第12話:「面倒くさい」が世界を救う……かも?
――あー……もう、マジでいい加減にしてほしいわ。
辺境の澄み渡る夜空。満天の星々が、まるでミナトの「平穏な隠居生活」を祝福するように輝いていたのも束の間、地平線の彼方から湧き上がってきたのは、星の光すら飲み込む禍々しい魔力の奔流だった。
サトウ・ミナトは、自作の「腰に優しい高反発リクライニングチェア」に深く沈み込み、黄金色のノンアルコール発酵麦飲料を片手に、ようやく勝ち取った「ストライキ」の初夜を楽しんでいたところだった。だが、大気を震わせるその不吉な唸りと、肌を刺すような魔圧の乱れが、彼女の「最適化された晩酌タイム」に最悪な不純物を混入させる。
「……ねえ、ガンツさん。あの、地平線の向こうでピカピカしてる禍々しい光。あれ、私の乱視のせいじゃないわよね? それとも、誰かが深夜に無許可で打ち上げ花火でもやってんの?」
ミナトは、16歳の可憐な少女の皮を被りながらも、中身は完全に「おっさんの感性」がオーバーライドした濁った声で問いかけた。傍らに控えるガンツは、震える手で剣の柄を握りしめ、地平線を見つめて絶叫した。
「姐さん! 冗談言ってる場合じゃねえ! ありゃあ、伝説に聞く『終焉の魔王』の復活だ! 王都の結界を破り、この国を根こそぎ食い尽くそうとする闇の軍勢だぞ!」
魔王。終焉。闇。
そんなファンタジー全開のキーワードを聞いた瞬間、ミナトは持っていたコップをサイドテーブルに叩きつけた。その顔は、正義に燃える聖女のそれではなく、休日にサービス出勤を命じられたベテラン社員のような、どす黒い怒りに満ちていた。
(……はあ!? 魔王だか何だか知らないけどさ、タイミング考えなさいよ! 私は今、ようやく一日の『生活最適化』を終えて、心安らかに二度寝へと向かうための助走段階に入ってたのよ! それを何? 世界を滅ぼす? それをやったら、私のこの快適なボロ家も、最適化した排水システムも、全部パーになるじゃないのよ!)
ミナトの脳内で、かつてない規模の「思考の暴走」が開始される。
魔王を倒したいのではない。ただ、自分の「平穏」を邪魔する不法侵入者を、一刻も早く、そして「最小の労力」で排除したいだけなのだ。
「……あー、面倒くさい。面倒くさいの極致だわ。……アルフレッド君! どこにいるのよ!」
ミナトの声に、絶望に打ちひしがれていたアルフレッドが駆け寄る。
「ミナト様! やはり立ち上がってくださるのですね! 世界を救うために!」
「救わないわよ。私は私の安眠を守るだけ。いい? 全員、耳の穴かっぽじって聞きなさい。これから私が言う通りに、村のインフラを『攻撃用』に転用するわよ。いちいち『祈り』なんてコストのかかることはしない。物理と魔力の『最適化』で、あいつらを一網打尽にするわ」
ミナトの指示は、魔法の常識を遥かに超越していた。
第9話で構築した「自動揚水システム」の配管に、聖女の浄化魔力を高圧で充填し、村全体を囲む「高圧魔力散水シールド」へと改造。さらに、ロケットストーブ型の竈から出る余熱と煙を、気流制御魔法で魔王軍の進路へと誘導し、視界と魔力探知を阻害する「生活廃熱スモークスクリーン」を展開する。
(いいか、湊。戦いってのはね、真っ向からぶつかるもんじゃないの。相手の『維持コスト』を上げて、こちらの『防衛コスト』を下げる。相手が自滅するまで、こちらはリクライニングチェアから一歩も動かない。これが大人の戦い方よ……!)
押し寄せる魔物の軍勢は、ミナトが「面倒くさい」を理由に構築した鉄壁の「自動迎撃インフラ」によって、村に辿り着く前に次々と浄化・無力化されていった。魔王が放つ絶大なる闇の弾丸も、ミナトが「断熱材」として壁に刻んでいた多層結界によって、音もなく霧散する。
「……何だ、あのはぐれ聖女は……! 我が軍勢が、ただの『インフラ整備のついで』に殲滅されているというのか……!?」
地平線の向こうで魔王が困惑の声を上げるが、ミナトはそれを、深夜に聞こえる騒音苦情と同じように処理した。
「……うるさい。静かにしなさいよ。近所迷惑でしょ」
ミナトは立ち上がることさえせず、リクライニングチェアに座ったまま、空に向かって指をパチンと鳴らした。
彼女が日々の生活の中で貯蔵していた、無駄な動きを極限まで削ぎ落とすことで生まれた「余剰魔力」。それが、村全体の配管システムを通じて増幅され、巨大な「生活最適化レーザー」となって魔王の眉間を直撃した。
――ズドォォォォン……!
爆音と共に、魔王の気配が消滅する。
世界を滅ぼすはずの巨悪は、一人の「おっさん女子」の、「早く寝たい」という執念によって、文字通りゴミのように掃き出されたのである。
静寂が戻った辺境の村。
アルフレッドやガンツ、村人たちが、信じられないものを見たという顔でミナトを仰ぎ見る。だが、ミナトは既に興味を失っていた。
「……ふぅ。これでよし。……あ、アルフレッド君。これ、魔王討伐の報酬として、王都から『一生ここから出なくていい権利』と『終身年金』、あと『二度と私に仕事を持ってこないという誓約書』を取り付けてきなさい。それができなきゃ、次は王都にこのレーザーを向けるわよ」
「は、はい! 喜んで!」
ミナトは、再びリクライニングチェアに深く沈み込んだ。
彼女の「面倒くさい」というエネルギーが、結果として世界を救ってしまった。だが、本人にとっては、それが「最善の解決策」であったに過ぎない。
(……あー、やっと静かになったわね。……さて、これでお酒……じゃなくて、ノンアル麦飲料の二杯目が楽しめるわ。……若いっていいな。世界を救った後でも、こうしてぐっすり眠れる体力が残ってるんだからさ……)
おっさん女子、サトウ・ミナト。
彼女の「究極のスローライフ」への執念は、異世界の歴史に「最も怠惰で、最も有能な聖女」として刻まれることになった。 だが、彼女が本当に望んでいたのは、ただ一つ。
誰にも邪魔されずに、自分流に最適化したボロ家で、静かに、そしてガサツに、二度寝を貪ることだけだったのだ。
朝日は、まだ昇らない。
ミナトの穏やかな、しかしどこか濁った寝息だけが、平和を取り戻した辺境の夜に響いていた。




