現れた有名人
「あと五分!」
手紙は机に向かいながら、まるで朝起きられない子供のような言葉を嬉しそうに言った。その言動は、端から見れば異様な者でしかない。
ベッドの上に座り、漫画を読んでいた切手が溜め息をつく。
「なんで喜びながら、そんな難しい勉強ができるのさ?」
「まあ、頭の切り替えってやつだな!」
「…ちなみに何の勉強?」
切手はベッドから離れ、手紙の机の覗き込む。
「…なんの問題集?」
「法律だな。その中の商業法規からの抜粋問題集で、例えばAさんがBさんに不本意ながら財産の一部を贈る約束をしてしまった場合に……」
「ストップストップ!せっかく夏休みの宿題を終わらせたばかりだから!頭に難しいこと入れられない!」
切手は慌てて手紙の喋りを止めた。そして急いで時計を指差す。
「ほら、あと三分!」
「お、おう…」
ちなみに切手だけでなく、手紙も夏休みの宿題は終えている。つまり手紙は今、これまでの授業の復習をしているところだ。
電子都市リアリスを開発したアルシィス国の南東にある『カタヤ公国』。その中でも北の方に位置する、切手の家に二人は居た。
五年前に手紙はカタヤ公国からアルシィス国に引っ越し、切手とは電子都市リアリスでしか会うことはなかった。
しかし4ヶ月前から手紙はとある事情により、切手の実家である湯家家に居候している。
本来なら切手と同じ地元の中学校に通うところ、これまた諸事情により、手紙はアルシィス国の名門私立学校にわざわざ通っていた。
「…よしっ。時間だ!」
手紙は勢い良く問題集を閉じると、近くにあった輪っかを取り出した。切手を同じような輪っかを取り出し、頭に被せる。
まるでハチマキを巻いているようになった二人は、眠りにつくように意識を失っていった。
「……っ!?」
電子都市リアリスにログインすると、前回ログアウトした場所に辿り着く。
よって手紙は中央街に降り立つ。しかしログインした瞬間に、なにかの重さを感じたような気がした。
「な、なんだ?」
周りを見渡しても、そこには人ごみしかない。むしろ切手の姿すら見当たらなかった。
不思議に思いつつも、手紙はまず切手を探し始める。
「おおーい!切手ー!」
ストーリーがついたともあって、人の量がいつもと各段に違った。満員電車とまではいかないが、人と人の間はとてつもなく狭かった。
手紙が人をかき分け進んでいると、人々の話し声が聞こえてくる。
「ね、誰が一番好き?」
「あたしはレイ様!絶対的にレイ様!」
「わたしも!『レイ・ユーガ』のかっこよさはヤバい!」
「ん~、私は『桜城水月』さんかな~。あの優しい感じが良い!」
「『降千朝』さんも女子として憧れるよぉ」
ちらほらと聞こえる浮かれた会話のなかで、手紙はあることを思い出す。
「そういえばストーリー初日は、四天王の挨拶があるんだっけ」
電子都市リアリスのゲーム機能利用者には、それぞれ『職業』がある。
それはよく聞く「戦士」「魔法使い」「僧侶」などと似たようなものだ。
電子都市リアリスには職業は四つしか存在しない。その各四つの職業の頂点にたつのが、今噂にあった『四天王』だ。
四天王の実力は飛び抜けており、その人気は凄まじい。熱狂的ファンといえる人物さえいるくらいだ。
手紙と切手も名前くらいは知っているが、そこまでファンではない
ちなみに先ほど誰かが話していた『桜城水月』という人物と、手紙は同じ職業にあたる。それもあって少し尊敬をしていたりするらしい。
「…い、……み」
「ん?」
「…おーい、…手紙!」
周りの声を拾っていると、手紙を呼ぶ切手の声が聞こえてきた。なんとか二人は合流に成功する。
「ね、手紙。あと五分くらいで、舞台のフィールドで四天王の挨拶があるみたい。そうすれば中央街の人も減るから、いったん出直さない?」
「ああ。悔しいけど仕方ないよな…」
いくら頭に浮かぶ映像の世界でも、この人ごみではストレスが溜まる。残念そうな顔をしながら二人はログアウトを選択した。
が。
「あれ?!」
「ん?!」
ログアウトをしようとすると、赤い文字で『エラー』が現れた。おかしいと思った二人は何度も試すが、エラーがてでしまう。
二人は冷や汗をかきながら、顔を見合わせた。
途端に人ごみのいたるところで、悲鳴が上がる。
「なんで?!なんでログアウトできないの?」
「おい、嘘だろ?!」
人々はざわめき、人の波にも混乱が起きる。
ただでさえぎゅうぎゅうな状況なので、苦しみの悲鳴も聞こえた。
「な、なんなんだ?!」
溜め息のような小さい声で、手紙はあたりを見渡す。
そのとき、その場にいる全員にメールが届いた。
「…?」
そのメールは勝手に開き、機械音声が読み上げた。
《初めまして。私は、『リョクア』》
なんだなんだとざわめくなか、誰かが静かに!と叫ぶ。
そんなことは構わないと言った様子で、機械音声の声は続く。
《少々電子都市リアリスのプログラムを変更しました。あなた達に、お願いがあります》
いつの間にか皆黙りこんでいた。
《ぜひ、私の手足となる僕になっていただきたい》
「…あ?!」
あたりから怒号が上がる。そんな中、手紙と切手はずっと黙り、機械音声を聞き込む。
《それが無理というならば、本日始まったストーリーを最後まで解いて欲しい》
この言葉で、再び皆静かになる。
もしかしてこれもストーリーのうちなのだろうか?と思い始めたからだ。
だが残念なことに、これはストーリーの一部ではない。先ほどアルシィ本社は何者かに襲撃された。その何者かが勝手に始めた、何かの企みである。
アルシィ会社のことなど知る由もない人々は、この状況を見極めようと耳をすませていた。
《ゲームオーバーになれば、その時点でその人は僕。ストーリーをクリアすれば、クリアした時点でゲームオーバーになっていない者だけは全て解放しよう》
人々は、まだ動かない。
《それでは、健闘を祈る》
ぷつりと、機械音声は静かになった。
人々は困惑の声を上げ、近くの人と話し出す。手紙と切手も例外ではない。
「これは…僕はとても演出には思えないんだけど」
「俺も同意見だ。これは絶対にアルシィ会社の真意じゃないよな」
しかし結論が出ないからには、不安は終わらない。しばらくすると泣く人まで現れた。
ゲームクリアをすれば良い?
しかし一度でもゲームオーバーになれば、よく分からないが『僕』になってしまう。
そのリスクは人々の積極性を削いだ。
多くの人が下を向くなか、明るい声が中央街に響き渡る。
「みなさーん、聞こえますかー?」
声のする方向に視線がいく。声の主はどこかの家の屋根にのぼり、手を大きく降っていた。
オレンジ色の髪のポニーテールに、桃色の瞳。どこか自信に満ち溢れ、人々に元気を与える明快な笑顔。黄緑色を基調とした上着に黄色いショートパンツ姿の20歳前後の女性。
電子都市リアリスにいるゲームプレイヤーなら誰でも知っていた。
「ふ、降千朝さん?!」
「やっぱり、あの『攻撃術士』最強の?!」
予想通りの反応だったのか、朝は嬉しそうに頷く。そして声を再び張った。
「はーいはい。初めましての人も、久し振りの人も、とりあえず自己紹介するね」
朝は左手を腰に当てると、右手に魔術師が使うような装飾が施された杖を出す。
「あたしは『攻撃術士』の降千朝。電子都市リアリスを開発したアルシィ会社より、四天王を任されているひとりだね」
今まで不安しかなかった中央街の人々の顔に、元気が生まれた。その様子を客観的に見ていた切手が感心する。
「すごいな。これが四天王の人気の力かな?」
朝は異性だけでなく、同性からも憧れの女性として人気がある。その理由の一つが、この人々を明るくさせる魅力だった。
その朝の背後から、朝と同年代くらいの男性が一人現れる。
「全く…朝はこんなところによく登るよね…」
朝と同じ桃色の瞳に、薄い水色の短い髪の男性が小さな声で呟く。しかしその表情は穏やかなもので、垣間見せる笑みからは優しさが伝わってくる。
「うるっさいわね。いいじゃない、目立って」
「はぁ。ま、いっか」
現れた男性は、穏やかな笑顔で視線を向けてくる人々に一礼した。
「『後衛戦士』の桜城水月です。朝と同じく、四天王を任されています」
その丁寧さには品があり、美しさすらあった。
混乱と憤慨に満ちた人々の気持ちを紛らわす。その役割を、朝と水月は見事にこなすのだった。