4-53 秘匿された英雄
逆賊ディラン・コバルト。齢17歳。コバルト侯爵令息の元長男。以下ディランと記す。
ディランは同志を募り、93名の騎士と共にクインシー殿下を襲撃。
剣聖シヴィル・ホワイトに一騎打ちを挑み、討伐される。
他93名の騎士は、近衛騎士団により討伐、またはその場で自害した。逆賊の生存者はなし。近衛騎士団の負傷者は剣聖シヴィル・ホワイトの治療を受けた為、被害はなし。
剣聖シヴィル・ホワイトはその働きで勲一等を授かり、フクシア伯爵に叙された。
ディランの首級は、コバルト侯爵にて検められ、本人と確定している。
問責に対しコバルト侯爵は、ディランは犯行前に貴族籍抹消されているとし、コバルト侯爵家及び北部貴族の関与を否定。また、ディランの婚約者であったキンバリー・ジョンブリアとは既に婚約を解消しており、ジョンブリア辺境伯家も関与を否定。ディラン及び一部過激派騎士の暴走と断定。
被疑者死亡のまま、ディラン及び逆賊は奴隷に身分を落とされた上、処刑という沙汰となる。また、コバルト侯爵家は伯爵へ降格となった。
一通りペンを走らせた後、バーソロミュー・スレートは小さく息を吐き出す。北部の暴走は懸念事項だったが、このような結末になったことに胸が痛む。
バーソロミューも、シヴィルを通してそれなりにディランと交流があった。シヴィルとディランは、友人でもあり師弟のような関係でもあったし、シヴィルの心情を思うと、その心痛は計り知れない。
シヴィルの力量を誰よりも知っているディランが、100名にも満たない部隊で襲撃を仕掛けて、勝つ算段があったとは思えない。最初から、死ぬ気だった。
一緒にサークルに入っていたグレゴリーは、一報を聞いた後隠れて泣いていた。ディランを知る人は、暴走などと微塵も思っていない。そんな男ではないことを知っている。
利用されたか、自ら名乗り出たのか。恐らく、名乗り出たのだろう。
北部貴族を代表出来る位置にいて、なおかつかわりがきくのは、ディランくらいだった。
「大馬鹿野郎っ……」
なにもディランが生贄になることはなかった。諦めるよう説得するだけでもよかったし、対処は国に任せてもよかった。ディラン一人で抱えて、決着をつける必要などないのに。
それでもディランは北部貴族を守るために戦い、そして守りきった。
コバルト侯爵が皇室への臣従を改めて宣言したことで、北部貴族もそれに倣った。ディランを犠牲に、皇室に一泡吹かせられたことで落ち着きを取り戻した北部貴族は、今度はディランへの罪悪感に苛まれた。コバルト侯爵が、そこに上手くつけ込んでくれたのだろう。
「お前は英雄だ……」
たった一人で、国内の情勢を変えた。それを英雄と言わずして、なんと言おうか。しかし表面上、ディランは大罪人だ。だから、自分だけでも、ディランを英雄と称えたかった。
まとめた書類を揃えて、ジョナサンに提出しに行く。ジョナサンも、憔悴した顔をしていた。ただでさえ、望んでいなかった次期皇太子を押し付けられたジョナサンは、プレッシャーを抱えていた。ニコールのこともシルケのことも気がかりで、今まで離れていた皇太子教育も再開し、ジョナサンも余裕がない状況で、これだ。
バーソロミューは侍女に目配せをすると、すぐに侍女が茶を淹れた。侍女が差し出した茶を飲み、ジョナサンが一息付いた。
「この世は地獄だな」
その一言に、ありとあらゆる苦悩が凝縮されていた。
ディランのこともそうだが、最もジョナサンの心を苛んだのは、クインシーがいなくなったこと。
兄皇子こそが、皇帝に相応しいと思っていた。ジョナサンはそれを支えるつもりでいた。なのに、クインシーはドルストフ帝国へ行ってしまった。
その結果、ジョナサンが皇太子となることは確定となった。業務は増え、教育も受けねばならない。
加えてシルケとニコールのこと。シルケを無下にすることなど出来ないし、そのつもりもない。心の内では激しい葛藤があれど、シルケを正妃とすることには納得している。だからシルケも大切にしたいのに、シルケは心を閉ざし対話すらもしてくれない。
愛するニコールとの婚約は解消されてしまった。シルケとの結婚後、機を見て側妃となることは約束している。
それでも婚約者でなくなったニコールと、以前のように過ごすことも許されない。ジョナサンはひたすらに鬱屈を溜め込んでいた。
これまで順風満帆だと思っていた。何もかも上手くいっていた。クインシーとシルケ、ジョナサンとニコールで、この国を支えるのだと、明るい未来すら思い描いていた。
それが、クインシーがいなくなったことで、全てが瓦解した気さえした。
ドルストフ帝国との和平。
これは、何にも変え難い成果だ。きっと歴史に残る偉業だ。
数百年後の歴史書には記される、ほんの数行の出来事。
政治は人が動かすもの。歴史は人が記すもの。
頭では知っていた。でも識らなかった。今になって、思い識らされた。
歴史書の文字の中には、どれだけの人間の感情が渦巻いていたのだろう。
当事者となって、初めて知った。為政者の苦悩と孤独。
ジョナサンは思う。きっとクインシーは、この地獄に気付いていた。だから自分やシルケを受け入れた。婚約者と兄弟の信頼を得ることで、孤独ではあれど、安寧はあっただろうから。
翻って今のジョナサンはどうか。
愛するニコールとは、会いたくても会えない。婚約者のシルケは、心を閉ざし会うことも叶わない。頼りにしていた兄は、既に遠い異国の地。
────孤独。
ジョナサンは孤独と重責に、押し潰されそうになっていた。
それでも、ディランの死が、ジョナサンの弱りきった心を、僅かに奮い立たせた。
ディランの犠牲の上に、国はまとまりつつある。こんな時に、不甲斐ない皇子だと思われることがあっては、また国が乱れかねない。
シルケが会ってくれないのも、クインシーと違って情けないジョナサンに、呆れているせいもあるかもしれない。
忙しい、辛い。それがなんだというのか。国の為に命を捨てた男がいる一方で、自分はなんと無様なのか。
これでは死んだディランにも、彼を見送ったシヴィルにも、とてもではないが顔向けできない。
ジョナサンは自分の頬を両手で張って、気合を入れ直すと、バーソロミューに尋ねた。
「ディランの墓はないのか?」
「はい。反逆者ですから」
「そうか……。個人的に弔いたい。幾つか贈り物をピックアップしてくれ。内密にな」
「かしこまりました」
バーソロミューを見送り、ジョナサンはコバルト伯爵へ手紙を書く。
ディランのことが非常に残念だったこと。ディランの覚悟を無駄にせず、ディランの願った治世を実現させたいという決意。
コバルト伯爵とて、好き好んでディランを生贄にした訳ではない。
彼らの悲壮な覚悟を、受け止めて昇華させることが、ジョナサンの務めだと思ったのだ。
(ディラン、お前の死を無駄にしないと、必ず約束するから。神の庭から、この国を見ていてくれ)
ディランの献身に、心からの敬意を込めて。ジョナサンが見上げた夜空に、流星がキラリと、流れて消えた。