#5.兄との亀裂
※一部改変 2024 07 25
一階から吹きあがる微風が凛音の鼻を香ばしい焼き魚の匂いと共に撫でる。
静かな夜の帳の中で、食欲を促進する香りが漂う。木製のテーブルの上には、シンプルでありながら心温まる食事が整然と並べられている。
兄は既に食べ始めており、姉は凛音の姿を認識すると手招きをする。早歩きで残っている席に向かい食卓をより鮮明に眺める。本日のメニューは白ごはん、味噌汁、焼き魚、サラダというシンプルかつ健康的なものだ。
お米は、湯気を立てながら艶やかに輝いている。一粒一粒が丁寧に炊き上げられ、ふわりと立ち上がる蒸気が更に食欲を促進する。隣には味噌汁の碗が控えている。豆腐とわかめが浮かび、出汁の深い香りが鼻を擽る。湯気とともに立ち上がる味噌の香りは、心に落ち着きをもたらしてくれた。そして、皿の中央には、焼き魚が堂々とその姿を見せている。皮はこんがりと黄金色に焼き上がり、肉厚の身は箸を入れるとほろりと崩れる。その傍らに添えられた大根おろしと共に頬張れば自然と表情が崩れた。野菜は……嫌いじゃ。
「――――っ!!」
少し塩を振られたその味わいは、シンプルでありながら贅沢で、口の中に広がる豊かな旨味が箸を加速させる。姉はとても料理が上手い。表情こそ変えないものの、兄の箸もかなりの速度で進んでいた。そんな兄妹の姿は自然と姉の口角を下げていた。
食事を終えると洗い物の当番らしく姉に言われるがままに凛音は洗い物を始めた。二人は席に着き食事の余韻を嚙みしめながらスマホをいじっていた。
「その……お姉ちゃん?」
「何よ改まって」
スマホを弄っていた指を止め、不思議そうな顔をし、ワシの目線に顔を上げる。
柊と凛音は別の人物。いくら外見が同じだとしても小さな癖や言い回しで違和感を持たれてしまう。完全に隠すことは無理だ。ならばここで正直に話しどうにか姉に協力を仰ごうじゃないか。
――――――――できない。姉の表情や兄の言動が廻り『ワシは凛音ではない』という言葉が声にならなかった。居場所を失ってしまうことや少女の積み上げてきたもの全てを崩してしまうことへの不安が凛音の脳内を巡り言葉は偽りの皮を被ってしまった。
「私その、森で記憶無くなっちゃって、何が何だか分からなくなっちゃったんだよね」
空気が凍りついたのを感じた。兄の手もピクリと止まり、姉は目を見開きワシを見つめる。同時にこの引き戻れぬ状況で本当のことを伝えられない自分の弱さによって自責の念に駆られた。
すると姉の目から大粒の涙が落ちた。その粒を認識すると同時に優しい抱擁を受けた。状況を理解出来ず固まっていたが、綻ぶ姉の口から言葉が漏れる。
「私さ……なんだか凛音が別人のように感じちゃったんだよね。それで何かあったんじゃないかと……」
”別人”という言葉に心臓が止まりかけたが、その心中を察するとこの少女の魂がこの世に存在しないということを黙っているのはどうなのか。と心が苦しくなった。
しかし、双方に全く利益が無いため今は伝えなくても良いだろうと自分を正当化する言い訳が巡る。この思考に凛音は流されてしまった。
するとそれまで無反応だった兄が席を立ち無表情でワシの元に歩み寄る。流石に妹の状況を心配したかと思ったがその予想は大きく外れることになった。
「お前。母さんのことも忘れたのか? おい!」
姉から凛音を剥がし、胸ぐらを掴んだ。その顔は怒りと悲しみに支配されていた。
(両親がいないのかと思ったが、やはり何かあったようじゃな)
言い返そうとしたそのとき、兄の頬に強烈なビンタが飛ぶ。その攻撃の主は姉だ。
「もうその話はしないってゆったでしょ! それにあれは凛音のせいじゃないわ! みっともない! あなたが一番わかってる癖に……!!」
「っ!」
赤く染まった頬を撫で、兄は二階へと去っていった。その目には異様に潤っていた。
一体家族の間に何にがあったのでしょうか。近日判明予定です。
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