零
電子都市リアリスの戦闘は、数値により成り立っている。
プレイヤーの活動限界を定める体力値も
敵に与える攻撃力も
敵からうけるダメージを決める防御力も
全て数値だ。
地面から出てきたクマは、そこらへんにいるクマと同じ容姿だが、体長は八メートルはあった。
手紙と切手は、思わずクマを見上げてしまう。
「モグマ!」
手紙が思わず、現れた巨大なクマを指差して叫ぶ。すると横にいた切手が納得したように頷いた。
「なるほど…モグラか。冬眠とか関係無かったんだ」
「違う違う。モグマモグマ。潜ってるクマだから、モグマ」
“捜索”を使うと、プレイヤーや敵の名前も分かる。つまり手紙が叫んだ名前が、残念なことにこのクマの正式名称となる。
「でかいな…。地面が揺れたとき、急いで逃げて正解だったな」
「うん。けどこれは骨が折れそうだね」
周りに他の人はいない。
二人は武器を握り直し、さっそくモグマに挑む。
戦法はいつも通りだ。手紙が隙を作り出し、切手がそこで決める。実は切手は手紙の方を一切見ていないため、二人の息が合っていないと相当難しい戦法だった。
「───っと」
戦闘が長引くなか、モグマの攻撃をひょいひょい避けていた切手に、モグマの蹴りが入る。幸いにもかすっただけですんだが、切手は苦笑いしかできなかった。
「かすっただけで体力値が三割ももっていかれるのか…厳しいねっ!」
切手は削られた体力値を、すぐに体力値回復薬で元に戻した。
攻撃を受けて体力値が零になると、ゲームオーバーとなる。
体力値が減る値は敵の攻撃力とプレイヤーの防御力、そして攻撃の受け方により変わってくる。
まるで怒りをぶつけるかのように、切手の斬撃がモグマの足に命中。手紙はモグマがよろけているうちに、大量の矢を射ていた。
「そろそろ、モグマの体力値も半分は切ったかな」
呟きながらも、真剣な顔つきの手紙は手を休めない。
体勢を立て直したモグマは、再び右手で切手に殴りかかる。そこそこ素速いが…。
「てやっ」
手紙が集中的に右手に矢を射るため、どうしてもモグマに隙ができる。それを重々承知している切手は、攻撃を避けつつ、モグマの足元に潜り込み切り込む。
その時だった。
「…!切手!逃げろ!!」
「え…?」
ドゴォォン!
手紙の叫びが虚しく響く。
なんと切手がモグマの足元で剣を振るっているとき、モグマが切手を巻き込むように、突然座り込んだのだ。現実世界だったら、切手は潰れてしまっていただろう。
殴りがかすっただけで、切手は体力値が三割も減った。そう考えると直撃を喰らったこれでは、確実に体力値はなくなってしまう。
つまり、ゲームオーバーだ。
「あー、危なかったーっ!」
しかしここで、緊張感を持ちつつモグマを見つめる手紙の目の前に、明らかに元気そうな切手が現れた。
その姿を見て、手紙はほっ、と安心する。
「良かった…。切手の特技、間にあったんだ」
「うん。ギリギリだったけどね。特技のあとに、なんとか逃げられたし」
笑いながら話した後、二人はまだ座り込んでいるモグマに武器を向けた。手紙はその場で、切手はモグマに向かって走り込んで行く。
その背中に向かって、手紙は大きな声を掛けた。
「あと三十秒は無理すんなよーっ!『相殺』は使えないんだからーっ!」
「ははっ…!お言葉に甘えるよーっ!」
切手は前を向いたまま、後ろにいる手紙に向けて手を振った。正確に言えば、その手には剣が握られているため、剣を振った。
『相殺』。これが切手の特技だ。
例えばプレイヤーの攻撃と敵の攻撃がぶつかったとき、その攻撃力がほぼ同等ならばお互いにダメージはない。だが、どちらかが圧倒的に強すぎると、攻撃力の弱い相手のみダメージを受けてしまう。
先ほどの切手の場合もこれに当てはまる。
切手が剣で切りかかった時に、モグマの座り込みがきたとして。モグマの方が圧倒的に強い力を持つため、結果として切手のみに大きなダメージがくる。
しかし、切手は無傷で帰ってきた。それが“相殺”の効果である。
三十秒に一度だけ使える切手の特技『相殺』は、プレイヤーと敵の間に大きな攻撃力の差があっても、必ず互いにダメージを無かったことにしてしまう。つまり、ダメージを打ち消してしまうのだ。
しかしこれには難点が一つ。それは切手自身で使えるタイミングが選べないことだ。
例え切手が一撃で倒せるザコの敵相手に攻撃しても、敵が攻撃を同時に出せばそれも相殺されてしまう。そして、それから三十秒使えないため、ここぞというときに使えなかったりする。
よって切手は敵の攻撃を攻撃で受けることは少なく、避けることが多い。
「っよし!」
切手は無理することなく、モグマに攻撃し続ける。三十秒経つと多少無茶をしてでも、手の届く腹当たりを切りつけていた。
「えいっ!」
そして少し高くジャンプし、降下する勢いと合わせて右の剣で切り下ろす。この攻撃がかなり効いたのか、モグマはいつもより大袈裟によろけ始めた。
その様子は遠くにいる手紙にも分かったらしい。
「おし!もう少しだな!」
嬉しそうにそう叫んだとき、モグマの様子が大きく変わった。
「…な!?」
いち早く察知した切手が、慌ててモグマから離れた。
モグマは両腕を存分に振り回し、その場で足をバタバタさせている。
「えーっと、これは…」
まるでだだをこねる子供のようになったモグマを、困惑した目つきで切手は眺めていた。
「多分、もう体力値が少ないんじゃない?それで最後の抵抗みたいな」
手紙が引きつった笑顔で言った。そのあと顔を横に振り、気持ちを切り替える。
「さすがに接近するのは危険だな。後は俺に任せと…けっ」
語尾を言い切ると同時に、手紙はモグマに矢を放つ。
しかしモグマは矢をじたばたさせた腕で弾いてしまった。
「んなのアリか!」
思わず怒りながらも、手紙は呆れてしまう。
「モグマの攻撃力が急激に上がったんだね。木の矢の攻撃力だと、少し弱いかな…」
いつの間にか手紙のそばに来た切手が、冷静な分析をしていた。
普通に考えれば、切手は近付けばクマの攻撃に当たりほぼ即時ゲームオーバー。手紙の攻撃は通じずということで、絶望的な状況ともいえる。
しかし二人の顔には、勝ち誇ったような笑顔が浮かんでいる。
切手は手紙から少し離れて、声援を送った。
「それじゃ任せたよ、手紙」
「任された!」
元気な返事を一言。そのあと手紙は手に持っていた木の矢と、弓をしまった。
そしてすぐに、先ほどの弓より大きい弓と、昨日手に入れた剣を取り出す。
「あそこがいいな」
そう呟くと手紙は木の上に登り、枝の上に立った。
「よし…!」
手紙は自分の背丈より大きい弓を構える。弓の上部は手紙の頭より遥か上に、下部は足の位置より下にあった。
そして剣を弓で引き、暴れるモグマに狙いを定める。
「これが俺の必殺技だ…!」
普通のゲームではできなくても、電子都市リアリスならできること。
現実世界ではできなくても、電子都市リアリスならできること。
それが弓で、別の武器を射る事だった。
手紙から放たれた剣は真っ直ぐモグマに飛んでいき、見事に命中。
木の矢とは比べものにならない攻撃力を誇る剣は、モグマに十分届いた。
「グオオオォォォ…!!」
バキッ!
叫び声をあげてモグマは倒れると、消えていく。手紙の剣により、モグマの体力値をゼロにできたらしい。
こうして、見事に手紙と切手は勝利を決めた。
その様子を見届けガッツポーズをした切手が、嬉しそうに話し出す。
「やったね手紙!……って、あれ?」
手紙がいた木の上には誰もいない。首を傾げた後に、ふと木の下で倒れている手紙を見つける。
「ちょっ……えええっ!?大丈夫?」
慌てて切手は走り出し、手紙に駆け寄った。
「おおう…。モグマに攻撃が届いたのを見て喜んでいたら…木の枝が折れて…」
「…そういえば、モグマが倒れるときに変な音がしていたような…」
思わず呆れてしまいそうになりながら、切手は手紙に手を貸した。
手紙は素直に、切手の手を借りる。
「お、悪いな。それにしても、俺はノーダメージでいけると思ったんだかなー」
睨むように、手紙は木の折れた場所を見た。なかなかの高さなので、現実世界なら確実に骨折していただろう。
電子都市リアリスでは、このように高いところから落下したりすると、体力値が減ってしまったりする。
なんとか一段落し、二人はモグマが落としたアイテムを拾い始める。次第に戦闘の話題で盛り上がっていた。
「切手が潰されたとき、どうなるかと思ったなー。ほんと“相殺”間に合ってよかったな?」
「うん。もうちょっと相殺の使い勝手がいいと楽なんだけどね。…っともうこんな時間か」
「メンテナンスまであと五分、少し急ぐか」
二人は急いで中央街に行くと、ログアウトした。
それから、メンテナンスにより電子都市リアリスは一時的に使用禁止となる。
「うーん、わりといい感じかな」
電子都市リアリスの開発携わり、その制御を行う眼鏡をかけた男性従業員が嬉しそうに笑う。
ここはアルシィス国にある、電子都市リアリスを開発した『アルシィ会社』の本社。
今は電子都市リアリスのメンテナンスを行っているようだ。他の従業員の仕事も順調なのか、わりと表情は明るい。
先ほど独り言を言った社員に、上司が近付く。
「どうだ?調子は」
「あ、はい。順調です。ストーリーもアップロードしましたし。正直、メンテナンスは三十分で充分でしたね」
部屋中にある大きなコンピューターのディスプレイは、ごちゃごちゃと賑わっていた。その割にディスプレイの前のデスクが片付いていることから、本当に作業は順調らしい。
とくにこの従業員が座っている場所は、整理整頓が行き届いていた。
「はぁ…。メンテナンスはストーリーを付けるだけのものじゃないんだが」
「まあ細かいことは気にせずに~」
上司はため息をつくが、従業員はのん気にコーヒーをすする。実力は確かなこの従業員は、この職場のムードメーカーも担っていた。
「…ん?あああっ!」
コーヒーを机に置いたとたん、従業員が大声を出す。その場にいた全員の視線が一つに集中した。
「おい、どうした?」
「それが…なんかよく分からないプログラムがいきなり現れましてっ!ぬおお!」
凄まじい勢いで従業員はキーボードを叩き始めた。その異常事態に、部屋にいた他の従業員もそこに集まりだす。
「どうした、多花橋?!」
「まさか、ウイルスでも?」
「い、いえ、これは…?」
騒ぎだす従業員たちの声は、周りの音をかき消してしまっていた。おかげで侵入者はさほど気を遣わなくても、廊下を歩くことができた。
「…」
多花橋と呼ばれた従業員が居る部屋に、黒い衣装とヘルメットを被った人物が入り込む。もちろん、混乱していた従業員たちは、誰一人として気付かなかった。
しかし銃声が聞こえた時には、さすがにもうその人物に皆気付いていた。
───もう、遅かったが。
「くっ…!?」
「きゃあっ!」
「……っ!」
黒い男は次々と従業員を銃で撃ち抜いていく。ひとり、またひとりと。
「くそっ…!」
その中で、ついに生存者は多花橋と黒い男だけとなった。
多花橋はこの状態に気付きながらも、従業員の意地としてキーボードに食らいついていた。
しかし…。
「ぐあっ!?」
「…」
黒い男は躊躇うことなく、多花橋の左の背中を撃ち抜いた。多花橋は座ったままキーボードの上に倒れ、静かに胸から血を流す。すでに赤い海となった床に、それは滴っていった。
「…ふん」
呆気ないものだ、と言わんばかりに黒い男はこの部屋から去っていく。
やがて静まり返ったこの部屋に、辛うじて動く指があった。
「せめて…せめて彼と、彼らには…!」
意識が遠くなっていくなか、最後の力を振り絞り多花橋はキーボードを打つ。やがてその表情は辛くも晴れやかなものとなり、永遠の眠りに落ちていった。
最後の最後まで多花橋が食らいついたコンピューターのディスプレイには「あとは、まかせた」と表示されている。
「…」
この多花橋の死により、ここアルシィ会社の本社にいる従業員の数は、零となった。