50:ジークの想い
「アレン、知ってたな?」
「何をです?」
お粗末な模擬戦を披露した王太子一行を演習場から追い出し、剣舞の見学に盛り上がる生徒達を演舞場へ送り出した後、静かになった演習場で素振りをするアレンにジークが問いかける。
「とぼけるな、フランとネイトの事だよ」
「ハハッ…ジーク殿は鋭いですね…レリが暗い顔で王城から帰って来たんでね。初めは殿下だけでなく、エルデとも離れて寂しいのかと思っていたんですが、父にナシェル殿の事と庭園での話を聞いたんです」
「俺も父上から聞いたよ…女嫌いを喧伝しているフランが嫉妬などと耳を疑ったが、愚弟が悪かったな…オレリアは元気になったのか?」
「俺も心配で様子を見に行ったんだが、何か吹っ切れた様な清々しい表情で扇子を振り回してたよ」
「プハッ…愚弟も見限られたか」
「いいや、殿下に歩み寄る為に名前を呼んでるんだそうだ」
「名前?」
「名前ならもう既に呼んでるだろ、フランは堅苦しいのを好まないからな」
「レリが言うには心の内の呼び名だそうです。心の内で殿下と呼んでる間は遠慮が勝って歩み寄れないと、侍女に教えてもらったそうですよ」
「確かに…一理あるな」
「私は妻に何と呼ばれているかは知りたくないですけどね」
「俺も……知りたくないな」
「情けないなお前達、何か思い当たる節でもあるのか」
「私はありませんが、コーエンは思い当たる節しかないでしょうね。ただ、亡くなった母が父のいないところで、“アウロー”と呼んでる事がありましたからね」
「それは…子供の前で口にしていい名前ではないだろう」
「母の口から零れた愚痴を、たまたま聞いただけです。その意味が解る様になったのも母が亡くなった後ですしね」
戦と性の男神アウローは、司る内容から騎士や軍人の間での人気は絶大だが、一国が信仰する神としてはあまり歓迎されていない。
戦よりも愛妻家としての名が通っている男神アウローは、妻を抱く為だけに戦地から戻り、求められ過ぎた妻が大神ヴァナに助けを乞い、それに応えたヴァナが妻を木に変えたのだが、妻が木に姿を変えても尚、求め続けたという刺激の強い大人向けの【創世物語】で語られている。
女性の間では愛妻家よりも変態性の印象が勝っており、騎士や軍人の妻が夫を皮肉る時にその名が使われる。
「まさか…デュバル公爵も、アウローの様に夫人の墓に…」
「コーエンッ!馬鹿な事を言うな!不敬だろ!!」
「冗談に決まってるでしょう。義叔父上?!拳骨はやめて下さいよ!三日は痛みが引かないんですから!?」
「全く…コーエンはふざけ過ぎだ、ジーク殿の拳骨で済んで助かったな。母が亡くなって暫くは父はお墓に行けなかったよ…今でも1人で行くのは嫌がってるしね」
アウローとデュバル公爵を揶揄したコーエンに、ジークの拳骨が振り下ろされ、もんどり打って地面に転がるコーエンにアレンも苦言を呈する。
「公爵閣下は愛妻家で通っていたからな」
「ええ、再婚も勧められていましたが首を縦に振ることなく10年経ちましたからね、流石に再婚の話も出なくなりました」
広大な領地の経営だけでなく社交にも忙しいデュバル公爵に、屋敷の采配や子供の面倒を見る人間が必要だと、カイエン公爵を含め多くの人が再婚を勧めたが、デュバル公爵はノエリア夫人以外の人間を望まなかった。
「10年か…今でも夫人を愛しているんだな…」
「それは、ジーク殿も一緒でしょう?」
「………」
「エルデももう怒っていませんよ」
「分かってる。許せなかったのは慕っていたからだと…本人に言われたからな」
「だったらー」
「まだ手の届く所にいるんだ…諦める気はない」
「確かに…死んでしまったら諦めるしかないですからね」
「コーエン…」
ジークの拳骨から復活したコーエンが頭を押さえながら立ち上がり、ジークに向き直る。
「そんな顔しないで下さい。母の事は何も覚えていないですし、母が亡くなったから義母上とフランと家族になれて、血の繋がりはなくても義叔父上やカインともこうして付き合える。両親には悪いですけど、私には僥倖です」
「いや…もう復活したのか…俺の拳骨の威力も落ちたようだな…」
「そんなわけないでしょう!?もの凄く痛いですよ!さっきも言ったでしょう、三日は痛みが続くんです。子供の頃みたいに泣かないだけです」
「誰も居ないんだ我慢する事はない、泣きたければ泣いていいぞ」
「義母上と同じ事を言わないで下さい」
「まだ姉上に喰らってるのか」
「久しぶりでしたけどね、拳骨を喰らって王都に追い返されたんです」
「フランの事をとやかく言えないだろ…」
コーエンの母は表向きは事故死とされているが、その実はローザ帝国から送られてきた刺客によって命を落としている。
侵略した国や地域を統治するローザ帝国は、皇位を捲る争いだけでなく内紛も絶えず貴族の亡命も多い。ローザ帝国の侵略を警戒する各国は、情報と引き換えにローザ帝国から亡命する貴族を受け入れるが、間諜の疑いも捨て切れない為、監視目的とした自国の貴族との婚姻を結ぶ事もある。
スナイデル公爵とコーエンの母の婚姻もその内の一つ。
命を持ってその疑いが晴れるとというのも皮肉だが、遺されたコーエンと家族の関係が良好だという事を拳骨で知れるというのもまた皮肉な話。
「諦める気はない…か……」
ジークの8年を知る人間は少ない。
知っているのは、陛下と宰相にスナイデル公爵とコーエン、そしてデュバル、キリング、アズール三家の者だけ。
伯爵の地位にあり近衛騎士団副団長を務めるジークが、31歳という年齢にも関わらず独身を貫いている事を、誰も不思議に思わない程に自然に振る舞っているが、内に秘めた想いは執念とも言える。
「ジーク殿。社交シーズンが明けたら、殿下と王宮騎士団がアズールへ遠征に行くと父から聞きました」
「海側の領地の魔物出現率が上がっている事は、アレンも知っているな?」
「ええ、うちとラスターで各領地に軍を派遣してますから。アズールは中央に位置しているので、今はラスターと交代で軍を派遣してます」
「アズールオレンジを守ると言ってラヴェルが遠征に名乗りを上げたんだよ。殿下の護衛として#うち__近衛__#からは俺とネイトとウィルが同行する事になっている」
「そうですか…楽しみですね?」
「仕事に楽しみはないだろ…まあ、アズールオレンジは食べ放題だな」
「残念ながら…アズールオレンジの収穫期は12月です。一旦寝かせて出荷して、食べ頃は春先ですね」
「それじゃあ何が楽しみなんだ?」
「花が…満開の時期なんですよ」




