黄色に染まりはじめていた。早くしないとすぐ真っ暗になってしまうだろうと思われた。
「考えたんだが」
と、透が空に目を向けていると、聡が言葉を続けた。
「地上だといつどの生物襲われるともわからないから、背の高い木を見つけて、その上で眠るというのはどうだろう。あまり安眠はできないだろうが、少なくとも地面のうえで眠るよりはマシなんじゃないかと思えるんだが」
「そうだな」
と、透は頷いた。確かに木の上であれば寝込みを恐竜に襲われる可能性も少ないだろうと透も思った。透は背の高い木々を探し求めて周囲を見回してみた。周囲にはシダ植物が大きく成長したようなあまり馴染みのない植物が群生していた。背の高い木々もあるにはあったが、しかし、それは背が高いだけ木の幹は細く、人間の大人ふたりが休むことができるほどのスペースを確保することは難しそうに思えた。
「とりあず、適当な場所を探して歩くことにするか」
聡も透と同じように周囲には適当な場所はないと判断したようで、前方に向かって歩き始めた。透は黙って聡のあとに続いた。
ふたりはシダやソテツといった植物が生い茂る森のなかを進んでいった。蒸し暑く、湿りを帯びた空気が肌にまとわりついてくるようだった。しばらく進むと、川の流れる音が聞こえてきた。ふたりは川の音が聞こえてくる方向に向かって更に歩みを進めていった。すると、程なくして、川幅の狭い、透き通った水の流れる川が見えてきた。ふたりは川辺へと降りていった。川は水嵩はあまりなく、歩いて川の対岸へと渡ることができそうだった。川の対岸には樹齢五百年近くは立っていそうな、巨大な木が立っていた。あそこであれば大人の人間のふたりが休むことも可能そうに思えた。ふたりは透き通った冷たい水が流れる川を歩いて渡り、対岸に出た。
透は喉が乾いていたので、流れている水を手で汲むと一口飲んだ。喉が乾いていたせいか、口に含んだ水は微かに甘みがあって美味しく感じられた。つられるように聡も川の水を手で掬うと、少し飲んだ。透は続いて、川の冷たい水で顔を洗った。それでいくらか気分もさっぱりとした。
透と聡のふたりは川辺に腰を下ろした。あたりはしんと静まり返っていて、風に吹かれて揺れる木々のざわめきが聞こえた。そうしていると、今自分たちが遠い過去の世界に取り残されていて、さっき獰猛なトカゲ型の生物と対決したことなど信じられないような気持ちになってくる。今、自分たちがいるのは現代の日本のどこかで、車で少し移動しさえすれば、住み慣れた自分たちの街がそこにはある……透は川の穏やかな水の流れを見つめながらそんな錯覚に捕われそうになった。
でも、もちろん、実際にはここからいくら歩いたところでもとの世界へ戻ることはできない。それは厳然とした事実だった。透は現代の日本にいる、友人や、恋人。それから両親のことを考えた。彼等は自分が戻ってこないことで混乱し、悲しんでいる違いない。もしかしたらもう自分は死んでしまったと思われているだろうかと透は考えた。
「……お前が戻ってことないことで、家族や、友人が心配しているだろうな」
透の思考を読み取ったように、聡が透の顔を見て話かけてきた。聡の目にはいたわるようなやわらかい光があった。
「それは聡だって同じだろう」
透は聡の顔を見ると言った。すると、聡は苦笑すると僅かに首を振った。
「俺には俺のことを心配してくれるやつなんて誰もいないさ」
と、聡は自嘲めいた笑顔で言った。
「……これまで話たことはなかったが、俺の両親は俺が小学校のときに、交通事故で死んでるんだ。その後は親戚のうちに引き取られて過ごしたが、正直、あまり愛されているとは言い難い状況だった。……だから、そんな親戚のもとをなるべく早く離れるべく、中学を卒業すると、俺はすぐに軍隊に入ったんだ……そしてその軍隊を止めた後、今の会社に入った……だから、俺は透とは違って、俺がいなくなっても別段誰も困らないのさ」
透は聡の過去にそんなことがあったとは知らなかったので、驚いてすぐには言葉が出てこなかったが、
「だが、たとえ親戚に愛されていなかったとしても、聡のことを大切に思ってくれている、友人や恋人はいくらでもいるだろう」
と、透は咎めるような口調で言った。
聡は透の発言に、軽く肩を竦めると、
「さあてね。そんなやつがいてくくればいいんだが」
と、聡は皮肉っぽい笑顔で答えた。それから、聡はおもむろにそれまで座っていた岩場から立ち上がると、
「今のうちに薪を集めておこう。今日は盛大なキャンプファイヤーさ」
と、聡はおどけた口調で言った。
透は聡の発言に微笑して頷くと、薪を集めるために立ち上がった。