第2話:適正検査という名の「効率化」
聖霊庁、魔力測定の間。
そこは、石造りのドーム状の空間に、神々しいまでの光を放つ巨大な水晶が鎮座する、まさに「ファンタジーの極致」とも言える場所だった。
だが、その冷え切った空気の中に立つサトウ・ミナトにとって、この光景は懐かしの人事評価面談、あるいは健康診断の待ち時間の景色にしか見えなかった。
(……ああ、この空気感。覚えがあるぞ。支店長室に呼び出されて、達成不可能なノルマを突きつけられる直前の、あの胃がキリキリするようなプレッシャーだわ)
ミナトは、純白の聖女装束の裾を気にすることもなく、心の中で深い溜息をついた。
周囲には、期待に目を輝かせた神官たちや、記録用の魔導具を構えた書記官たちがズラリと並んでいる。彼らにとって、ミナトは「国を救う希望の星」なのだろう。だが、ミナトの脳内にあるのは、そんな崇高な使命感ではない。
(いいか、湊。ここで調子に乗って『フルパワー』なんて出した日には、どうなるか目に見えてる。重要プロジェクトのリーダーに抜擢され、休みは潰れ、上からのプレッシャーと下からの突き上げに挟まれて、死ぬまでこき使われる『特進クラス』という名の社畜地獄だ。……出世なんてのはな、適度な責任と引き換えに、一番美味しい汁だけを啜れるポジションを確保してこそ意味があるんだよ)
ミナトの「おっさん女子脳」が、高速で損得勘定を弾き出す。
魔力測定。これは、この国における「査定」だ。
無能すぎれば、生活の質(福利厚生)が下がる。ボロ宿舎に押し込まれ、粗食に耐え忍ぶ生活は、ミナトのデリケートな胃腸には耐えられない。
逆に有能すぎれば、24時間体制の警護という名の監視が付き、昼寝の時間すら奪われる。
(狙うべきは、平均よりは上だが、最前線に駆り出すには少し不安が残るという、絶妙な『Bマイナス評価』……! 専門職として首は切られないが、リーダーシップは期待されない。これぞ、組織で長生きするための最適解だわ)
「サトウ・ミナト様。さあ、こちらへ。水晶に手を触れ、あなたの内なる魔力を解放してください」
教育係のエドナの厳格な声が響く。
ミナトは、よろよろと頼りない足取りで水晶へと歩み寄った。
内心では「全力で出すと面倒な仕事が増えるため、生活に困らない最低限のライン」を計算している。
(魔力ってのは、要するにエネルギーだ。出力全開が100だとしたら、私が出すべきは……35、いや、手堅く42といったところか。不合格ではないが、周囲が『おや?』と首をかしげる程度の数字。これが『期待値コントロール』の極意よ)
ミナトの指先が、冷たい水晶に触れた。
その瞬間、体内の深奥から、見たこともないような「奔流」が沸き上がるのを感じた。
熱い。熱すぎる。
それは、サウナの後の水風呂を渇望するような、凶暴で純粋なエネルギーの塊だった。
(……おいおい、待て待て! なんだこの量、聞いてねえぞ! この体、燃費悪すぎだろ! 軽自動車のタンクにニトロをぶち込んだようなもんだぞ、これ!)
暴走しかける魔力を、ミナトは必死に抑え込む。
イメージするのは、会社の給湯室で、壊れかけた蛇口を必死に捻って、お湯の量を調整するあの感覚だ。あるいは、うるさい取引先との電話で、怒りを押し殺して平坦な声で答える、あの抑制の精神だ。
(抑えろ……抑えろ……。ここで100出したら、明日から私の生活は、聖女としての広報活動と魔物討伐の2部構成で埋め尽くされる。そんなの、精神年齢が枯れ果てた私には耐えられない……! 目標、42。42で止まれ……!)
水晶が、眩い白光を放ち始める。
神官たちの間に、どよめきが走る。
「おお、なんと清らかな輝き……! さすがは聖女様だ!」
「いや、待て。輝きが……不安定だぞ?」
ミナトは、歯を食いしばりながら魔力の弁を閉じた。
脳内では、Excelのグラフが激しく上下している。
70……60……50……よし、40台に突入した。
ここで、さらにダメ押しの一手を打つ。
「思考の暴走」を、あえて「迷い」として出力するのだ。
(「今晩のおかず、何かなあ」「あの神官のハゲ頭、反射が眩しいなあ」「腰が痛いなあ」「若いっていいなあ」……)
そんな世俗的で、どうしようもない「おっさん女子のノイズ」を魔力に混ぜ込む。
その結果、水晶の光は、目も眩むような白から、なぜか「夕暮れ時の居酒屋の赤提灯」のような、妙に暖かみのある、しかしどこか濁ったオレンジ色へと変化した。
――ピキ。
小さな音を立てて、水晶の数値が表示される。
表示された魔力指数は――『43』。
(……決まった。完璧だわ。誤差1パーセント。これぞ、長年の社会生活で培った『帳尻合わせ』の技術よ)
ミナトは、わざとらしく大きく肩で息をし、額の汗を拭った。
「ああ、疲れました。もう一歩も歩けません」という空気を全身から醸し出す。
しかし、周囲の反応は、ミナトの予想とは少し違っていた。
静まり返る測定の間。
神官の一人が、震える声で呟いた。
「魔力指数……43。これは、歴代の聖女候補の中でも……最低値だ」
「だが、見ろ。あの色を。あんなにも温かく、包み込むような慈愛に満ちた(ミナトには居酒屋の光に見えたが)魔力の色を……。これは、数字には表れない『質』の高さの証明ではないか?」
(……え? 待て。何そのポジティブな解釈。いいんだよ、無能ってことで。そのまま『辺境の窓際部署』に左遷してくれよ!)
教育係のエドナが、ミナトに歩み寄る。その瞳には、落胆ではなく、なぜか「同情」と「決意」が宿っていた。
「ミナト様。……分かりました。あなたは、強大な力で敵をなぎ倒すタイプの聖女ではない。けれど、その繊細で、どこか疲れた大人のような包容力こそが、今のこの国には必要なのかもしれません。……安心してください。私が、あなたのその『弱さ』を補うべく、さらに厳しい特訓メニューを組み直しましたから!」
「…………え?」
(嘘だろ。上司がやる気出しちゃったよ。これ、一番最悪なパターンじゃねえか。無能と見なして放置してくれよ……!)
ミナトの計算は、半分正解で、半分は「異世界人の解釈」という名のイレギュラーによって外れた。
結局、特訓という名の「残業」が確定した事実に、ミナトは地面に崩れ落ちた。
はたから見れば、それは「魔力を使い果たした、健気な聖女」の姿だった。
だが、その内心では。
(……やってられっか。もういい。こうなったら、特訓中にいかに『効率よくサボるか』、その動線確保に全力を出すしかねえわ。……まずは、あの神官の飲み物の差し入れに、こっそり眠くなる薬でも混ぜて……いや、それはコンプラ的にアウトね。なら、腹痛のフリでも……)
ミナトの「おっさん女子」としての生活最適化への戦いは、まだ始まったばかりだった。
彼女の背中に、夕暮れ色の魔力が、哀愁を帯びて揺れていた。




