第4話:聖女の居室を「最適化」せよ
聖霊庁に用意されたミナトの個室は、誰が見ても「至高の贅」を尽くしたものだった。高い天井、大理石の床、金糸の刺繍が施されたカーテン、そして無駄に広い。広すぎて、入り口からベッドまで辿り着くのに、普通のワンルームマンションなら2往復はできる距離がある。
だが、サトウ・ミナトにとって、この部屋は「住居」ではなく、ただの「設計ミス」にしか見えなかった。
(……なんだこの部屋は。不便極まりねえな。動線設計した奴の顔が見てみたいわ。お洒落なデザイナーズマンションを無理やり中世に持ってきたような、この住みにくさは何なのよ。これじゃあ、夜中にトイレに起きただけで遭難するわよ)
ミナトは、部屋の中央で腕を組み、仁王立ちになった。彼女にとって、家とは「休息の要塞」である。一歩も動かずに、必要なものすべてに手が届くこと。それこそが、過酷な日々を生き抜くための黄金律だった。
(いいか、湊。聖女としての品格なんてのは、人前でだけ取り繕っておけばいいのよ。この扉の内側は、私の絶対国防圏だわ。まずは、この無駄な広さと装飾を、私の生活リズムに最適化してやるわ……!)
ミナトの瞳に、かつて日曜大工で自宅を改造した時と同じ、狂気じみた情熱が宿った。
まず着手したのは、部屋のレイアウト変更だ。彼女は、重厚なオーク材の机を引きずり回した。ギギギと嫌な音が大理石に響くが、気にしない。エドナにバレたら説教確定だが、その時は「模様替えは、精神の平穏を保つための聖女の儀式です」とでも適当な報告書を書けばいいと考えていた。
(机はベッドのすぐ横よ。これで寝転んだまま本が読めるわ。そして、この魔法のランプ……光量が強すぎるのよね。もっと、こう、目に優しい琥珀色の光にならないかしら……?)
ミナトは、魔力測定で披露した「帳尻合わせ」の技術を応用し始めた。本来、聖女の魔力は病を癒やし、結界を張るための神聖な力だ。しかし、ミナトはその高潔なエネルギーを「間接照明の調光」へと流用した。ランプの魔石に指先を触れ、エネルギーの流れをわざと滞らせる。
(……よし。この、絶妙な黄昏時感。これで、寝る前の白湯の時間が捗るってわけね)
次にミナトが目をつけたのは、部屋の隅にある巨大な姿見と、その横にあるドレッサーだった。そこには、朝の身支度のための化粧水やら香油やらが、無数に並んでいる。
(……面倒くせえ。何よこのボトルの数は。朝の時間は1分1秒が勝負なのよ。オールインワンゲルはないのかしら、この世界には。洗顔、保湿、ケアが1個で終わらねえと、朝食に間に合わねえだろ)
ミナトは、複数の薬瓶を手に取ると、野性的な勘で、それらを魔法の触媒で混ぜ合わせ始めた。混ぜるな危険の文字が脳裏をよぎったが、そこは聖女の魔力による強制的な安定化でねじ伏せる。
(よし、完成だわ。名付けて聖女のズボラ液。これ1個塗っておけば、肌のコンディションは維持できるだろ。……この10代のピチピチした肌なら、多少の無茶は効くはずだわ)
そして、この最適化計画の真打ち。ミナトは、ベッドから剥ぎ取った余分なクッションや、予備の毛布、そして自分の魔力を編み込んで作った「重力調整魔法」を組み合わせた、ある物体の制作に取り掛かった。
(前世……じゃなくて、昔見たあの巨大なクッションの感動が忘れられねえわ。座ったら最後、立ち上がる意志を完全に喪失させる、あの悪魔の家具……。よし、このビーズ的な魔力球を、こう、袋に詰めて……)
数時間の格闘の末、部屋の中央には、見た目こそ巨大な豆袋だが、その実態は「座る者の骨格と体重を魔法で検知し、最適な反発力を提供する」という、オーパーツ級の逸品が誕生した。ミナトは、迷わずその中心へと身を投げ出した。
「……おおおお……これだわ。これよ。骨が、溶ける……」
思わず、16歳の美少女らしからぬ、くたびれた吐息が漏れる。包み込まれるようなフィット感。絶妙な体温調整。そこから3歩圏内に、改良した「手の届く範囲の文机」と「魔法で保温した茶器」がある。まさに、動線ゼロの黄金郷だった。
(……これでいいわ。明日、あのお局が来たら、瞑想のための空間構成ですと言い張ってやろう。聖女候補として求められる清潔感も、この魔法のクッションがあれば、ストレスフリーで維持できるわ)
ミナトは、半分閉じた目で、天井を眺めた。シャンデリアの輝きは、彼女が調整したせいで、今や駅前の大衆食堂のような安心感のある輝きへと落ち込んでいる。
(……まぁ、いっか。世界を救う前に、まずは自分の腰を救う。これが大人の責任ってやつよ)
聖女の居室は、もはや聖なる沈黙を守る場所ではなかった。そこは、1人の「おっさん女子」が、異世界の不便さと戦い抜いた末に勝ち取った、最小・最強の生存圏だった。
翌朝、部屋に踏み込んだエドナが、あまりの生活感の塊に変貌した個室を目の当たりにし、腰を抜かすまで、あと6時間。サトウ・ミナトは、自作のクッションの中で、今度こそ幸せな、高い質の睡眠へと没入していった。




