4-23 ドアマットヒーロー3
彼の母は隣接するバーモント伯爵令嬢で、祖父が親友同士で成った婚約だった。バーモント伯爵令嬢とアーモンド伯爵令息は、生まれた時から婚約が決まっていた。
しかし2人が結婚して、長男のパーシバルを妊娠した頃から、アーモンド伯爵は家に帰らなくなった。
恐らくその時期に愛人を作っていたのだろう。
夫人は大変な難産を経たあと、産褥期を超えることなく儚くなった。
葬儀を執事達が主導で行った直後、伯爵が後妻を連れて戻ってきた。準男爵の娘で、その腹は膨らんでいた。
パーシバルが物心着く頃には、屋根裏部屋にいた。粗末な服を着て、朝から晩まで働かされた。
5歳になる頃に、身なりの綺麗な男の子に、代わりに授業に出ておけと言われた。
自分は下男だと思っていたパーシバルは、素直に従った。
パーシバルは言われた通りに授業に出た。そして与えられた知識をみるみる吸い取った。
家庭教師達は、素直で何でも吸収するパーシバルに教えるのが楽しくて仕方がなかった。そうして家庭教師達が誉めそやす度に、1人2人と教師が辞めていき、やはりパーシバルは屋根裏部屋へ戻された。
それでもパーシバルは学ぶ楽しみを覚えてしまった。自分に親切にしてくれる使用人に聞いて、家族の来ない深夜に足繁く図書室に通った。
アーモンド伯爵家の使用人達は優秀だった。いかに伯爵達を刺激せず、それでいてパーシバルを守るかに心を砕いていた。
パーシバルが、伯爵や義弟から暴力を振るわれていても見て見ぬふりをした。それでも後で、一緒に泣きながら精一杯の治療をしてくれた。
ご飯は使用人の賄いだったけれど、お腹を空かせたことはなかった。
図書室に籠る時間も使用人達が合図しあった。
それをパーシバルは気づいていた。自分は下男だと思っていた。それなのにこの待遇はおかしい。
執事が真実を教えてくれた。あなたこそが、アーモンド伯爵家の後継であると。
言われてもパーシバルには信じられなかったが、パーシバルは教会にも貴族院にもアーモンド伯爵令息の長男として届出がされている書類を見て、驚き戦慄いた。それが8歳の時。
それでも屋根裏部屋の下男生活は変わらなかった。使用人達は主人の前ではパーシバルに冷たいが、そうでない時は親切だった。それはパーシバルにもわかった。パーシバルを表立って厚遇しようとして、辞めさせられた者がいたからだ。辞めさせられたらパーシバルを守れなくなってしまう。だから多くの使用人は表面上、パーシバルを冷遇していた。
でも、本気でパーシバルを冷遇していた使用人は、ほぼいなかったと、パーシバルは実感していた。
ある時父に呼ばれた。父と言う認識は無い。家の主人だと思っていた相手だ。
「お前は頭が良いと聞いた。これより領地経営を学べ」
そう言われて、勉強するように言われたのが9歳。家令や代官に教えて貰いながら勉強して、いつの間にか仕事を持たされていた。
ついでに婚約も決められていた。いつの間にか。
相手の子は可愛らしい子だったけれど、パーシバルと顔を合わせた途端に不機嫌になって、返事をしてくれない子だった。
誕生日に花を贈っても、時々手紙やプレゼントを送っても無視された。
その割には、月一のアーモンド伯爵家での茶会には必ずやってきて、義弟と義妹と楽しそうにお茶をしていた。仕事に忙殺されるパーシバルは蚊帳の外で。茶会の日程も知らされずに。
そうしてある日突然婚約破棄された。義弟と結婚すると言われた。
家族も婚約者の家も了承済みと言われたら、パーシバルは引き下がるしか無かった。
そして父と義弟に言われた。
「結婚出来ない以上、お前はこの家で働くべきだ」
「俺の代わりにやってくれるよな」
この瞬間、パーシバルはアーモンド伯爵家の奴隷になったのだと理解した。
いや、元々奴隷だった。それをただ、自覚しただけだった。
「どうして、僕が……、どうして僕だけが、こんな目に会わなきゃいけないんですか?僕、何かしましたか?僕は誰かに迷惑を掛けましたか?僕は、僕のために使用人達は、随分心を砕いてくれていたのに。僕だって、頑張ってるのに。神は何をご覧になっているのか、僕には分かりません」
彼の訴えを聞いていたら、流石に胸に来るものがあった。彼は何も悪くない。彼は理不尽に耐えて、それでも努力出来る精神の強い人だ。憤るのは当然で、それで人も神も信じられなくなるのも当然。でも、それって悲しい事ね。
「それは違うわ。神は全てご照覧になっておられるわ」
「え?」
「学園に入学してから、あなたはずっと首位だった。これまでのことも、神は見ておられるわ。倦まざる人を、神はお見捨てにはならないわ。私が保証するわ。あなたは努力を放棄してはいけない。ヤケになってはダメよ」
「……シャモア男爵は、神のお声が聞こえるのですか?」
「神の声が聞こえるのは、信託の巫女ドナお姉様だけよ。私には聞こえないわ。けれど、私にだってわかるわ。私も、救われた一人だもの」
「シャモア男爵も?」
「ええ。あなただって救われるわ。あなたは、あなたらしくいなさい。決して腐らないで、誇りを失わないで。時間はかかるかもしれないけれど、必ずあなたの努力は報われるわ。絶対すくい上げてみせるから、信じて待ちなさい。出来る?」
「本当、ですか?」
彼の瞳には、期待と不安が綯い交ぜになって揺らめいていた。私は傲岸不遜に笑った。
「任せなさい。あなたがあなたらしくあるために、戦ってやるわ」
どやぁと胸を張った私に、アーモンド伯爵令息は、やっぱり呆然としていたが、ややもすると私をしっかり見つめた。
「あなたはどうしたい?」
「僕は文官になりたいです。本当なら僕が家を継ぐべきなのでしょうが、両親はきっと許さないでしょう。僕自身、領地の事は気になりますけど、もう家に居たくない」
私はひとつ頷くと、クインシー殿下を仰いだ。
「だそうですわ」
「うん、よく決心してくれたね。じゃあここからは、作戦会議だ」
そして私達はまず、アーモンド伯爵令息から情報収集をはじめた。