61:特別営舎 エルデ
王城の敷地内にある騎士達の生活する隊舎、文官の生活する官舎、使用人が生活する営舎。そして、王族専属の騎士、文官、使用人が生活する特別営舎。
「流石元後宮、無駄に広いわね…」
空いてる席に座って、カップとティーポットを乗せたトレーをテーブルに置き食堂内を見渡す。
食事をする人、本を読む人、お茶を飲みながら談笑する人…身に着けている制服はそれぞれ違うが、その表情は一様に柔らかく寛げている事が窺える。
王族の専属に付く人達を中心に、以前から建設が要望されていた特別営舎は、立地や建設費用等の理由で先延ばしにされていたが、ナシェル様の廃太子で醜聞が広がる事を危惧した陛下が、使われていない後宮の一つを特別営舎に改装する事と、ナシェル様の廃太子で自粛した夜会の費用を特別営舎の改装費に充てる事を決められ、この度の完成となった。
後宮だった頃の煌びやかさは全く残っていないが、磨きのかかった床や重厚な部屋の扉、陽光が大きくとれる窓などの多少の名残りもあり、移って来た当初は緊張した。
数日で慣れたけれど…
「こんな短期間で後宮を特別営舎に改装しちゃうなんて…夜会の費用って恐ろしい額なのね…」
「一度の夜会で貴族の屋敷が建てられると言われてますからね」
「?!カイン様…」
真偽は不明ですけど、と付け加えて向かいの席に座ったのは、トレーに遅い夕食を乗せたカイン様だった。
「特別営舎はいいですね、官舎で生活してた頃は出入りの度に身体検査や荷物検査に時間を取られて面倒くさかったんですよ。王族専属だからといって毎回毎回…通いだから検査が厳しいのかと思って官舎に部屋を借りたのに、全く意味がなかった」
殿下の専属侍女になって一番驚いたのは、同じ王城勤めの他の人達に比べて、専属に付く人間の検査が圧倒的に細かい事だった。守秘義務を守る為とはいえ、営舎の出入りの度に荷物や身体検査をされるだけでなく、営舎内での会話まで記録されているのには辟易した…
屋敷から通う時間も惜しいと官舎に部屋を借りていたカイン様は、特別営舎の完成を誰よりも待ち望んでいた1人。
「私も、短い間でしたが営舎でとても気を使いました。同寮と気軽に話しも出来ないなんて…殿下の顔を見るとホッとするくらいでした」
「私はフランの顔を見るだけで疲れますけどね…」
「それは…ここでもよくないのでは?」
「ハハッ…そうですね、本人に直接言うとします」
「………」
本人に直接言うんだ…
「エルデ嬢は荷物は片付きましたか?」
「私の荷物は元々少ないので…ここでお世話になるのも残り二週間程ですし。カイン様はいかがですか?」
「官舎にいた頃は時間がなくて櫃に詰め込んだままでしたが、ここに移ってからは時間に余裕が出来たので、だいぶ片付きましたよ」
「カレンさん達も同じ事を仰ってました。朝も夜もゆっくり出来ると皆さん喜んでます」
「城との距離も近くなりましたからね、時間に余裕が出来るのは助かります」
「そのわりには遅い夕食ですね?」
「フランに捕まりましてね…エルデ嬢はオレリア様とゆっくり出来ましたか?」
「はい。シシリア殿下と3人で過ごさせて頂きました」
儀式で倒れて王城に運ばれたと聞いた時は血の気が引いたが、教皇様のお陰で元気になったと聞いて安心した…それよりもユリウスおじ様の方が心配だわ、晩餐会は大丈夫だったのかしら?
「何か心配事ですか?」
「え?」
「深刻な顔をしているので、何か気になる事でも?」
「いえ、宰相閣下の事を…あの状態で晩餐会に出席して大丈夫だったのかなと…」
「最後に一騒動ありしましたが無事に終えましたよ。宰相閣下も顔は冷やせば元に戻りますから、明日のエスコートは問題ないでしょう。それよりも、ネイト殿のエスコートでなくて残念でしたね」
「アレン様にも同じことを言われましたが、令嬢達に睨まれたくないので…それに、ネイト様に避けられてるみたいだから…」
片田舎の伯爵家の末子の私は幼い頃から自由に生きていいと言われてきた。
ユリウスおじ様に公爵家へ嫁がないかと言って頂いたけれど、公爵家の妻など分不相応も甚だしい、そもそも貴族の妻自体務まるとも思えないと結婚よりも働く事を選んだ。伯爵家の令嬢が働くなんてと言われる事もあったけれど、母や姉がオレンジ畑で父の手伝いをしている姿を見てきた私には働く事に何の抵抗も感じなかった。
デュバル公爵家に侍女として入れてもらい、オレリア様のおそばに付く様になり、充実した日々を送れていたのに…
殿下のお迎えに上がる度に、令嬢達に囲まれているネイト様を見るのが辛かった。ネイト様の事は信じていても感情を抑えるのは難しく、自分が嫉妬深い人間なのだと気付いた時は愕然とした。
私ばかりこんな思いをして不公平だと、ジークお義兄様の小芝居に乗ってしまったけど…ネイト様に嫌われたくない…私はこんなにも弱い人間だったのか…
「ネイト殿は避けてはいませんよ、矜持の問題ですから」
「………矜持?」
「骨のない男にエルデ嬢はやれないと、叔父上に言われましてね…」
『油断しましたね、ネイト殿』
『……あれは不意打ちでしょ、エルデの義兄って何の冗談ですか…セシル嬢との婚約は解消されているんですよね?』
『ネイト殿には残念な報告になりますが、叔父上とセシル嬢の婚約は継続してます。セシル嬢の病気が原因で8年前に婚約が解消されたと言われてますけどね』
『言われてますけどね…じゃないでしょ!?セシル嬢が今も領地で病気療養中なのは世間一般の知るところですが、婚約が継続してるなんてエルデからは何もーー』
『エルデ嬢も叔父上とセシル嬢の婚約が継続している事は知りませんからね…この辺りの説明は面倒くさい上に緘口令も敷かれているので割愛しますけど』
『エルデも知らない?……それに緘口令って…割愛も何もないじゃないですか!?あの様子だとフランも知らないんですよね?もしかして…やばい事ですか…?』
『やばいから緘口令が敷かれてるんです。8年前の事なので勿論フランも知りません。とは言え、セシル嬢が療養に至った経緯に対しての緘口令なので、婚約の事を知っても問題ありません』
『…先ずはキリング家の緘口令の定義を知りたいですね…』
『ネイト殿は叔父上とエルデ嬢の仲を疑っていた様ですが、スッキリしましたか?』
『……スッキリするわけないでしょう、ジーク副団長と義兄弟って何の嫌がらせですか…』
『それではエルデ嬢は諦めますか?』
『そんな選択肢はありません。それに俺の矜持にも関わりますからね、絶対に認めさせてやります』
「あの勝負の後でそんな話を…」
ネイト様に謝りたい、話をしたい。事情を知らないからきっと私以上に困惑しているはずなのに…それでも諦めないって言ってくれた…
「さて、エルデ嬢。食後の散歩に付き合ってもらえますか?」




