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第7話:追放の危機?「あ、それ願ってもない」

 ――あー……。

 聖霊庁の大広間、その無駄に高い天井を見上げながら、サトウ・ミナトは今日何度目か分からない溜息を、周囲に悟られないよう喉の奥で押し殺した。


 そこは、計算され尽くした光の反射が床の大理石を鏡のように輝かせる、虚飾に満ちた空間だった。だが、16歳の可憐な少女の皮を被ったミナトにとって、この場所は「格式」などではなく、ただの「掃除のしにくさ」と「冷房効率の悪さ」を具現化した設計ミスにしか見えない。


「サトウ・ミナト! あなたの不遜な態度は、もはや聖女候補としての限界を超えていますわ!」


 空間を切り裂くような金切り声を上げたのは、公爵令嬢のベアトリスだった。彼女は、ミナトが「事務運営の効率化」や「動線管理」で一部の神官たちから「姐さん」と慕われ始めていることに、耐え難い屈辱を感じていたのである。


「あろうことか、あなたは聖典の重要書類を『鍋敷き』にしていたというではありませんか! 聖なる言葉を熱い鍋の底に敷くなど、冒涜も甚だしい! このような不届き者、今すぐこの聖霊庁から追放すべきですわ!」


 ベアトリスが突きつけた指の先で、ミナトは鼻の頭をポリポリと掻いた。その動作は、画像にある「おっさん女子」そのもののガサツさだった。


(……あー、始まったよ。っていうか、あの古い羊皮紙、ページが余計な装飾のせいで厚みがあったから、淹れたての茶碗を置くのにちょうど断熱材代わりになったんだよな。……いや、そんな弁明はどうでもいい。それより、今、彼女は何て言った? 『追放』? ……追放って言ったよな?)


 ミナトの胸の奥で、歓喜の火が静かに、しかし激しく灯った。

 それは、厳しい上下関係や、無駄にボタンの多いドレス、そしてエドナの口うるさい教育に晒されてきた彼女にとって、何よりも待ち望んでいた「解雇通知(自由への切符)」だった。


(待てよ、私。これ、千載一遇のチャンスじゃねえの? ここで下手に言い返して、自分の無実や有能さをロジカルに証明して勝利してみろ。待っているのは、さらに強固になった聖女としての地位と、それに付随する『一生涯、この王都で国を運営する』という名の終わりのない残業地獄だ。……だが、ここで『追放』という名の退職勧告を素直に受け入れれば……?)


 ミナトの思考は、一瞬にして聖霊庁を飛び出し、まだ見ぬ辺境の地へと「暴走」を開始する。


(辺境。そこには、やかましい教育係もいない。キラキラした若手騎士の熱視線もない。何より、誰にも邪魔されない『究極のスローライフ』が待ってる。昼過ぎまで寝て、適当に腹が減ったら、その辺の美味いもんでも食って、また寝る。最高じゃん。私、まだ16歳だよ? 早期リタイア成功しすぎでしょ!)


「……ミナト様! 何か仰ってください! 鍋敷きにしたのは、何か深い……慈愛に満ちた、私ら凡人には理解できない高尚な理由があったのですよね!?」


 傍らで震える教育係のエドナが、悲痛な声を上げる。エドナは今やミナトの「合理的なスパルタ事務改革」に完全に毒……もとい感化されており、彼女を失うことを何よりも恐れていた。

 ミナトは、エドナの視線を「まぁ、いいから見てなよ」と言わんばかりの、枯れた大人の余裕で受け流すと、おもむろに一歩、前へ出た。


 その顔は、悲劇のヒロインどころか、リストラを宣告された瞬間に「よっしゃ! 割増退職金でローン完済だ!」と確信したベテラン社員のような、邪悪ですらある晴れやかさに満ちていた。


「……ベアトリス様。そのご指摘、重く受け止めます。確かに私は、聖女としての重圧に耐えかね、つい『生活の利便性』を優先してしまいました。……ええ、私は聖女にふさわしくありません。今すぐクビ……いえ、追放処分にしていただいて、全くもって構いません」


「えっ……?」


 ベアトリスの顔が、拍子抜けしたように固まる。

 もっと泣き叫んだり、身に覚えがないと喚いたりするのを期待していたのだろう。だが、ミナトの反応は、あまりにも「物分かりの良すぎる、辞めたがっていたバイト」そのものだった。


「ただし」


 ミナトは、おっさん女子特有の図太いトーンで言葉を継いだ。


「追放するなら、これまでの奉仕に対する『手切れ金』を要求します。辺境の土地一部の自治権、それから当面の生活を維持するための準備金。これらを保証してくれるなら、私は今この瞬間、この聖女のバッジを返納して、即日退去します。……あ、引っ越し費用はそちら持ちでお願いしますね。私、重いもん運ぶの腰にくるんで」


「な……何を……! 追放される身で、条件を出すというのですか!?」


「条件を出さない取引なんて、ただの搾取ですからね。……さあ、どうします? 私がここで粘って、あなたの証拠が実は『事務管理上の不備』であることをロジカルに証明し始めると、会議が長引いてお互いのコストが嵩みますよ? 私はさっさと引っ越したい、あなたは私を追い出したい。……利害は一致しています。違いますか?」


 ミナトの「おっさん女子」としての交渉術が、異世界の令嬢を完全に圧倒した。

 感情のぶつかり合いを、徹底的に「損得」と「タイパ」に置き換える。それが、16歳にして精神構造が完成されてしまった彼女の、最強の武器だった。


(……よし、交渉成立だわ。待ってろよ、辺境。そこには、私が夢見た『動線ゼロの黄金郷』が待ってるはずだわ……!)


 サトウ・ミナトは、混乱する大広間を背に、軽やかな足取りで(しかし内心では「あー、やっぱりこの石畳、膝にくるわ」とぼやきながら)退場した。

 それは、聖女の没落ではない。

 一人の「生活最適化おっさん女子」による、不自由な権威からの、自由への大脱走の第一歩だった。


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