4-25 ドアマットヒーロー5
屋敷を出る時、当然ながら伯爵家の人間は誰一人見送りをしなかった。でも、使用人が何人も見送りに来ていた。
「パーシバル様、今日までよく、耐えられましたな」
「シモン」
小柄な老人が声をかけて、パーシバル様が振り向いた。並んだ使用人達は感慨深い顔をしている。
私はパーシバル様の背中をそっと押して、自分は数歩下がった。パーシバル様が本当に挨拶したかったのは、彼ら使用人だ。
パーシバル様と使用人が言葉を交わすのを眺める。本当なら、アーモンド伯爵位もこの家も領地も、パーシバル様のものになるはずのもので。本当にこれで良かったのかなと不安になる。
ビリジア侯爵への養子縁組の話をした時、パーシバル様もかなり悩んでいた。後悔していないだろうか。
シモンという執事とパーシバル様がハグをすると離れて、パーシバル様が私の所まで来た。そしてシモンが姿勢を正した。
「シャモア男爵、この度は誠にありがとうございました。パーシバル様を、何卒よろしくお願い致します」
「ええ。パーシバル様からお話は聞いているわ。これまでパーシバル様を支えて下さってありがとう。これからもよろしくね」
「え?これからも?」
耳聡いパーシバル様が気づく前に、私はさっさと挨拶をして馬車に乗り込んだ。
そして馬車は小さな屋敷に到着した。三階建ての小さな屋敷を買っちゃった。私は領地なし男爵ではあるけれど、学園を卒業したら独立するし、その準備。
家探しをして見つけたんだけど、オレンジ色の瓦屋根と、薄ピンクの外壁が可愛いんだよ。窓枠が明るめの茶色になってるのがアクセントだね。外観がすっごく気に入ったから、即金で買っちゃった。
馬車が屋敷の前に着くと、使用人が出迎えてくれる。
「シャモア男爵、パーシバル様。お帰りなさいませ」
「な、なんで……」
先頭で挨拶したのは老齢の侍女だ。彼女を見て、パーシバル様は混乱している。そりゃあ混乱もするわよね。本来彼女たちは、パーシバル伯爵領の屋敷にいるはずなのだから。
「私共は、シャモア男爵にお仕えする事となりました。何卒よろしくお願い致します」
「どういう、事ですか……?」
「後でちゃんと話すわ。さぁ、中に入りましょう」
使用人の案内で通された部屋に入り、お茶を用意してもらった。部屋で待機する使用人達は、パーシバル様を見て嬉しそうだ。
「作戦開始と同時に、先程のシモンと、領地にいる家令ジーノへ手紙を送っていたのよ。あなたのこれからと、あなたについて行きたい人は、シャモア男爵が雇うとね」
「それじゃあ……」
「彼らは皆、あなたを支えることを選んだの」
パーシバル様が慌てて使用人達を見回すと、使用人達は微笑みながら頷いた。途端にパーシバル様は泣き出してしまって、侍女が慌ててハンカチを渡していた。
泣いているパーシバル様に追い討ちをかけるように、私は説明を続ける。
「今後領地からも後続の使用人がやってくるでしょうし、恐らくタウンハウスの使用人もタイミングを見て、こちらかビリジア侯爵家の方に来るでしょう。領地を離れられない人もいるでしょうけれど、そういう方はビリジア侯爵領で雇う事になっているわ。シモンとジーノには、その辺の人事の見極めも頼んでいるから、ここに来る使用人は皆、あなたの味方ばかりよ。もし養子縁組先が見つからなかったら、見つかるまで貴方にここで過ごして貰おうと思って、準備していたの。まぁ、後で叔母様が名乗り出てくれたから、その必要は無くなったけれど、たまに彼女たちに会いに来てあげてね」
「ありがとう、ございます……ここまで、配慮、してくれる、なんて。なんて、お礼を言ったら……」
「最初にあなたを見出したのはクインシー殿下よ。お礼なら殿下にね」
パーシバル様を大事にして、パーシバル様が大事に思っていたのは使用人達だ。アーモンド伯爵家からは出た方がいいとは思ったけど、家族のように寄り添ってくれた使用人達と離れ離れになるのは、寂しいかなと思ったから、ウチと叔母様の家で雇うことにした。
ひとしきり泣いたパーシバル様の目は真っ赤だったけど、スッキリしたのか表情は穏やかだ。
「クインシー殿下にもお礼を伝えます。でも、実際に動いてくれたのはシャモア男爵です。僕はこの御恩を生涯忘れません。僕は生涯、シャモア男爵に尽くします」
パーシバル様の若葉色の瞳には、強い恩情と意思が宿っていた。そして彼が何を言いたいのかも。
「それは、状況に流されているだけではない?私は婚約を打診しただけよ。恩を売って受けさせようなどとは思っていないし、あなたは断っていいのよ?」
言ってみればアーモンド伯爵家に婚約の打診の手紙を送ったのは、半分は嫌がらせだ。既にパーシバル様はビリジア侯爵令息なので、アーモンド伯爵家に伝える必要はなかったのだ。
つまり正式には、私は婚約の打診などしていないことになる。それをパーシバル様も理解しているはずなのだけど。
「もちろん作戦の事は理解しております。ですが、母上はとても喜んでおりました」
「喜んでいたわねぇ……」
作戦を聞いたサブリナ叔母様は大喜びで、「シヴィル、ウチにも打診の手紙を送りなさい」と笑顔で脅された。
「なにより僕が嫌なんです。ここまでしてもらって、何も返せない自分が嫌です。それに……」
パーシバル様は立ち上がると、私の前まで来て跪き、私の手を取った。
「初めてお会いした日、僕の為に戦うから任せてと、シャモア男爵が言った時、僕はあなたに恋をしました。シャモア男爵、どうか僕を傍においてください」
わ、私、もしかして今、プロポーズされてる?
えっと、待って、こういう時どうしたら。落ち着け落ち着け。
心臓がバクバク言っている。きっと顔も真っ赤だ。暑い。背中が汗びっしょり。パーシバル様の握ってる手も、手汗でじっとりしてないかな!?
「あ、えっと、そうね……。でも、私は騎士よ?女騎士は一般的にはあまり評判は良くないのよ」
「剣聖殿を一般的な騎士と思う人はいないと思いますが……」
確かに。
「でも、本当に私でいいの?後悔しない?」
「後悔は未来にするものですから、今はわかりません。でも、シャモア男爵がいいんです。僕はあなたの為なら、なんだって出来る気がするから」
その言葉を聞いて、ちょっと冷静になれた。初めて会った時は、暗くて俯いてて、全てを諦めたみたいな顔をしてた。
そのパーシバル様が、ここまで前向きになれた。私がそれの立役者になれた。こんなに素敵なことってないよね。
よく考えたら、元々内気で大人しいパーシバル様が、プロポーズをするなんて、相当勇気を出したはず。
私の為に勇気を振り絞ってくれたんだと思うと、凄く嬉しい。
私はかなり悩んだ。これで婚約問題が片付くという側面もあったし、ミカエル様とかゴールディ公爵みたいなキャラの濃い人よりは、彼みたいな大人しい人の方が良い。
それにゴリンデル家は基本脳筋なので、彼みたいに頭のいい血が、ウチには必要かも……。
それに、こんな風に求婚されるなんて初めてで、ちょっと舞い上がってる自覚がある。
私に憧れてる人は沢山いるらしいけど、今までこんなに熱烈に求婚されたことはなかった。むしろ、仲良くなればなるほど、女扱いされなくなった……。
だから、心臓がドキドキしっぱなしだ。元々パーシバル様に幸せになって欲しくて奔走してたわけだから、最初からあった同情や好意が、愛情に傾き始めているのが自分でわかる。
だって、この薄幸の少年を幸せにしたいという思いは、間違いなくあるのだから。
「……わかったわ。サブリナ叔母様に手紙を書くわ。あなたのお気持ち、お受けするわ」
「ありがとうございます!」
そうして数日後、私とパーシバル様の婚約が成立した。