幻惑の定
「ありがとう」
優しそうな女性の声が、どこからか聞こえた気がしていた。
凄まじい爆発音とともに、眩しすぎる光が辺りを包む。
目を伏せていた手紙は、恐る恐る片目を開けてみる。すると、そこは真っ白な世界が広がっていた。
「わあ…」
自分以外が全く見えない真っ白な世界。その珍しい光景に落とされた手紙の声は、今もなお響き続ける爆発音にかき消されてしまった。
自分の声は誰にも届かない。
誰かの声も自分には届かない。
残響に包まれながらも、陰ることの無いこの空間から手紙は目が離せなかった。
───ひとつ、完了か。
手紙の脳内に、芯の通った男性の声が鳴る。爆発音という騒音の中、はっきり聞こえたこの声は、どうやら手紙の頭に直接語りかけたものらしい。
うーん…また史境エリアの関係者かなあ。
彼女と似た意思疎通手段を使う男性の声に、手紙は少しだけ戸惑う。
しかし、そんなものはすぐに一蹴りされた。
───あの娘とは違う。我は………。
「…え?」
まるで手紙の思考を読んだかのように返答した声に、思わず顔をしかめる。その時にはあの爆発音は止み、白い世界も黒く歪んでいく。
やがてもとの洞窟に戻った頃には、あの男性の声はしなくなっていた。
かわりに見えたのは、近くで前を向いている切手と遥、そして少し遠くで立ち尽くしたレイの姿だ。
朝と水月の姿は───そこにはなかった。
しばらくこの場に沈黙が流れる。しかしそれを破り、その場に落ちていたものを拾ったレイは手紙たちのもとに戻る。
そのレイの手の中には、四つの腕輪が収まっていた。
ついさっきまで戦っていた敵を彷彿とさせる、アクセントに緑の立方体がついた銀色の腕輪を、レイは皆に配る。
「…これは?」
「とりあえず、つけてみろ」
切手が訊くと、腕輪をさっさとつけたレイが静かに言い放った。
全員が腕輪をつけたことを確認したレイは、手紙と切手の腕を掴む。
そして二人の手を、遥の目の前に持っていった。
「遥、これを持て」
『これ』扱いされた手紙と切手の手首を、遥はきょとんとしながら持つ。その後、レイが遥の肩に右手を置いた。
これで、皆が遥に触れていることになる。
「この状態で“瞬間移動”で出口まで飛べ」
「? それは構わないけど。ぼくの特技の“瞬間移動”は、いくらぼくにくっついていても、他のプレーヤーは運べないよ」
というか、できたら前からやっているし。
そう言葉を付け足した遥はレイの命令に従い、特技を使った。
そして、四人は文字通り一瞬で洞窟の出口まで移動していた。
「あれ?」
自分だけでなく手紙たちも一緒に移動していたことに、遥は驚きを隠せなかった。自分の腕についている腕輪をじっと見ると、遥はレイに疑問をぶつける。
「これはなに?」
「プレーヤーに“道具”のデータを付け加えるものだ」
さらりとレイが答えると、納得したように手紙が大きく手を叩く。
「なるほど。“瞬間移動”は武器などの道具は一緒に運べるけど、プレーヤーの俺たちは運べない。だけど俺たちが道具のデータを持ってしまえば、“瞬間移動”の効果が受けられるんだ」
手紙の解説を聞き、隣にいた切手も納得する。
「なるほど。でもそれって“瞬間移動”でしか恩恵がないような…」
「………強いて言えば、その腕輪があれば俺の弓で切手が射れるけど…」
「お断りだね」
即座に切手は首を横に振った。
どうやらこの腕輪は立方体が落とした戦利品らしい。
その腕輪をじっと見つめた後、レイは手紙たちを見た。
「ゲームクリアをする、三つの攻略ルートがある。そのうちのひとつのラストボスが、この立方体だったんだ」
「えっ?! じゃあ朝さんにはそんな強敵のデータが?」
切手が驚いて声をあげると、レイは無言で頷く。その隣にいた遥は腕を組みながら考え込んだ。
「そんな強力なデータを抱えたから、レイの回復魔法による救助ができなかった、とか?」
「いや、違う」
遥の問いに即答したレイは、一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべる。しかしそれを悟られる前に話し始めた。
「それは、朝が特殊な体質だからだ」
「…特殊?」
「ああ。朝…と、水月もだな。二人はプログラムによって構成された『ゲームキャラクター』だからな。朝は侵入してきたデータと自分のデータが同質であるゆえに、綺麗に混ざり合ってしまったんだろう」
さらりと言われたその言葉に、三人は言葉を失った。
『ゲームキャラクター』。
それは、ゲームプレーヤーとは違う。言ってしまえば、ゲームキャラクターは生き物ではない。
ゲームの中でしか動くことの出来ない、架空の人物である。
「…」
手紙たちは思わず黙り込む。おそらく色んな感情がせめぎあい、なかなか言葉が出てこないのだろう。
やがて、心の整理が出来てきた手紙が口を開く。
「それでその…朝さんと水月さんはどこに…?」
恐る恐る出てきた言葉は、二人の安否を気にするものだった。隣にいる切手と遥も、手紙と同じような視線をレイに送る。
二人の正体を知ってなお心配をしてくれる。そんな三人に感謝をしたレイはその気持ちを尊重し、もう隠し事はしなかった。
立方体の最後の爆発の効果。
救う手段が見つからなかった朝は、恐らく立方体とともに消えてしまったこと。
そして立方体の爆発の効果により、水月も犠牲となったこと。
その全てを話し終えた。
「そ、そんな…」
切手が信じたくない、というように言葉を漏らす。
一通り話し終えたレイは、いつも通り表情は変えない。しかし無意識に口数が増えてしまっていた。
「はじめの頃、強さの度合いによる縦社会化を恐れたアルシィ会社は、四天王というものを作った。四天王という絶対的な最強がいることで、強き者は弱きを助ける、強き者は偉いわけではない、それを浸透させていた」
一瞬だけ遠くを見たレイは、話を続ける。
「特に朝と水月は表舞台でがんばっていてくれたな」
「…あのさ」
そのとき、腕を組んだ遥が少しだけ訊きづらそうにたずねた。
「レイもゲームキャラクターなわけ?」
するとレイはゆっくりと首を横に振る。
「いや、違う。俺は人間だ」
「そっか」
「ああ。…だが、変わらないだろう?」
「?」
想定外のレイの言葉に、三人は顔を上げた。すると視界に入ったのはレイの表情ではなく、細くも意思の強そうな背中だった。
「あいつらは俺にとって大切な仲間だ。ゲームキャラクターとか、本物の人間かなんて問題ない。なによりあいつらは、誰よりもこのゲームを楽しんでいたしな」
「…! うん!」
思いやりのこもった言葉に、三人の気持ちも重なる。友情を大切にし、それに救われている三人はもう下を向くことはなかった。
そしてまだ手紙たちに背を向けたままのレイは空を仰ぎ、独り言のように呟く。
「『幻惑』のルートが完了か。残るは『聖峰』と『心根』…」
四天王が一気に二人敗退か。
薄暗い石造りの地下牢の中で、史境エリアはひとり物思いにふける。
牢の中とはいえ、ここは敵たち所有の建物である。それゆえ史境エリアは捕まったために牢にいるわけではない。
ただ、ひとりになりたかっただけである。
長すぎる髪を引きずりながら、彼女は冷たく冷えた檻の鉄に触れ、さびしそうな表情を浮かべた。
《これが幻惑の定って言うのか?》
史境エリアは目を瞑るとそのまま床に倒れこみ、眠りについた。