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第8話:追放先が「おっさんパラダイス」だった件

 ――あー……最っ高……。

 王都からガタゴトと、まるで脳を直接シェイクするかのような無慈悲な振動を繰り返す馬車に詰め込まれること丸3日。サトウ・ミナトがようやく辿り着いたのは、王国の最果て、地図の隅にインクのシミのごとく申し訳程度に記された「辺境領」であった。


 目前に広がるのは、手入れの行き届いていない荒野と、海からの潮風を正面から浴びて表面の塗料がボロボロに剥げかかった、およそ聖女に供されるべきではない、絶望的なまでに「ボロ」という形容が相応しい一軒家。だが、馬車から降り立ち、肺の奥まで潮の香りと土の匂いを吸い込んだミナトの第一声は、周囲の心配を余所に、魂の底から溢れ出た歓喜の叫びであった。


「……静か。マジで静かじゃん。最高すぎて泣けてくるわ。ここなら朝っぱらから、エドナさんの鼓膜を突き破るような金切り声で叩き起こされることもねえし、無駄に眩しいだけで熱を撒き散らすシャンデリアの掃除に、貴重な午前中を奪われることもねえ。これこそ、私の求めていた『生活の最終形態』。異世界まで来てようやく勝ち取った、真の有給休暇だよ」


 ミナトは、16歳の可憐な少女の皮を被りながら、その実、中身は完全に生活を最適化しきった「おっさん女子」特有の、重心が低く図太い足取りで、きしむ回廊へと踏み込んだ。ギィ、と嫌な音を立てて抵抗する建付けの悪い扉。床に積もった数ミリ厚の埃。壁の隙間から遠慮なしに吹き込んでくる隙間風。


 並の令嬢、あるいは清廉な聖女候補であれば、その惨状を前にして卒倒するか、神に己の不運を呪って泣き崩れるところだろう。だが、ミナトの脳内にある「生活最適化シミュレーション」は、むしろこの「伸び代(不便さ)」を前にして、狂気じみた回転数で演算を開始していた。彼女にとって、このボロ家は修理すべきゴミではなく、自分好みにカスタマイズできる「最強のガレージ」に他ならなかった。


(……いい? 湊。落ち着きなさいよ。ここは欠陥住宅じゃない。私の手で、私の欲望のままにいかようにも改造できる、究極の『DIYの遊び場』なのよ。建付けが悪いなら、魔法で摩擦係数を極限まで下げればいい。壁の隙間? 結界魔法を本来の用途から逸脱させて『断熱材』として固定すれば、冬場もコタツいらずの極楽空間になる。むしろ、王都のあの広すぎて動線が崩壊した宮殿より、この『手の届く範囲にすべてがある狭さ』こそが、真の贅沢ってやつよ……!)


 ミナトは、美少女の記号であるはずのドレスの袖を、これでもかというほど無造作に、二の腕まで捲り上げた。そして、部屋の中央に転がっていた、脚の一本が怪しく震える古びた椅子に、ドカリと腰を下ろした。膝を大きく広げ、片手で首の裏をボリボリと、皮膚が赤くなるまで掻くその姿は、まさに画像に描かれた通りの「おっさん女子」そのもののガサツさであった。


「おーい、聖女様。……いや、ミナトの姐さん。本当にこんな、ネズミも愛想を尽かして出ていくような場所でいいのかよ?」


 心配そうに声をかけてきたのは、この不毛な土地の管理を細々と任されている退役兵や、煤けた顔をした腕利きの職人たちだった。彼らは、王都から「追放」されてきたという高貴な聖女が、どんなにか弱く、現世の不条理に絶望しているかと思えば、当の本人が真っ先に「この壁の配置、魔導冷箱を置くのに最適だわ」とブツブツ独り言を呟きながら、部屋の寸法を目測で測っているのを見て、完全に度肝を抜かれていた。


 だが、ミナトにとって彼らこそが、王都の着飾った貴族たちよりも遥かに「付き合いやすい」構造的共鳴度の高い存在だった。


「いいんだよ、おじさん。っていうか、そこの棚。釘が浮いてんじゃん。危ねえなあ。……ちょっと貸して、その金槌。見てるだけで、私の『最適化神経』が逆撫でされるわ」


「えっ? あ、ああ……。おい、お嬢ちゃん、危ないぞ……」


 ミナトは、16歳の白く細い腕で、ずっしりと重い金槌をひったくると、長年の「現場慣れ」を感じさせる小慣れた手つきで、一撃のもとに釘を打ち込み始めた。


(……あー、この感触。硬い金属が木材を貫く時の、この指先に伝わる重みが、今の私の荒んだ心に一番効くわ。魔法で一瞬で分子構造を結合させるのもいいけど、こういうアナログな作業に伴う肉体的な疲労こそが、夜、泥のように眠るための最高の『助走』になるのよね……)


 周囲の荒くれ者たちは、ミナトのあまりの「馴染み方」に、最初は困惑し、腰を引いていた。しかし、次第にそのガサツで、しかし驚くほど合理的で裏表のない態度に、かつての戦友に対するような親近感を抱き始める。


「姐さん、こっちの窓のサッシも見てくれよ。風が吹くたびにガタガタうるさくて、夜も眠れやしねえんだ」


「あー、それは蝶番の噛み合わせが0.5ミリ狂ってるだけ。魔法で潤滑性を付与しつつ、隙間にこの端材を噛ませれば、10年は無音で開閉できるから。貸しな。っていうか、そこのあんた。ただ見てないで、この端っこ押さえてて。若いんだからちょっとは力使いなさいよ」


 気がつけば、辺境のボロ家は、ミナトを中心とした「現場作業員」たちの溜まり場と化していた。ミナトは彼らを、かつての職場で出会った「頑固だが腕はいい現場の親父」を扱うような、手慣れた態度で従えていく。おべっかも、まどろっこしい二重敬語も必要ない。ただ、合理的な解決策を提示し、共に汗を流す。それだけで、彼らとの間には、王都のドロドロした権力闘争では決して得られなかった「本物の信頼」という名の、心地よい連鎖構造が生まれ始めていた。


(……いいわね。ここ。気を使わなくていい。ドレスの裾が泥で汚れようが、言葉遣いが『めんどくね?』の一言で終わろうが、誰も文句を言わない。これこそが私の求めていた『おっさんパラダイス』。王都の大司教様に見せてやりたいわ。この、感情のノイズを削ぎ落とした、純粋な効率化の現場をさ)


 ミナトは、夕暮れ時の赤く染まった荒野を眺めながら、自ら魔力を編み込んで作った「機能性重視の、人をダメにする部屋着(もはや寝巻き)」に着替え、誰に憚ることなく、顎が外れそうなほど大きな欠伸をした。


 追放という名の自由。それは、彼女の「生活最適化」への情熱を、誰にも邪魔されない環境で爆発させるための、最強の触媒となったのである。ミナトは、辺境のボロ家という名の新たな城で、キンキンに冷やした黄金色のノンアルコール発酵麦飲料を喉に流し込み、「プハァーッ!」と16歳の少女らしからぬ、野太い感嘆の声を上げた。今夜の「究極の寝床作り」の計画を、獲物を狙う猟師のような鋭い目で練りながら、彼女の辺境スローライフが、本格的にその幕を上げた。


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