第10話:王都からの迎えと「面倒くさい」の極致
――あー……最悪。
辺境の澄み渡る空を切り裂くように、その「不吉な音」は響き渡った。
ミナトは、自作の「腰に優しい高反発リクライニングチェア」に深く沈み込み、黄金色のノンアルコール発酵麦飲料を片手に、ようやく訪れた静寂を味わっていたところだった。 だが、村の入り口から聞こえてくる、蹄が石を叩く規則正しくも傲慢な音、そして鎧が擦れ合う金属音の群れが、彼女の「最適化された日常」に不穏なノイズを混入させる。
「……ねえ、ガンツさん。あの音、何? 私の耳が老化して幻聴を聞いてるわけじゃないわよね?」
ミナトは、16歳の可憐な少女の皮を被りながら、その実、中身は完全に「おっさんの感性」がオーバーライドした濁った声で、傍らの現場監督に問いかけた。
「姐さん……ありゃあ、王都の近衛騎士団の紋章だ。それも、あんなにキラキラした一団が来るなんて、よっぽどのことだぜ」
ガンツの言葉を聞いた瞬間、ミナトは持っていたコップをサイドテーブル(自作)に叩きつけた。
(……最悪。最悪だわ。ようやくこの村のインフラを整えて、私が一歩も動かなくても生活が回る『完全自動化・隠居システム』を構築したばっかりなのに! このタイミングで王都からの営業……じゃなかった、お迎え? 冗談じゃないわよ。定時退社した後に会社から電話がかかってくるような、この世で最も不愉快な感覚だわ……!)
ミナトの脳内では、かつての「おっさん女子」としてのサバイバル本能が警報を鳴らし始める。 王都からの迎え。それは、彼女にとって「輝かしい復帰」などではなく、「ブラック職場への再雇用」を意味していた。
やがて、土埃を巻き上げて現れたのは、見覚えのある金髪の若手騎士――アルフレッドを先頭にした、仰々しい一団だった。 彼は馬から飛び降りるなり、ミナトの前で跪き、その青臭いほど純粋な瞳を輝かせた。
「ミナト様! やっと、やっとお迎えに上がりました! あなたが辺境で成し遂げた数々の奇跡……事務の効率化から、この村の劇的な復興に至るまで、その噂は王都にも届いております! 今や、あなたを追放したベアトリス様は失脚し、国中が真の聖女であるあなたの帰還を待ち望んでいるのです!」
アルフレッドの熱い言葉。周囲の村人たちも、「姐さんがそんなにすごい人だったのか!」と感嘆の声を漏らす。
だが、その中心にいるミナトの反応は、真夏の路上に放置された生ゴミよりも冷ややかだった。
「……あー、ごめん。アルフレッド君。今、なんて言った? 『帰還』? ……あー、無理。絶対無理。聞こえなかったことにするから、今すぐその馬の向きを180度変えて帰ってくんない?」
「……えっ? ミナト様……?」
「いい? 落ち着いて聞きなさいよ、アルフレッド君。私は今、この人生で最も『充実した無為』を過ごしているの。ここのお風呂、私が排水勾配から温度管理まで完璧に最適化したんだからね? 王都のあの、無駄に広いだけで湯船が遠い浴場に戻れって? 拷問かよ。福利厚生の概念を1から勉強し直してきなさいよ」
ミナトは、椅子の背もたれにさらに深く沈み込み、膝を立ててスカートの裾を無造作に捲り上げた。 彼女にとって、王都の華やかな生活は「コスト」であり、辺境の自堕落な日常は「利益」なのだ。この「おっさん女子」特有の徹底したリアリズムは、騎士道の理想に燃える若者には1ミリも理解できない。
「ですがミナト様! 国は今、未曾有の混乱にあります! あなたのあの、事務を爆速で捌く手腕と、現場を立て直す決断力が必要なのです!」
「……それが嫌なのよ。私が1働けば、あんたたちは10の仕事を私に持ってくるでしょ。私はね、24時間のうち23時間を『どうでもいいこと』に費やしたいの。……あー、面倒くさい。面倒くさいの極致だわ。エドナさんにも言っといて。私はここで、村の親父たちと『理想の燻製器』を作るプロジェクトで忙しいから、聖女とかいう役職は他を当たれって」
ミナトの「思考の暴走」は止まらない。彼女は、王都に戻ることで失われる「睡眠時間」「酒……じゃなくてノンアル麦飲料の質」「近所の親父たちとの他愛ない会話」を次々と算出し、それが王都のどんな栄誉よりも価値が高いことを、自分の中でロジカルに確定させていく。
(……いい? 湊。ここで折れたら負けよ。一度『有能な聖女』として復職してみなさいよ。今度は退職届どころか、辞表すら受け取ってもらえない永年雇用が待ってるわ。16歳の肉体を使って、一生労働を搾取されるなんて、どんなブラック企業も真っ青なホラーだわ……!)
アルフレッドは、必死に説得を続ける。
「ミナト様! お願いです! このアルフレッド、あなたの盾となり、剣となり……!」
「盾とか剣とか、そういう物理的な話じゃないのよ。マネジメントの話をしてるの! あんたが盾になっても、私のデスクに積まれる書類の山は防げないでしょ? ……あー、もう、本当に若いってのは暑苦しくて敵わないわ。見てるだけでこっちの血圧が上がるわよ」
ミナトは、大きな欠伸をしながら、ついに立ち上がった。
だが、それは王都へ向かうためではない。
これ以上、自分の「極楽」を汚すノイズを排除するための、生活最適化の「最終防衛策」を講じるためだ。
「……分かったわ。そこまで言うなら、条件がある。……私が王都に戻るための、絶対に譲れない契約条件よ。……あ、ガンツさん、記録取って。これ、後の裁判で証拠にするから」
おっさん女子、サトウ・ミナト。
彼女の「徹底的なだるさ」と、それを維持するための「圧倒的な交渉力」。
王都の使者たちを相手に、彼女の史上最大の「労働条件交渉」が、辺境の夕暮れの中で始まった。




