降千 朝
史境エリアが置き土産として置いていった、大きな敵。それは、巨大過ぎる亀だった。
固そうなその甲羅は防御力が高いことを示し、重そうな手は攻撃力の強さを表しているようである。
「…大きいね」
敵の姿を見て、遥が面倒くさそうに呟いた。
巨大過ぎる亀の敵を前に、切手とレイが立ちはだかる。そしてレイは何の迷いもなく、亀に向かって大鎌を振るっていた。
切手も敵の動きに注意しながら、それに続く。
遥も魔法攻撃の準備を始め、手紙も矢を放つこと十数秒。
呆気なく、亀を倒してしまった。
「弱っ」
防御が高そうで、長期戦になりそうな雰囲気であったがゆえに、遥が今度はつまらなさそうに言い捨てる。
「弱いって言うか…四天王が強過ぎなんだとおもうよ。僕の攻撃はあんまり届いてなかったし」
苦笑いの切手がなぜか亀をフォローすると、手紙が面白そうに笑った。
しかしその輪に混じることなく、レイはいつの間にか近くにあった『井戸』のフィールドの入口を見つめている。
『井戸』にいる立方体の敵…。あれはメンバーを一人だけ強制ゲームオーバーにさせる。この電子都市リアリスの状況では、ゲームオーバーからの復帰の回復魔法は通じないだろう。
次第にレイの視線は、楽しく話している手紙たち三人に向く。そしてそこから顔を背けたレイは、静かに目を瞑った。
…奴らに話す必要はないな。もしあの立方体と戦う必要があったとしても、プレーヤーを守るのが四天王の義務だ。
「レイ、とりあえずそこのフィールド覗いて見ない?」
ひとりで考え事をしていたレイに、手紙が話しかける。するとレイは動揺した様子もなく、素直に頷いた。
「ああ」
「薄暗っ」
「うわあっ!? しかも狭い!」
「…ふーん? 前と変わんないね」
井戸のフィールドに入った手紙と切手、遥がそれぞれの意見を好き勝手に口にする。
「遥…だったか。お前はこのフィールドのどこまでいった?」
珍しくレイが質問を投げかけた。
「ぼく? ぼくは奥までいったよ。なんにも無かったけど」
「そうか」
「でも、なんで?」
「…遥が来たときはまだ未実装だったようだが、このフィールドの奥にボスクラスの敵がいる。四天王でも少々時間がかかった敵だから、あまり戦いたくないな」
最低限の情報だけを伝え、レイはそれ以降口を閉ざした。
四天王でも時間がかかった敵かぁ…。それこそレイがいるうちに戦っておきたいんだけど?
丸い石を集めている遥たちにとって、強い敵と戦うのは必須事項である。それを充分に分かっている遥が、心の中で溜め息をついた。
「っと、たたっ」
謎の言葉を呟いた切手に、みんなの視線が集中する。どうやら先頭を歩いていた切手に、小型コウモリのような敵が体当たりしてきたらしい。
急いでやり返す切手の後ろでは、手紙が瞬時に矢を放ち、遥が瞬間移動でナイフを投げてとどめを刺した。
しかし、その場にレイの低い声が通る。
「甘い」
叱るような低い声と共に、レイは大鎌をいつもより広い範囲で振るった。すると小型コウモリが、ドミノのように大量に倒れていく。
「一匹に集中し過ぎるな。周りにも気を配れ」
「うっ…」
痛いところをつかれた手紙と切手は、黙り込んでしまった。
だがここで、手紙は当初の目的を思い出す。
「あ! 朝さんがこのフィールドの奥の方にいる!」
嬉しそうに、やや焦りながら放った言葉に、三人が振り返った。
見つかったことに安堵する切手と遥をよそに、レイだけは少しだけ暗い顔になる。
朝…なぜよりによって、このフィールドに?
メンバーの誰かを犠牲にしなくてはならない敵がいるこのフィールド。思いやりを持つ朝が、ここに来ることすら少し奇妙である。
「よーし! じゃあ急いで合流しよう!」
先ほど黙り込んだのはなんだったのか、と思わせるほどに手紙は元気に言った。笑顔の切手と、呆れた遥が頷くなか、レイは首を横に振る。
「いや、必要ない。ここからは俺一人で行く。…正直、助かった。とにかくすぐここから離れておけ」
立方体の敵が出現する可能性を危惧したレイが、すでに三人に背を向けて歩き出した。
「え、ちょっ、え?!」
唐突すぎる出来事に切手が焦ると、手紙と遥が静かに顔を合わせる。
そしてレイの姿が見えなくなった後、ひっそりとした声で遥が話し出した。
「こんだけ距離置けば、ついて行ってもバレないよ。…行こう」
「…」
…良いのかな? これってついて行くというより、つけて行くなんだけど。
切手が無言になると、手紙がその肩にポンと手を置く。
「別に大丈夫だって!」
「手紙…」
「俺の“捜索”があれば、見失うことはない!」
「あぁ…そっちか」
何かを諦めた切手は、忍び足で歩き出す手紙と遥に続いて歩き出した。
一方のレイは、雑魚を蹴散らしながら黙々とフィールドの深部まで向かっていた。フィールドの薄暗さも、朝に対する疑問が頭を巡っているせいか、あまり気にならない。
そしてついに、レイは以前に立方体の敵と戦ったバスケットコートほどの空間へと辿り着いた。なぜがは分からないが、立方体の敵の姿は見られない。
そして、思わず声がでる。
「…朝?」
目の前にいたオレンジ色のポニーテールが、一瞬だけぴくりと動く。そしてレイに背を向けていたポニーテールの女性が、ゆっくりとレイの方へと体を向け始めた。
「どうしてレイがここに…?」
その酷く動揺した顔は、長い付き合いのレイでも見たことのない顔だったらしい。
レイも驚いてしまったが、すぐに動揺を落ち着かせた。
「お前を探していたんだよ」
「…!」
嬉しくも悲しそうな表情をした朝は、ゆっくりと首を横に振る。
「だめ。お願い、ここから…あたしから逃げて」
「は?」
「あたしはもう、あたしじゃなくなっちゃうから」
いつの間にか瞳に溜まっていた涙を一筋流した朝は、レイに向かって笑顔を見せた。
そんな異様な様子の朝に困惑していたレイだが、ある予感が頭を過ぎる。
「お前…まさか」
以前、立方体の敵と戦ったこの場所。
しかし見つからない敵の姿。
そして自分が自分でなくなるという、朝の言葉。
「立方体の敵のデータが侵入していたのか…?!」
レイが問うと同時に、朝の姿は溶けるようになくなり、大きな立方体を形成していった。