プロトタイプ
電子都市リアリス。
リアリスという言葉の語源は現実主義を指す「リアリズム」から来ていると言われている。
それを知る人は、実はもうこの世にいない。
まだこの世で活躍していたのは、まさに電子都市リアリスが地獄と化す直前までであった。
そしてその命を散らす半年程前のこと。
コンピュータがたくさん並ぶ部屋の中で、わりと整理整頓ができている一つの机。そこでディスプレイを食いつくように眺める一人の男性がいた。その手は休むことなく、キーボードを叩いている。
「降千朝、桜城水月、峰亜駆恋の調整終了しましたー。ふぅーっ」
白衣を着た男性が、両手を天井に向けて大げさに突き上げる。そしてその勢いを利用して大きな伸びをした。
周りの社員たちのクスクスと笑う声など気にもとめず、男性こと多花橋は机の上の携帯電話に手を伸ばし、部屋をでた。
そしてそのまま建物の屋上へと向かう。
この建物、つまりアルシィ会社の屋上は、通常立ち入り禁止になっている。しかし多花橋は特別な許可をもらっているため、屋上に居られた。
立ち入り禁止と言うこともあり、屋上の手入れは行き届いていない。床は砂粒が所々ちらばり、優に飛び越えられる柵も錆が目立つ。
「もしもし? おーきーてーる?」
屋上に足を踏み入れるや否や、多花橋は電話をかけた。これこそ、多花橋が屋上に入れる理由である。
アルシィ会社の社内は電波がなぜか悪い。そのため、比較的電波が良い屋上で電話をしている。
もとより、本来ならば電波が悪くても会話くらいできる。だが相手も電波環境が悪い場合、もう会話など成り立たない。
『うるさい。起きているから電話に出ているんだろう』
「あっはっは。それはよかった。とりあえず、三人の調整終了したから」
明るい声で多花橋が笑う。電話相手はそんな多花橋につられることなく、低い声で話を締めくくろうとした。
『ああ…わかった』
「おっと、ちょっと切らないでいて。実は最近さ…」
周りには誰もいないが、多花橋が声を潜めて真剣な声を出す。電話先でもその異様な雰囲気を悟れたらしく、彼の次の言葉を待っていた。
今の時期はちょうど、電子都市リアリスのストーリー開発の真っ只中。特に四天王たちはその試験に駆り出されては、レポートを提出することを繰り返している。
もちろんゲームキャラクターである朝たちは、その行動記録などがレポート代わりになる。そのため、朝たち自身は電子都市リアリスでただ動いていればいい。
しかし多花橋と通話をしている四天王のレイは、実物する人間。試験を終えた後、レポートを自力で打ち出すしかない。
レイ自身、レポートを苦だと思ったことはない。しかし試験をしているなか、少し気になる事柄もある。
それ故に多花橋の言い出すことを、レイは静に待っていた。
「実はさ」
『…』
「実は、最近…太っちゃって」
『…あ?』
「だから運動不足で太っちゃって。なんなんだろうね。こう、横から見た時のお腹の肉のボリュームがさあ…。だから細身な君にぜひアドバイスをいただこうかと」
『切る』
「ちょっと待って!」
多花橋が必死で呼びかけると、レイは何とか電話を切らずに待ってくれた。
『用件がまだあるのか?』
「もちろん」
なぜが誇らしげに言った多花橋は、屋上から見える景色に目をやった。
レイが居るであろう東の方角には、近代的な建物がたくさんある。ただこれはアルシィ会社のあるアルシィス国の特徴であり、とくに変わった物は多花橋の視力では確認できない。
なにより、レイはそんなに近くにはいない。
「実はさー。ちょっと電子都市リアリスの中で調べてほしいことがあって」
『…?』
「普通さ、ログインすると前回ログアウトしたところにあらわれるじゃん? でもなんかね、最近ログインすると見知らぬところに飛ばされる人が居るみたいで」
『…ほう?』
「そういう人を助けつつ、周りの環境とかを気にして欲しいんだよね」
『わかった』
その後、それなりの情報交換をしたあと二人は電話を切る。多花橋は電話をしまうと、ふうと溜め息をついた。
「悪いね、レイ。なかなか電子都市リアリスには色んな敵が多いみたいだからね~」
ひとりごとを呟いた多花橋は、そのまま部屋へと戻っていく。
そしてそのままディスプレイの前に座り、先ほどまでしていた四天王の調整の片付けを始める。
「あれ?」
いつもの見慣れたコンピュータのデスクトップ。そこにはぎっしりとファイルが敷き詰められている。
しかしそこを見た時、多花橋はなにか違和感を感じていた。
うーん? なんだろ。とくにファイルが増えたり、減ったりはしてないみたいだけど。
気のせいかと思いつつも、一度気になったら調べずにはいられないらしい。左端から一つずつ、ファイル名を確認していく。
その作業の開始からわずか数秒後、多花橋の目は動きを止めた。
「プロトタイプのファイルの末尾に変な記号が付いて…。まさか…!」
多花橋は凄まじい速さでコンピュータを確認する。そして顔色を青くした後、大きな溜息をついた。
「史境エリア…このプロトタイプに誰かが接触した? なんのために?」
四天王を生み出す前に作られた、試験前のゲームキャラクター『史境エリア』。予想以上の結果を出してくれたこともあり、いつかゲーム内でも登場させたいとデータを残しておいたものである。
ただ、この史境エリアのデータには何かがあった。それを察した多花橋はデータを削除しようとカーソルを動かす。
「…だめだ」
史境エリアのファイルにカーソルが辿り着く前に、多花橋はマウスから手を放す。
いくらプロトタイプとはいえ、彼女は多花橋が創ったキャラクター。いわば己の子どもみたいなものである。
「…」
とにかくこのファイルに何があったのか。それを調べるために多花橋は動き出した。