第11話:聖女の「ストライキ」宣言
――あー……本当に、話が通じないわね、この若造は。
辺境の夕暮れ、オレンジ色の西日が容赦なくミナトの横顔を焼き、影を長く引き延ばしていた。自作のリクライニングチェアに深く沈み込んだミナトは、目の前で跪いたまま、一歩も引こうとしない金髪騎士アルフレッドを、まるで「納品予定日を一日早めてくれと泣きついてくる若手営業マン」を見るような、酷く冷めた目で見下ろしていた。
空気は乾燥し、風に乗って運ばれてくる家畜の匂いと、村の竈から立ち上る煤けた煙の香りが混じり合う。五感が、王都のそれとは違う「生活の重み」を拾い上げるたび、ミナトの中で「ここを離れたくない」という生存本能に近い最適化欲求が、濁った澱のように溜まっていく。
「ミナト様! 重ねてお願い申し上げます! 今や王都の事務局は機能不全に陥り、魔物対策の予算承認すら滞っているのです! あなたのあの、一瞥して矛盾を見抜く『神の眼』……いえ、実務能力がなければ、王国は内側から腐り落ちてしまいます!」
「……あのさあ、アルフレッド君。何度も言わせないで。国が腐るかどうかの前に、私の『今夜の晩酌タイム』が腐りかけてるのよ。そっちの方が私にとっては国家存亡の危機なの。分かる?」
ミナトは、16歳の少女らしい透明感のある声で、しかし内容は完全に「定年間際のベテラン社員」のような居直り方で言い放った。彼女は傍らに控えるガンツ――今やミナトの『現場筆頭補佐』となった退役兵――に目配せをする。
「ガンツさん、記録取ってる? 『王都側の使者は、個人の尊厳ある休息時間を著しく侵害した』って、一言一句漏らさず書いておいて。後で労働……じゃなくて、聖霊庁の監査委員会に送りつけてやるから」
「おう、姐さん。バッチリだ。ペンが止まらねえぜ」
ガンツが、ゴツゴツとした指で羊皮紙にガリガリと音を立てて書き込む。その光景は、もはや聖女のお迎えというより、不当な労働条件に対する団体交渉の場そのものだった。アルフレッドは、自分の信じる「聖女」という神聖な概念が、ミナトの手によって一枚ずつ剥がされ、中から「合理性の化け物」が姿を現す様に、顔を青くさせながらも食い下がった。
「条件……! そうです、先ほど仰った条件をお聞かせください! 王都は、陛下は、ミナト様のどのような要求にも応える準備がございます!」
「……はぁ。安請け合いしちゃって、後で泣きを見ても知らないわよ?」
ミナトは、空になったノンアルコール発酵麦飲料のコップを、サイドテーブル(もちろん、手の届く範囲にすべてが配置された最適化設計だ)に事も無げに置いた。喉の奥を鳴らし、一つ、大きな、しかし底意地の悪い欠伸を噛み殺す。ここからが「おっさん女子」の真骨頂、相手の戦意を削ぐための『徹底的な遅延工作』の始まりだった。
(……いい? 湊。ここで単なるワガママを言っちゃダメなのよ。それじゃあ、ただの『わがまま令嬢』として無理やり連行される口実を与えるだけだわ。私が提示すべきは、王都の官僚どもが聞いただけで目眩を起こし、かつ『正当な労働者の権利』として反論の余地がない、究極のストライキ・パッケージよ……!)
ミナトは、椅子の背もたれからゆっくりと身を起こした。その動作一つにも、16歳の若々しさとは無縁の、長年のデスクワークで固まった筋肉を解すような「重み」が伴う。
「まず第一に。週休3日、これ絶対。それから、一日の実働時間は最大6時間とするわ。私の集中力は、それ以上持つのを辞めたのよ。……あ、残業? 残業が発生した瞬間に、私はこの聖女のバッジを庭の井戸に投げ捨てて、即日辺境へ帰還させてもらうわよ。違約金はそちら持ちで」
「しゅ、週休3日……!? 聖なる奉仕を、休むというのですか……?」
「奉仕だってエネルギー保存の法則に従うの。私が倒れたら、それこそ損失でしょ? リスクヘッジを考えなさいよ。……次に第二。私の執務室への入室は、完全予約制とするわ。廊下に並んで待つとか、急な『ちょっといいかな』っていう相談は一切禁止。書類はすべて、私が考案した『標準フォーマット』以外は受理しない。……っていうか、手書きの報告書は全部禁止ね。魔法でフォントを統一しなさい。読みづらくて視力が落ちるわ」
アルフレッドは、ミナトの口から飛び出す、異世界の騎士には理解不能な「実務用語」の羅列に、完全に翻弄されていた。ミナトの言葉は、まるで魔法の呪文のように、王都の伝統と格式を一つずつ粉砕していく。
「そして第三。これが最も重要なんだけど……」
ミナトは、画像にあるような、少しだるそうで、しかし核心を突く時の「おっさん」特有の鋭い眼差しで、アルフレッドを射抜いた。
「私のプライベートに、いかなる『攻略対象』も関与させないこと。……王子とか、あんたみたいなキラキラした騎士とか、魔術師の天才とか。そういう奴らが私の周りでバタバタ愛の告白とか、ライバル意識とか燃やし始めたら、その瞬間に私は『ストライキ』に入るわ。……あー、想像しただけで肩が凝るわ。恋愛なんて、燃費が悪くて時間の無駄なのよ。私が必要なのは、質の良い枕と、静かな晩酌の時間だけ。分かる?」
アルフレッドは絶句した。
彼が夢見ていた「聖女との運命的な再会と、共に困難を乗り越える物語」が、ミナトという冷徹な「最適化の鬼」によって、単なる『労働環境の改善要求』へとすり替えられてしまったのだ。
「……ミナト様。あなたは、それほどまでに……」
「そうよ。私はだるいの。面倒くさいの。だから、私が一番面倒くさくない方法で仕事ができる環境を整えない限り、私はここを一歩も動かない。……さあ、どうする? 持ち帰って検討する? 私は別に、何日でも待つわよ。ここで、村の親父たちと『究極の燻製器』の試作品を動かすのに忙しいからね」
ミナトは再び、リクライニングチェアに背を預けた。
西日はすでに沈み、辺りには深い藍色の帳が降り始めている。村の広場からは、ミナトが昨日整えた「自動揚水システム」が心地よい水音を奏でる。その音が、アルフレッドの必死の説得を、無慈悲に、しかし効率的にかき消していく。
(……よし。これでアルフレッド君が王都に持ち帰って、官僚どもがこの『ふざけた条件』を審議するのに、少なくとも一週間は稼げるわね。その間に、私はこの村の防衛網を『一歩も動かずに侵入者を撃退できる』ように最適化しちゃうから……!)
おっさん女子、サトウ・ミナト。
彼女の「ストライキ」宣言は、王都の権威に対する反逆ではなく、彼女の「平穏」を守るための、最も合理的で、かつ狡猾な「籠城戦」の始まりであった。




