不幸の終わりと、始まりのチート
意識がゆっくりと覚醒する。しかし、目を開けても閉じても、そこにあるのは絶対的な「無」。音も、光も、温度すら感じられない。ただ、自分がかろうじて存在しているという感覚だけが、この虚無の中で唯一の確かさだった。
(……どこだ? 生きているのか? いや、この感覚は……)
理解が追いつく前に、声が響いた。性別も年齢も感情すらも読み取れない、平坦で、それでいて空間全体から響くような声。
『貴方は、その短い生涯を終えました』
やはり、死んだのか。妙な納得感があった。いつかはこうなると思っていた。いや、もっと早くこうなってもおかしくなかったのだから。
『貴方の人生は……あまりにも過酷なものでした。これは、私たちのシステムの重大な欠陥、前任者の犯した取り返しのつかない過ちによるものです。その結果、貴方には本来ありえないレベルの不幸が、生涯にわたって降り注ぎ続けることになりました』
その言葉は、俺の心の奥底にしまい込んでいた、どす黒い澱のような記憶を呼び覚ました。
過酷、という言葉ですら生ぬるい。俺の人生は、呪われているとしか思えなかった。
生まれた時から病弱だった。入退院を繰り返し、満足に学校にも行けず、同級生の輪に入れるはずもなかった。たまに登校すれば、その日に限って学級閉鎖になったり、不審者騒ぎが起きたり。
数少ない友人ができても、俺といると必ずその友人にまで不幸が降りかかった。事故に遭う、濡れ衣を着せられる、家族が病気になる。結果、誰も俺に近寄らなくなった。「疫病神」と陰で呼ばれているのは知っていた。
両親は……俺が原因不明の不幸を呼び込み続けることに疲れ果て、心を病み、俺が中学生の頃に些細な事故であっけなく二人とも逝ってしまった。それすら、俺の不幸が引き起こしたのではないかと、親戚からは疎まれた。
必死にアルバイトを探しても、行く先々で店が潰れる、強盗が入る、俺が濡れ衣を着せられてクビになる。まともな収入など得られるはずもなく、常に飢えと隣り合わせだった。
住んでいた安アパートは火事で全焼した。原因は隣人の火の不始末だったが、なぜか俺の部屋の被害が最も大きく、なけなしの家財も全て失った。
良かれと思ってした人助けは、ことごとく悪意に解釈された。迷子の子供を保護すれば誘拐犯と間違われ、お年寄りの荷物を持てばひったくりと疑われた。
最後の記憶は……もう、何度目か分からない職を失い、雨の中をとぼとぼと歩いていた時だ。目の前で女性が大事そうな書類の束を落とした。拾ってあげようと駆け寄った。ただ、それだけだったのに。
「なにするのよ!」
ヒステリックな悲鳴と共に、俺は近くにいた屈強な男に「卑劣な痴漢め!」と殴り飛ばされた。受け身も取れず、アスファルトに叩きつけられ、雨で濡れた車道まで転がる。朦朧とする意識の中、クラクションの音と、世界を覆い尽くすようなヘッドライトの光を見たのが……最期。
(……はは。どこまでも救いのない人生だったな。これなら、異世界転生でもした方がマシってもんだ……って、本当にそんな展開かよ)
自嘲的な笑みが浮かぶ。あまりにも惨めで、あまりにもテンプレート。だが、それが俺の現実だった。
俺は意識を集中させ、声に問いかける。
(その…「過ち」っていうのは、具体的に何なんだ?)
『……我々はかつて、世界の負の感情や事象――すなわち「不幸」を限定的に収集し、管理するシステム空間を構築しました。
それは世界の平穏を保つための一つの試みでしたが、その設計段階で致命的な欠陥が生じました。
本来、完全に隔離されるべきその空間が、貴方の魂の根源と、偶発的かつ強固にリンクしてしまったのです。
我々はそのリンクを発見しましたが、解除する術を見つけられませんでした。結果、貴方はそのシステムが存在する限り、世界中の不幸を一身に引き受け続ける運命となったのです』
(……生まれた時から、世界中の不幸の掃き溜めと繋がってた、ってことか)
道理で。どんなに努力しても、どんなに善良に生きようとしても、全てが無に帰し、悪意に転化するわけだ。個人の不運なんてレベルじゃない。システム的なバグに人生を喰い潰されていたのか。
『貴方のこれまでの人生は、全て我々の責任です。貴方には何の罪もありません。この償いとして……貴方に新たな生を与える機会を設けました。全く新しい世界で、今度こそ、貴方自身の人生を生きていただきたい。転生にあたり、いくつか貴方の望む力を与えましょう』
(……やっぱりそういう流れか。だが……断る理由はないな)
この地獄のような人生からの解放。そして、やり直しのチャンス。
(転生する世界は、どんな場所なんだ?)
『剣と魔法が存在し、多様な種族が息づく、いわゆるファンタジーの世界です。貴方が夢想したかもしれない、そんな世界だと思ってください』
ファンタジー。孤独な病室や、雨漏りのするアパートの一室で、どれだけそういう世界に憧れたことか。
(その世界で……俺に課せられる使命みたいなものは?)
『一切ありません。繰り返しますが、これは我々の贖罪です。貴方は、我々の過ちによって奪われた人生の代償として、完全な自由を得るべきです。好きなように生きてください。英雄になるもよし、ただ平穏に暮らすもよし。全ては貴方次第です』
自由……。その言葉の重みが、以前とは比べ物にならないほど響く。
(それで、願いはどのくらい叶うんだ?)
『世界の根幹を揺るがすような強大な力は与えられません。しかし、貴方の新たな人生の助けとなる範囲であれば、私の権能でいくつか叶えましょう』
俺は、これまでの人生で渇望し続けたものを考えた。
(まず……何よりも、健康で頑丈な体が欲しい。どんな病にも、どんな怪我にも、どんな苦痛にも耐えられる……絶対に壊れない体が)
もう二度と、痛みや衰弱で何もできない絶望を味わいたくない。
俺の意識体が、淡い光を放つ。
『承知しました。強靭な生命力を与えましょう。他には?』
(記憶は……消さないでくれ。この地獄のような人生を、そしてこのチャンスをもらえたことを、絶対に忘れたくない)
この記憶こそが、俺の原動力になるはずだ。
再び、体が光る。
『分かりました。記憶は保持されます。他には?』
(俺は……あまりにも裏切られ、打ちのめされ続けてきた。だから、心が折れやすい。どんな逆境に立たされても、決して希望を捨てない……決して諦めない、「不屈の精神」を)
どれだけ強い体や能力があっても、心が死んでしまえば意味がない。
三度目の光。魂に何かが刻まれるような感覚があった。
『貴方の魂に、揺るぎない意志の力を刻みました。他には?』
(それから……自分の状況を客観的に把握したい。ラノベとかでよくある、ステータス画面みたいなやつは出せるか? 他の人には見えなくていい)
常に状況が悪化し続けた人生だった。せめて、自分の状態くらいは正確に知りたい。
四度目の光。
『貴方だけが認識できる情報インターフェースですね。可能です。では……次が最後の願いとなります』
最後のひとつ。この過酷すぎた人生への、最大限の反逆。そして、新しい世界で生き抜くための、絶対的な力。
(最後は……全てのステータスを、初期値から最高ランク……ALL-Sにしてくれ!)
これまでの人生で奪われ続けた全てを取り返すように、俺は願った。
声は少しの間を置いて、しかしはっきりと答えた。
『……分かりました。貴方の新たな門出への祝福と、我々の贖罪の意を込めて。全ての初期能力値を最高ランク、Sとしましょう』
全身が、これまでで最も強い光に包まれる。
『願いは聞き届けました。さあ、行きなさい。貴方の新たな人生が、今度こそ幸多きものであることを、心から願っています』
声が遠ざかり、意識が真っ白な光の中に溶けていく。地獄のような過去との決別。そして、与えられた無限の可能性への扉が開く。俺は、ただその光に身を委ねた。




