アルシィの民
「アルシィの民」
遥が自分の正体を明かすと言った後、一番始めに出たのがこの独り言だった。
その言葉をどこかで聞いたことあるな、と思ったのは手紙と切手だけである。
「…え?」
「えええっ!?」
すぐ側にいた維流と白依は、素直に驚きの感情を露わにした。
そんな二人の反応が面白かったのか、遥は何かを企むような笑みを見せる。
「くすくす…」
いまいち状況が掴めない手紙と切手は、一番まともな意見が返ってくるだろう維流を見た。その視線にすぐに気付いた維流が、まるで教師のように説明を始める。
「アルシィの民とは、一種の都市伝説のような存在なんです。色んな噂がありますが、アルシィ会社に魂を売ったゲームプレーヤーと言うのが、いちばん有名かもしれません」
「魂を売った?」
「はい。その解釈も色々とあるのですが、まあ…良い意味で訳されることは少ないですね」
それに今から分かるでしょう、という目つきで、維流は遥を見た。遥は小さな笑みを浮かべると、小さく首を縦に振る。
「ま、あながち間違ってはいないんだよね。その噂も」
「?」
「アルシィの民っていうのは…身寄りのない者達が、電子都市リアリスの開発のために、アルシィ会社に雇ってもらっている人間のことだよ」
座るのに手頃な場所を見つけ、遥は座り込んだ。
「例えば、ぼく。ぼくは過去に色々あったところ、アルシィ会社の社員に助けられたんだ。お金もなければ、頼れる人間もいない。そんなぼくを、その社員はアルシィの民として迎えてくれた」
気がつけば手紙たちも座り込んで、長い話を聞く姿勢に入っている。それを確認した遥は、どんどん話を進めていった。
「それでアルシィ会社に貢献するため、ぼくたちアルシィの民は、発売前の電子都市リアリスで様々なテストを行った。そして発売された後も、より良い使いやすさを追求するため、ほぼ一日中電子都市にいる」
「一日中? 学校とかは?」
心配そうな顔をした白依が、遥を見た。
「行ってないよ。第一ぼくは戸籍自体持ってないから、普通の生活ってしにくいんだよね。だから食事とか以外ではリアリスで過ごすかな」
さらりと答える遥に対し、手紙は違和感を覚えた。
俺たちにとって、遥の生活はかなり異常に見える。それでも…。
ふと思いついた言葉を、手紙は喉の奥に追いやる。そんな手紙の動揺にも気付かず、遥は話を進めた。
「史境エリアだっけ? あの人の歌が大丈夫だったのは、この電子都市リアリスの開発中にあった色々なテストのおかげかな? 確かテレパシーの機能の実験とかやったし。まあ、失敗に終わったけど」
「…少し、納得しました」
意外にも、優しそうな笑みを維流は見せた。その表現に安心感を覚えた白依は、いつもの調子に戻る。
「まあ、幼い頃からここで過ごしたなら、そういう性格になるわよね」
「うーん、お姉さんには性格について、とやかく言われたくないかな」
そう言って、珍しく遥が苦笑いをした。
電子都市リアリスに閉じこめられてから、手紙と切手と、ほとんどの時を一緒に過ごした『加七遥』という変わった少年の正体。
それは人体実験の研究所から救助され、電子都市リアリスにその身を捧げた幼い少年だった。
「電子都市リアリスに昔からいるせいか、人よりも強いのが利点かな」
誇らしげに、遥は呟く。
「確かに、ボスクラスの敵のデータが入った桐姫と一人で戦ってたよな…」
手紙は当時のことを思い出し、今更ながらに感心した。その横で、維流が首を傾げる。
「…その割には、飛び抜けた強さはありませんよね?」
「あー。まーねー。…ほら、ぼくら実験も兼ねて職業とか選んだし? 今は個人の戦闘スタイルが考慮されて特技が付くけど、当時はランダムだったから」
遥は自分の武器である投げナイフを取り出す。
「この武器も、特技が“瞬間移動”だから選んだんだよね」
特技の話題を聞いて、四人は納得する。
ずっと遥といた手紙と切手はもとより、維流と白依も遥の特技に疑問は持っていた。
例えば切手の“相殺”や維流の“魔法感知”。
これは前衛戦士としての役割の幅を広げつつ、味方を守る力ともなってくれる。
特に手紙と“捜索”の相性は良く、本人の知識や発想も相まって活躍していた。
しかし攻撃術士という術メインの戦闘スタイルなのに“瞬間移動”という機動性に優れた特技。正直、あまり相性はよろしくない。
「確かに、あなたの特技って戦士向きよね。特に私や手紙なんかと相性良いかも」
白依が頷きながら思ったことを口に出すと、遥がじっと彼女を見つめてきた。さすがの白依もなんとなく後ずさる。
「な…なによ」
「いや、べつに? ただお姉さんと手紙もなかなか相性良いよね?」
いたずらっぽく笑った遥は、白依と維流の顔を交互に見た。その視線が捉えたのは、わずかに表情を固くした維流の真顔である。
あ、動揺してる動揺してる。
声を潜めて笑うのは、年上をからかって面白がる遥だった。
面白くなさそうな維流をよそに、手紙と白依はきょとんとした顔を見合わせている。
そんな多種類の感情が入り交じるなか、切手が目を逸らしつつ頷いた。
「相性が良いというか…なんだか似てるところあるよね?」
切手のおどおどしたフォローを受け、手紙と白依は深く頷く。
「あー…」
「そうだと思うわ…」
渋い表情で二人は唸る。
どうやら二人は、お互いがどう似ているかを詳しく把握しているらしい。
そんななか、白依から異常な愛情を受けている維流が一番つまらなさそうにしていた。
「…あ、一応相思相愛だったんだ」
余計な一言を、遥が口に出す。すると遥は、鋭い目つきで維流に睨まれた。
うーん、ぼくってお姉さんとは馬が合うけど、このお兄さんとは悪いのかな?
心の中で遥は大きな溜め息をつく。
不穏になってきた空気に気付いた手紙が、さすがに慌てだした。
「いや、気付くの遅くなったけど! 『籠下』って言えば『シア帝国』にある名家のひとつじゃん!」
「そ、そうなの?!」
手紙につられて、切手もなぜか焦って返答する。すると、静かな声で維流が解説を始めた。
「はい。シア帝国でも五本指に入るほどの資産家で、かつ慈善活動も行っております」
「すごいや…」
感心する切手を見た遥は、首を傾げて手紙に訊く。
「シア帝国って?」
「アルシィ会社のあるアルシィス国の東にある、王制の国だよ。政治の面ではアルシィス国とはあまり友好的ではないけど、産業の分野ではお互い手を取り合っている関係だな。歴史ある国だから、世が世なら籠下家はかなり高い身分だったことは確かなはず」
「へー!」
籠下の凄さが分かった遥が、再び白依に目を向けた。
「ま、だからといって、何があるってわけじゃないけどね」
赤い髪を触りながら、誤魔化すように白依は視線を逸らす。そして思い出したように手紙を指差した。
「って、あたしだけじゃないでしょ! 手紙、あんただってアルシィス国の重要人物の家系でしょう!」
「…え?」
驚いた目つきで、維流は手紙に顔を向けた。しかし当の手紙は何も言わずに微笑んだままである。
ぽかんとしている維流に向かって、なぜか苛立つ白依が言葉を足してきた。
「ほら、手紙なんて珍しい名前と、立ち振る舞いで思いつくでしょ! 鈴店家よ、鈴店家!」
「え?!」
維流の表情が、今度は驚いたものへと変わる。手紙は苦笑いと共に頷くと、維流に向き直った。
「俺も白依の振る舞いや、付き添う維流の存在、聞いたことのある名前で思い出したんだ。維流は白依の執事ってことでいいのかな?」
「そうでしたか…。ええ、申し遅れました。私は籠下家に仕える者になります。この度はとんだご無礼を…」
「そんな畏まらないで! っていうか半分からかってるでしょ!?」
庶民にはよく分からない定義の話が展開され、切手と遥は完全に話題に取り残されていた。
「なんていうか、これが社交界ってやつなのかな?」
「二人とも紳士淑女って感じしないんだけど。っていうか、二人ともそれらしくないところが似てんじゃん」
手紙と白依が似ているのは、社会的地位が高い割にそれらしくはないところ。そういうことでおさまり、不穏な空気なくなったため、一同は中央街へと戻ることにした。
その道中で突然、手紙が足を止める。
「…ん?」
「どうしたのさ?」
遥と切手が、後ろにいた手紙を見るために振り返った。
「どうかしました?」
「なによ、いきなり止まって」
維流と白依も手紙を見る。
そして、手紙は静かに言った。
「切手に遥、俺たちまだこのフィールドでの目的、達成してないよ…」
「…あ」
「…そういえば」
手紙たち三人の目的は、強い敵が落とす丸い石である。
こうして維流と白依とはここで別れ、手紙たちはフィールドに残ることになった。
「実は、さ」
突然、遥が言いづらそうに口を開いた。
もうここには、白依も維流もいない。遥の側にいるのは、自身が最も信頼できる年上の友人だけである。
「どうした?」
「どうかした?」
驚きながらも、手紙と切手が思い詰めた表情の遥に聞き返した。
先ほど話したのは、遥がアルシィの民になってからの話。ただ、ずっと二人に話したいと思っていたのは、もっと昔からの話である。
今なら言えると思った遥は、思い切って悪夢のような記憶を言葉にした。
そっか。
そして話を聞き終えた手紙は、先ほど口に出すのをためらい、諦めた言葉を思い出した。
俺たちにとって、遥の生活はかなり異常に見える。それでも…。
いや、それだからこそ、か。
「『今』の遥が一番、遥らしくて良いんじゃないかな?」
笑顔で手紙が言うと、隣にいた切手も頷いた。
「そうだね。出会った頃よりも棘は減ったし。生意気なところも遥の個性というか、むしろ長所になりつつあるというか…」
「あのさぁ…。それ、どういうこと? ………しかもそれって誰のせいだと思ってるわけ?」
「?」
遥が最後の言葉をはっきりと言わなかったため、手紙と切手は上手く聞き取れない。
ただそのときの遥の表情は、とても満足そうだった。




