金の匂いを嗅ぎつける者たち
商業ギルドは、冒険者ギルドから三本の路地を挟んだ場所にあった。
建物からして違う。冒険者ギルドが木造で、看板が傾いていて、入口に泥がついているのに対して、商業ギルドは石造りで、窓枠に装飾が入っていて、扉が重い。金がある組織特有の、威圧感のある外観だ。
俺は扉を開けた。
受付カウンターが二つ。待合の椅子が四脚。床に絨毯が敷いてある。壁には商品の取引価格らしき板書が何枚も張り出されている。客は今のところ一人だけで、商人風の中年男が書類を読んでいた。
受付には若い男が座っていた。冒険者ギルドの受付と違って、愛想のよい笑顔ではなく、事務的な顔をしている。こちらの方が俺には話しやすい。
「加盟の相談か、取引の相談か」と受付の男が言った。
「情報収集だ。この街で金融業を営むにあたって、商業ギルドの仕組みを知りたい」
受付の男が少し眉を上げた。
「金融業、といいますと」
「金を貸す商売だ。すでに営業している。規模を広げるにあたって、商業ギルドとどういう関係になりうるか確認したい」
男はしばらく俺の顔を見た。怖い顔だとはわかっている。構わない。
「少々お待ちください」
男は奥に引っ込んだ。
俺は待合の椅子には座らず、壁の取引価格板を眺めた。穀物、皮革、魔石、薬草、鉄材。価格の動きが数字で書いてある。魔石というのが気になった。魔法に使う素材らしいが、価格の振れ幅が大きい。需要と供給が安定していない市場だ。
「こちらへどうぞ」
受付の男が戻ってきて、奥の部屋へ案内した。
小さな応接室だった。テーブルと椅子が二組。窓が一つ。飾り気はないが、調度品は質がいい。
そして、すでに誰かが座っていた。
初老の男だ。白髪で、顎に短い髭を蓄えている。服は地味だが、生地が上等だ。指に一本だけ指輪をしている。石のない、シンプルな金の指輪。
男は俺が入ってきたのを見て、目を細めた。
驚きではなかった。まるで俺が来ることを知っていたような、落ち着いた目だった。
「お座りください」と男は言った。
「私はゴードン・ウェルズ。この商業ギルドの副長をしております」
副長が直接出てきた、と俺は思った。受付が呼びに行って、副長が応じた。情報収集のつもりで来た相手に、組織の二番手が出てくるのは、通常ではない。
何か意図がある。
「鮫島だ。鮫島商会を営んでいる」と俺は言って、椅子に座った。
「存じております」
「俺のことを知っているのか」
「この街で無担保の即日貸付を始めた東方人がいる、という話は耳に入っておりました。冒険者ギルドの掲示板に貼られた紙を、うちの者が見ておりましたので」
俺は少し間を置いた。
商業ギルドがすでに俺を把握していた。それ自体は驚かない。金の匂いのするところに、金を扱う組織が目を向けるのは当然だ。むしろ把握されていない方がおかしい。
問題は、向こうがどう動くかだ。
排除しようとするのか。取り込もうとするのか。あるいは静観するのか。
「それで」と俺は言った。
「副長自ら出てきた理由は」
ゴードンは少し笑った。不快な笑いではない。何かを確かめるような笑いだった。
「率直な方ですね」
「時間を無駄にしたくない」
「結構。では私も率直に申し上げましょう」
ゴードンは指を組んだ。
「あなたの商売は、この街では前例がない。担保なし、即日、冒険者相手の小口貸付。金貸し自体は珍しくありませんが、そのやり方は珍しい」
「それで」
「うちとしては、二つの選択肢があります。一つは、あなたの商売を問題ありとみなして、商業ギルドへの加盟を要求する。加盟すれば規約に縛られますが、ギルドの保護も受けられる」
「もう一つは」
「様子を見る」とゴードンは言った。
「あなたの商売が軌道に乗るかどうか、焦げつきが出ないかどうか、街の秩序を乱さないかどうか。それを見極めてから判断する」
「どちらを選ぶつもりだ」
ゴードンはまた少し笑った。
「あなたが今日ここに来たことで、答えが変わりました」
「どういう意味だ」
「逃げない人間だとわかった」
ゴードンは静かに言った。
「把握されていると知りながら、自分から情報収集に来る。後ろめたいことがある人間はそういう動きをしない。あなたは自分の商売に自信があるか、あるいは正攻法でやっているか、そのどちらかだ」
「両方だ」
「そうでしょうね」
ゴードンはテーブルの上に書類を一枚置いた。俺が手を伸ばして取ると、商業ギルドの規約の概要が書かれていた。加盟すれば年に金貨五枚の会費、取引の一部を報告する義務、紛争時の調停サービスを受けられる権利、ギルド加盟店としての信用付与。
数字を見た。年に金貨五枚は、今の俺には重い。しかし信用付与は軽視できない。
「今すぐ決める必要はない」とゴードンが言った。
「ただ、一つ提案があります」
「聞こう」
「うちが、あなたに金を貸す」
俺は書類から顔を上げた。
ゴードンは続けた。
「原資が少ないのは把握しています。規模を広げたいなら資金が必要なはずだ。うちが金貨二十枚を貸す。利率は月に五分。条件は、半年以内の返済と、取引記録の月次報告」
「担保は」
「鮫島商会の今後の収益に対する優先回収権を条件とします。物的担保は求めない」
俺はしばらく考えた。
月五分、半年で三割。金貨二十枚に対して金貨六枚の利息。総返済額は二十六枚。
俺の現在の利率は月利で一割四分から二割。スプレッドとしては成立する。ただし、半年で返すためには、かなり回転させなければならない。
それに、取引記録の月次報告というのが引っかかる。情報を渡すことになる。それはリスクだ。
「月次報告の内容は」
「顧客名は不要です。貸付総額と回収状況の数字だけ」
「その情報をどう使う」
「市場の信用動向の把握です。冒険者相手の小口金融がどの程度機能するか、うちとしても興味がある」
実験台にされている、と俺は思った。ただし、それは悪い話ではない。商業ギルドが俺の商売に融資しながら様子を見るということは、少なくとも半年は保護される、ということでもある。
「少し待ってくれ」
「どうぞ」
俺は頭の中で数字を回した。
金貨二十枚が入れば、現在の貸付残高の三倍以上の原資になる。顧客を増やせる。ルークたちのような案件を複数同時に持てる。回収が順調なら、半年で返済しながら手元にも残る。
問題は焦げつきだ。
今のところ、俺の貸付は三件。全員まだ返済期日が来ていない。実績がない状態で二十枚を動かすのは、リスクの管理が難しい。
「金貨十枚にしてくれ」と俺は言った。
ゴードンが少し目を細めた。
「減らすので?」
「二十枚を適切に運用できる体制が、今の俺にはない。十枚なら管理できる。二十枚は管理できない人間が持つ金じゃない」
ゴードンはしばらく俺を見た。
それから、初めて声を出して笑った。小さな笑いだったが、本物の笑いだった。
「面白い」とゴードンは言った。
「金を借りる側が金額を減らすよう交渉するとは」
「身の丈に合わない金を借りて焦げつかせたら、あんたも損だ。俺も損だ。誰も得をしない」
「おっしゃる通りです」ゴードンは頷いた。
「では金貨十枚で。条件は同じく月五分、半年返済、月次報告」
「報告の様式は俺が決める。形式を指定するなら断る」
「構いません」
「それと、もう一つ」
俺はゴードンを見た。
「商業ギルドへの加盟は、今日は決めない。半年後、返済が終わったタイミングで改めて話し合う」
「……わかりました」
ゴードンは書類を取り出した。こちらの書類は、俺が作るものよりずっと丁寧に作られていた。条項が細かく、数字が明確で、解釈の揺れが少ない。いい契約書だ、と俺は思った。
俺は一条項ずつ読んだ。ゴードンは急かさなかった。
一箇所、優先回収権の範囲が曖昧な部分があった。俺はそこを指摘して、文言の修正を求めた。ゴードンは素直に応じた。
修正が終わってから、二人でサインした。
ゴードンが金貨十枚を革袋に入れて渡してきた。ずしりと重かった。
「一つ聞いてもいいですか」とゴードンが言った。
「構わない」
「あなたはなぜ、冒険者相手の小口貸付を選んだのですか。商売をするなら、もっと安定した相手を選ぶ方が普通です」
俺は少し間を置いた。
「金に困っている人間が一番多い場所から始めた。それだけだ」
「リスクが高いとは思わなかったので?」
「リスクは管理するものだ。避けるものじゃない」
ゴードンはまた笑った。今度は最初から本物の笑いだった。
「鮫島さん」とゴードンが言った。
「半年後が楽しみですね」
俺は何も言わなかった。
革袋を持って、立ち上がって、部屋を出た。
宿に戻る途中、俺は路地の角で立ち止まった。
革袋の重みを確かめた。金貨十枚。
これで原資は約四倍になった。
ただし、借金だ。単利だが、毎月五分の利息が発生する。返せなければ優先回収権が発動する。商業ギルドが俺の商売の上流に入ってくる。
綱が、また一本増えた。
それでも、前進だ。
俺は歩き出した。
宿に戻ったら、今夜中に貸付の運用計画を作る。十枚をどう配分するか。どの層を顧客として取り込むか。回収サイクルをどう設計するか。
考えることは山ほどある。
路地を抜けたところで、聞き覚えのある声がした。
「鮫島さん」
振り向くと、セラが壁に背を預けて立っていた。腕を組んで、こちらを見ている。
「なんで俺の行動を知ってる」
「ギルドの受付の子と顔見知りで。変な東方人が来たって教えてくれた」
「それで尾けたか」
「尾けてない。ここで待ってた」
俺はセラを見た。セラも俺を見た。
「商業ギルドで何かあった?」
「借金をした」
セラが少し目を見開いた。
「あなたが?」
「原資が必要だった。商業ギルドから調達した」
セラはしばらく黙ってから、「金貸しが金を借りるのね」と言った。
「当たり前のことだ。金を貸すためには金がいる」
「……一つ聞いてもいい?」
「なんだ」
セラは少し逡巡してから言った。
「私が前に言った、目標のこと。そのために金が必要になるって話」
「覚えてる」
「近いうちに、相談に来るかもしれない。まだ時期じゃないけど、あなたがどういう人間か見極めてから決めようと思ってたから」
「見極めたか」
セラは少し間を置いた。
「まだ」
「そうか」
「でも、悪くはなかった」
それだけ言って、セラは路地の方へ歩いていった。振り向かなかった。
俺はその背中を少しだけ眺めてから、視線を前に戻した。
まだ見極め中、か。
こちらも同じだ、と思った。
セラ・ドーンという女が、どういう目標を持っていて、いくらの金が必要で、それが返せる見込みのある案件かどうか、まだわからない。
わかってから、判断する。
それだけだ。
俺は宿へ向けて歩いた。石畳の上を、夕暮れの光が薄く染めていた。




