68:あの日の夜会
後座所のカーテンを少し捲って夜会会場を見下ろす。
磨かれたシャンデリア、優雅な背景音楽、グラスを片手に歓談しながら開宴を待つ王侯貴族。
『フラン様がどれだけ拒んでも、その身に流れる血は変えられないわ』
不意に過ぎった声を頭を振って打ち消し、カーテンを閉じて振り返ると教皇と目が合う。
「フランは緊張しておる様じゃな…マナが揺れておる」
「…緊張は……しています」
全てを見通すと言われる教皇の千里眼の前では、見栄を張るだけ無駄な様だ。
教皇の鋭い指摘に降参を示すべく、奥深くに隠した緊張を吐露すると、伯母上が眉を下げ労わる様に俺の手を握ってきた。
「王太子になって初めての夜会だものね…あの日の夜会でナシェルを制する事が出来ず、フランに重責を負わせてしまった事は、私達の不明の致すところ。オレリアにも…私が貴女を王太子妃に望んだ事で辛い思いをさせてしまった…フラン、オレリア、本当にごめんなさいね」
「王妃様っ!?謝罪などなさらないで下さいっ。私は大丈夫ですから…これまで母の居ない淋しさを王妃様が癒やして下さいました。今も大切にして頂き、本当に感謝しております」
ダリアの国母である伯母上の謝罪に、オレリアは慌てて謝罪を制し感謝の意を伝えるが、伯母上の顔は晴れない。
不明の致りとは、おそらくナシェルの真実までは見抜けなかった事を言っているのだろうが、両陛下はあらゆる手段を使ってナシェルの行動の把握に努め、再三に渡ってナシェルに苦言を呈してきた。
両陛下の言葉に耳を傾けず、己の矜恃と保身の為だけに周りを裏切ったナシェル罪は重いが、親の責だと両陛下を責めるつもりはない。
だが、為政者として早々に区切りを付けた伯父上と違い、伯母上は伯父上の下した判断に意を唱える事はなかったが、ナシェルを思う母としての気持ちと、俺への負い目で自身を苛み続けている。
「私も覚悟を決めてこの場に立っています。何度も言いますが、私の事で伯母上が気に病む必要はありません。謝罪に至っては責を負うナシェルがするべきもので、伯母上から受ける謝罪はありません」
「フラン、オレリア…ありがとう」
伯母上の謝罪に、気に止むなと返すやり取りは最早挨拶となっているが、そろそろ勘弁してもらいたい…そんな思いから少しキツい言い方になってしまったが、繕った物言いよりは効果があったらしく、伯母上は安堵した様に小さく微笑んでお礼を返してきた。
「メリッサ、私達がやらなければならないのは、フランの継ぐダリアを憂いない国にする事だ。その為の今宵の夜会だからな」
「レオン…そうね」
伯父上が愛称で呼ぶ事を改め、海溝の如き深めた溝を修正した両陛下は、俺の未来を国家規模で案じてくれている様だが、俺の憂いは伯母上の顔色を窺いながら席に着く食卓の場だったと言ったらこの2人はどんな顔をするだろうか…
「マナの流れも安定したなフランよ。親しい間柄であっても己の言葉で言わねば真の思いは伝わらん。察するなどと傲慢な考えは、時に己の都合の良い様に解釈し、相手を傷付ける事になるのじゃからな」
互いの腹を探り合ってばかりの社交界でそんな事をしたら足元を掬われるだけなのだが、少なくともこの場に居る人達にはその心配はないのだと言われた事は素直に嬉しい。
「陛下、そろそろお時間です」
「ユリウス…戻ったか、エルデ嬢のエスコートはどうだった?」
「娘と入場するのが夢だったのですが…ようやく叶いました」
「娘……」
「……それは…良かったな…」
「ええ、次は結婚式です!」
「「…結婚式?」」
「結婚式は王都のお父様の私とヴァージンロードを歩くと…エルデが約束してくれたんですよ」
「……大丈夫なのか?」
宰相は今宵のエスコートで味をしめたらしく、エルデの結婚式の父親役まで務めると言い出したが、話すそばから既に涙目になっている。
今からそんな調子で果たしてヴァージンロードをエスコートして歩けるのか?
後ろに控えるネイトは訝しげに宰相を見つめ、伯父上も眉を寄せて呟いた。
「何か仰いましたか?」
「いや…リンデ教皇、参りましょう」
「仰々しいのは好かんのじゃがな…」
肩を竦めながら佇まいを整える教皇から、少し離れた所にいるオレリアへ視線を移すと、これまで目にしてきた凛然たる形は潜み、緊張を孕んだ表情で扇を握りしめている。
「陛下、少しだけ時間を下さい。ウィルとネイトはそのままで」
御座所を出て中央階段へ向かう伯父上に声を掛け、返事を待たずに反対側のテラスへオレリアを連れて移動する。この距離なら会話を聞かれる事もない。
「リア…ナシェルの事か?」
「申し訳ありませんフラン様…」
あの日の夜会が思い出されるであろう事は容易に予測出来たはずなのに…オレリアにもっと気を配るべきだったと悔やまれる。
「謝る事はない。忘れろと言う方が無理だろ…俺は庭園で警備をしていたからあの場には居なかったが、夜会が始まって直ぐだったな」
「……ファーストダンスのホールで向かい合った時でした…」
『私、ナシェル・ダリアは、オレリア・ファン・デュバル公爵令嬢との婚約を破棄し、廃太子を宣言する』
『ナシェル……様?』
『オレリア、私がこれから先の人生にお前を望む事はない』
『ミア様の事を仰っているのであれば、私はーー』
『ミアを愛妾に召し上げろと?浅慮な…お前の様な高慢な女を伴侶にするのが耐え難いのだと言っているのが理解出来ないか?』
『……申し訳ございません…』
「本当にあいつは身勝手な事を…」
「私も原因の一端を担っているので、今宵の夜会も覚悟をしております」
「では、他に不安な事は?」
覚悟は出来ていると言うオレリアの瞳は、未だ不安の色が残っている。貴族達の不躾な視線以上に恐れる何かがあるのであれば放ってはおけない。
「…今宵の支度をしている時に本を見つけたのです」
「本?」
「ナシェル様が変わられるきっかけとなった本です……婚約当初はナシェル様も歩み寄りを見せて下さっていましたが、私がその当時に流行っていた小説を好んでいると知ってから変わりました…ナシェル様と面会をして、あの本がなくても迎える結末は変わらなかったのだと今は理解しています…ですが、些細な事でも人は変わるのだと…この先、私の言動がフラン様が変わってしまうきっかけを招いてしまうのではと考えてしまったのです…」
嫌われたくなくて、怖くて動けないのだと俯いたオレリアを抱き締めると身体が小さく跳ねた。
「『私の前ではありのままで、未熟と言うならそれで構いません』…覚えてるか?」
「…はい」
「俺はリアのありのままを望んでいる、恐れる必要はない」
「…フラン様…はい、ありがとうございます」




