29:裏側 ネイト
「クリームは必要なかったわね」
エルデ殿の呟きを聞いて天を仰ぐ。
フランよ、ソースの心配をしていたが、クリームだったぞ。油断してるところを責める腹積りだったとは、相手はなかなかの策士の様だ。
オレリア様の専属侍女、エルデ殿はアズール伯爵家の末子でもうすぐ20歳。伯爵領特産のアズールオレンジは王都でも人気で、爵位も長兄夫妻が後継する事が決まっており安泰。
本人は貴族の令嬢としては嫁遅れと言われる年齢だが、気にしている様子はなく、嬉々としてオレリア様の世話をしている。
オレリア様の輿入れの際は、王太子妃の専属侍女として、王城に来る事になるだろう。
亜麻色の髪に夏を思わせる翠色の大きな瞳、化粧も最低限なのだろうが美人だ。夜会に出れば間違いなく注目される。
少し目線を下げると、亜麻色の髪をシニヨンで纏めた小さな頭と影を作るほどに長いまつ毛が目に入る。
初めて見かけたのは、オレリア様の近衛騎士団見学に付き添ってきた2年前。オレリア様の少し後ろで、泣きそうな顔をして付き添っていたのを覚えている。暑苦しい騎士達に怯えているのかと思ってたが、その後も何度か同じ場面を見て気になっていた。
面会の日にエルデ殿から話を聞いて、オレリア様のことで傷ついていたのだと判明した。
オレリア様の心配ばかりしているが、エルデ殿も相当抱え込んでるだろう。
主人と同じく、基本無表情。常に冷静で、礼儀正しく、隙がない。
だが今はどうだ。俺達がさっきの話を聞いていたと知り、仕事も忘れて仰ぎ見てきたエルデ殿の新緑の瞳は、ほんの少しの衝撃で雫が溢れ落ちそうな朝露を含んだ葉の様に潤みきって、驚きと羞恥に染まった頬は美味しそうに熟れている。小さな唇は言葉を紡ぐのも忘れて半開きのまま。かぶりつきたい衝動を押さえ、ごまかす様に前を向く。
あんな話を聞いた後でその表情は反則だろ。
本音じゃないなどと言ってるが、そこまで恥ずかしがられては説得力に欠ける。
俺からすれば可愛い要求だが、未婚の貴族令嬢からしたら、嫁げなくなる程に知られたくない事らしい。
その知られたくないけどして欲しいを察して、実践となると、機微に聡い男でも至難の技だろう。
男色疑惑で切実な俺からすれば、エルデ殿の秘密にしたい恋人への要求など些末事。もどかしい主人の為に頑張ったのだから胸を張っていい。
話しを切り上げたエルデ殿は半ば放心状態。その先には、歩みを止めて薔薇を眺めるオレリア様と、後ろからオレリア様の腰に手を回しながら話しかけるフラン。
初心者だの、段階だのと騒いでいたのが遠い昔に思える程のイチャつき具合。
報告書の提出は免除されたが、怠慢は許されない。
気を引き締めてフランを観察する。
ーーー
「フランお義兄様!」
「シシー、ダンスの授業は終わったのか?」
「これからです。今日はテストなの。合格する様にって、頭を撫でて下さい」
シシリア王女殿下の後ろでは、侍女殿が鏡と櫛を持って待機している。
両手を使って、掻き回す様に頭を撫で回すフランと、フランの腰に抱き着き、怒りながら頭を押し付けるシシリア王女殿下のやり取りは、王城のお馴染みの光景となってきている。
「笑顔が戻ってきたな…」
オランド殿下のサルビア王国へ婿入と、ナシェル殿の王族籍廃籍。年の離れた第一王女殿下は既に他国に嫁いでおり、陛下はナシェル殿の尻拭いに忙しく、王妃陛下もショックで体調を崩していた為、実質1人となったシシリア王女殿下は殆ど笑わなくなった。
『フランお義兄様が王太子になるのですか?』
『ああ、シシーと兄妹だな』
『兄妹……?それじゃあ、フランお義兄様も頭を撫でてくれますか?』
『頭を…撫でる?』
『オランドお兄様と、ナシェルお兄様は撫でてくれました』
『…そうか、なら今日からは私が2人の分も撫でよう』
『って、フランお義兄様?!髪型が崩れてしまいます!』
『オランド殿下と俺とナシェルの3人分だから、仕方ないだろう』
『………フフッ、そうね…3人分だものね。仕方ないから許して差し上げますわ』
「今日もまた、派手に掻き回したな」
「シシーは来年から学園だろう?縁談の話も出てくるし、直ぐ大人になってしまう。今のうちに目一杯、愛でておきたいんだ」
「すっかりシスコンだな…」




