65:女神の眷属 オレリア
「オレリア様がお元気で本当によかったです」
「心配かけてごめんなさい、もう大丈夫よ」
立神の儀で左胸が痛みに襲われた時は、心の臓が止まるのではないかと恐怖に怯え、フラン様の手を必死の思いで握った。
倒れた事で、身体の不調を家族やフラン様に知られはしたが、父の本心を聞き、兄に甘えていいのだと言ってもらえ、フラン様にも自分を労わる様にと言われた私は、お叱りを受けたにも関わらず気分がいい。
「回復したとはいえ、ご無理は禁物です。切りがいいので休憩を入れましょう。軽食を準備してきますのでソファでお待ち下さい」
「ありがとうクララ、みんなもちゃんと休憩してね」
「「「「「はい」」」」」
今日の夜会にはエイラもゲイル男爵夫人として出席する為、お父様が公爵家から侍女を送ってくれた。
これまで何度も私の支度をしてくれた彼女達は、手際よく支度を進め、頃合い見て休憩の時間を入れてくれる。
王城の侍女達も勿論優秀だが、夜会の支度は時間も掛かる上に重労働な為、支度する側とされる側の息が合わないと休憩を取れず、お互い疲れてしまう。
アズール伯爵家の令嬢として出席するエルデの元にも、公爵家の侍女が送られているとクララが言っていたので、今頃は久しぶりの再会に話の花を咲かせながら支度をしているだろう…
トルソーに掛けられた今宵の夜会で纏うドレスは、フラン様のお母様に準備して頂いた物。
フラン様は、ドレスの知識がないから色とデザインを選んだだけだと言っていたけれど、多忙な合間に時間を作って選んでくれたのだと思うと、それだけで心が浮き立つ。
夜会に出席するのを楽しみだと思えたのはいつ以来だろう、早く袖を通したい…
逸る気持ちを押さえてドレスから目を離し、何となく見回した部屋の中、書棚に並べられた1冊の本の背表紙に目が止まる。
「この本は…」
【アキレアの咲く丘で】王女と護衛騎士の恋愛を描いた続き物の物語は、中等学園だった頃に令嬢達の間で流行っていた小説で、私も屋敷に来る商人に頼んで取り寄せていた。
新刊が出た次の日は、学園で友人達と小説の話で盛り上がり、先生に下校を促された事もあった。
ナシェル様の婚約者になったのもこの頃で、騎士と恋をする夢が潰えて、密かに落ち込んだことを思い出す。
それまでは普通に接してくれていたナシェル様が、変わってしまったきっかけとなった本…
『オレリアは何を読んでいるんだ?』
『殿下…その、小説です…』
『【アキレアの咲く丘で】令嬢達の間で流行っている小説か……オレリアも騎士がいいのか?』
『いえ、その様事はーー』
『いいかオレリア、お前は私の妻となる。私だけを見て、私だけに従え。他の男を見る事は許さない』
『…はい、心得ております』
『私の色だけをその身に纏え』
『私が許可するまで口を開くな』
『私の前で辛そうな顔をするな』
『興が乗らない、茶会は中止だ』
『化粧が気に入らない、やり直せ』
『私に何も求めるな、何も望むな、愛などと下らないものは国を統べる者に必要ないのだからな』
ナシェル様の言葉と共に苦い思いが込み上げてくる…
ナシェル様に敬愛以上の思いを抱いた事はなかったけれど、私という存在を受け入れてもらいと思って努力をしてきた。
婚約した頃は、両親の様に仲のいい夫婦になりたいと望んだ事もある。
小説の騎士の様に、愛と忠誠を誓うと言ってもらえたらと期待した事もある。
豹変してしまったナシェル様に戸惑い、この本を読みさえしなければと己の行動を何度も悔やんだ…
拒絶される悲しさや、支配される恐怖から逃れたいと思う反面、認めて欲しいという思いも捨て切れずにいた。
「何も求めるなと言われていたのに…思いの外、私は我儘で強欲だったのね…」
ナシェル様は力を望み、私は愛を望んだ。ナシェル様も言っていたが、相容れない私達が女神の加護の力を発現で出来なかったのは当然の結果だったのだ。
ドレスでギリギリ隠せる場所に刻まれた、左胸の加護の紋に指を当てる…母なる海の元へ還ったとされる女神ジュノーの波の紋章。
私を受け入れてくれるだけでなく、好きと言っても怒らない、同じ想いを返してくれる方…フラン様でなければこの紋が現れる事はなかった。
ナシェル様の時の様に、何かのきっかけで拒絶されたらと思うと少し怖いけど、でも、近づきたい…
「加護…フラン様が護りたいと言ったダリアの民達を、ダリアの未来を私も護りたい。フラン様のおそばにいたい…」
『…扶翼しよう』
「?!……誰?」
誰に話したわけでもない独り言に返事を返され、身体が大きく跳ねた。ガウンの袂を押さえて部屋の中を見回すが姿は見えない…クロエ達も部屋にいない、扉の外に護衛はいるがガウン姿で助けを求めるわけにもいかない。武器になる物は手に持った小説のみ。
マナを巡らせ五感を研ぎ澄ませる。空気の動きを肌で感じて、小さな音も拾える様にーー
『そこまで警戒せずともよい。我は女神ジュノーの眷属』
「……眷属様?」
『我の姿はまだ見えぬか…』
「…申し訳ございません」
『発現したばかりなのだから仕方あるまい、力が馴染めば姿も見える様になるだろうて』
「加護の力…再生の力?」
『再生まではゆかぬ、そこは神の領域…寵児の力は浄める力、あるべき状態に戻す力と言った方が分かりやすいか?』
「浄める力…」
『難しく考えずとも今のままでよい、我の姿もその内見える様になる』
「未熟故、至らぬところも多々ありますが、よろしくお願い致します」
『堅いな…』
「………」
堅いと言われても…神の使いである眷属様に砕けた態度をとれとでも言うのか、そんなの不敬極まりないじゃない!
『ならば、呼び方から改めるとしよう。寵児よ、我に名を付けてくれるか?』
「名前…再生の女神…レナ…」
『レナトゥスか、気に入ったぞ』
「祝着至極にございます」
「…オレリア様?やはりどこか具合が悪いのですか?」
「?!クララ…その…挨拶の練習を…」
「練習……熱心な事はとても良いことですね」
カートに軽食を乗せて戻ってきたクララが怪訝な顔でこちらを窺っている。私に見えないものがクララ達に見えるはずもないのだから当然なのだけど、顔から火が出そうな程に恥ずかしい。
無礼かもしれないけど、レナ様との会話は打ち切らせてもらおう。
「お、お腹が空いたわ。いただいてもいいかしら?」
「いつもよりキツめにコルセットを締めますから、あまり食べ過ぎない様にして下さいね」
「そうね…気を付けるわ」
『美味しそうだな』
「……」
空気を読んで帰っていただけないかしら…




