村の娘リリエルはあの子を解放してあげたい
リベリア伯爵の跡取り息子、テオバルトはこの国の貴族令嬢なら誰もが憧れるイケメンである。爽やかで整った顔立ち、サラリと高い背にバランスの取れた筋肉、薄茶色の髪に瞳はアメジストという見た目だけでも女子は涎ものなのに、家柄・財力・性格まで兼ね備えた完璧超人なのである。
この国の社交界で今最も騒がれているのが、第二王子のオスカー、侯爵家の子息であるベンジャミン、そしてテオバルトの三人である。三人は仲が良く、狩猟大会などで戯れあっている姿は貴族令嬢の目の保養になったいた。
そんな3人のうち2人には高い身分の男性にしては珍しく婚約者がおらず、テオバルトにだけは婚約者がいる。
社交界中の女性を絶望へと叩き落とす存在、それがマクガン侯爵令嬢のエミーリアである。
「テオバルト様、よろしければ一曲いかがでしょうか?」
舞踏会中盤、テオバルトに声をかけたのはこの国一番の美女と称される伯爵令嬢のカミラ。
「エミーリア、行ってきてもいいかい?」
傍に立つ小柄な金髪の令嬢、エミーリアにテオバルトが尋ねると、彼女は微笑んで頷いた。
「じゃあ、行こうか」
テオバルトがそう言ってカミラの手を取って数歩進んだ時、後ろでエミーリア小さく呻き声を上げる。
「エミーリア!また心臓が?」
「はあ、はあ。いえ、なんでもありません…ちょっと締め付けられたような感じがしただけで」
「大変だ。休憩室へ行こう」
テオバルトはカミラに謝罪を入れると、エミーリアを抱き抱える。テオバルトの首に手を回したエミーリアはカミラの方を振り返って、ほんの少しだけ微笑んだ。
「まあ!またですわ」
「エミーリア様ったらあんな真似ばかりして恥ずかしくないのかしら?!」
カミラの周りに貴族令嬢たちが集まる。
そう、エミーリアは独占欲が強くテオバルトが他の令嬢と踊ろうとすると心臓が痛んだフリをするのだ。
「だいたい、心臓病って本当なのかしら?」
「それは本当らしいわよ。それを盾に彼女の父上がテオバルトに婚約するように圧力をかけたんだもの」
カミラが吐き捨てる様に言う。
「まあ!信じられない!」
「テオバルト様なんてお可哀想なのかしら!」
女性たちの声はどんどん甲高くなり、インコの合唱大会のようになっていた。
「皆さん、そんなに婚約者のいる男がいいんですか?」
その中に切り込む様なハスキーな声。
「ベンジャミン様!」
「今夜こそ麗しのカミラ嬢と一曲と思っていたのに」
「…えっ、そんな…光栄ですわ」
ベンジャミンはカミラの手を取ってダンスフロアに連れ出す。カミラはもうすっかりテオバルトの事は忘れているらしかった。
(全く、本当に可哀想なのは誰かって話だよな)
***
「テオ様、いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません」
休憩室のソファでエミーリアはしょんぼりと肩を下げて謝った。
「いや、君の体調が一番大事だからね」
テオバルトは小さく微笑んだ。
(やっぱりテオ様は私のものよね。カミラ様となんてぜーったい踊らせないもの!)
エミーリアは内心では舌を出しながら落ち込んでいる様に俯いた。
「でも、エミーリア。最近発作が起こることが多くないかい?体調が悪いなら無理して社交界に参加しなくてもいいんだよ」
「だ、大丈夫です!休めば良くなりますし、それにテオ様のお側にいたいので…」
テオバルトの表情が少し翳る。
「気持ちは嬉しいけど…エミーリアは社交界に出てもずっと俺の側にいるだろ?それじゃあ、君の世界が広がらないと思うんだ。もっと他の人と話したりしてみる気はないの?」
「私はテオ様だけいればそれで十分です。テオ様は違うのですか?」
エミーリアのだいぶ重めな言葉にテオバルトはため息ついた。
「俺と話すだけなら社交界に顔出す必要はないよ。昔みたいに侯爵家に呼び出せばいい」
「そんな言い方…」
エミーリアは確かに昔からテオバルトが大好きで、父にせがんでテオバルトを領地に招いてもらっていた。
「こんな言い方はしたくなかったけど、俺には俺の付き合いがあるんだ。君とずっと一緒という訳にはいかない」
テオバルトの言葉にエミーリアの顔の血の気が引いた。
「今日はもう帰ろう。馬車を用意させるからちょっと待ってて」
そう言い残すとテオバルトは部屋を出て行ってしまう。
(どうして、テオ様は急にあんなことを…もしかして気になる女性が現れたのかしら?でも社交界では女性とほとんど話してない筈だし…あり得るとしたら伯爵家の使用人や領地の娘?)
テオバルトが馬車を用意して戻ってくる頃には、エミーリアはテオバルトの領地に偵察に行く決意を固めていた。
***
リベリア伯爵領は緑豊かで、農業が盛んな地域である。『リベリア領の綺麗な空気を吸ったら気分が良くなりそう』と父におねだりをしたエミーリアはまんまとリベリア領へ遊びに行く許可を得ることができた。
侯爵家の諜報員を使って調べた情報によると、テオバルトは最近テーゼ村という小さな村によく視察に行っているらしい。
「お久しぶりです。新しい水車の調子はどうですか?」
「おや、これはテオバルト様。おかげさまで今年は小麦を多く出荷できそうです」
村人と会話をするテオバルトを影からこっそり見守るエミーリア。
(ああ…テオ様なんてかっこいいのかしら)
「テオバルト様!」
鈴の様な可憐な声が響く。
「リリエル!」
嬉しそうなテオバルトの元に駆け寄ってくるのは珍しいピンクゴールドの髪をした、妖精の様に可憐な美少女。
(だ、誰よ!あの女ー!)
「いらしてたんですね。お会いできて嬉しいです」
「ああ、俺もだよ。フランツの容体はどう?」
「テオバルト様が採ってきて下さった薬草のおかげですっかり良くなりました」
「なら良かった」
エミーリアの知らない話を続ける2人にエミーリアは嫉妬で体を震わす。そして、嫉妬のあまり壁から大きく体をはみ出してしまう。
「あの、テオバルト様。そこのいる方はお知り合いですか?」
リリエルの言葉にテオバルトは振り向いてエミーリアを見つけた。
「エミーリア!何をやってるんだ?」
「療養で、自然豊かな所に来たのです」
テオバルトはため息をついて、エミーリアの手を掴んだ。
「だったら、屋敷でちゃんと寝てたほうがいい。戻るぞ」
「待って下さい。せっかく来たのだからお茶でもどうでしょうか?」
リリエルはエミーリアの方を見てムカつくほど優しい笑顔で微笑んだ。
その後のお茶会で、リリエルはとても美味しいお茶を入れて、手作りのお菓子を振る舞い、常にエミーリアを気遣ってもてなしてくれた。
エミーリアはその都度小姑の様に小言を言い、侯爵家の財力を強調し、テオバルトとエミーリアがいかに仲のいい幼馴染兼婚約者かを語ったが、リリエルは全くダメージを負った様子はなかった。
「君は一体何を考えているんだ!」
帰りの馬車で、テオバルトは珍しく腹を立てた様子でエミーリアを睨んだ。
「あの娘が余計な希望を抱かないよう釘を刺したまでですわ」
「希望?」
「例えば、テオバルト様と結婚できるというような」
「彼女とはそんな関係じゃない」
テオバルトの言葉にエミーリアはそっぽを向く。
「テオ様にそのつもりがなくても、向こうは恋情を抱いている可能性はありますわ。下手に庶民の娘に肩入れなさらないように」
テオバルトは何も答えなかった。
それから一月の間、エミーリアはテオバルトの視察にくっついて回り、テオバルトがリリエルと接触しようものなら心臓が痛んだふりをしたり、嫌味を言ったりして邪魔をし続けた。テオバルトだけでなくリリエルがいよいよ怪訝な顔をし始めた頃、伯爵領へ手紙が届いた。
「まあ、殿下がいらっしゃるのね」
それは侯爵領にオスカーが避暑にくるからエミーリアに帰ってきて欲しいという内容だった。エミーリアとオスカーは母親同士が姉妹の従兄弟で、昔から仲が良い。社交界ではテオバルトから離れないエミーリアが唯一親しくしている同年代と言える。
「じゃあ、君は領地に帰るのか?」
「ええ。名残惜しいですけど…」
(まだ、リリエルを排除できてないし)
「そうだね。でもオスカーも君に会いたいはずだ」
「まあ、私もお会いしたいです」
エミーリアにとってオスカーは唯一気を許せる同年代であり、テオバルトへの恋の相談をできる相手でもある。
しかし、帰宅準備を整え帰ろうとした当日、エミーリアの心臓が痛み出し、帰宅は延期になった。
(うう…苦しい。どうしてこんな急に…仮病ばかり使っていた天罰かしら)
「大丈夫?ほらこれだけでも飲んで。少し楽になる筈だ」
テオバルトはベットでうなされるエミーリアを抱き起こして、薬湯を飲ませてくれた。
「ごめんなさい、テオ様。お仕事があるのに、私に付きっきりで」
「婚約者だからね。当然のことをしてるだけだよ」
久々にテオバルトの優しい顔を見たエミーリアは涙を滲ませる。
「ごめんなさい、めんどうくさい子でごめんなさい」
ボロボロと泣き始めたエミーリアをテオバルトはそっと抱きしめた。
***
心臓の痛みは1日で治ったが、いつになく高熱が出たこともあり、長時間の移動は危険と判断され一週間経った今でもエミーリアは伯爵領にいる。
すこしは体を動かそうとエミーリアが領地を散歩していると、なぜかリリエルが現れた。
「あら、ご機嫌よう」
「エミーリア様。もう体調はよろしいのですか?」
「ええ。もうすっかり良くなったわ」
リリエルは意を決したようにエミーリアを見つめる。
「エミーリア様、少しお話ししたいことがあるのですが」
リリエルがエミーリアを連れ出したのは領内にある小高い丘だった。
「単刀直入に申し上げます。エミーリア様、もうテオバルト様を解放してあげて下さい!」
リリエルの言葉にエミーリアはぽかんと口を開く。
「どうしてそんな話になるのかしら?」
「エミーリア様が病気を盾にテオバルト様を婚約者にしていると聞きました。それに、村に来た貴女は仮病でテオバルト様の気をひこうとして、彼の仕事を邪魔してばかり…」
エミーリアは鼻を鳴らした。
「私が仮病かどうかなんてなぜ貴女に分かるのかしら?」
「私は医術の心得があります。貴女が心臓の痛みを訴えた時呼吸も脈も正常でした」
うっとエミーリアは言葉を詰まらせる。
「そもそも、本当に心臓がお悪いのですか?普通心臓が悪い方は過度な運動は控えるものですが、貴女はテオバルト様を追いかけて走り回ってましたし、舞踏会にもよく参加しているそうですし」
その言葉にエミーリアは意地悪く笑った。
「私が嘘をついているとでも?侮辱罪で捕らえられたいの?」
「私は疑問を述べているだけです」
リリエルは冷静である。
「残念だったわね。私の心臓は普通の病に侵されている訳ではないわ。魔女の呪いにかかっているのよ」
「魔女の呪い?」
リリエルは心底疑わしそうな目でエミーリアを見る。
「ええ、私の父が魔女に惚れられたらしいの。でも父は魔女を振ってしまった。その腹いせに魔女は生まれた子を呪うと宣言して消えたらしいわ」
「嘘でしょ…」
リリエルの愕然とした顔にエミーリアは余裕の笑みを浮かべる。
「本当よ。現に私の胸元には魔女の呪いの刻印があるわ」
「なら、その刻印を見せてください」
「良いわよ」
エミーリアはワンピースのボタンを外して胸元を広げようとした瞬間、心臓に痛みが走り踞る。
「エミーリア!」
いつから側にいたのか、テオバルトが駆け寄ってくる。
「大丈夫です。少し痛んだだけですぐ治りました」
「もう、帰ろう。リリエル、君は今後エミーリアには近づかないように…」
テオバルトがリリエルに厳しい言葉を投げかけたのでエミーリアはこっそり喜びながら、さぞ落ち込んでいるだろうとリリエルを見た。
しかし、リリエルはニッコリ微笑んでいた。
「やーっと尻尾を見せてくれましたね。テオバルト様」
そう言うとリリエルはテオバルトの左手を掴んだ。テオバルトが引き剥がそうとするが、リリエルはびくともせず、そうこうしている間にテオバルトの左手の甲に模様が浮かび上がってくる。
「それは…魔女の…」
目覚えのある模様にエミーリアが言葉を失うと、リリエルが続けた。
「そう、貴女を苦しめている魔女の呪いの刻印の対になるもの。これは呪いの使用者の方に出る刻印です」
テオバルトは諦めたように首を振った。
「リリエル、君は何者だ?」
「この呪いをかけて、十数年後に子どもに騙し討ちで魔力を抜き取られた間抜けな魔女の知り合いです」
テオバルトは首を傾げた。
「魔力を抜き取った魔女は消えてしまったと思っていたんだが」
「そう簡単に消えませんよ。まあ、魔力がなくなって赤ん坊の姿になってたので、話せるようになったのは最近らしいですけど」
リリエルは肩をすくめた。
「その知り合いに頼まれて、彼女の魔力を取り戻しに来たんです。まさか、魔女を倒した少年が呪いを使い続けてるとは思いませんでしたけど」
三年前、テオバルトは婚約者を苦しめる呪いの主である魔女を罠にかけて魔力を抜き取った。しかし、それだけでは呪いは消えず、なぜか魔力と共に呪いの主導権はテオバルトに渡ってしまった。
「エミーリア様の仮病にも当然気づいていたんでしょう?」
「ああ。この際だから言うけど、仮病使ってまで俺に執着するエミーリアは可愛かったし、それぐらい好きでいてもらわなきゃ落ち着かないからな」
(怖っ…)
リリエルは人間の恐ろしさに身震いした。
「それで、自分の元を離れそうになったり、他の人間に肌を見せそうになったら呪いを使って邪魔してた訳ですね」
「他の人間に肌を見せそうになったのはさっきの一回だけだ。まんまとお前にハメられた訳だが」
呪いの力を使うと、呪いの元である刻印と呪い先の刻印が魔力で強く繋がる。先程呪いを発動したタイミングでリリエルは魔力の動線を確認したのだ。
リリエルはチラリとエミーリアを見る。そもそも、リリエルがこの頼みを引き受けたのは、魔女の呪いで苦しんでいる女の子を救ってあげたかったからなのだ。
さぞ怯えているだろうと思っていたエミーリアはなぜか顔を真っ赤にして俯いていた。
「テオ様が、私を可愛いって…可愛いって言ってくれた。それに、離れないように呪いを使って…」
キャーっと嬉しそうに顔を両手で覆うエミーリアを見てリリエルは割とドン引きした。
「一つ不思議なんですが、そこまで仕組んでおいて何故エミーリア様を疎んでいるような演技をしてたんですか?」
「その方がエミーリアは必死になって俺を追いかけるだろ?あと、半泣きになってる顔が好きだからだな」
リリエルはこれが終わったら牧場でひたすら羊を撫で回そうと決意した。
「もう十分堪能されたでしょう。呪いは解くんで、魔力返してください」
テオバルトはアッサリと承諾した。呪いの操作はできたが解呪の方法は分からず、実は結構真剣に探していたらしい。
「あ、あの…テオ様。呪いがなくても私のこと好きでいてくれますか?」
リリエルが解呪をしている最中にエミーリアはテオバルトに尋ねた。
「呪いがあるから好きになった訳じゃないよ。好きだから呪ったんだ」
「テオ様…!」
(何で今の会話が感動的みたいな感じになってるの…?人間って本当に分からない…)
魔女に生まれてたった100年。リリエルに人間の恋心はちょっと難しすぎた。
***
「っていうか、振られたなんてくだらない理由で人を呪わないで下さいよ。だから魔女が恐れられるんです」
リリエルの言葉に彼女に魔力回収を頼んだ氷の魔女は鼻で笑う。
「リリエルはお子様ねえ。恋っていうのはねえ、燃え上がる激情なの!抑えられないの!」
「恋するなって言ってるんじゃなくて、呪うなって言ってるんです!」
この後、氷の魔女による恋愛講義が昼夜を徹して行われた。
この恋愛講義により得た知見でリリエルが恋愛お節介魔女になるのは、また別のお話。