107:背負うという事
「……朝…か……っ痛っ……」
目蓋を閉じていても光を感じる。
痛みが酷く殆ど眠れなかったが、それでも意識を手放す瞬間もあった様で、光を認識した途端、身体にも痛みが走った。
「……っ…重っ……え…?」
同時に感じた左肩の重みを、確かめる為に視線を向けて目にした色に、眠気と、痛みまでも吹き飛ぶ。
目に入ったのは朝陽……ではなく金髪。
髪と同色の睫毛がフルリと揺れ、開いた目蓋から現れたのは…俺と同じ碧眼。
「……なん……ぇ?ナ…シェル…?」
見開いた俺の瞳に映るのは……ナシェル…
隣りで眠っていた筈のレインの姿なく、代わりにあの夜会の日に刑に処された筈のナシェルがいる事に、驚きで覚醒した頭は混乱を極めた。
「…お、お前……どうして……生きて…」
「………ぁ……チッ…ったく、時間切れか……フラン、目を閉じろ、もう一度寝て、忘れろ」
俺の声に反応して目を覚ましたナシェルが、俺の瞳に映る自身の顔を視認して目を見開き、髪を一房手にして金色を確認すると、ヤバい、という顔の後、開き直った様に舌打ちをして尊大に言い放った。
ナシェルがレイン……?いや、そんな事より…
「…そんな事…無理に決まってるだろっ!なんで、お前がっ……生きてるんだっ!…っ…」
寝て忘れろと言われて、はいと返事をして目を瞑る馬鹿はいない。
これまでにない衝撃に襲われ、怪我を負っている事も忘れて声を上げると、折れた肋に痛みが走り、肋を押さえて蹲る。
「大声を出すなよ、傷に響くぞ……それと…俺は死んだよ…毒杯の刑に処されて死んだ」
頭上からナシェルの傷を労わる言葉と、少しの間を置いて毒杯の刑で死んだと言う事実が改めて語られた。
今、間違いなく、死んだと言った…なら、ここに居るのは…?
「?!…じ、じゃあ…幽霊ーー」
「生きてるよ!!見れば分かるだろっ…っ…」
「死んだ振りかっ?!」
「だからっ!死んだって!言ってるだろっ!」
「~~っどっちなのかはっきりしろっ!!」
狭い洞窟の中で、2人の声が反射する。
俺の頭の中も相当散らかっているが、ナシェルも言っている事も大概におかしい…埒の明かない問答に苛立ちばかりが募る。
反射した声が鎮まると、洞窟の外から聞こえてきたのは、夜明けを知らせる鳥の囀り。
洞窟の入口側に座るナシェルの金髪に朝陽が差し、その輝きが増す。合わせた碧眼を外したのは、ナシェルが先だった。
そして、その口から出た言葉に、俺は再び目を見開く事になる。
「………影になったんだよ…」
国王のみに忠誠を誓い、首を垂れ、国王の為だけに動き、国王以外にその素顔を明かす事はない影。
その影にナシェルが?…伯父上はこの事実を知っているのか…?
「………影?…って?……何処の国の影…?」
「~~っダリアに決まってんだろっ!」
ダリアの影…ならば、伯父上はナシェルが生きている事を知っている。
何の意図があってナシェルを影にし、俺に侍らせたのか…
王となれば分かる事なのかもしれないが、知った事実の真実を、王となるその日まで知らないままにしておく気はない。
「……説明しろ、俺には聞く権利がある」
「いや…ないだろ」
「ある。俺は次期ダリアの王だ」
逃げる事は許さない…お前が放棄した地位を引き継いでここに居るのだと暗に告げた。その言葉を理解したナシェルは、観念したのか、長い沈黙の後に話を始めた。
「………陛下は、女神の声を聞いている、傾国の騒ぎを起こした元王族の俺の刑罰を…決めかねていた…教皇は、俺を聖皇国へ連れて行く事を考え…俺との面会を希望された。だが…その面会の前に俺の聞いた声が眷属の声だった事が判明して、陛下は俺を影にすると決められ…教皇もそれでいいと許可された。王皇族の刑に使われる毒杯とは…影を意味する隠語だそうだ」
伯父上が決めたナシェルの刑に、教皇が否やと答え聖皇国へ連れて行くと言えば、伯父上は逆らえない。
何故なら、教皇は王皇族の進退に干渉出来る権限を持っているから。
それは他ならぬ民の為の救済措置であり、悪政を強いる王がいれば承認を取り消し、民の為の反逆者であれば王として承認もする…至高の者だけが持つ権限。
一度は選られたナシェルを、教皇が聖皇国へ連れて行く事を考えていた事は理解出来るが、伯父上がナシェルを影にした理由が分からない。
教皇と共に聖皇国へ行くのでは駄目だったのか…?
「……お前との面会の後で色々考えた。夜会の日に、イアンと最期の晩餐てのをした時にもイアンと話をして…己の愚行に漸く気付いた…毒杯を飲む前に、教皇に回帰したらどうしたいかと聞かれて、どんな形でもいい、再びダリアで生を受けたいと答え、影として生まれ変わった…だが……俺の死に悲しむ母や、姉、妹……空の墓に…花を手向けに通うお前やエルデ、似合わない大聖堂で俺に祈りを捧げるイアン…そして…オレリア……俺の死を悲しみ悼む姿を見るのが、ここに居ると言えない事が…抱き締めて涙を拭えない事が…こんなにも辛くて痛いとは…思わなかった…俺にこの苦しみを与えた陛下の苦しみが…こんなにも重いものだとは……思わなかった…」
立てた膝に顔を埋め、涙と共に苦しみを吐き出したナシェルにを見て、夜会の翌日に力なく笑った伯父上の顔と、己を非道と称したあの言葉が過ぎる。
『王とは父に非ず、いや…最早人に非ずだな…』
遺された者の悲しみを目の当たりにするのは…どれだけ辛いのだろうか…
ここに居るのだと言えない事は、どれ程苦しいのだろうか…
それが、愛する者であったなら尚の事…
死をもって償う方が、心は楽だったかもしれない。
そして伯父上もまた、己に罰を科した。
其処に在るのに名前も呼べず、息子を亡い者として、妻と娘の悲しみを受け止める事を、伯父上は選んだ…
「ナシェル…陛下はお前の罪を共に背負うと決められた。お前を愛する伯母上やシシーに、お前を刑に処すと伝える事は、身を斬られる以上の痛みだっただろう…オリアーナ義姉上も…あんな風に涙する姿を俺は初めて見た。ラヴェル、イアン、ジークは酒に酔い潰れて酷かった…オレリアも…部屋から一歩も出られなかったと宰相が話していた……黒ダリアも…お前の好きな花を、オレリアは忘れていない…」
「……ゔっ…っく…」
「これからも、お前は手を伸ばせない苦しみを背負って生きていくんだ。陛下と…そして俺と共にな」
「…っ……フラン…」
俺の言葉に、涙に濡れた顔を上げたフランに、俺と問答を繰り広げていた時の尊大さは、もうない。
両の手でナシェルの顔を包み、悔いる様な、救われた様な、何とも表現し難いナシェルの碧眼と視線を合わせて、己の決意を再度伝える。
「ナシェルと名を呼べない淋しさを、生きているお前を殺しながら共に過ごす苦しみを…俺も背負う」
「…っ……フランッ……ごめんっ……」
伯父上と同じ癖のある金髪を撫でると、顔を歪めて抱きついてきた。
レオンとレイン…どちらが名付けたのかは知る由もないが、誰にも明かす事の出来ない、精一杯の愛を、レインという名に込めたのだろう。
一発殴ってやりたかったが、それよりも今は抱き締めたい。
己を悔い、生まれ変わって尚、苦しむ従兄弟を…
鳥の囀りに混じって、遠くから騎士達の声が聞こえてきた。
「…じきに迎えが来る……ナシェル、髪と瞳の色を変えろ。一緒に帰るぞ………レイン」
「……御意に」
王族でなければ、伯父上も、ナシェルも、俺も…ここまで背負う必要はなかっただろう。
辛い、苦しい…それでも、俺は…
「お前が生きててよかったよ…ナシェル」




