#16.魔族VS元剣聖
凛音の腹部に深く刺さったナイフからじんわりと血が流れ出し、その深紅の液体はゆっくりと地面へと流れ出る。並木道に吹き通る冷気が鉄のような臭いを凛音の鼻腔内へと運ぶ。
「お主は……」
「私はヴァネッサよ~。来世まで覚えておきなさい~」
(こやつが……!!)
「その反応。本当に剣聖様なのかしら?」
「……例の剣聖様は死んだはずじゃが、何故今もなお存在していると思っているのじゃ」
「ふふ、そうね。今のあなたの肉体に宿っていた少女は『涅槃様』にとってとっても重要な要素だったのよ?」
「涅槃?」
「あら、生前聞いたことがないかしら? 戒翼よ」
戒翼とは魔族の中で魔王を除き最も位が高い者達の総称だ。能力複数持ちで再生速度、変装能力が他の魔族と比べ非常に高いのだ。その戦闘能力は師走と同等かそれ以上とされている。
口調や話の内容から推し量るにこの『ヴァネッサ』という魔族自身は戒翼ではないのだろう。そのオーラから恐らく上位魔族だ。上位魔族の実力は先ほど戦ったアデルフの数十倍となるだろう。
「だけどね? あなたは涅槃様を拒絶したのよ。腹立たしいわよね?」
ヴァネッサは妖艶な発声とともに魔族特有の長く伸びた爪で凛音の潤う頬を撫でた。
「涅槃様も皇魔王様の復活を望んでいるのよ。酷くご立腹だったわ」
つまり、凛音が転生するまでの期間またはそれ以上前から皇魔王の復活の算段、戒翼の復活または新生が行われたということだ。
そして『涅槃』という戒翼が既に存在している。加えて、皇魔王の復活には凛音が深く関わっているということもわかった。この不可解な転生の原因も『涅槃』という戒翼にあるのかもしれない。
「でも、もう関係無いわよ。危険分子が現れたら消すだけ。まだその肉体に慣れていないのでしょう? 良かったわ。早めに接触できて」
ヴァネッサの冷たい声が耳に届いた瞬間、凛音の腹部にじんわりと広がっていた痛みが別の感覚へと変化していく。
「ひっ……あ」
「どう? 痛みが甘く、快感になってきたでしょう?」
凛音の震えた声がヴァネッサの耳に届くことはなく彼女は更にナイフをグリグリと動かし、内臓を抉った。通常なら耐えられぬほどの痛みであろう感覚が快感に変化していく。
「や、やめ……あっ……」
凛音の全身に広がる痛みが次第に消えていく代わりに体の内側からじんわりと広がる快感が神経を焼き尽くすように強まっていく。
「楽しいわね~? 私の能力は痛みを快感に変えるの。さあ。私に堕ちなさい!」
痛みを伴わない快感の波に飲まれ、意識が次第にぼんやりと霞んでいく。ナイフが僅かに動くたび、電撃のようなものが背筋を駆け抜け、体が無意識に反応し小さく声を漏らしてしまう。抵抗は空しく息が荒くなり、全身が震える。体の全体に渡る甘美な感覚が剣聖であった記憶に靄をかける。
「ひぁっ……」
指先までもが緩急のある快感へ侵されビリビリと震え、力が抜けてしまい地へと体を落とす。
「良かったわね。苦しまず、死ねるだなんてね。私に感謝してほしいわ」
皇魔王の復活や戒翼の復活。長い間霧がかかっていた凛音の転生に関する謎への手がかりが一気に姿を現した。元々この肉体に宿っていたであろう、あの日水中のような空間で出会った凛音という少女。渦巻く少女の思いが凛音の『諦める』という選択肢を叩き割った。
「そ……そうじゃな。んっ……礼をくれてやろう」
【錬成:凍結】
凛音の言葉と共に出鱈目な出力で辺り一面が氷で満たされる。地面は愚か、街灯や木々までもが凍てつく。攻撃を回避するためヴァネッサはナイフから手を離し、凛音から距離をとる。
「これならだいぶ、楽じゃの」
まだ快感による痺れはあるものの問題なく動くことは出来る。腹部に刺さったナイフを引き抜き前方にいるヴァネッサに向けて投射する。腹部に氷を張ることで簡易的な止血を施す。氷は紅玉のような赤色に染まっていた。
「……ふふ、凄いわね。流石は剣聖の精神力ってとこかしら」
「元じゃ。元。もう剣聖は引退したのじゃ」
「ふぅん? 強がってるけど、まだ快感が体に残っているでしょう? 今度はもう再起不能なくらいの快感を与えてあげる♪」
長刀を錬成し、反撃を試みる。制御することなく放った凍結は辺り一面を凍てつかせ、新たな地形を生み出していた。まだ、手足に力が入りにくいが問題はない。新たな情報を必ず我が物にし、『凛音』という少女に取り巻く魔族の謎を紐解いてやる、と息巻き気合を入れた。
「ふふふっ」
妖艶な笑いと共にヴァネッサが距離を詰める。ナイフを使った接近戦が主軸のようだ。突き攻撃を避けながら反撃をするが尽く防がれる。まだ本調子でないことも起因するがこのヴァネッサという魔族はかなり戦闘レベルが高い。
「そんなものかしら!? 元剣聖様ぁ!」
まるで蛇のような太刀筋。大きな傷を負った体と長刀では捌き切れない。更にナイフが掠ると微弱な快感が体に走る。
「ぐ……!」
ヴァネッサの突きが凛音の肩を軽く貫く。凛音の体に快感が走り、手から錬成した長刀が落ちる。追撃を察知した凛音は『凍結』を錬成し再びヴァネッサとの距離を伸ばす。
「ふふふっ、もっと遊びましょ?」
どこからかナイフを取り出し、数百ほどのナイフを凛音に向かい投擲した。一つでも掠ればヴァネッサとの戦いにおいては致命傷となりえる。
【冥放――弐:烈】 前方を大きく薙ぎ払う。自身に命中するであろう軌道に乗っていたナイフは凛音の【冥放】によって一つ残らず切り落とされた。
間合いの観点から不利だと判断した凛音は【錬成】に取り掛かる。
【錬成:短刀】
先ほどの長刀の半分以下の長さの小刀を錬成する。速攻間合いを詰めてきたヴァネッサの自由自在な斬撃を適切に処理し、そのうえで反撃をする。 凛音の鋭い斬撃がヴァネッサの首元を掠る。
「ちょこまかと……鬱陶しいわね!」
凛音は様々な剣術を研究している。長刀と短刀の二刀流スタイルは生前も行っていた剣術だ。
【冥放――伍:環】 凛音から同心円状に広がる強力な斬撃を放つ。その攻撃を容易く見切ったヴァネッサは後方へ大きく飛びその間合いから消えた。
「随分と息遣いが荒いわね? 決着を急いでいるのが丸見えよ? 腹部の出血で分が悪いのね~」
「ぬう……」
流石の洞察力だ。先ほどから出血過多によって意識を紡ぐのがやっとの思いで戦っている。手負いの状態で上位魔族とやりあえるほどの実力を今は持ち合わせていないのだ。
「仕方ないのう……やってみるとするか」
凛音は長刀と短刀を手放し瞳を閉じ、呼吸を整える。
「何か企んでるわね。させないわよ」
再びヴァネッサがナイフを凛音の頭部目掛け投擲するも突如として凛音の体を囲むようにして出現した球状の十二個の粒子のようなものに弾かれてた。
「…………!?」
凛音が手を伸ばしその粒子に触れる。すると凛音が掴んだ一つの粒子が変形し形を成していく。徐々に長刀に変化し、その輝きを発散すると黒と赤を基調とした国宝級の刀が現れる。
【英雄十二刃環――第一刃環:魂碧刀】
『英雄十二刃環』とは世界に存在する剣の総称である。その位によって『準英雄十二刃環』など様々な区分がある。その中でも『英雄十二刃環』は最上級の位を持つ十二本の刀だ。凛音が剣聖ある所以の一つだ。
英雄十二刃環は誰でも使えるというものではない。『魂の契約』を交わしたものが主となりその主以外が使用する際には主が使用の許可を下す必要があり、見ず知らずの人物はその刀を持ち上げることすら敵わないのだ。つまり、この長刀の召喚に成功したということは現在の肉体には柊の魂が間違いなく宿っているということだ。
第一刃環である『魂碧刀』とは剣聖がもっとも愛用し普段から使っていたものだ。五つの能力を保持する珍しい長刀である。その能力は刀の色にて判断が可能だ。現在、『魂碧刀』の刀身は紅色に染まっている。これは精神共有という能力であり凛音の心境によって刀身の特徴が変化するものだ。端的に言えば集中時は刀身が軽くなり速度が増す、怒時は刀身が太く重くなるといったところだ。
「その刀……魂碧刀じゃない」
「なんじゃ? 怖気づいたか?」
「いいえ、今のあなたにその刀は使いこなせないわ。やはりあなたは危険ね。早急に排除するわ」
【断罪の鎌】――ヴァネッサの手から紫色に輝く湾曲した斬撃が複数飛ばされる。その威力は人を容易く切り裂くほどだ。
ヴァネッサの攻撃発動と共に凛音の魂碧刀の刀身が黄色に染まる。この時の魂碧刀の持つ能力は剣術補正だ。補正度は主の力量や意識によって調節が可能だ。つまり、剣聖時代と同じ剣術を自動で行えるということだ。意識を失っていても戦うことが可能だ。
魂碧刀がヴァネッサの【断罪の鎌】に反応し凛音の体を自動で操縦し、その攻撃を華麗に斬り捨てた。
「……っチート武器ね」
そのままヴァネッサとの距離を急速に詰め、接近戦となる。魂碧刀の剣術補正により凛音が優勢となる。ヴァネッサの肉体の一部を切り裂きヴァネッサは再び後方へと下がる。
「ヴァネッサよ。何か勘違いしておらぬか? お主が足を置くのはワシが錬成した氷の上じゃぞ」
「――しまっ」
ヴァネッサの足に氷が走りその身を固定する。凛音は踏み込み両手の刀をヴァネッサの体へと突き刺す。
【冥放――参:逆月】 三日月状の斬り上げは確実にヴァネッサの肉体の軸を切り裂いた。
しかし、明らかなる致命傷であったがヴァネッサが力尽きる気配は無い。
「……?」
「ふふふっ。気持ちいいわ。もっと、私に快感を頂戴♪」
刃が入ったままの状態でヴァネッサは凛音へ一振する。凛音はその攻撃を回避するため刀から手を放し後方へと距離を取る。
「まさか、自身の痛覚も快感へと変化させておるのか?」
「大正解。頭が切れるのね。凛音ちゃん。私も少し本気を出そうかしら」
(正直、出血量が多く意識を保っているのがやっとじゃ……快感は消えたものの早めに決着を着けたいところじゃ)
ヴァネッサから紫色の光が放たれ、魔族の代表的な体躯である黒い翼、禍々しい角、深紅の球が胸部に発現する。その間、ヴァネッサに刺さったままの魂碧刀は主である凛音の元へ帰還した。
深紅の球体は『核』と呼ばれるもの。魔族における『核』とは魔族の本体とも呼べるエネルギー源である。この核を破壊しなければ魔族は本当の意味での死を体験することがない。そして核を露出することで更なる力を出すことができる。このように魔族が自身の弱点でもありエネルギー源でもある『核』を露出することで魔族的形質を強化することを『魔神化』という。
ヴァネッサはナイフを地面に投げる。ナイフが地に到達し甲高い音を鳴らした刹那、ヴァネッサが凛音へと殴り掛かる。
(さきほどより速い……)
瞬時に防御の体制をとるが衝撃は先ほどの数倍にもなり、凛音は後方へと吹き飛ばされてしまう。
「あら? 動きが鈍くなったわね。限界かしら?」
再びヴァネッサが間合いを詰め殴りかかる。
「……!? がっ……」
凛音は再び防御態勢をとったが完璧なフェイントであり回し蹴りが凛音の左腹部へ命中し凍てく木々の方へと飛ばされた。魂碧刀の補正は凛音の強い意志によって阻害されてしまった。赤色の氷か弾け飛び更に血液が体外へと流れ出る。同時に電撃のような快感が体に走り地面にうずくまる。
「ふふふっ、あなたほどの実力者なら完全に剣術補正頼りの戦いはしないわよね。あなたが前方の攻撃を防ぎたいと考えたら魂碧刀の反応は薄くなるわ。調べておいてよかったわ」
血に塗れ、快感と痛みに溺れる体を立ち上げる。覚束ない足取りで再び魂碧刀を構える。
「ふふっ」
距離を詰め、打撃を飛ばすヴァネッサ。魂碧刀の剣術補正によって全ての攻撃を見切っているかのように防御する。
「ほらほら! 体がもう限界じゃない!? そんなフラフラしちゃってさぁ!」
完全に力が抜けてしまった凛音はヴァネッサの強力かつ間髪のない攻撃に魂碧刀を手中から零してしまった。
「じゃあね~!!」
【断罪の拳】――闇色のエネルギーを含んだ拳が凛音に炸裂し、目にも止まらぬ速度で飛ばされる。木々を倒し、衝撃によって意識が揺らいだ少女の元へ勝ち誇ったような表情を見せるヴァネッサが駆けつける。瓦礫の中から凛音の胸元を掴み、持ち上げ言葉をかける。
「ふふふっ……あなたが万全だったら危なかったかもしれないわね」
「――っ!?」
何か異様な雰囲気を察知したヴァネッサが凛音を離し距離をとる。
血まみれで体を上げた少女は着用していたブレザーを脱ぎ捨てる。空色のネクタイを緩め、胸元を外気と月光に晒す。手中から零れてしまった魂碧刀が瞬時に凛音の元に駆けつけ、凛音は容易くそれを手に取る。
少女ある言葉を呟くと同時に血が滴る足が地から離れる。そして凛音を中心に金色に染まったオーラが放たれ辺りに根を張っていた氷や瓦礫、木々吹き飛ばす。
「なっなによ!?」
黄金色に染まっていた髪が毛先に向かって脱色されていき月光を反射し銀色に輝く。黄金色の瞳はそのままであるが、もう片方の紅色の瞳はより強く、深く染まった。
「…………【剣舞】」
神々しいその姿を認識したヴァネッサは汗を垂らし言葉を漏らす。白髪と紅色の瞳は ”とある人物” の特徴そのものだった。
「な、なによその姿っ―――――――まるであの剣聖みたいじゃない」
戦闘シーン楽しいなー
凛音様を応援してくださる方はいいね感想よろしくお願いします。
また順次投稿していきますのでブクマもよろしくお願いします!
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