35:囲まれる エルデ
王城の夜は明るい。
今夜は雲が月を隠しているが、城壁の上に焚かれた警護の為の篝火と、夜の庭園を魅せる為に灯された魔灯が暗さを感じさせない。
昼間の急きたてるような強い明るさと違って、夜の見透かされるような優しい明るさは、見たくないものまで見えてしまいそうで、1人で居るのは心細い…けど、まだ戻りたくない。
『貴女も傷付いてたんでしょう?』
ネイト様に言われた言葉が頭から離れない。
あの場に居たドナさんに、オレリア様の事をお願いして、庭園の隅に置かれたベンチに身を隠している。ナシェル様と面会する事になったオレリア様は心配だが、殿下が居るからきっと大丈夫。
「もう…どうすればいいのよ…」
ソアデン伯爵家は優秀な騎士を輩出している由緒ある武の家門で、同じ伯爵位でも片田舎のアズールとは天と地程の差がある。ネイト様自身も令嬢達に人気だとドナさんが話してた。
社交は無用なんて言ってたけど、親戚付き合いだって社交の一つ。
ちゃんとした家柄の令嬢と結婚した方がいいに決まってる。
「そうね。きちんと断らないと」
「何を断るのかな?」
「??!!」
なんでこんな所に人が?しかも王宮騎士団長なんて、普通に過ごしてたら会う事も叶わないようなお方。
「驚かせてすまない。こんな所でサボりか?」
「…申し訳ございません」
「謝る必要はない。そんな隅に隠れてるから揶揄っただけだ。その制服は、王城の侍女ではないみたいだね」
「し、失礼致しました…ラヴェル騎士団長様。オレリア様の専属侍女をしております、エルデ・ファン・アズールと申します」
ネイト様から逃げて、隠れて、こんな所でサボってるなんて知られたら、オレリア様の、デュバル公爵家の恥になってしまう。なんでこんな所に隠れてしまったのか悔やんでも悔やみきれない。
オレリア様の所に戻ったら暇をもらおう。領地に帰って、オレンジを沢山作って、オレンジと結婚しよう。エルデ・ファン・アズールオレンジ。悪くない名前だわ。
もう、現実逃避でもしないとやってられない…
「エルデ…?君が……そうか…そうか!君があのエルデ嬢か!」
「あ、あの…?」
「うちのうちの愚弟が慕っている令嬢に会いたいと思ってたんだ。女遊びも止めて、見合いも全部断って、 本気なのは伝わったが、2年前に一目惚れしたって聞いたきり。家に連れて来いと言ってんるんだが、のらりくらりと躱されてね。近衛の奴らに美人だと聞いてはいたが…本当にあいつには勿体ないくらいの別嬪さんだな」
「………」
1人盛り上がっているが、何の話をしているのかさっぱり分からない。エルデなんてありふれた名前の令嬢はいくらでもいる。誰かと間違えているのではないだろうか…
「あの、大変申し訳ないのですが、人違いなされてるのではないかと…」
「君はアズール伯爵家の令嬢だろう?アズールオレンジは我が家の好物でね、酷使した身体に染み渡るあの甘さはクセになる」
「ありがとうございます…?」
「それで?いつ嫁に来てくれるのかな?」
「………はい?」
「ああ、すまない。つい嬉しくてはしゃいでしまった」
「……ラヴェル騎士団長様。私は伯爵家の娘ですが、今はオレリア様に仕える身です。貴族令嬢としての教育は最低限で貴族の妻は務まりません。それに、私は今の仕事を辞めるつもりもありません」
「仕事を辞める必要はないだろう。貴族の妻といっても、家は粗雑な輩ばかりの武門の家だから社交もないしな」
このやり取りは、まるで昼間の再現ではないか。1人になりたいのに…騎士ってこんなに強引な人ばかりなの?
「そういう訳でエルデ嬢。ソアデン家は諸手を挙げて歓迎するよ」
「?!!?ソアデン家ですって!?」
なんて事なの…ラヴェル騎士団長がソアデン伯爵家の人だったなんて…関わる事なんて殆どないから、顔と名前だけで家名まで覚えてなかった。己の失態に崩れ落ちそうになる。それだけじゃない、ラヴェル騎士団長がソアデン家って事は…まさか、愚弟ってーー
「つ、つかぬ事をお伺いしますが、ラヴェル騎士団長の弟君というのはーー」
「俺です」
「っひゃあっ!?」
突然割り込んできた声に飛び上がって振り返ると、今、一番会いたくない人が立っていた。
「兄上、こんな所で何をしてるんです?イアン団長達と打合せなのでは?」
「少しくらい待たせたって大丈夫だろ。そんな事より、ネイト。エルデ嬢との結婚はいつなんだ?父上と母上に報告と、アズール伯爵にも挨拶をしなくてはならないからな。今は国が大変な時だから結婚式は当分無理だが、先に籍だけ入れておけばいいだろう」
「…兄上、申し訳ないのですがその話はまた今度。エルデ殿に逃げられて、やっと見つけたところなので」
「逃げられた?…こんな隅に隠れてたのはネイトから逃げてたからなのか?…ネイト。エルデ嬢に何をした?…まさか……無体を働いたのではあるまいな?」
何?どうして急に怒り出したの?何をそんなに怒ってるの?どうして剣に手を掛けてるの!?
「ネイトっ!そこに直れっっ!!令嬢に無体を働くなど騎士にあるまじき行為。ソアデンの名に於いて、此処で斬るっ!」
「??!!!いやっ!やめてっ、お願いしますっ!ネイト様は悪くないんです!私が勝手に逃げ出したんです。恥ずかしくて、仕事を言い訳にして逃げたんです!わ、私なんかじゃネイト様に釣り合わない……っ…家族も領地も…オレンジも大好きだけどっ……っ片田舎の伯爵家の娘なんて娶ったら、ネイト様が笑われてしまうっ…っ……お願いっ…っします……ネイト様を…っ斬らないで………毎日っ好きって言ってくれるって……っ…ひ、膝の上に乗せてっ、いっしょ……っに…お茶を飲んでくれるって……まだっ、まだ何もしてもらってないっっ……」
「「………………」」
ネイト様の濃紺の常装は涙でグチャグチャ…私の頭の中も、言ってることもグチャグチャ…でも、ダメ、この人は絶対に斬らせない…
「…うちの愚弟と結婚してくれるか?」
「…します…っだからっ斬らないで…」
「だ、そうだ。ネイト」
「…兄上、もう…いいから行って下さい…」
「すまなかったな、エルデ嬢。だいぶはしゃぎ過ぎてしまった」
「………ぇ?」
高笑いで去って行くラヴェル騎士団長…はしゃぎ過ぎたって何?
「2年…やっと捕まえた」




