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第5話:ひょんなことから「運営」に首を突っ込む

 サトウ・ミナトは、聖霊庁の冷え冷えとした長い回廊を、死んだ魚のような、あるいは賞味期限を3日過ぎた生肉のような、およそ希望とは無縁の眼差しで歩いていた。


 第4話において、彼女は心血を注ぎ、全魔力と全DIY精神を動員して、至高の「人をダメにする聖具クッション」を完成させたはずだった。あの、一度沈み込めば骨の髄までとろけさせ、立ち上がるという意志そのものを蒸発させる悪魔的快適さ。そこで貪る二度寝こそが、異世界という名のブラック職場における唯一の福利厚生であった。


 しかし、その至福の時間は、鉄の規律を擬人化したような教育係、エドナの手によって無慈悲に引き裂かれた。物理的にベッドから引きずり出されたミナトの耳には、今もエドナの甲高い声が残響としてこびりついている。


「ミナト様、いつまで惰眠を貪っているのですか! 本日は聖典の書写と、地方から届いた嘆願書の仕分け作業を手伝っていただきます。これも聖女としての慈愛を養う、重要な修行の一環なのですからね!」


 慈愛。修行。そんな耳当たりの良い言葉で、無料タダ同然の労働力を搾取しようとするのは、前世のブラック企業が好んで使った手口と同じだ。ミナトは重い足取りで事務棟へと足を踏み入れたが、そこで目にした光景は、彼女の「生活最適化脳」を、怒りを超えた絶望、そして奇妙な「義憤」で激しく逆流させた。


(……おいおい、正気かよ。この令和……いや、2026年にもなろうという時代から来た、効率こそが正義と信じる私に見せる景色がこれなの? 昭和どころか、紀元前の事務処理システムをそのまま運用してんじゃないわよ……)


 そこには、うずたかく積まれた羊皮紙の山があった。それはもはや書類の山というよりは、紙でできた古墳のようだった。そしてその古墳の周囲を、羽ペンを執念深く走らせる神官たちが、青白い顔で取り囲んでいる。


 問題はその内容ではない。その「プロセス」が、ミナトの逆鱗に触れたのだ。

 1通の嘆願書が届くとする。まず受付の神官が、その内容を別の紙に一言一句違わず「書き写す」。次に、その書き写された紙を隣の神官に渡し、彼がそれを「カテゴリー別(税金、魔物、恋愛相談など)」に分類する。さらにその紙が別の神官へと回され、そこでようやく「重要度」が判定される。その度に、いちいち仰々しい巨大な印章を押し、台帳に記録し、また別の棚へ運ぶという動作が繰り返されていた。


(……何よ、あの無駄すぎる印鑑リレー。あんなの、前世の役所仕事でも絶滅したレベルの非効率だわ。テンプレート化して一括処理すれば3分、いや1分で終わるでしょ。これじゃあ、地方で困ってる奴が助かる前に、受理した老人が天寿を全うして、次の代の嘆願書が届いちゃうわよ。死後事務をやってるんじゃないのよ……!)


 ミナトは、目の前に置かれた「書写」という名の、ただのコピペ作業に手をつける前に、つい、深く、胃の底からせり上がってくるような溜息を吐いた。その音は、事務棟の静寂を無礼に切り裂いた。


「どうかなさいましたか、ミナト様。やはり、高貴なあなたには、このような地味で根気のいる作業は苦痛でしたでしょうか……?」


 エドナが、どこか見下すような、それでいて心配するような複雑な表情で声をかけてくる。だが、ミナトが返したのは、予想外の言葉だった。


「いや、エドナさん。苦痛っていうかさ……これ、コストの無駄遣いにもほどがあるわよね。見ててイライラするっていうか、資源の浪費だわ、これ」


 ミナトの口から、聖女候補にあるまじきビジネス用語、および現場責任者のような冷徹な指摘が飛び出した。


「こすと……? それは何の呪文ですか? 浪費とは、神聖な聖典を書き写す行為がですか?」


「呪文じゃないわよ。マネジメントの問題。見てよ、あそこの神官。同じ内容を3回も別の紙に書き写してるじゃない。あそこの工程、魔写の術式とか、魔力を転写するだけの簡単な魔法とかで一発で終わらせられないの? それだけで、あそこの3人のうち2人は、昼寝……じゃなくて、もっと他の、頭を使う生産的な仕事に回れるはずだわ」


 ミナトの指摘は、図星どころか、1000年もの間、誰も疑問を持たなかった「伝統」という名の非効率の急所を、正確に、そして深く貫いた。


「伝統とは、過去の知恵の積み重ねです。それを簡略化するなど……」


「伝統は『改善』されないと、ただの『遺物』なのよ。あー、もう見てらんないわね。ちょっとそこ、席を空けなさいよ。私が本当のワークフローってやつを見せてやるから」


 ミナトは美少女の代名詞とも言える長いドレスの裾を、おっさんのようにガサツにまくり上げ、怪訝な顔をする神官のデスクを強引に奪い取った。かつて、トラブル続きで納期が崩壊しかけたプロジェクトを、不眠不休の3日間で立て直した時の、あの冷徹で合理的、かつ「最短で終わらせる」ことに特化した司令塔の顔が、美少女の皮を突き破って現れる。


「いい? まず、この書類は結論がどこにあるかをマーキング。次に、重要度別に箱を3つ用意する。松・竹・梅でいいわ。緊急性の高い『松』以外は、午前中は見ない。そしてこの印鑑リレー。承認は一箇所でいい。権限を移譲しなさい。……ほら、動いた動いた! 何ボーッとしてんのよ。おっさん……じゃなくて、私が指示を出してる間は、思考を止めて機械になりなさい!」


 数時間後。聖霊庁の事務棟には、かつてない静寂と、そして驚異的な速度で捌かれていく書類の山があった。神官たちは、ミナトが即興で考案し、壁に貼り出した「異世界版・業務改善シート」に従い、まるで磨き抜かれた歯車のように効率的に動かされている。


(……ふぅ。まぁ、こんなもんでしょ。仕組みさえ作っちゃえば、あとは下っ端が回す。これが運営の醍醐味、いわゆる自動化ってやつね。さて、これで浮いた時間は私の二度寝に充てさせてもらうわよ。お疲れさん)


 ミナトは、すっかり整理されたデスクを叩き、心地よい疲労感(という名の、早く帰りたい欲求)に包まれていた。だが、彼女の計算には、またしても「他人の評価」という最大のノイズが欠けていた。


 事務棟の入り口で、その様子を一部始終、呆然と、そして魂を揺さぶられるような感動を持って眺めていた人物がいた。聖霊庁の最高権威、大司教その人である。


「……おお。なんということだ。これこそ、混沌とした人々の悲鳴を瞬時に整理し、平穏をもたらす『聖女の知恵』。彼女は、ただ祈りの中で奇跡を起こすだけの存在ではない。この国そのもののシステムを、その手で組み替える真の『聖なる運営者』だったのか……!」


(……いや、違うわよ、大司教。私はただ、無駄な残業を減らして、さっさと自室に帰って、自作の濃いめのつまみで1杯やりたいだけなのよ。そんな国家規模の重いラベルを貼るんじゃないわよ……!)


 ミナトの「サボるための、自分勝手な効率化」が、皮肉にも有能すぎる聖女としての名声を、盤石なものにしていく。彼女が、理想の窓際スローライフ、誰にも期待されない隠居生活を勝ち取る日は、またしても、地平線の彼方へと遠のいていったのである。


「さて……次は、あの騎士団の暑苦しい訓練のスケジュールでも、無理やり間引いてやろうかしら……」


 ミナトの独り言は、驚異的な速度で整理されていく書類の束の中に、虚しく響いた。


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