58:ジークの秘密
「このドレスが…ネイトから贈られたドレス?」
「……はい」
「殿下からレリに贈られてきたドレスにも驚いたが…ネイトも必死だな…」
居た堪れないといった表情のエルデに見せてもらった濃紺のドレスには、銀糸と翠の糸で刺繍された唐草と星が散りばめられており、腰に巻かれた鈍色のリボンからはネイトの想いがひしひしと伝わってきて…はっきり言って重たい。
明日の夜会に出席するエルデは、今回はオレリアの付き添いではなく、アズール家の令嬢として招待されているが、アズール家からは後継の長兄夫婦が参加し、婚約者のネイトは殿下の護衛の為、伯爵の友人の伯父がエスコートをする事になっている。
「ネイトじゃなくて残念?」
「少し残念ですけど、令嬢達に睨まれたくないので…」
「ハハッ…確かに。アリーシャも心配してたよ、ネイトの人気を知ってるからね。明日はエルデを守るって気合いが入ってるよ」
「それは心強いです。シリル様とクラウス様はお元気ですか?」
「俺もアリーシャも手を焼いてるよ、明日はカイエン公爵家に預けるから、伯母上も大変なんじゃないかな…」
「オクタヴィア様は男子ばかりお育てになられてるから、きっと大丈夫です」
「そうだな、伯母上以上の適任はいないだろうな」
カイエン公爵家からは後継の従兄弟夫妻が参加する為、夜会に出席しない伯母上が息子2人の子守りに名乗りを上げてくれた。
母を亡くしてから伯父夫妻には何かにつけて面倒を見てもらっており、アリーシャの出産もカイエン公爵家でお世話になった。
従兄弟達の子供も男子ばかりで、唯一の女の子であるオレリアを溺愛してきた伯父夫妻は、密かにアリーシャに女の子を期待している…おそらくエルデも例外ではなくなるだろう。
「……ところで、ジーク殿からエルデにと預かってきた物があるんだ」
「このネックレスは…」
「うん、あの日に着けていた物だよ。ネイトから贈られたドレスにも合うし、着けるといい」
「失くなったと思っていたんですが…ジーク様が持っていらしたんですね」
ジーク殿は己の色味はつまらないと言って、贈る相手の色でドレスやアクセサリーを作っていた。エルデに渡したネックレスとイヤリングも翠のエメラルドで作られている。
「…ジーク様が、今でも月に1度はアズール家に足を運んでいると旦那様から伺いました…婚約も解消して、もうとっくに忘れていると思っていたのに…私は何も知らなかった…」
「ジーク殿から聞いたよ、話をしたそうだね」
「王城に滞在する事になって、顔を合わせる機会も増えましたし…あれから8年も経つのに、私もいつまでも拗ねてるわけにはいかないですから…その時に言われたんです、絶対に諦めないって…」
「俺も聞いたよ、あれはもう執念だね…」
「ジーク様の時間は動いてるのに…結婚もせず、アズールに足を運んで…そこまで責任を感じる事はないと思うんですけど…ジーク様の為にも、早く目を覚ませばいいのに…」
ネックレスの石を撫でながらエルデが淋しそうに呟いた。
ジーク殿の為と言うエルデ自身もずっと待っている。これから話す事を聞いたら、冷静沈着な彼女はどんな反応をするだろうか…
「その事なんだけど……ジーク殿は婚約を解消していない。それと…セシル嬢は既に目覚めているんだ」
「…………え?解消してない?目覚めてる…?姉が?婚約してる?目を?覚ましたんですかっ?!」
「落ち着いてっ、エルデ。ネックレスが砕ける…」
「し、失礼致しました…って、落ち着いてなんていられません!アレン様、ご説明して下さい!」
「うん…その前にとりあえず座らない?」
「!?重ね重ね申し訳ございません、直ぐにお茶をお淹れします」
ネックレスを握り締めて詰め寄ってくるエルデをソファに促すと、エルデは慌てながらも慣れた手付きで2人分の紅茶を淹れてソファに座り、一口飲んで大きく息を吐いた。
「予想以上の反応だったな」
「取り乱してしまい大変申し訳ございませんでした…」
「構わない。伯爵の話ではセシル嬢が目を覚ましたのは、殿下とレリの婚約の儀の日、王都に銀粉が降った日だそうだ」
長い眠りから覚めたセシル・ファン・アズールは、アズール伯爵家長女でエルデの5歳上の姉。
今から10年前、ジーク殿が王宮騎士団員だった頃に流行り病の調査でアズール領へ赴いた際、2人の令嬢の兄で、中等学園時代の友人のフェリクス殿に会いに立ち寄ったオレンジ畑で、学園の休校で帰省していたセシル嬢に一目惚れし、アズール領に通い詰めて婚約したという経緯がある。
幸せな2人に悲劇が訪れたのは8年前、セシル嬢は王城で開かれた夜会で、ジーク殿と共に居るところを何者かに襲われた。ジーク殿の助けで外傷は免れたが、犯人に転ばされた際の頭の打ち所が悪く、一命は取り留めたものの昏睡状態に陥った。
犯人は、ローザ帝国から亡命してきた貴族を始末する為に送られてきた刺客で、2人は誤って襲われたのだった。
コーエンの母の時と同じく、陛下の命で緘口令が敷かれた為セシル嬢の事はごく限られた人間しか知らない。
事件がきっかけで、ジーク殿とセシル嬢の婚約は解消され、セシル嬢の婚約者だったジーク殿を兄の様に慕っていたエルデは、姉を見捨てたジーク殿を責め、長い間許す事が出来なかったが、実はジーク殿は婚約を解消せずにセシル嬢の元に会いに行っていた。
「そんな…2ヶ月も前に……婚約の事も、何故…何故教えてくれなかったんですか!」
「エルデに許してもらえるまで、婚約の事は伏せておくとジーク殿が決めたんだ。君から大切な姉を奪う事になったからってね。それと、セシル嬢は目覚めたばかりの頃は錯乱状態で人に会える状態ではなかったらしい…無理もない、起きたら8年も経っていたんだから。セシル嬢が落ち着くまでは誰にも話さないで欲しいと、伯爵夫妻にお願いされてね…この事は陛下と伯父上とスナイデル公爵、父と俺しか知らない。セシル嬢は毎日アズール領の聖堂に通って、司祭と話をしたり祈りを捧げて今も頑張ってる。だいぶ落ち着いてきたと伯爵から連絡をもらって、父と伯父上と共に会いに行ったけど、伯爵夫人に一から教育も叩き込まれて立派な淑女になっているよ。セシル嬢から手紙を預かって来たから後で読むといい」
セシル嬢から預かった手紙をテーブルの上に置くと、震える手で手紙を手に取り、封筒に書かれたセシル嬢の文字を確認すると手紙を抱き締めて嗚咽を漏らした。
「エルデ。明日の夜会をもってダリアの今年の社交シーズンは終わる。その2週間後には王宮騎士団が殿下と共にアズール領へ遠征に向かう事になっている。ジーク殿は殿下の護衛として同行される。エルデも殿下の専属侍女として同行しなさい」
「…ジークお義兄様は、姉の事をご存知なのですか?」
「いいや」
「話さないのですか?」
「遠征に向かう頃はアズールオレンジの花も満開の時期だろう?」
「花は満開ですが、ジークお義兄様に話さない事とどういう関係が……!?アレン様…これから2週間も隠し通せる自信がないです」
「そこは頑張って、エルデのいつもの無表情で」
「アレン様…それは無愛想という事ですか?」




