彼の正体
「逃げた、のかな」
手紙たちがいる『廃れた工場』より、かなり離れたフィールド『極秘の花園』には、水色の髪をした青年が一人居た。
かつて糸部砂記と倉成桐姫たちが拠点として使っていた『極秘の花園』。やっとの思いでそこに辿り着いた青年は、思わず溜め息をつく。
「やっぱり『レイ』の言う通りか。…とにかく、はやくレイと会って情報交換しないと」
残念だと思ったとき、青年は一面に広がる花畑を見て思わず微笑む。
「ここは平和だなぁ」
争いなど似合わない、綺麗な顔で青年は伸びをした。そして舞ってきた花びらを器用に掴み取ると、四天王と呼ばれるに相応しい、きりっとした面持ちへと変わる。
「まずは、朝と合流しないとね…。確か彼女は…」
水色の髪の青年こと、桜城水月は空を見上げた。彼に優しいイメージを植え付ける桃色の瞳は、本当に真っ直ぐ上を向いている。
まるで、この電子都市リアリスを閉鎖させた輩に、何かを訴えるように。
一方、手紙たちがいる『廃れた工場』では。
特技の“瞬間移動”を利用した遥の怒涛の攻撃により、ついに史境エリアは歌うのを止めていた。
「やった!」
高速情報処理を終えた手紙が、晴れやかな笑みを広げる。さすがの遥も嬉しかったらしく、得意気な顔で手紙とハイタッチをしていた。
「手紙、遥、ありがとう!」
頭の重みがなくなった切手と維流が走り出すと、迷いなく剣で切りかかる。
【生意気な…】
歌うことを止めたため、回避速度が上がった史境エリアが二人の攻撃を避け続けた。
しかし、苛立ちを隠せない人物が叫び声をあげる。
「あんたの方が生意気なのよ!」
辺りに鋭い白依の声が響いたとき、白依は左手を勢いよく振り上げる。その瞬間、史境エリアはまるで時が止まったかのように動かなくなった。
「な、な、な、なに?!」
いきなり固まった敵を目の前に、切手は驚く。
「これは白依の特技の“束縛”です。敵の動きを一定時間止めるというものなんですよ」
維流の説明を合図としたかのように、五人は一斉に史境エリアに攻撃を当て続けた。やがて数秒後に、史境エリアが突然動き出す。
【?! 今のは、いったい…?】
五人の集中攻撃により体力値を大幅に削られた史境エリアは、ふらつきながらも攻撃態勢に入った。
しかし…。
遠くの方から、何かが破壊されるような、豪快な音が聞こえてきた。その音はだんだんこちらに迫ってくるかのように、大きくなっていく。
「なんの音…?」
白依たちが困惑するなか“捜索”を使える手紙は、一人驚いていた。
「えっ、なんでこの人が?!」
【…ちっ】
誰が来たかを察した史境エリアは、苦い顔で舌打ちすると、再び宙に浮いていく。
《それじゃあ、またね、手紙》
「え」
手紙の頭に史境エリアの声が流れる。だが最後の別れ際の声だけは、何か違和感を感じた。
その理由は、史境エリアが忽然と消えてしまってからすぐに判明する。
「なによあいつ! いきなり消えちゃって!」
「まあ、痛い捨て台詞吐いていくより、無言の退場の方が楽だよね」
白依と遥の会話に、手紙が反応した。
「え…?」
確か、史境エリアは「それじゃあ、またね」って言って…。もしかして、俺以外には聞こえていない?
手紙がぽかんと口を開けて考え込んでいると、切手がそれに気付く。
「手紙、どうしたのさ?」
「あ。いや、なんでも…。でも本当に史境エリアは消えたみたいだな。“捜索”でも引っかからない」
「そっか…」
ふう、と安堵の溜め息を切手がつく。何かの破壊音は未だに聞こえてくるが、目の前の強敵がいなくなったことに、五人は安心感を抱いていた。
そんな五人の目の前に、さらに心強い人物が現れる。
「あっ、久しぶり! 手紙たちだったんだ」
オレンジ色の髪をポニーテールにしている、元気な女性が手紙に手を振って近付いてきた。
「朝さん!」
特技で、近付いてきた人物を先に把握していた手紙は、自然に手を振り返す。しかし、四天王のひとりである降千朝が来るなど思ってもいなかった他の者は、朝の姿を見て驚いていた。
そんなことに慣れているのか、構わず朝は喋り出す。
「なんだかこっちに凶悪な敵が居ると思ってきたんだけど…遅かった?」
「いえ、確かに強い敵は居ましたが…。恐らく朝さんが来たのを察して、逃げていきました」
「正直、すごく助かったよね」
朝の問いに、手紙と遥が頷きながら答える。その横で、不思議そうに維流は辺りを見渡していた。
「ところでもう静かになりましたが、あの破壊音はいったい何だったのでしょう…?」
そう言えば、と首を傾げる五人の視線は、自然と朝に向いていく。
初めはきょとんとしていた朝は「ああ」と納得して、近くにあった大きな岩に手を置いた。
「その音って、これ?」
朝が明るく微笑んだその瞬間に、手を置かれていた岩が大きな音をたてて粉々になる。
「おおー!!」
「えええっっ!?」
「うわ、本当に破壊神だし」
「…そう言うことでしたか」
「なによそれ!」
それぞれらしい反応を見せた手紙たちを見て、朝は楽しそうに笑った。
「うふふ、これは“破壊”っていう、フィールドの物を壊せる特技なの。まあ、壊しても数秒後には戻っちゃうんだけど。…って、そんなことは後でにしましょう?」
表情を真面目なものに変えると、少しだけ緊張感が溢れる。
「ここで何が起こったのか…教えてもらおうかしら」
手紙が主な話をして、他のメンバーが補足しながら、朝に史境エリアのことを伝えた。すると、朝は意外なことにも悲しそうな表情になる。
「史境エリア…そう、あの子が現れたの」
思わせぶりな言葉を吐いてから、静かに朝は目を閉じた。
感傷に浸るように静かになった彼女に、五人はなかなか話しかけられない。
そんななか、維流が独り言を呟く。
「史境エリア…彼女は、何もかも不安定みたいですね」
手紙たちの視線は維流へと向いた。そして一番近くにいた切手が、維流に聞き返す。
「不安定? どのあたりが?」
「言葉遣いです。一人称ですら、一定していなかったようですし」
「そういわ」
「そう言われてみれば、そうね」
二人の会話に、白依が強引に入り込んだ。よく見ると白依が静かに切手を睨んでいる。
困惑の表情を浮かべる切手をよそに、やっと朝が口を開いた。
「史境エリアは…彼女の言う通りゲームキャラクターね。電子都市リアリスの開発チームがベースを作り、恐らくリョクアが改良したと思うわ」
「…なんでそんなことわかるわけ?」
すらすらと史境エリアについて述べる朝を不審に思ったのか、遥が睨みつけるように鋭く訊く。ほんの少し驚いた表情を見せた朝は、誤魔化すような笑顔を遥に向けた。
「四天王はアルシィ会社とも色々と連絡とってるからね」
「ふーん…」
とこか納得していない表情で、遥が乾いた返事をする。手紙と白依も首を傾げていることから、二人もどこか納得できないところがあるらしい。
すると朝はいつもの元気な雰囲気に戻り、五人に背を向け、手だけを振った。
「とりあえず、みんなゲームオーバーにはならないでね!」
手紙たちは別れの言葉を朝にかけ、それぞれの表情を見合う。“捜索”により確実に朝がこのフィールドから去ったことを確認すると、手紙が深いため息をついた。
「史境エリアも謎だけど、朝さんは何か知ってそうだなー」
「そうだね。でも、どうしてもっと詳しく教えてくれないのかな」
切手も手紙と一緒に溜め息をつく。
緊張が緩んだり張ったりと忙しかったため、静かになった今が心地良いようだった。
見た目こそ変わらないものの、遥も少しはリラックスしているらしい。
「四天王もリョクアと繋がってんじゃない? そしたら絶望的だけど」
「うーん、でも桜城さんは雪原のフィールドで助けてくれたし」
唸りながら手紙が言葉を濁す。
そのとき、ずっと顔を緩めることのない維流が真っ直ぐ遥を見た。
当然、遥はいい気はしない。
「…なに?」
「…。こちらとしては、四天王よりあなたの方が疑問なんですが」
維流がそう言うと、遥は気だるそうな表情へと変わった。
この二人が険悪な雰囲気になると、白依がそこへ割り込んでくる。
「ちょっと、維流!」
「白依も気になっているよね? 史境エリアの歌声を、一度も苦しそうにしなかったし」
「確かにそれは気になるけど…!」
遥を強い疑いの目で見る維流を、白依は止められない。
慌てて手紙も話に入ってきた。
「でもあれ、あの頭に入ってくる文字を全部処理すればどうにかなるよ」
「手紙さんはそのようですが、彼はもっと…自然体でいた気がします」
「それは個人差があると思うけど」
「それに遥さん、あなたがあの声で苦しんでいる姿を、一度も見ていませんが」
遥をかばう手紙を振り切り、再び維流は遥と視線を合わせた。
「…あんたはぼくが何だと思っているわけ?」
「味方、だと信じたいと思っていますが」
誰がなにを言おうと、結論を知るまで譲らない。
そんな姿勢を見せる維流に、とうとう遥が折れた。
「はーあ。面倒くさいお兄さんだね? いいよ、教えてあげるよ。ぼくの『正体』を」
手をひらひらと振りながら、遥は維流の鋭い視線から目をそらす。
ま、奥深いところまでをこのお兄さんとお姉さんに聞かせるのは嫌だし。構わないところだけ吐こうかな。…正直、手紙と切手に黙り続けるのも心苦しかったから、いい機会かも。
気付かれないように、遥は小さな決意をする。
そしていざ口を開こうとしたとき、白依が止めに入った。
「待ちなさい!」
彼女の強い言葉に、全員が注目する。
「維流、あなた分かっているの? 今あなたが彼に吐かせようとしていることは、彼が伏せておきたかったことなのよ!」
「…」
「黙り込むの? 良い度胸じゃない! あのね、他人が話したくないことを無理に聞き出すのって、あたし嫌いなのよ! たとえ相手が、どんな立場だろうが!」
本気で維流を叱りつける白依を見て、手紙と切手、そして遥は驚いていた。
「白依って、維流にも厳しいんだな」
「確かに。白依さんって維流のこと大好きなんだとは思うけど、だからといって態度を変えたりはしないのかもね」
「まああのお姉さん、切手に対しては厳しいみたいだけど?」
こそこそと三人が話をしているのをよそに、叱られ続けた維流がやっと口を開く。
「だから、だよ」
「なによ!?」
「白依がそんなだから、僕のほうでそいつが危険かを見極める。君を守る、それが僕の最優先事項だから」
「…! 維流…」
険しい目つきをしていた白依の顔が、見る見るうちに赤くなっていく。
そんな姿を目の当たりした三人は…。
「…」
「…」
「…なんかイラつく。とっとと吐こうかな。ちょっと、そこの二人!」
呆れた様子の遥は、手をたたいて注目を集めた。我に返った白依が何かを言い出そうとしたが、遥が先に止める。
「ぼくだって本当に言いたくないことは言わない。だから、別にかまわないよ」
さて、なんて説明しようかな。
確か手紙たちもその『名前』だけは聞いているはずだし…まあ、ゆっくりでいいか。




