4-52 幻の花
ぼんやりしていたら、クインシー殿下に「仕事中だよー」と叱られてしまった。
いけない、いけない。こんなことばっかりだ。最近周りに迷惑かけてばかりで、余計落ち込んでの悪循環だ。いい加減、しっかりしなきゃ。
ふとクインシー殿下が尋ねてきた。
「そういえば、ゴリさんだっけ?彼、剣鬼殿だよね。なんでここにいるの?」
「ぶっ」
な、なんでバレたの。戦慄いていると、クインシー殿下がやれやれと肩を竦めて笑った。
「ここまで来ちゃったら、帰ってもらうのも難儀だね」
「申し訳ありません……」
国境からここまで1ヶ月近くの馬車旅で、もう首都入りしていた。帰れないこともないけど、この行列から、一人だけ引き返すのも変だ。
「皇帝陛下が許すわけないし、あれ絶対不法出国だよね」
「……」
「どうやったの?」
「長年皇城に潜入していた間者と入れ替わったそうです」
「は?」
「あ、間者のリストは団長に渡しているので、取調べが済んだら、後日ドルストフ帝国に強制送還するとのことです」
「剣鬼殿が成り代わった間者はどうしたの?」
「……」
「わー、僕しーらない」
「……」
私も怖くて聞いてない。私は何も知らない。でも想像はつく。
よくそんなこと出来るなと思って、ちょっと腹が立った。それで祖父を責めたけど、祖父は困った顔をした。
なんでそんなことができるのか聞いてみたら、元々傭兵だからだと言われた。
「俺は戦場で生まれ育ってる。ガキの頃から、戦場で敵を殺して、金を貰うのが仕事だった。厨房では料理作るみてぇに、戦場では殺すもんだし……。傭兵に倫理観やその辺のモラルを求められても……正直、俺にはよくわからん」
と、言われてしまった。確かに、戦争を職業にしてる人に、そんなことを聞いた私が間抜けだった。
でも一応、私に寄り添ってくれたのか、オロオロしながら頭を撫でてくれた。
「戦場以外だとよ、ほら、裁判とかもあるからよ。殺さない方が、多分いいよな?いざって時だけ、こう」
慰めるの下手か。思わず笑ってしまった。私がしたことは半分八つ当たりなので、祖父に謝った。
間者については、可哀想だと思うけど、でも間者だしなぁと思ったら、頭がこんがらがったので、考えないことにした。
自分のこともだけど、クインシー殿下のことも気になっている。最近ちょっと様子が違う気がするのだ。
ホームシックになったのかな。ドルストフ帝国に行くのも、全く抵抗がないなんてありえないし。たまに南の、アズメラ帝国の方を見てる。
「やはり母国が気になりますか?」
「うーん、国っていうか、ジョニーがね」
弟のことが気になっていたようだ。つい口元が緩む。
「お優しいのですね」
「うーん……」
「違うのですか?」
「どうかなぁ」
ハッキリしない返事に首を傾げる。
「幻の花だったんだよ」
クインシー殿下は、窓の外から南の方を見ながら、私にそう言った。
唐突な単語に、更に首を傾げる。
「幻の花ですか?」
「簡単には手に入らない、秘境の崖の上に咲く花。僕はそれが、欲しくて欲しくてたまらなかった」
どれほど金を積んでもいい、誰かを殺してでも奪い取りたい。その幻の花が手に入るなら、なんだって出来る。
そう思っていたクインシー殿下に、ジョナサン殿下が言った。
「俺は皇帝なんて嫌だから、兄貴がやってよ」
クインシー殿下にとっての幻の花は、ジョナサン殿下にとって雑草だった。
「あの時の僕の気持ちがわかる?雑草を欲しがる僕が馬鹿みたいだ。ジョニーがやらない以上、僕がやるしかなかったけど、前ほど魅力的には思えなくなった」
幻の花の価値が一変した。あれほど渇望していたのに、無償で施されたことで、その価値は暴落したのだ。
また、雑草を渇望していた、クインシー殿下自体の価値も下がったように思えた。
施されるくらいなら、そんなもの要らないと言えたらよかった。だが、それは出来ない。
「弟に施しを受けた皇帝なんて、情けないったらないよ。ジョニーは昔から、余計な一言が多いんだよね」
俺は皇帝なんて嫌だ、この一言がなければ、まだよかった。
私も、切り捨てると言われた時は傷付いた。そんなの黙って実行してくれたらよかったのに。樹里も怒ってたし。
「あ、心当たりある顔」
「まぁ、はい」
「ジョニーはそういう所あるからね。ジョニーは僕の大切な弟だ。ジョニーを愛してる。でも、許せないんだ、どうしても」
だから、簡単に国を捨てるのだ。意趣返しのように皇太子位を押し付ける。それでもジョナサン殿下が、自分を裏切らないとわかっているからだ。
易しい弟の愛情に、烈しい愛憎で応えている。
努力も価値も何もかも台無しにされた。それでも責任があったけど、ドルストフ女帝が、その責任から解放してくれた。
「シルケには悪いと思ってる。彼女は僕を愛してくれたから」
「クインシー殿下は、シルケ殿下を、愛していたのですか?」
クインシー殿下は珍しく、困った顔で微笑んだ。
「わからない」
愛していたかもしれないし、愛していなかったかもしれない。ただ、彼なりに大切ではあった。その感情に、名前をつけられない。その感情の名前を知らない。
その感情はもしかしたら、シルケ殿下にとっての、幻の花だったのかもしれないけれど。
クインシー殿下が窓の北に視線を移す。
身柄の交換も済み、馬車はドルストフの首都に入っていた。堅牢な要塞のような巨城が、もう目前に見えていた。