第9話:辺境の「合理化」スタート
――あー……腰が重い。
辺境の朝は、王都のそれよりも遥かに原始的で、暴力的なまでに早い。窓の外から聞こえてくるのは、小鳥のさえずりなどという生易しいものではなく、家畜の鳴き声と、村人たちが共同井戸へと向かう足音、そして重い桶が地面に置かれるドスッという鈍い音の連鎖だった。
サトウ・ミナトは、前日に魔法で低反発化と体圧分散を施した特製のマットレスから、剥製のような顔で這い出した。ボサボサの髪をこれでもかというほど無造作に掻きむしり、16歳の美少女にあるまじき濁った溜息を吐き出す。彼女の視線の先にあるのは、村を貫く未舗装の細い道だ。
(……いい? 湊。落ち着いて現状を分析しなさい。彼らが朝の4時から1時間かけて水を運ぶということは、その1時間分の『物理的な振動と騒音』が私の耳に届き続けるってことなのよ。この村のインフラを合理化することは、単なる慈善事業じゃない。巡り巡って、私の『静寂な二度寝タイム』を死守するための、最優先かつ不可欠な先行投資なんだから……!)
ミナトは、16歳の乙女が着るにはあまりにガサツで、しかし腰袋やマルチツールの収納場所だけは異常に多い「現場主義ローブ」を羽織ると、玄関先に置かれた愛用の金槌と、魔石の詰まった袋をひっ掴んだ。彼女の瞳には、かつて王都の事務棟を数時間で更地同然に整理整頓した時と同じ、冷徹なまでの「改善の炎」が宿っていた。
「よお、姐さん! 今日も早いな! 昨日の屋根の補強、おかげで一晩中雨が降っても一滴も漏れなかったぜ!」
声をかけてきたのは、昨日の作業で意気投合した退役兵のガンツだ。ミナトは彼を「現場監督その1」として即座にロックオンし、挨拶もそこそこに指図を開始した。
「ガンツさん、いいところに。あの井戸から村の中央広場まで、微妙に高低差があるわよね? あそこに、この魔導伝導率の高い端材を繋ぎ合わせて『自動揚水・常圧配管システム』を組むわ。……あー、まどろっこしい理論説明は抜き。要するに、あそこのレバーを1回踏めば、あとは物理法則と魔法の微調整で、勝手に水が広場まで流れる仕組みを作るの。やるわよ」
「……はぁ? そんな魔法使いの贅沢品みたいな話を、こんな辺境で?」
「贅沢じゃないわよ、合理化よ。ほら、そこの若い衆を集めて。配管を埋めるための溝を掘る場所を指示するから。……あ、そこのお兄さん。スコップの持ち方が甘い。もっと重心を下げて、脇を締めなさい。そう、それ。若いんだからもっと効率よく体使いなさいよ。筋肉の無駄打ちよ」
ミナトの「合理化」の嵐は、井戸だけに留まらなかった。
村の炊き出しの現場では、「薪の燃焼効率が悪くて煙ばかり出ている」と見るや、竈の構造を魔法で瞬時に組み替え、わずかな燃料で最大火力を得る「ロケットストーブ型・聖女竈」を爆誕させた。薪を割る手間が3分の1に減ったと喜ぶ老婆たちを尻目に、彼女は「これで薪割りの音がうるさくて昼寝を邪魔されるリスクが減ったわ」と一人ごちる。
さらに、村のボロ屋の修繕では、木材の接合部に「魔力による瞬間接着」と「応力分散に基づいた構造補強」を施し、素人の手伝いでもプロ級の頑丈さを実現していく。
「……姐さん、あんた一体何者なんだ? 聖女ってのは、もっとこう、空に向かって祈りを捧げて、奇跡を待つもんじゃないのか? あんた、ずっと土にまみれて図面引いてるじゃないか」
驚愕する職人たちに対し、ミナトは額の汗を袖で無造作に拭いながら、おっさんのような不敵な、それでいてどこか悟りを開いたような笑みを浮かべた。
「祈って水が出るなら苦労しないわよ。奇跡ってのはね、徹底的に無駄を削ぎ落とした先にある『最高効率の副産物』のことなの。……さあ、次はあそこの共同浴場の排水システムよ。お風呂上がりに、床がいつまでもベタついてるの、最高に不愉快でしょ? 排水勾配を3パーセントに変更して、表面張力を殺す術式を刻むわよ! これでカビ掃除の頻度も激減するわ!」
辺境の村人たちは、最初こそ彼女のあまりに過激な、しかし確実に生活の質を劇的に向上させていく「合理化」に戸惑っていた。しかし、水汲みの重労働から解放され、竈の煙に咽ぶこともなくなり、頑丈になった家で安眠できるようになった彼らは、いつしかミナトを「聖女様」ではなく、魂の拠り所、あるいは頼れる「現場の姐さん」と慕い始めるようになっていた。
(……ふぅ。これでよし。村全体のインフラを自動化・セルフメンテナンス化しちゃえば、もう些細な不具合で私を呼びに来る奴はいなくなる。あとは、この自室の庭に、魔法でキンキンに冷やした『黄金のノンアルコール発酵麦飲料』を置くための、専用のクーラーボックスを作るだけね……)
ミナトは、夕暮れ時の村を見下ろしながら、自作の「腰に優しい高反発リクライニングチェア」に深く沈み込んだ。彼女の「おっさん女子」としてのサバイバル知識と、徹底した合理主義は、皮肉にも辺境の地を、王都のどの貴族街よりも「住みやすく、ストレスのない最先端都市」へと変貌させようとしていたのである。
「プハァーッ!……あー、この一杯のために生きてるわ。若いって、こういう小さな幸せを最大化できるからいいわよね……」
16歳の少女らしからぬ野太い感嘆を漏らしながら、ミナトは沈みゆく夕日を眺め、ようやく訪れた「静寂」を全身で味わうのであった。




