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世界を滅ぼすラスボス予定だった悪役令嬢の光堕ち

作者: 左右

 最初に知覚したのはギラリと光るナイフ。そして幼い子供の悲痛な声。


「もう、死んでしまうしか……!」

『ま、待てー!!』


 訳も変わらないまま腹の底から出した声は聞こえず、伸ばしたはずの手も視界のどこにも映らない。混乱する俺の耳に、俺以上に混乱した声が届く。


「え、どなた……?」


 先ほどと同じ少女の声は、間違いでなければ『俺』の口から発せられていた。そして視界に見えるナイフを持つのはあまりにも小さな手。一瞬で色々とすっ飛ばして確信する。


ーー『俺』は今、『彼女』の中にいるんだ。


 年端も行かない幼い子供が心の底から死を願い、そして死のうとした。その場面を俺は彼女の内側から見ている。

 訳がわからない。さっきからずっとそうだけど。

 ただ一つ分かるのは、彼女は本気だと言うこと。こんな子供が本気で死のうとした。ここで間違えば彼女は望みを遂げるだろう。それだけ。


 人生の中でも未だかつてない勢いで回転した頭は、彼女の問いに答えを用意する。


『わ、私は……天使!』


 ……うん。ポンコツの脳みそはフル回転しても所詮ポンコツだった。




「天使さま?」


 鈴を転がすような少女の声を聞きながら、俺は必死で思考を振り絞る。視界の中から少しでも情報を集めようとする。


 視界に映るのはザ・洋室。座っているのは天蓋付きのベッド。開け放たれたカーテンから差し込む月の光だけが辺りを照らしていた。


 見える調度品の全てが高そう。ドアすら彫り物がすごい。絶対に金持ちの家。

 かなり前に観光で訪れた異人館に似ている気がするが、記憶の中の館と比べて現役感がすごい。ここで日常を送っているという空気がある。

 少なくとも普通の日本人の家ではあり得ない。ましてや俺の1Kのアパートとは比べるまでもない。


 手にしたナイフも取っ手にも装飾がされており、高級感がすごい。これ絶対実用するためのものじゃないでしょ。まぁ、それを使えるかどうかを確かめる気は一ミリも無いわけですが。


 そして、そのナイフを持つ小さな手。ふっくらとした手は、逆剥けのさの字もないつやっつや。直感的に幼い子供の手だと思う。小さいけれど細長くツヤツヤした爪が指先に行儀良く並んでいる。

 俺は丸爪だったから、記憶は無いけど幼少期に戻っちゃった⭐︎などという可能性マイナスの説は否定されてしまった。そりゃそうだよなぁ。


 彼女が着ている衣装はネグリジェってやつ? なんかひらひらふわふわした寝間着っぽい。肌触りがよく、これも高そう。


 視界に映っている長い髪は染めたのかと思うくらいに赤く、クルクルとカールしている。お嬢様っぽい。

 そんなこんなで、目に入る全てのものが高級品オーラを纏いすぎている。


 結論:多分この子は御貴族様の娘さんだ。


 御貴族様ってなんだよって自分でも思うけど、妙にすんなり腑に落ちる。少なくとも俺とは住む世界の違う存在ではありそうだ。


 そこまでを前提として彼女の「天使さま?」という問いかけへの答えを出そうとする。

 この間、0.5秒のことだ。平凡な俺にしてはかなり頑張ってる。


『えぇ、私は貴方の守護天使です』


 とっさに口走った言葉をなんとかフォローするように言葉を続ける。


「守護天使?」


 聞きなじみがないという声で少女が呟く。視界が揺れる。首をかしげたらしい。声の主を探すように視界がキョロキョロと動く。


 守護天使知らないとかマジか、なんとなく天使とかその辺の概念ありそうなのに、という俺の中の偏見が露呈する。まぁ、詳しかったらボロが出て首が閉まるのは一般的日本人レベルにしか天使のことを知らない俺なのだが。


『貴方を見守ることを役目としているものです』


 多分そういう解釈で合っていたよな? と不安になりつつ、外面だけは取り繕おうと余裕を持った態度で答える。出来ているかどうかは知らん。やらないよりマシだと思いたい。


「わたくしを、見守る……?」


 視界がみるみるうちに歪み、頬に熱いものが伝う。泣かせちゃった、と俺は内心で狼狽する。どうしよう! 小さい子供と接したことなんてほとんどない! 助けて! 歌のお兄さん、お姉さん!

 しかし、俺の狼狽などどうでもいい。泣いてしまったことを謝罪して必死に泣き止もうとする少女の姿に俺は胸が潰されそうになる。ごめんなさい、と言いながら泣くのを堪えようとする子供に対して大人が言えることなんてそう多くはない。そう、俺は大人。そのはず。少なくともこの子よりはよほど歳だけは食っているはず!


『泣いて良い。落ち着くまで待つから。子供は泣くのが仕事です』

「で、でも」

『いいの! 天使が許します!』


 自分で言い出した設定でゴリ押して、少女を好きなだけ泣かせつつ、落ち着くのを待った。


 それから心の中に子供番組の司会をするお兄さんお姉さんをインストールして、言動をなぞるように、殊更に柔らかい声になるように意識しながら口を開く。まぁ、物理的な口はないんですけどね! ……このブラックジョーク、普通にちょっと凹むな。


『何があったのか、お話できますか?』

「え、えっと」

『何が悲しい、つらいって思ったのか、胸がぎゅーってなったのは何でなのか、言葉に出来ますか?』


 口にしてから、これってずっと見守っていた天使らしくないのでは? と思いだし、慌てて言葉を続ける。


『あ、私は守護天使なんで全然ずっと見守っていて知ってますけど、ね! ほら、言葉にするって自分の気持ちを整理するのに大事ですからね。貴方の言葉で知りたいなって』


 あぁ、口に出せば出すほどボロが出る気がする。話を本題に戻そう。


『じゃあ、最初に答えやすい質問から。……お名前は?』

「……ヒール・ブラックハットです」

『ありがとうございます。ブラックハットさんは何歳ですか?』

「十歳です」

『お誕生日は?』

「花月の六日です」

『……ふふふ。なるほど~。春生まれさんなんですね?』

「あ、はい。バラの美しく咲いた朝に生まれたと聞きました」


 鎌をかけてみると肯定されたが、言語は通じているはずなのに知らない月の名前が出てきたことで、一気に知らない世界にいる説が補強されてしまい、思わず笑ってしまう。

 さぁて、おかしなコトになってきた。いや、始まりからして大分おかしなコトにはなっているんだが。


『バラはお好きですか?』

「はい、好きです」

『なるほど。では、苦手なものは?』

「……」


 良い感じに続いていたと思っていた会話のキャッチボールが途切れる。少女はうつむいて押し黙る。


『あー、では、得意なこと……』

「……」


 沈黙が痛い! なるほど? 能力的なお話が地雷っぽいぞ、これ。


『ん、ん~。では、ブラックハットさんは、スキップは出来ますか?』

「え、スキップ、ですか? えぇと、はい。出来ます」

『わぁ、すごいですね。私は出来ません。いつも足を離すタイミングが合わなくてただ足を高く上げながら小さいジャンプを繰り返すことになります』

「え、天使様なのに?」

『……天使だから! 普段飛んでいるので足回りが不得手なんですよ!』


 すごい、さっきから俺の口からは出まかせしか出てこない。スキップができないのは本当だけれど。普段の移動方法? 徒歩ですけど?? なにか??


「そうなんですね……」

『えぇ、そうです。では、スキップが出来るブラックハットさんは口笛を吹けますか?』

「……はしたないですが、出来ます」

『いいですね! 誰もいないところで口笛吹きながらお散歩するの楽しいですよね!』


 これは俺もできる。好きな曲名を言ったら伝わらなそうだけど。文化的な違いが凄まじそうだ。


「……はい、楽しいです」

『夕飯で出てきたら嬉しいメニューは?』

「ミートパイです」

『あー、いいですねぇ。飲み物は何が良いです?』

「…オレンジジュースが、好きです」

『美味しいですねぇ。じゃあ、デザートも付けちゃいましょう。何がいいかな』

「……ベリーの入ったゼリーが食べたいです。料理長が作った赤色の綺麗なゼリー」

『素敵なメニューですね。すっかり食べたくなってしまいました。……お腹すいてきた?』

「……少しだけ」

『それはいいことを聞きました』


 自分でも何をしているんだろうかと思いつつ、冷静になったら負けだと無理矢理に無い頭を絞って問答を繰り返す。本来ならばもっと彼女自身に話をさせたほうがいいのだろうが、俺の話術で間を持たせられる自信がない。


 しかし、お腹がすいた、というのは一つの関門を超えた気がする。ナイフを握る彼女の手から力が抜けていた。


 後は、もう少し踏み込むか、と俺は心の中だけで深呼吸をする。


『じゃあ、そのメニューを誰と食べたいですか? 理想でいいです。誰と、美味しいものを食べたい?』

「……リド様と、食べたいです……」


 か細い声がそう返して、また視界が潤む。あぁ、とうとう本丸にたどり着いたらしいぞと思うと同時に、横文字だらけで覚えられるだろうか、と一抹の不安がよぎった。


 昔から本読んでいても登場人物の名前覚えられねぇんだよな。大体頭の一文字だけで認識するから二文字目まで同じキャラが複数出たり文字数が同じキャラが沢山いるとごっちゃになる。まぁ、今は音で聞いているから大丈夫だと思いたい。


 雑念を振り払い、少女に向き直る。


『リド様について、ご紹介できる?』

「リド様は、リード殿下は我が国の第一王子で、とても優秀で聡明でお優しい次代の王となる方。……わたくしにはもったいないお方です」


 涙ながらの説明に、おおよそを察する。流石に俺も大人なので、子供の抱いた恋心ぐらいは分かりますし、この言い方は……。


『うん、貴方の婚約者で、思い人だね』


 カマかけてみたら、少女は泣きながらこくんと頷いた。

 大当たり。だが、景品はなさそうだ。少女の涙は嬉し涙以外、流させたものの恥でしかない。


 俺はいよいよこれは俺の知る世界の出来事ではなさそうだぞ、と思いつつ彼女に水を向け、色々と話を聞きだすことに成功した。



 彼女、ヒール・ブラックハットはこの国、ウォーナン王国の有力貴族の娘だ。

 そしてこの国の第一王子の婚約者であり、王妃候補。そのため、幼いころから厳しい教育がなされてきた。

 第一王子のことは初めて顔合わせをした時にひとめぼれしてから一途にお慕い申し上げ、その隣に立つためにと血のにじむ努力をしてきたが、王妃教育の担当者から彼にふさわしいレベルに達していないと断じられて絶望した、というのが概要らしい。



 まず、どこやねん、ウォーナン、というのが最初の感想。聞いたことのない国名と、良くも悪くもナーロッパ的な世界観に、俺はここが地球でない説がほぼ確定するのを感じた。なんか作り物くさい世界観だなぁとすら思う。

 魔法の勉強も頑張っているけど向上しないのだという話が出てきた時は申し訳ないがテンション上がった。魔法って言葉は強すぎる。同時に違和感は増したけれど。

 ただ、ここがどこであれ、目の前の少女が本気で思い悩んで命まで絶とうとしたというのは紛れもない事実だ。


『ブラックハットさん、あなたは自分が不甲斐ないことが悲しいんですか?』

「……わたくしは、彼の方にふさわしくないと言われることが、苦しくて、頑張らなきゃって思うのに、もう……」


 はらはらと彼女は涙を流した。頑張れない、と言えない少女は嗚咽を漏らす。

 俺は何と返すべきか悩みに悩んで、深呼吸してから答える。


『うん、なるほど。……ブラックハットさん、今日は寝ましょう!』

「え?」

『考え事は夜するものじゃありません。特に大事なことは。夜にたっぷり寝て、朝日を浴びてから考えるものです。だから一旦ナイフをしまって、寝ましょう!』

「……」

『そして、朝起きたら苦しいことを誰にも見せないノートに書き出しましょう。具体的に、細かく。それから、その細切れにした苦しみを解消する方法を考えましょう、一緒に。大丈夫。だって、貴方はあんなにちゃんと感情を言葉にできた。私にしっかり説明できました。簡単なことじゃないんです。それが出来た、頑張り屋な貴方ですから、一緒に考えることができます』


 務めて明るい声で言うと、彼女はやっとナイフから手を離した。


「……本当に、そうでしょうか……?」


 弱々しい声は、縋るような響きを持っていた。励ましてほしいと彼女はこちらに手を伸ばした。もう大丈夫だと思う。彼女は救われたい側の人間だ。

 俺は伝わらないと分かりつつ笑顔になって大きく頷く気持ちで答える。


『えぇ、天使が言うんですから、本当です!』


 大人になるってことは嘘が平気でつけるようになるってことかもしれないけど、今だけは悪くない気がした。

 まずは一日、彼女は明日を選んでくれた。俺は心の底からほっとした。





 視界が明るくなり、天蓋が見えた。

 俺は今日も彼女の中にいた。

 彼女が感じている感覚は分かるものの、俺の意思で動かすことは一切出来ない。ただ見ているだけ。

 まぁ、いきなり十歳の少女の体を動かせるようになりました、なんて言われても困るし、勝手に体が動くなんて彼女からしたら怖すぎるだろうからそれはいいのだが。


 闇の中、眠っているのかいないのかも分からない暗闇の中をただ漂っていた。

 暇つぶしに自分自身のことについて思い出そうとしても曖昧で、何より名前が思い出せない。友達の顔とか名前は思い出せるし、住んでいたアパートも思い出せるのに。仕事は小さな書店の店長だった気がする。本のことはたくさん覚えていて、過去に読んだ本を縋るように思い出していた。また俺は本に救われた。


 目が覚めた少女はあたりを見回し、本当に小さな声で呟く。


「……天使さま?」

『呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん!』


 思いっきり元気な声で言ってみたら、完全に滑ったなと分かる。沈黙がつらい。

 しかし、少女は俺の空気の読めない言動に引いたわけではなかったらしい。


「天使さま……! 夢では、無かったのですね……!」


 感極まった声音の少女は、昨日より幾分精神的に落ち着いているように見える。少なくとも衝動的にナイフを取りには行かなそうだ。

 そして、夢じゃなかった、と思ったのは正直俺も同じだ。

 朝起きたら元のアパートの薄布団の中ってのを期待していなかったと言えば嘘になる。

 それでも俺は大人なので、子供の前では見栄を張る。


『えぇ、昨日も言ったでしょう? 私は貴方をずっと見守っている、と』


 せめて天使っぽい感じで返そうと自分なりの美声を出して応じると、また彼女が泣いた。気持ち悪かったかな。ごめんね。


 泣き止むのを待ってから、机に移動する。

 昨夜言っていた通り、計画を練るためだ。


「あの、天使さまは、どちらにいらっしゃるのですか?」


 きょろきょろしながら少女は尋ねる。


「もし、可能であれば、お姿を現していただけないでしょうか……?」


 机の上に置いてある手鏡に少し期待に満ちた少女の顔が映っている。

 日の光の下で見る少女の顔は西洋人めいたほりの深さ。釣りがちな真っ赤な瞳と同じように真っ赤な髪は縦ロールといわれるような特徴的な髪型になっていて、とても目を引く姿をしている。何だかとっても火属性の魔法が使えそうだなと思う。


『天界にいます。そこから貴方を見守り、こうして声を届けているのです。近くにいるというわけではありません』


 彼女の質問についてはそれっぽい感じで答えておく。流石に貴方の中に居ます、は一発アウトすぎる気がする。でも、言わないというのはそれはそれでダメじゃね? とも思う。だから間を取ることにする。


『なお、天界からは距離がありますから、貴方の視界を通して世界を見ています。あ、プライベートな時には目と耳を閉じますから、安心してください。それ以外にも聞かれたくないことがあれば耳をふさぎますからね。言ってください』


 口にしているうちに、あれ、これ本当に大丈夫か? と不安が強くなる。とはいえ、俺も好きで入っているわけではないので出て行けと言われても困ってしまう。逆に彼女側から俺をどうこうすることってできるのかな。魔法のある世界だし。


「かしこまりました」


 しかし俺の不安をよそに彼女的には許容範囲だったらしい。少し寂しそうだがしっかりと頷いた。

 マジかよ。懐深すぎる。これが貴族ってやつ?


 まっさらなノートを開き、少女がペンを取る。


「天使さま、昨夜のお話ですと、苦しみを書き出せ、とのことでしたが」

『あー、そうですね。例えば、苦手な先生がいるとして、その先生のどこが苦手なのかを書いていきましょうか。大きな声を出されるのが苦手とか、一回間違ったらねちねち言ってくるとか、他の人と比べられるとか、褒めてくれないとか』

「……」


 少女は無言でノートに書き出していく。

 全部合ってんのかい! というツッコミは流石に不謹慎だなと飲み込む。

 明らかに日本語ではない文字だが、不思議と意味は分かる。彼女の中にいるからだろうなと思う。

 言語オタク兼翻訳家の友人がここにいればこの国の言語体系を明らかにしようと嬉々として勉強するんだろうなと思うが、俺には知見がない。

 そもそもこうして言葉が通じているのも謎なわけで、深く考えることをやめる。便利だ〜。心の中だけでなむなむ拝んでおく。あれ、南無三って仏教か。

 天使を名乗っておきながら、魂に染みついた日本人は捨てられそうもなかった。


 少女が書き出した苦しさを見るに、まぁ普通にパワハラの温床すぎるだろう、という感想になる。端的に言えばいびられている。小姑ってレベルじゃない。姑レベル70くらいある。

 それを十歳の少女が受け止められる訳もなく、しんどかったろうなぁと思う。


『よし、では、一つずつ考えていきましょう。まず、相手の声が大きい。……ふぅん、もう少し声を小さくお願いしますとか言ったら逆ギレするんだろうなぁ、そういう人って。……耳栓持ってく?』


 ポンコツ過ぎてそのくらいしか思いつかない。

 言われてるのが俺だったら、あんたと違って歳じゃねぇんだからそんなに大声出さなくても聞こえるわ、ボケェ的なことをオブラートに半包みにして言っちゃうんだけど、この子にそれは言わせられないしなぁ。

 だめだな、振り返っても俺はかなり直情型の猪武者だから貴族らしいやり方とか全く分からん。殴られたら殴り返す性格だったが、この子にそれをさせるわけにもいかない。


『まぁ、耳栓は冗談にしても、逆にこっちも大きな声出してみるとかですかね? 謝罪の声量を叱責の声量に合わせる。淑女なのにって言われたら、至らないから先生の真似してるんだって返せば声量下げてくれないかなぁ』

「……よろしいのでしょうか?」


 少女は不安げな顔をする。


『あ、大きい声出したことないか。淑女だものね』


 うーん、大きな声の出し方とか考えたことなかったな。腹から声出すくらいなのかな。


「あ、いえ。そちらではなく……。指導いただいている身でありながら、えっと……」


 ものすごく言葉を選んでいるな、これ。ごめんね、俺が気の使えないやつで。


『私は貴方の守護天使ですから。他の有象無象より貴方の心の方が大事ですし、貴方を大切にしてくれない人は好きになれません。好きになれない人にはそれなりの対応になって当然かと』


 仕方ない。人間だもの。あ、天使、天使ですけどね。

 俺の言葉に鏡の中の少女は目を丸くした。


「……わたくしの方が、大事……」

『そりゃそうでしょう。私にとっては貴方は世界で一番大切な子ですよ』


 何しろ本当の意味で世界の窓だ。そんな理由で大切にされてもきっと困ってしまうだろうけれど、俺としても困った状態なので。その中でこの子を本当に気にかけているのも嘘ではない。

 だってこんなに頑張り屋なんだもの。幸せになってほしいじゃない。


「本当に、良いのでしょうか。わたくしはただの小娘にすぎませんのに」

『良いんですよ。私には人間の作った序列など意味はありません。それに、良いことを教えてあげます』

「なんでしょう」

『貴方は絶対に大丈夫です。私が保証します」


 何の保証もないんだけど、こういう時はハッタリも大事だ。君は大丈夫。大丈夫にする、俺が。それは祈りだけど、自分自身に対する誓いでもある。

 俺がキッパリと言えば、彼女はしばらく俯いて黙りこくっていたが、小さく頷いて再びペンを取った。


 俺たちは作戦会議をして、一日を始めた。


 彼女の悩みの種であった小姑は本人の申告以上にヤバくて俺は思わず代わってやりたくなったが、小姑のセリフに、聞こえないのを良いことに俺が逐一言い返していたら、こっそり彼女が笑っていた。

 終わってから、天使さまのおかげで苦しくありませんでしたと言われて複雑な気持ちになった。役に立てたなら良かったけど。


 そして俺は彼女の中で世界を見ていて、約束通り彼女と一緒に考えた。

 彼女が一番大事にしたいことは何か、避けられる苦しみはないのか、負荷の減らし方。


 俺がもっと大人で賢ければより良い方法を思いついたかもしれないが、ないものねだりをしても仕方がない。俺に出来る限り頭を絞って話し合った。





 それから時は経ち、少女は十六歳になった。


 少女は変わらずに王子の隣に立てている。それだけで十分かもしれない。『微笑みの君』という二つ名で呼ばれることもあるらしい。周りからの評価も高い。


 ただ一つ問題があるとすれば、俺も変わらずに彼女のそばにいてしまっているということだろう。

 この六年間で俺はすっかり彼女の保護者気分だ。モンペと言ってもいい。

 王子であろうとも彼女を泣かすようなことをすれば猛然と抗議する。なお、俺の声は彼女にしか聞こえない。何とも力不足だが、彼女はそれでいいと言ってくれる。味方がいると思えば耐えられることもある、と。彼女がいつも微笑を湛えているのは、俺のお話が面白いからとも言ってくれて、奇しくも二つ名に貢献していたらしい。

 そして俺は単純で調子に乗りやすいので彼女が喜んでくれるなら、とない腕を腕まくりして無い舌を回しまくるわけだ。最近の流行りはスポーツ実況風だね。その前にやった歌舞伎風はそもそもの元ネタが分からないのでウケが悪かった。



 そして今日も俺は彼女のそばにいる。


「殿下」

「やぁ、ヒール。今日も美しいね」

『そんな朝日が東から登るレベルのことを言っても何にもならんぞ』


 彼女は微笑む。それは王子に会えて嬉しかったからなのか、それとも俺の言葉のせいなのかは分からない。誰よりもそばにいても他人の心は謎に包まれている。

 けれど、あの夜から彼女の手が物騒なものを握ることも、一人で泣く夜も無くなった。それだけは事実だ。


 何がどうなったのかは全く分からないが、きっと俺は彼女のために生まれたのかもしれないな、と最近は思いつつある。なんか俺が昔居た世の中には、イマジナリーフレンドとか解離性同一性障害とかあったはずだし。その人格が異世界の知識があるとか思っちゃってるだけなのかも。

 このまま彼女が老いて死ぬまで側に居続けるのか、どこかでふっと消えちゃうのかも。まぁ、彼女が幸せならそれでいいかと思うようになったのは自分で作り出した彼女の守護天使という役割に飲まれてしまったのかもしれない。

 そもそも肉体がないと自分自身に対する執着とかも薄れちゃうんだよなぁ。


 そう呑気に思っていた俺は、ある日、王子がこっそりと耳打ちして来た言葉に凍りつくことになった。



「ニホンという国を知っているか?」

「……わたくしを試していらっしゃるのかしら? 寡聞にして存じ上げませんわ」


 彼女は鉄壁の笑みを浮かべたまま首を振る。そう、彼女は知らない。彼女にとって俺は守護天使だから、俺が住んでいたはずの世界のことなど語ったことはなかった。

 そのことを少し後悔した自分がいたことを、即座に恥じた。


「……そうか。君なら、もしかして、と思ったのだが」


 王子は困ったように笑う。


「……気味の悪い話だと思わないでくれよ。先日から、頭の中で奇妙な声がするのだ。自分をニホンという国から来たという、な」


 彼女は一瞬息を止め、彼の手を取る。


「主治医にはお伝えなさいましたか?」

「……いや、まだだ。……王族としての資質を疑われてしまうのではないかと、不安でな」

「大事があってはなりません。お疲れなのです。ゆっくりとおやすみになって」

「……そうだな。うん、君ならそう言ってくれると思った。……あぁ、頭の中の声がうるさい。……声が言うのだ、君は悪役令嬢なのだと」

「悪役……?」


 彼女は怪訝そうな顔をする。俺も同じ気持ちだ。なんだそれ。

 王子はアンニュイな表情で首を横に振る。


「私にも分からない。だが、きっとこれは私自身の心の弱さが原因なのだろう」

「そんな……」

「延々と君を賛美する言葉が浮かぶのだ。きっとこれは君に直接伝えられていないからだろうね。もう遠慮などせずに伝えていくことにするよ」


 王子が彼女の手を取った。

 あれ、なんか流れ変わったな。


「愛しいヒール。君が直向きに努力を続けている姿を誰よりも側で見て来た。僕は君を尊敬し、君に相応しい王になりたいと思っている。どうか、これからも側にいてほしい」

「まぁ、リド様」


 王子の目の中の彼女は花のような笑みを浮かべている。


「はい、喜んで」


 彼女は王子の手を握り返し、二人は幸せそうな笑みを交わした。



 城を辞した後、揺れる馬車の中で彼女は呟く。


「わたくし、殿下に伝えそびれましたわ」

『あぁ、声のこと?』


 確かに似たような状況ではあるな。あっちも変なことになっていないといいんだけど。


「いいえ。わたくしを誰よりも側で見守ってくれた方は別にいるということです」


 ガラスに映った彼女は胸元を押さえて微笑む。


「天使さま、あなたです」


 あ、やっぱり俺この子のために生まれたのかもな、と思った。


「ところで、天使さま。ニホンという国名は天使さまが度々口を滑らせておいででしたが、そろそろきちんとお話いただいてもよろしいですか?」


 にっこりと浮かべた笑顔はとても綺麗なのに何故だかすごく怖かった。

 あ、また流れ変わった。



 それから、俺は天界に日本という国があるのだと言い訳をしたが、彼女の巧みな誘導尋問により俺は元々ただの人間だったことを白状させられてしまった。

 無理だって! この子もう一国を背負う人材なんだから、やろうと思えば平凡な俺なんて手のひらの上で一生ピンボールだからね!?

 裏を返せば彼女はこれまでずっとそれをしないでくれていたということでもある。

 ボロはずっと前から出ていた。聡明な彼女が気が付かないはずがない。だけどずっと目を逸らして来た。それは多分、まだ怖かったから。天使という保険を残しておきたかったのだろう。

 それが、今日のこの追求だ。……吹っ切れたんだろうなぁ、王子の愛を確認したから。


 俺の話を聞き、情報を整理した後で彼女は頷く。


「分かりました」


 俺と話す時、彼女は鏡の前に座るのが習慣となった。真っ直ぐな視線が鏡越しに俺に向けられている気がした。


「天使さまはわたくしが必ず救います。きっと元の世界に帰れますわ」


 微笑む少女はもうすっかり大人っぽくなったけれど、あの日泣いていた子供の面影が重なって声が詰まった。


『俺、君に何にもしてあげれてないのに』


 俺は天使なんかじゃない。王子でも魔法使いでもない。この子はずっと自分で頑張って来たのだ。


「そんなことはありません。ずっと側にいてくれました」

『それだけだよ』

「ずっとわたくしの味方でいてくださいました」

『だって俺は君の体から出られないから』

「わたくしの魂が消えればこの体を使えるとは思われなかったのですか? あるいは、本来はあの時わたくしが自死をした後に貴方がこの肉体を使うはずであった、とは?」

『……考えもしなかった』

「天使さまらしいです」


 彼女は微笑んだ。

 本当に全く思いつかなかった。俺の話を聞いて真っ先にその発想に至る彼女のことがちょっと心配だ。王宮に毒されて来てないだろうか。


「でも、だからこそわたくしは貴方を救います。ヒール・ブラックハットの名において。……親孝行させてくださいな」

『うちの子、本当に天使……!!』

「天使さまこそ天使ですわ」


 花のような笑顔で彼女は胸を手に当てて告げる。

 俺は体があれば顔を手で覆って咽び泣いていただろうと思う。親バカにもなるでしょこれは!


「では、まずは殿下からもお話を聞きませんと」

『確かに。どうやって聞き出そうか』

「お任せください、天使さま」


「大丈夫。わたくしが保証します」


 少女はどこか嬉しそうに誇らしそうにその言葉を口にした。

 いつしか俺たちの合言葉になったフレーズ。そう言ったらいつだって本当に何とかなった。

 まぁほとんど彼女の素のスペックのおかげなんだけど、彼女はいつも俺のおかげだと言ってくれた。その言葉が俺に返ってきて、俺はすとんと腑に落ちた。


『うん、そうだね。大丈夫だ。だって君に任せるんだもの』


 俺の言葉に少女は晴れやかな顔で返事をした。その顔を見たら、きっと大丈夫だなと本当に思うのだから、俺はやっぱり単純なのかもしれない。



 その後、王子の中にいる人がこの世界とよく似た物語を知っており、そこに登場するヒールの大ファンで彼女を絶対幸せにしたいと息巻いていたこと、その物語でヒールの不幸は王子の無関心がきっかけだったため、必死にヒールの良さを熱弁していたら、すでにヒール大好きな王子と意気投合、ヒールに会うたびに美辞麗句を並べまくるようになるのは流石に予想外だったが、ヒールは今日も笑っているのでまぁ良いか、と思っている。

 何とかなるだろう。だって俺の声を聞いてくれる人がここに居るのだから。





 そんな魂の様子を確認し、『天使』は一人頷く。

「うん、良い感じで傷は塞がってきてますね。うーん、僕、天才。二つ分の魂の修復作業を一回にまとめるなんて、これは発明では? 問題は組み合わせ次第によっては悪化することだけど、まぁ、悪くなりそうなら剥がして、また直せば良いもんね。色々試してみようかなぁ」

 自身の発明に満足げに笑っていた『天使』は、管理していた魂の一つがこちらを見ていたことには気づかなかった。

 ましてや、それから数年後、あり得ないことに下位世界の魂がこちらに手を伸ばして足首を掴み、「この方を元の世界に戻して、幸せにしていただけるかしら?」と目を爛々と輝かせて言うなどと想像だにしなかった。

 その後、その下位世界からの干渉についての論文を発表し、大いに話題を得たのは完全な蛇足だ。

設定

男:日本出身。大切な人が自殺し、自分の声が届かなかったことから心に傷を負う。直前に電話をして励ました矢先のことだったため、自分の言葉に価値は無いと思っていたが、声しか届けられない少女が少しずつ自信を持ってくれる姿に少しずつ傷が癒える。イレギュラーなこと(一つの体に二つの魂)が起きたので、その衝撃で自分自身の記憶が若干曖昧。幸か不幸かトラウマの大元の出来事すら忘れている。


ヒール・ブラックハット:世界線によっては世界を滅ぼすラスボスになる力を秘めた少女。闇堕ちのトリガーは王子への恋心の拗らせと誰も自分を見てくれないと言う孤独感。


リード(王子)の中にいる人が知ってた物語:ヒールの侍女の魂に入れられたが予後が悪く元の世界に戻された魂が体験を元に書いたもの。なお、予後の悪さとは、その世界線でヒールがラスボス化して世界を滅ぼしたこと。『天使』が面倒くさがりながら時間を巻き戻した。


『天使』:下位世界の魂の総数を管理するお仕事。魂に傷が付き過ぎると自壊するため新規生産しないといけないが、新規魂の生産数は決まっているので、必要数を確保するため一部の魂に対して修復作業をしている。世界ごと壊すされると魂の傷が増えて管理が面倒なので、ヒールの闇堕ちを回避させたかった。魂の傷を癒す労力削減のため他の魂と合体させることを思いつき、実験を繰り返す。

ヒールの事件以降、過度に干渉するとこっちに気付かれたりするからあんまり良くないねという風潮になったし、本人は仲間内で馬鹿にされたのでもう二度とやらないと決めた。

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