95:野営
「随分とお疲れの様ですね」
「レインも疲れた顔をしてるじゃないか、馬車に酔ったか?」
予定通り野営地点に到着し馬車を降りると、カップに入った紅茶をレインが差し出してきた。
伯父上との気まずい時間を過ごした俺は言わずもがなだが、レインは気軽な面子で移動しているにも関わらず、その表情は暗くて重い。
「酔えたら楽なんですけどね…」
「レインは移動の間、エルデ嬢達に小説の感想を聞かれていましたから…ご苦労だっな」
「あの小説か…」
王城に残る事と部屋の引越しを受け入れたエルデは、ネイトを大層喜ばせ、そして突き落とした。
触れられる距離に居るのに触れられないとは、如何なるものか…
俺とデュバル公爵の厚意が裏目に出た結果、ネイトは無防備なエルデの容赦ない攻撃と、叔父上の理不尽な八つ当たりに見舞われるという想像絶する日々を送っている。
「カイン殿、寝たふりは卑怯ですよ」
「お前の様に若ければ、俺もエルデ嬢の期待に添えたかもしれないが…俺はもう再教育の価値もないらしいからな、仕方ない」
レインの肩に手を乗せて、カインがわざとらしく溜め息を吐いて見せた。
エルデの初夜談義に食い下がった俺達は見捨てられ、微塵の理解を示したレインはエルデに救いの手を差し伸べられたが、小説について語り合うのは遠慮したい。
「エルデ殿、カイン殿がエレノア嬢の為にもご教示願いたいそうでーーフゴッ…」
「?!レインっ!」
少し離れた所でカレンとドナと共に、天幕の設営をしている騎士達の紅茶を準備しているエルデに、レインが声をかけた。
それに大きく反応したカインが、慌ててレインの口元を押さえるのを視認したエルデが、眉間に皺を寄せながら近づいて来て、腰に手を当ててカインを見上げる。
「教示?ドレス風の寝巻きなどと怠惰な事を仰っている方が?先日のカイン様のお言葉はエレノア様にもご報告させて頂いてますから、もう遅いと思いますが?」
「エレノアにっ?!」
「フフッ…冗談です、あくまでも私の事情ですから。ですが、エレノア様がウェディングドレスにかける情熱は、カイン様が一番よくご存知ですよね?」
小首を傾げて、可愛いらしくカインに問いかけるエルデだが、その瞳は威圧する様に細められている。美人の笑ってない笑顔程、美しく恐いものはない。
エレノアは常に新しい物を取り入れ流行らせる社交界の華。その彼女のウェディングドレスは相当な代物になるだろう。
レインの肩に乗せたカインの手が、力なく滑り落ちた。
「殿下、天幕の設営が完了しましたよ。エルデ、カインとレインに嫌な事はされなかったか?」
「叔父上は私達3人を見比べて尚、その言葉を吐きますか…」
「盲目的な溺愛振りですね…」
「お気遣いありがとうございます、ジーク副団長様。おかげ様でレイン様と有意義な時間を過ごせました。それでは、カレンさん達と夕食のお手伝いをして参りますので、失礼致します」
伯母上直伝の美しいカーテシーを披露したエルデに微笑み、俺達に威嚇する様な視線を向け、エルデと共に騎士達の元へ戻って行った叔父は、とてもじゃないが、有事の際には全てを切り捨て、俺を守ると言っていた人物と同一とは思えない。
『ダリア唯一のお前だーー』
「…俺は天幕で少し休むよ」
どの天幕よりも頑丈で豪奢な外見に溜め息が出る。
ここが戦場であったなら、間違いなく一番に狙われるだろう…まあ、戦場のどこよりも安全な場所に設営されるのだろうが…
元騎士だった事もあって、過剰な天幕は不要と伝えたが、外見は叶わなかった。ならば中はと覗いてみると、仮眠室に設置されてる様な簡素なベッドが一つ。だけ…?
「騎士達の天幕の方がまだ揃ってるぞ…」
「本当に粗末ですね…椅子もないなんて、床で食事をしろと?お2人共、エルデ嬢の事で相当根に持たれてますね」
「「………」」
目にした光景が信じられず、天幕の帳を開いたまま固まる俺の横から、カインとネイトが顔を覗かせ感想を漏らす。
天幕の設営の指揮を執っていたのは叔父上…嫌がらせが過ぎる。
「それで?何をそんなに落ち込んでるんです?」
「何だよ、藪から棒に」
「長時間叔父上と2人きりというだけで、神経がすり減りるのは分かりますが…それだけではないですよね?」
「何もない、緊張で疲れただけだ」
「緊張ね…俺達に隠そうとしても無駄だと分かってるだろ?ジーク副団長に何を言われたんだ?ん?」
ネイトが騎士達の天幕から持ってきた敷物に座り、カインが持ってきた紅茶で一息吐いたところで、カインとネイトの追及が始まった。常と変わらぬ様にしていたつもりだったが、この2人には敵わない…
「…別に…有事の際は俺を最優先すると言われただけだ……愛する者を犠牲にしても…ってな…」
「何を今更…当然だろ、お前とエルデなんて迷うまでもない、俺はお前を守る」
「ネイト…」
「そしてエルデを助ける」
「………」
「なんだその顔は、不満か?だが、お前だって誰かの犠牲の下に生き残るのは嫌だろ?こんな考えで専属護衛なんてと言う奴もいるだろうけどな、俺はその為に血反吐を吐いて訓練してるんだ。ジーク副団長も、ウィルさんも…それに、オレリア様だってただ身を呈するだけの方じゃない、デュバルの女傑だぞ?お前は俺達の事を舐め過ぎだ」
「アミ殿とユラ殿も見事でしたからね。その上を行くオレリア様…フラン様、どちらが王女様か分かりませんね」
「小説に擬えるな。カインこそ、扇1本でエレノアに守られる事もあるかもしれないんだぞ」
「………」
「フラン、お前は前に出る事は許されない、だが戦える。自分の手で守るんだろ?」
「戦える…ハハッ…確かに、俺もその為に訓練してる」
「そうだ、もっと励め」
ネイトの滅茶苦茶な道理に笑いが込み上げる。
唯一に囚われ過ぎて保守的になっていたが、戦える、守れる。過信じゃなく、その実力を持っている。
「叔父上も、あれでも心配してるんだ。今だから話すが、お前の侍従になってやって欲しいと、俺と室長殿に脅し…頭を下げに来た…お前からも退っ引きならない事情を聞いてたからな。侍従になると決めたんだよ。ネイト殿も、叔父を庇う訳ではないが、エルデ嬢の誤解が解けて、以前の関係に戻れた事で思いの丈が爆発してしまった様でね…ラヴェル騎士団長をけし掛けて、ネイト殿の後押しをしなきゃよかったと管を巻いて……本当に、本当に面倒くさかった…」
「「カイン(殿)…」」
カインが、俺達の知らないところで脅され、絡まれていたなんて…
「カイン、今日はここでゆっくり休め、遠慮はいらない。俺は元騎士だからな、どこでも眠れる。確かレインと同じ天幕だったな、ネイト行くぞ」
「気が利くなフラン。カイン殿、ゆっくり休んで下さい。また明日」
「馬鹿がっ!俺がこんな固いベッドで眠れる訳がないだろっ、恩を仇で返すな!」




