74:恋、憧憬、妄信
「?!兄上…」
「…兄上?」
「…ええ、私の異母兄のコーエンです。兄の母はローザ出身なんですよ」
「そうでしたか…初めましてコーエン殿。ローザ帝国第四皇子ルシアンです」
「初めまして、コーエン卿。ルシアンの妹、第六皇女オリヴィエです」
「初めましてルシアン殿下、オリヴィエ殿下。スナイデル公爵家が後継、コーエン・ファン・スナイデルと申します」
「御母堂がローザ出身なのですね」
「ええ、私が産まれて直ぐ事故で鬼籍に入っておりますが」
「あ…ごめんなさい」
「お気になさらずオリヴィエ殿下。産みの母の事は何も覚えていませんし、義母には愛情を持って育てられましたから…」
兄の母である前妻が鬼籍に入ったのは、兄を産んで間もなくの事。前妻との関係がどうであったか知る由もないが、王弟であり公爵でもある父は、喪が明けて直ぐに母を迎えて俺が産まれた。
血統を重んじる社交界で、ローザ出身の母を持つ兄が苦労するのは火を見るよりも明らかであったが、兄は全く気にしていなかった。
兄曰く、貴族の目よりキリングの拳骨の方が余程恐ろしいのだそうだ。
確かにカイン、兄、俺の3人は母と叔父の拳骨を喰らって育ってきた。
兄と俺に至っては母に抱き締めてもらった回数より拳骨を喰らった回数の方が遥かに多い。
「で?コーエンは何処に隠れていたのかしら?」
「隠れるなど…人聞きの悪い事を仰らないで下さい妃殿下。父上と一緒に居たんですよ、ネイトの近くにトラブル有りですからね…」
「コーエン、お前まで…」
「兄上からネイトの話を聞いた事はありませんでしたが、2人は友人だーー」
「顔見知りだ」
「…随分と前のめりですね…まあ、この場で深くは聞かないでおきますよ」
心外だとでも言いたげな兄と、苦笑いのネイトから視線をずらすと、騒がしい輪の直ぐ横ではオレリア達が談笑している…ヨランダ嬢とエレノアはネイトを巡るライバルではないのか…?
「ご令嬢方、リアを借りてもいいかな?」
「勿論でございます殿下」
「ありがとう、代わりにネイトを置いてくよ」
「「?!はうっ…」」
「どうしたんだ2人共、絵姿より本物がいいんじゃないのか?」
奇声を上げてエルデの後ろに隠れる2人に、アレン殿が揶揄う様に話しかけて、ネイトの肩ポンポンと軽く叩いた。
「お義兄様は軽く仰いますが、帷も無しにネイト様の御尊顔を眼前にするなど5分が限界…私の心臓が持ちません!よろしいですか?お義兄様、崇高なる存在は遠くから崇めるのが道理というもの……そう…ネイト様の朔の夜に浮かび上がる銀河の如き銀の御髪も」
「銀河の如き銀の御髪って…どう見ても錆びた剣の鈍色でしょ」
「常人には読む事が叶わない深淵の如き瞳も…」
「ネイトは何も考えてないからな…」
「究極の芸術である均整のとれた体躯も」
「あれだけ剣を振っていればねぇ」
「ネイト様は、曇天の空に掛けられた天使の梯子で地上に降りられたのです。建国からの長い歴史の中、同じ時代を生きられる事は奇跡であり、どれだけ尊い事か…」
「どうやら来る時機を誤った様だな…父上の所に戻るよ」
「皆さん、真面目に聞いて下さいっ」
「憧憬を超えて最早妄信ね…」
「妄信等とその様な浅慮で軽率なものではありません!」
「エルデの後ろで吠えられてもねぇ…」
当分終わりそうにないな…盾にされたエルデの顔は火が噴きそうな程に赤く染まり、ネイトの顔は表情が抜け落ちている。
カインは後ろで苦虫を潰した様な顔をしているが、ヨランダ嬢と組まれては勝ち目がないと分かっているらしく静観の体を保っている。
「申し訳ありません。ルシアン殿、オリヴィエ皇女、あちらは放っておいて下さい」
「いえ、女性が元気な国は栄えると言いますから」
流石は皇族、上手い返しだ。
「改めて紹介します。婚約者のオレリア・ファン・デュバルです」
「初めましてオレリア嬢、ローザ帝国第四皇子ルシアンです」
「初めまして、ローザ帝国第六皇女オリヴィエです。オレリアさんとお呼びしても?」
「勿論にございます、オリヴィエ殿下。初めまして、デュバル公爵家が長女、オレリア・ファン・デュバルと申します。ルシアン殿下、オリヴィエ殿下に於かれましてはご健勝のことお慶び申し上げます」
「先程オリヴィエ皇女に一曲お相手頂いたのですが、ルシアン殿にもオレリアに一曲お願い出来ますでしょうか?」
「光栄です。オレリア嬢、私に楽しい一時を頂けますか?」
「謹んでお受け致します」
「不躾なお願いをしたのはこちらなのに…兄を立てて頂いて感謝します」
「その様にとって頂くと、心苦しいですね…」
「心苦しい?」
「ダンスの時に二つ名の話をしましたよね、もう一つ、狭量殿下の二つ名もあったのを思い出しました」
ホールに向かう2人を見送っていると、オリヴィエ皇女が礼を言ってきた。
俺が持ち得ない情緒と語彙力を存分に発揮し、オレリアへの恋心を宣った挙げ句、ダンスまでしたいという不躾な願いに、鉄面皮を剥がしてやりたい思いを抑えてオレリアを送り出したが、伊達に狭量と言われている訳ではない。
「もしかして…牽制されたのですか?……ップ…フフ…アハッ…」
「…そんなに笑わないで下さい」
「し、失礼しました…ック…ですがその牽制は徒労に終わります」
「?徒労とは?」
「見て下さい、ルシアンのあの目。あちらのご令嬢方と同じ目をしてるでしょう?」
「「…同じ目?」」
「失礼…不敬をお許し下さいオリヴィエ殿下」
「構いません、カイン卿…でしたね?」
「はい、改めまして。フラン殿下の侍従をしております、キリング侯爵家が次男、カイン・ファン・キリングと申します」
「キリング侯爵のご令息でしたか……あら?フラン殿下の御母堂もキリング侯爵家のご出身でしたよね?」
「流石ですね…ご存じでしたか」
「これでも皇族の端くれですから…友好国の王皇族の情報は頭に入っております。お二方は色合いこそ違いますが、よく似ておられますね」
「「……光栄です」」
幾度となく聞いた台詞に、鉄壁の笑みを保てないのは仕方ないだろう。カインはかろうじて笑みを保っているが、口角が片方しか上がってない上に震えている。
「ごめんさいっ、殿方のお顔を不躾に…はしたないですね」
慎みと品格を尊ぶ社交界では、未婚の女性が男性の顔を見つめる行為は、不躾ではしたないとされている。
その為か、オリヴィエ皇女と視線が合っていたのはダンスの間だけで、会話をしていても彼女の目線は常に首元にあった。
俺とカインの表情を見て、女性らしからぬ、はしたない行為と恥じて謝罪をしてきたが、俺の知る令嬢達に比べたら、全く気にならない。
「減るものではないのでお気になさらず、オリヴィエ殿下のお目汚しにならない様であれば幾らでも」
「フフ…ありがとうございますキリング卿。話の腰を折ってしまいましたね。フラン殿下に杞憂と言ったのは、ルシアンがオレリアさんに恋をしているのではなく、憧憬の念を抱いていると言いたかったのです」
「憧憬…ですか」




