67:緊張
「フラン様、そろそろ戻らないとカレン殿とドナ殿が待っていますよ」
「夜会会場も見ておきたかったんだが…」
「先に支度を済ませてからにして下さい」
カインが差し出した懐中時計の針は支度の時間が迫っている事を示しており、微笑んで告げるカインの目も、これ以上の譲歩はしないと語っている。
詰所と訓練場で長居し過ぎた事は自覚していた為、自室に戻って浴室で汗と埃を落とし、侍女の手を借りて着替えに取り掛かるが、騎士だった俺は人に着替えさせられるのはどうにも慣れない。
入浴や簡単な着替えは1人でしても、儀式や夜会は常とは別だと言われてしまえば、従うしかないので大人しくしているが…
「リアの支度の進捗は?」
気まずいのは自分だけと分かっていても、黙って着替えさせられるのはどうにも落ち着かず、手際良く釦を留めるカレンにオレリアの様子を伺う。
「公爵家から侍女が寄越されたので心配ございません」
「公爵家の侍女だけで間に合うのか?」
「彼女達は慣れているので大丈夫ですよ。女性の支度は男性と違って重労働ですから、公爵家の侍女達であればオレリア様も遠慮なく注文を出せますし、慣れた者でなければ、オレリア様の様子を窺いながら適度に休憩を入れて差し上げられませんから」
「支度だけで疲れそうだな…」
「それだけではありません。社交は女性の戦場ですから、マッサージをしたり、他愛のない話をして緊張を解すのも侍女の大切な仕事なのです」
「…男で良かったとつくづく思うよ…」
「他人事の様に仰いますが、私達に出来るのは支度までです。その先は殿下の仕事ですから、くれぐれもオレリア様に心労をかける事のない様にして下さい」
「肝に命じておくよ…ペリースはまだいい、先に夜会会場の様子を見て来る」
本当に分かっているのか?と言いたげなカレンの視線に苦笑いで返して、軍服の飾緒の具合を整えながら向かった夜会会場では、楽器の音合わせをする楽団の団員達と、飾り付けた花や調度品の最終確認をしている満足気な表情の使用人達が開宴の時を待っている。
俺も緊張しているのか…
この煌びやかな夜会会場の階の最上段に立つ自分が未だ想像出来ないと言ったら、ネイトやカインは間違いなく呆れるだろう。
「…リアを迎えに行く」
オレリアの顔を見れば少しは落ち着くかもしれないと、会場を後にして向かった部屋で目にしたのは…
「………」
「お待たせ致しました、フラン様」
カーテシーから姿勢を戻したオレリア…の水色のドレスの胸元には、花弁が幾重にも重なった大きなダリアの花が咲き、身衣にはガラスビーズが散りばめられ、金糸と銀糸で刺繍された小さなダリアとヘンリー蔦が絡み着いている。
デザインと色の指定だけをして、母に頼んだのが間違いだった…送られてきた手紙に渾身の出来と書かれていたが、目の前のドレスからは母の執念が伝わり、違う意味で心が乱される。
一言物申したいが、身重の義姉と共に領地におり今回の夜会は欠席。
「リア…とても綺麗だよ。だが、その…重くはないか?」
「?いえ、軽い素材なので大丈夫ですが…重く見えますか?」
見える。とは言えない…重いのはドレスではなく、ドレスに込められてた諸々の思いなのだとは言えない。
重いの意味を理解していないオレリアは、怪訝な顔をしながらドレスの裾や髪型を気にしているだけで、絡み着いた蔦柄は気にならない様だが、ネイトがエルデに贈ったドレスの唐草模様に、重過ぎるなどと評してる立場になかった。
よりにもよって同じ蔦柄とは…背中に刺さるネイトの視線が痛い。
「いや、問題ない。母に殆ど任せてしまったから仕上がりが気になっていだんだが、気に入ってくれたなら母も喜ぶだろう」
「とても素敵なドレスを用意して頂きありがとうございます。スナイデル公爵夫人にもお礼のお手紙送らせて頂きました」
「俺からも母に伝えておくよ。デュバル公爵が待っているからそろそろ行こうか」
「はい」
これだけ母を強調しておけば大丈夫だろ…ネイトよ、俺はお前と違って度量は大きい男だ。
「…小っさ…」
「何か言ったか?カイン」
「いいえ、私はエレノアの元へ向かいますので、また後ほど」
下位貴族、辺境伯と伯爵家、公侯爵家、賓客の順に迎え入れる夜会会場からは、入場を始めた貴族達の騒めきが、楽団の音楽と共に流れてくる。
扉の前に立つ騎士に来訪を告げ、数年ぶりに足を踏み入れた控室には、既に公爵家の面々が揃っており首を垂れて迎えられた。
怯みそうになるのをなんとか堪えて、先ずはデュバル公爵に声をかける。
「……楽にしてくれていい。デュバル公爵、オレリアに護衛を付けて頂き感謝します」
「殿下に相談もせず決めました事、お詫び申し上げます。娘1人でも対処は出来ますが、万が一の為に陛下に許可を頂きました」
「訓練場で彼女達の実力を確認しました。アミとユラが付いてくれるのなら私も安心です」
「ドレス姿の護衛なら不自然さもないからな」
「うちもアリーシャとヨランダが世話になりましたが、私より強くなって帰って来たのには驚きましたよ」
「セイド公爵、お久し振りですね」
「お久し振りです殿下。先日は学園で娘がお世話になりました」
「いや…ヨランダ嬢とラスター侯爵令嬢がそこまで強いとは知らず丸腰で挑んでしまった。無知を恥じるばかりだ」
「剣帯していたとしても挑みたくはない戦いです。私なら敵前逃亡を選びますよ」
「今日もあちこちで戦火が落とされるからな、流れ矢には気を付けないと」
「義母上がいたらこんな隅に居る必要はないんだがな…」
「隅に居ても当たる時は当たるだろ」
「……当たるとは?」
「あれだ」
兄が視線だけで示した部屋の真ん中には、談笑するカイエン公爵家の子息夫人方、そのすぐ横ではアリーシャ様とヨランダ嬢の姉妹が舌戦を繰り広げている。
「娘といえど、女性の戦いに口を挟むなと、セイドの家訓にあるのでね…」
「義兄上と甥達はアズール家の所へ、私達はここで防衛線を張っているんです」
「なるほど……では、私達は陛下の所へ向かいます。ウィル、ネイト行くぞ」
「おや?敵前逃亡ですか?殿下」
「セイド公爵から時には戦略的撤退も必要と助言を頂いたのでね、気付かれる前に失礼させてもらいます」
「賢い選択ですね…レリ、後でな」
「はい、お兄様。皆様も失礼致します」




