恋愛
「今日も言えなかったぁ」
海よりも深い溜め息を吐いて肩を落とす私を、隣の親友の吉田 由香が目を細めながら鼻で笑った。
ここ最近帰り道は毎日こんな感じだ。
「これで何連続?だいぶ前に『私、啓介に告る!』とか言ったの誰だっけ?」
「そ、それは木葉ちゃんじゃ?」
「そうやって逃げようとするから毎日告れないんでしょ」
うめきながらしゃがみこんだ。長い付き合いなだけあって的確だ。
確かに2週間前に川上 啓介に告白するといったのは私、湯野 あやめだ。啓介とは幼馴染で高校までずっと一緒。だから、志望大学が違うと知って勇気を出したはずだった。
「だってさぁ」
「立て!はっきり話せ!」
「はい!」
慌てて立ち上がると由香は思いっきり背中を叩いた。というより殴ったが正しいくらいの衝撃だった。へろへろな体を持ち上げて由香に泣きつく。
「何が『だって』?あやめが根性無しなだけなんじゃないの」
「でも啓介が逃げてる気がして…」
「あやめがじゃなくて?」
「向こうが」
「どんな感じ?」
「えっと…」
今日は啓介と一緒に帰ろうと誘ってみた。
「あのさ、今日一緒に帰らない?」
「あー、ごめん今日他の奴と約束しててさ」
「そっか。ご、ごめんね。じゃあバイバイ!」
昨日は呼び出そうとしてみた。
「啓介、今日の放課後暇?」
「今日は勉強してくからごめんな」
「う、ううん。大丈夫だよ」
「みたいな感じで毎回。でもいつも勉強してないし、今日も誰とも一緒に帰る約束してるの見てないんだよ?やっぱり彼女いるのかな…?」
「私が聞いた限りではいないらしいけど…んー」
由香は考え始めたのか黙ってしまった。由香は自分のことのように考えてくれる。自分が恋愛できないからかもしれないけどこういう所を尊敬してしまう。
由香は百戦錬磨だ。けどこれからは誰かと付き合うということは考えていないらしい。いろいろあって、前の恋を引きずっているから。
「あやめ、諦めなさい」
「え?」
私は昨日よりどんよりしながら学校に来た。隣では由香がいかにもめんどくさいみたいな顔をしながら座っている。心なしかいつもより席が離されてる気がする。朝から暗いのはうざいってわかるけど半分失恋した私に優しくするという気遣いください。
「あ、川上だ」
大袈裟に肩を跳ね上げると由香の視線がきつくなった気がした。由香の大きな溜息にさらに肩を跳ねさせる。由香は諦めたのか立ち上がってどこかに行ってしまった。
私は机に額をくっつけて目を閉じた。
いくらなんでも『諦めろ』は酷すぎる。ずっと片思いしてきたのに今更無理だよ。
「どうした?昨日のドラマ泣くほど良かったのか」
啓介だ。嬉しくて顔を上げようとするけど由香の言葉が頭の中でリピートされる。
「違うし!由香が呆れてどっかに行っちゃったから」
「吉田が?よく吉田を呆れさせられるな。あんなに心が広いのに」
「いろいろあったの。気にしないで」
「そう言われると気になる。ほらほら、言ってみろ」
顔をあげなくてもわかる。今絶対面白がってにやにやしてる。
「関係ないでしょ」
「そんなこと言うなって。泣くほど辛いなら言ってみろ」
こういう所があるから諦められない。
彼女がいるならその子に優しくしたらいいのに。意味不明だ。私を避けるくせに。
幼馴染だからって同情なんていらないなんて言えないけど辛い。
1週間経って少しずつだけど元気になっていた。吹っ切れたわけではないけど啓介にあまり関わらない事で心の隅に追いやっている感じだ。
他にも文化祭が明日に迫って忙しくなっているからかもしれない。けどまだ諦めきれてない。
どうにか授業を乗り越えて伸びをして解放感に浸る。午後は文化祭の準備だからもしかしたら授業より大変かもしれない。
とりあえず由香と食べようとすると由香は啓介と話していた。戻ってきたのでジト目で見ると手をしっしっと振られた。私が啓介と話せないとわかってるくせに。
「何の話?」
「委員会。今日の放課後までにアンケートの集計あげないといけないから」
「そっか。同じだもんね」
うらやましい。私も同じ委員会になりたかったな。揉め事が起こらないようくじ引きで決めた学級委員をちょっと恨む。
「あやめは私が川上をとろうとしてるとか思わないの?」
「由香ちゃん恋愛恐怖症治ったの?」
「勝手に病名つけないで。こういう考えがないのはわかったから」
由香は考え始めたようで黙ってしまった。真剣に考えていてくれていて口の端が下がってしまう。
「湯野ちゃーん、食べ終わったら事務室から段ボールもらってきてくれない?多いから男子連れてった方がいいかも」
「わかったー」
慌てて緩んだ口元を抑えて男子を誘っておこうと探す。視界の隅に啓介が映った。無理やり視界から外して近くにいた暇そうな三戸くんを誘った。
三戸くんは快く一緒に行ってくれたけど後ろ髪が引かれる思いだった。
文化祭の任された仕事が終わらなかった私は一人で教室に残っていた。
不器用なので皆の倍くらいは時間がかかる。由香は用事があると帰ってしまったし一人で黙々と作業する。
漸く終わりが見えた頃に教室の扉が開いた。忘れ物だろうか。気にせず続けていると名前を呼ばれた。それは久しぶりに聞く声だった。
「あ、あれ、どうしたの?啓介も文化祭の準備?」
「そう。あやめも?」
「うん。けどもう終わり」
急いで片づけて鞄を背負おうとすると腕を掴まれた。
「啓介…?」
「ごめん」
涙が溢れてきた。全部あっという間に考えてしまった。止まらない涙をブラウスの袖でごしごしと拭う。離された腕も使って目を覆っても足りないくらい溢れてきた。逃げ出したいのに足がうまく動かない。
「俺、臆病で意気地なしだから逃げる事しかできなかった」
「いいから。私こそ、ごめん」
震えたみっともない声で意味もわからないまま謝る。動けと思うのに足が縫い付けられたみたいだ。震えてる。
「今更でごめん。俺と付き合ってください」
「え?」
驚いて涙が止まった。というより引っ込んだ。
「返事は?」
「ま、待って。啓介は他に好きな子がいるんじゃ」
「それはあやめだろ?さっさと振ってくれよ」
ちょっと目を潤ませて目を逸らす。
もしかしてお互いものすごく勘違いしてる…?
「啓介って私のこと避けてたよね?」
「それはっ…、関係が壊れるのが怖かったというか」
滲んだ視界でもわかるくらい顔が真っ赤だ。
「私の好きな人って誰の事?」
「三戸じゃないのか?」
「三戸くん?!」
驚きすぎて涙は乾いてしまった。もう足も動く。冷たかった指先は熱いくらいだ。
「お前心変わり早すぎ。すごい焦った。さっさと振ってくれよ」
まだ赤い顔のまま真っ直ぐに目を見られる。心臓がいつもの倍くらい速く動いている気がする。口の中がカラカラでうまく声が出ない。
「よ、よろしくお願いします」
この後、驚いた啓介の誤解を解くのは大変だったけどそれも今となっては惚気話になった。
もちろん啓介を焦らせた恋のキューピットは由香だった。