97:満開の花 ジーク
「見事に満開だな」
「これが全てアズールオレンジになるんですね」
5月から咲き始めた花は、7月に満開を迎え、受粉した花が、その後実となる。
甘く優しい香りが満ちる、葉の緑と、花の白に配色されたオレンジ畑は、10年前と何一つ変わらない。
木の下には摘花の準備をしていたのか、花籠が無造作に置かれており、居もしないセシルの姿を探してしまう自分に苦笑いが溢れる。
「残念ながら全てではありません。この花全てが実になってしまうと、小ぶりで質も落ちる。なので、ある程度まで摘花をするんです」
「こんなに綺麗なのに、勿体ないな」
「摘み取った花は捨てるんですか?」
「いえ、塩と一緒に瓶に詰めてポプリにします。数が少ないので王都にまで回りませんが、女性に人気なんですよ。オレリア様とエルデには毎年送っています」
「お土産にしたいのですが、私でも作れますか?」
「勿論です。お教えしますよ」
校外学習を思わせる3人のやり取りに失笑が洩れる。
コーエンを含めた甥っ子3人を、時に鬱陶しく感じながら面倒を見てきた。背丈も然程変わらないまでに成長した生意気な甥達だが、ついつい世話を焼いてしまう程にはまだ可愛い存在。
「リアのあの香しい甘い香りはこの花だったのか…」
「それは多分、練り香水ですね」
「香水まで…色々な物が作れるんだな」
「ええ、花も貴重なんです」
「摘花か…俺も手伝ったな」
「叔父上が?」
「10年前、遠征に来た時にな。空き時間を利用して、フェリクスに会いにこの畑に来て手伝ったんだ。同じ時期に、セシルも流行り病で学園が休校になって帰省していた…摘花の手伝いをしていたセシルと出会ったのもその時だ」
「…ククッ…花籠に囲まれて休憩していたセシルを見て、妖精がいたって騒いでたな」
「…フェリクス、余計な事を言うな」
「叔父上の口から妖精?寒い…鳥肌が…」
「可愛い時期もあったんですね…どこでこんなに捻くれてしまったんでしょう、残念です」
前言撤回だ…こいつらは本当に、幼少期から何一つ変わらない…失言を失言と思わないこの2人は、思った事をそのまま口に出して、俺や姉に拳骨を落とされたきた。
落とされても泣かなくなったのはいつからか…とは言え、泣かなくなったというだけで、恐れている事には変わりなく、今でも有効。
「お前達、今度こそーー」
「誰か~、そこに居る?誰でもいいの、花籠が満杯になっちゃって、運ぶのを手伝ってくれないかしら?」
「「?!」」
「何故……叔父上、あの声…」
「ご令嬢が大変な様だな。籠を運ぶくらいなら造作もない。ちょっと行って手伝っ……って、叔父上?!」
落とすぞ…と声が続く事はなかった。
フェリクスが片手で顔を覆って天を仰ぎ、カインが目を見開いてこちらを見ている。
フランの暢気な声に答える余裕はない、引き止められても止まれない。
常に唯一と心得、有事には決して前に出るなとフランに大口たたいて説教したが、お前は強い、己で何とかしろ。
「……変事ですね。様子を見に行ったんでしょう」
「…令嬢が、変事?…まさか、刺客かっ?!」
「叔父上のね」
…何故?幻聴なのか?本物か?…本当に目覚めたのか?
『っおいっ、フェリクスっ!妖精だ…妖精がいたんだ!』
『………は?』
『静かにっ…木の下で眠ってるんだ…』
『…静かにする必要はない。セシルだからな』
『お前…あの妖精を知ってるのか…?妖精の名前まで?』
『…ップッ、アハハッ…イタズラ好きという意味では妖精かもな。残念ながら、あれは俺の妹のセシル、人間だ。流行り病で学園が休校になったからな、帰って来てるんだよ』
『人間…なら、結婚出来るんだな…』
『お前…頭は大丈夫か?もしかして、この暑さにやられた?』
俺は……夢を見ているのか…?
目の前に広がる光景は10年前と同じ。
オレンジの木の下、白い花で溢れる花籠に囲まれるセシル。
「………セシル…?」
名前を呼ばれて振り向いたセシルは、一瞬目を見開いた後、ゆっくりと立ち上がり、いたずらが見つかった子供の様に、ぎこちなく笑った。
「………フフッ…見つかっちゃった…」
「…夢……じゃ、ないんだな?」
「私はもう夢は見飽きたわ」
「…セシル」
「なあに?」
「…本物なのか?」
「失礼ね、幽霊なんかじゃないわ。ほら、足だってーー」
「?!おいっ!足を出すな!スカートを下げーー」
「ジーク」
「?!………」
「ジーク」
「…………っ……」
「ジークッ……っ…会いたかった…」
あどけなさが抜けて、大人になったセシル …白い頬と、呼吸をするだけだった唇には赤みが差し、8年間、閉じられままだった翠緑の瞳は、俺を映している…
セシルが、俺の名を…呼んでいる…
視界が揺れてセシルの顔がよく見えない…セシルの、細くて白い、儚い指が俺の頬に伝う涙を拭う。
細い腰に手を当てて抱き上げると、太陽の光が透ける亜麻色の髪が、帳を下ろす様に静かに降りてきた。
俺の頬に落ちたセシルの涙…その涙をセシルの手が拭うのを合図に、首を伸ばして口付ける。
「ジー…んっ…ぅふ…」
深く、確かめる様に…夢であるなと願いながら…俺の体温より低い舌をとらえ、熱を分ける様に絡めると、心地良い冷たさに頭が痺れた。
頬裏を、歯列を、舌裏を…余すとこなく味わう。
角度を変えて、鼻の頭を擦り付け合いながら、啄み、甘噛みし、息をするのも忘れて口付ける。
「…セシル……セシル……」
「…んぁ…ふっ…ジーク…」
名前を呼ぶ、返事がある、名前を呼ばれる…当たり前の事が、こんなにも尊く、愛おしい…
「ジーク……そろそろ…いいかな?そこの花籠、運びたいんだ」
「勝手に運べ、俺は忙しい」
「?!お兄様?!…カインに…殿下!?…いやっ!?ちょっと!降ろしてっ、ジーク!」
「何故?」
「何故って…恥ずかしいからよ!」
「仕方ない…少しだけ待ってやる。お前達さっさと運べ、そして帰れ」
声をかけてきたフェリクスの後ろには、居た堪れないといった表情の甥2人。
3人の存在に気付いたセシルが、真っ赤な顔で、肩に置いた手を突っ張り、足をバタつかせて降ろせと声を上げるが、絶対に離さない。
「お願い、降ろしてジーク…殿下もいらっしゃるのに…不敬よ」
「フラン、帰れ」
「ちょっと?!やめてよっ!誰か!お兄様!」
「諦めろ、セシル」
「…カイン!」
「申し訳ありません、セシル嬢。非力な私では獣を抑える事は出来ません。なので殿下、お願いします」
「?!何で俺なんだ!あれは瘴気に当てられた魔人なんだぞ!これは有事だ、今こそお前が盾になる時だ」
「俺は文官だ!それにお前も自分で戦うと言っていただろ!」
「俺が戦うのは人間と魔物だ、魔人じゃない」
空気を読まないだけでなく、よもや俺を人とも思っていないだと…?この馬鹿2人には、やはり一発ーー
「お姉様!!」
「?!エルデ!!助けてっ!!魔人なの!!」
「………え?魔人…?」
「「「「………」」」」
セシル…そんなお前を愛してる…




