表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元闇金、異世界で金貸しを始める  作者: 木鹿 伊成


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/4

元本と利息は必ず取り立てる

 目が覚めたとき、最初に気になったのは背中の草の感触だった。


 アスファルトでも、フローリングでも、ましてや事務所のパイプ椅子でもない。やわらかく、しかしどこか湿った、紛れもない地面の感触。


 俺――鮫島猛(サメジマ タケシ)、二十八歳――はゆっくりと上体を起こした。


 視界に飛び込んできたのは、見たことのない青い空だった。雲の形がおかしい。もくもくとしすぎていて、どこかCGめいている。木々の葉の色も深すぎる。緑というより翠に近い。そして何より、遠くの山の稜線に、これまた見たことのない形の城が見えた。石造りで、塔がいくつも突き出していて、ヨーロッパの城というより絵本の挿絵に出てきそうなやつだ。


 俺はスーツの膝についた草を払いながら、静かに状況を整理した。

 昨日の夜、俺は事務所から帰り道を歩いていた。深夜の渋谷、コンビニの袋を下げて。次の瞬間、なんか光った。それだけだ。


 異世界転移、というやつらしかった。


 漫画で読んだことはある。主人公が異世界に飛ばされて、チートスキルで無双するやつ。同僚の阿久津がよく休憩中に読んでいて、「鮫島さんも読みます?」と勧めてきたことがあった。俺は「いい」と断ったが、阿久津がスマホで読んでいるのが横から視界に入っていたから、なんとなく知識だけはあった。


 問題はチートスキルだ。


 俺には何もなかった。


 試しに手を前に出してみたが、炎は出ない。空を飛ぶ気配もない。気合を入れて「ステータスオープン」とつぶやいてみたら、近くの茂みから小動物——小さな翼の生えた兎——が驚いて飛び出してきたが、目の前に数字が浮かび上がるようなことはなかった。


 スキルなし。戦闘経験なし。魔法の素質、たぶんゼロ。


 あるのは、闇金で三年働いて身についた知識と、転移のときに着ていたスーツ一式だけだった。


 俺はしばらく空を見上げてから、立ち上がった。


 とりあえず、金を作るところから始めなければならない。


 一番近い街まで歩いて半日かかった。


 道中、馬車に乗った商人とすれ違った。馬が普通の馬だったのでほっとしたが、御者台に座っている男の耳が少し尖っていた。エルフというやつだろうか。俺が道を歩いているのを見て、男は少し眉を上げたが何も言わなかった。俺も何も言わなかった。


 街に入ると、石畳の道と木造の建物が並んでいた。看板には見知らぬ文字が書かれていたが、なぜか意味がわかった。転移の際に言語だけは補正されたらしい。それだけが唯一の恩恵だった。


 「質屋」という看板が目に入った。


 俺は迷わずそこに入った。


 店主は初老の男だった。カウンターの向こうで帳簿をめくっていたが、俺が入ってくると顔を上げ、一瞬固まった。


 無理もない。黒いスーツに白いシャツ、緑のネクタイという格好の男が突然現れたのだ。この街の人間は皮革や麻の服が多い。俺は間違いなく異物だった。


 「何かご用で」

 「服を売りたい」

 「……服ですか」

 「ああ。見たことない素材だろう。珍しいものが好きな貴族にでも売れば値がつく」


 男はしばらく俺を観察してから、立ち上がって近づいてきた。スーツの生地を指でつまんで確かめ、ネクタイを不思議そうに引っ張り、革靴をしゃがんでのぞき込んだ。


 「確かに、見たことのない仕立てです。どこから来られた?」

 「遠いところだ」

 「……わかりました。全部で金貨五枚出しましょう」

 「十枚だ」

 「高すぎます」

 「俺が今日見た商品のなかで、これより珍しいものがあるか」

 男はまた少し固まって、それから苦笑した。「七枚」

 「八枚。その代わり、このシャツだけ売らない。下に着るものと靴も残す」

 「……八枚で」


 こうして俺は、スーツとネクタイと外套代わりに買った中古の革ジャケット、それから街の地図と宿の一ヶ月分の前払い、簡単な食事を確保した。残った金は金貨三枚と銀貨いくつか。


 元手は、これだけだ。


 宿の一室で、俺はベッドに座ってその金を眺めた。


 日本円に換算する方法はわからないが、街の物価を見る限り、金貨一枚で食事が数十回できる程度の価値はあるらしい。決して多くはない。しかし少なくもない。


 問題は、これをどう運用するかだ。


 俺に剣は使えない。魔法も使えない。体格はそこそこあるが、モンスターと戦える鍛え方はしていない。商売をするにしても、商品を仕入れて売る元手としては心細い。


 じゃあ何ができるか。


 答えはすぐに出た。


 金を貸す。


 それだけが、俺にできることだった。


 翌朝、俺は街で一番にぎやかな場所を探した。


 それはすぐに見つかった。冒険者ギルド、という看板の建物だ。朝から人が出入りしていて、筋骨隆々の男や、ローブを着た女や、耳の長いエルフや、小柄なドワーフが、思い思いに歩いている。


 俺は入口の柱に背を預けて、しばらく観察した。


 冒険者というのは、ようするにフリーランスの何でも屋だ。モンスターを倒したり、薬草を採取したり、荷物の護衛をしたりして報酬をもらう。安定はしないが、腕一本で稼げる仕事だ。


 そして、安定しない仕事をしている人間には、共通の悩みがある。


 金回りが悪くなる瞬間、というやつだ。


 いい依頼が来るまでの空白期間。怪我で動けない時期。装備が壊れて次の依頼に出られないとき。そういうタイミングで、手元の金が尽きる。


 俺はギルドの掲示板の隅に、書いてもらった紙を一枚貼った。


 街の商店で墨と紙を買って、文字を書いてもらうのに多少手間取ったが、できあがった内容はこうだ。


『急ぎの金、貸します。担保不要。即日。鮫島商会。宿「眠れる猫亭」三号室』


 それだけだ。屋号は適当につけた。


 貼り終えてから、俺はギルドの受付嬢に話しかけた。受付嬢は赤毛の女で、愛想のいい顔をしていたが、俺の顔を見て一瞬笑顔が固まった。


 「なんか怖い人が変な紙を貼ってる、という話はしないでくれ。合法的な商売をするつもりだ」


 受付嬢は少し考えてから言った。「……ギルドは関係のない商売には関与しません」


 「わかってる。ただ、金に困ってる冒険者がいたら、そういう選択肢があると教えてやってくれればいい。それだけだ」


 俺はそれだけ言って、背を向けた。


 あとは待つだけだった。


 三日間、誰も来なかった。


 四日目も来なかった。


 五日目の夕方、宿の扉をノックする音がした。


 「開いてる」


 扉を開けたのは、若い男だった。二十歳前後だろうか。革鎧を着ているが、あちこち傷んでいる。顔には青あざがあった。目が充血している。おそらく、ここ数日まともに眠れていない。


 男は部屋に入るなり、俺の顔を見て少し怯んだ。


 無理もない。俺は顔が怖い。昔から損をしてきた顔だ。闇金で働くようになってからは、むしろ意識してその怖さを使うようにしてきた。目つきを鋭くして、表情を動かさないようにして。


 「鮫島商会、ってここで合ってますか」

 「ああ」

 「あの、掲示板に……」

 「金が要るんだろう」


 男はびくっとしてから、こくりとうなずいた。


 「座れ」


 椅子を示すと、男は恐る恐る腰を下ろした。俺はベッドの縁に座って、男を見た。


 「名前」

 「ルーク、といいます。ルーク・ハービスです」

 「冒険者か」

 「……一応、です。まだEランクで」

 「いくら要る」


 ルークは少し迷ってから、「金貨二枚、です」と言った。「それだけあれば、盾を修理できます。盾が使えなくて、依頼に出られなくて……」


 「担保は」

 「持ってないです。だから……」

 「わかってる。担保不要と書いた」

 ルークはまた少し固まった。「本当に、担保なしで貸してくれるんですか」

 「条件による」


 俺は立ち上がって、窓際の棚から紙を取り出した。昨日、念のために作っておいた書類だ。契約書と呼べるほどのものではないが、貸付金額と返済期日と利率を書く欄を作ってある。


 「金貨二枚を貸す。返済期日は一ヶ月後。利息は二割だ」

 「に、二割……」

 「高いと思うか」

 「少し……」

 「担保なし、即日、Eランクの駆け出しに貸すリスクを考えろ。銀行があるなら銀行に行け。俺は銀行より速く、うるさく聞かず、担保なしで貸す。その代わり利息を取る。嫌なら帰っていい」


 ルークは黙った。しばらく手の甲を見つめていた。


 「……依頼が上手くいったら、一ヶ月で返せますか」

 「俺に聞くな。お前が判断することだ。ただ、返せなかった場合の話もしておく」


 俺はルークの目を見た。


 「返せない場合、利息は翌月も発生する。雪だるまになる前に相談に来い。相談だけなら金は取らない。ただし、踏み倒しは許さない。この街で俺のことを悪く言いふらすことも許さない。それだけ守れるなら、金を貸す」


 ルークは俺の顔を、じっと見ていた。怖がっているのはわかる。それでも、逃げ出さなかった。


 「……わかりました」

 「サインしろ」


 ルークは震える手で書類に名前を書いた。俺も書いた。

 それから俺は棚から金貨を二枚取り出して、ルークの手に置いた。


 冷たい金属の感触。ルークの手が、少し震えた。安堵なのか緊張なのか、あるいはその両方なのか。


 「一ヶ月後、ここに来い。金貨二枚と銀貨四枚を持って」

 「……はい」

 「依頼、うまくやれ」


 ルークは立ち上がって、深く頭を下げた。それから部屋を出ていった。足音が廊下を遠ざかっていく。


 俺は椅子に座って、契約書を眺めた。


 手元の金貨は一枚になった。あとは銀貨が少し。生活費を引けば、ほとんど手持ちはない。


 これで、もし踏み倒されたら終わりだ。


 俺は契約書を畳んで、シャツの胸ポケットに入れた。


 日本にいたころ、上司の加藤さんによく言われた言葉がある。


「鮫島、金貸しってのはな、人となりを見る商売だ。数字じゃない。目を見ろ。逃げるやつかどうか、顔に出る」


 ルークの目には、逃げる色はなかった。


 意地と、恥と、なんとかしなければという焦りが混ざったような目だった。あの目をした人間は、たいてい返しにくる。闇金で三年、そういう目を見てきた。


 もっとも、俺が闇金をしていたのは、そういう理由だけじゃない。


 俺の妹、鮫島薫(サメジマ カオリ)は今、日本で心臓の手術を待っている。手術費用は三百万円。親父が死んで、親戚に頭を下げて、それでも足りなくて、俺は闇金に就職した。


 薫はたぶん、今も待っている。


 俺がいなくなったことを、今頃どう思っているだろう。


 俺は天井を見上げた。


 この世界に、元の世界に帰る方法があるかどうかもわからない。帰れるとしたら、どのくらいかかるかもわからない。


 ただ一つわかるのは、呆然としていても何も始まらないということだ。


 金を稼ぎ、生き延びる。それから帰る方法を探す。


 その順番でいくしかない。


 俺は契約書をもう一度だけ取り出して眺めてから、また胸ポケットに戻した。


 明日、もう少し大きな紙に広告を書こう。今度はギルドだけでなく、市場の掲示板にも貼る。宿の主人にも話を通しておく。口コミというのは、どの世界でも最初の足がかりだ。最初の客がつけば、次は少し楽になる。


 ルーク・ハービスは、俺の最初の顧客だ。


 ここから始める。


 闇金で培った知識と、一枚の契約書と、金貨八枚。


 元手はそれだけだが、それだけあれば十分だ。


 俺は窓から夜の街を見下ろした。


 石畳の道に、魔法の光らしき淡いランプが灯っている。馬車が一台、石畳の上をゆっくり走っている。どこかの酒場から、陽気な歌声が聞こえてくる。


 異世界だ、と今さら思う。


 だが金が必要なのはどの世界も同じで、金に困る人間がいる限り、俺の仕事はなくならない。


 ――鮫島商会、本日より営業中。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ