4-21 ステラとジャスティン2
知らなかった父と母の事。子どもには見せない一面。それを知っているステラ。
父が説明した時の事を思い出した。
「ステラは元々友人だ。それは今後も変わらない。ただ、共闘してくれる戦友になるだけだ」
父には、共に戦ってくれる女が必要なのだ。
母は愛情でそれを支えた。父は弱音を吐くことが出来て、そして頼ることが出来るようになった。母の存在は、父にとって大いなる救いだっただろう。
その救いを失ってしまったこれからは、ステラは友情で支える。
それがやがて愛情に変わるかもしれないと思うと、正直少し嫌だが、元々強硬に反対する気などない。事情は理解している。
ジャスティンはぽてりと体をベッドに倒した。
「俺ってやっぱり子どもなのかな……」
ジャスティンは12歳で、第2の小姓。世間的にはまだまだ子ども。
話を聞いた時の家族の様子を思い出した。兄姉がどう思ったのか気になって様子を見たから覚えている。
兄のトーマスは無表情を貫いていたが、動揺していたように見えた。それでも瞬きの間に持ち直し、受け入れていた。
姉のソフィアは驚いて、父とステラに視線を走らせた後、考え込むよう視線を伏せて。視線をあげた時には落ち着いて、受け入れていた。
そんな2人の様子を見て、ジャスティンはかえって動揺してしまったのだ。
何故そんなにすぐに受け入れられるのか?
ジャスティンにはすぐに受け入れられなかったのに。
だから逃げるように領地に帰ってしまった。父にも兄姉にも裏切られたみたいな気持ちになったから。
でも。
ステラが待ち構えていた時は、母親面されるのが嫌だと思って無視した。
でもステラは媚びを売ったりしないで、父母の話をして墓参りに誘った。
父の友人。父の戦友。
「無理に母親だと思わなくてもいいのかな?」
そう思うと、少し気が楽になった。
夕食の時間。食堂にはジャスティンとステラの2人きりだ。気まずいがジャスティンは自分の席に着いた。最初は部屋で食べようと思っていたが、今は社交シーズンで家族は全員皇都にいた。だからジャスティンは1人寂しく食事をしていて、誰かと一緒に居たかったのかもしれない。
テーブルの上座は父の席。その席の1番近い左側が母の席だった。でも、ステラは右側に座っていた。
ジャスティンは不思議に思って聞いた。夫人の席は上座の左側と決まっている。それならステラの座る場所はおかしい。マナーを知らないのだろうか。
「席はそこじゃないよ?」
「家の中では、ここでいいのよ」
「でも」
「もちろん家の中だけ。でも、あちらの席はサフィナ様のお席よ。サフィナ様のお席には、誰も座らないわ。これからは空席のまま」
その言葉は母の不在を突きつける無情な言葉であり、母の代わりになり得る者はいないと、母を尊重する言葉でもあった。
母を失って、ぽっかり空いた心の隙間。それは母の席。それが寂しくてたまらなくて、けれどステラがその席に割り込むのは嫌で。
でも、空けていていいのだ、母の席は母だけのもの。
「……っ」
「さぁ、冷めないうちに頂きましょう」
いつもは美味しいけど、どこか味気なかった夕食は、ほんの少しだけ涙の味がした。
騎士団には休みを貰っていたから、今日はどうしようかとジャスティンは考えあぐねていた。
癖で朝4時に起きてしまって、朝は静かだ。ジャスティンが休みなのを知っているので、夜勤の使用人しか起きていない。
素振りでもしようと、裏庭に行った。そこには先客がいた。ステラだった。
裏庭での訓練は、元々母とドゥシャンとシヴィルが始めて、そこにジャスティンも混ぜてもらっていた。いつもステラもいた。ここにステラがいても不思議はなかった。
ステラは挨拶だけすると、自身の訓練を再開した。ステラは短剣術が得意なようで、ビュンビュンと風を切る音が響く。
それを横目で見ながら、ジャスティンは自分の剣を振った。
思い出すのは、自分と母と、シヴィルとドゥシャンと励む訓練の日。
始めて混ぜてもらった時、とても嬉しくて、驚いたのを覚えている。
シヴィルとドゥシャンの訓練が、常軌を逸していた事に仰天し、母が強くて稽古をつけてくれることに喜んだ。
そしてシヴィルズブートキャンプを施されて、死ぬような思いをしたことも。
「ねぇ、俺と手合わせして」
気づいたらそう言っていた。母曰く、騎士の病。強い相手と戦って、自分の実力がどれほどのものか試したいと言う欲求。
気づいたらジャスティンは、明るくなってきた青空を見上げていた。何が起きたか分からなかった。
シヴィルとドゥシャン、母に散々に鍛えられたはずなのに、ステラの短剣術に翻弄されてばかりで、気がついたらひっくり返っていた。
「降参?」
「まだだよ!」
「いいわ。かかってきなさい」
シヴィルズブートキャンプのお陰で、ジャスティンは並の騎士より強い。それでもステラに勝てない。
ジャスティンの振る剣は尽く躱されて、剣を弾かれる。
「遅いわ」
「くっ!」
「焦りすぎよ」
「ふんっ!」
「甘い」
どしゃっと倒れ込む。自分は泥だらけなのに、ステラには汚れひとつない。ジャスティンだって鍛えてきたのに、ステラの足元にも及ばない。悔しくて剣を握る手が震える。
「諦めるの?」
「……諦めない」
「そう。往生際が悪いのは嫌いじゃないわ。おいで」
余裕で佇むステラに腹が立つ。立ち上がって大振りに剣を振ったが、簡単に躱された。
「この程度の挑発に乗ってはダメよ」
「うるさい!もうちょっと手加減してよ!」
「私は甘やかさない主義なの」
宣言通りステラは全く甘くない。これなら母やシヴィルの方がまだ優しい。
ついにジャスティンは、立ち上がることも出来なくなった。
「はぁはぁ」
「よく頑張ったわね。お疲れ様」
それだけ言うと、さっさとステラはいなくなった。鬼ババアと、心の中で悪態をついた。
それでも空は青くて、春先の庭から花の香りがした。
待機していた侍従が心配そうに覗き込む。
「ジャスティン様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。これ何の匂い?」
「匂い?……あぁ、これはチレージョですね」
春先に咲く外国の薄桃色の花だ。香りはさほど強くない。しかし裏庭に植えられたチレージョが、風に煽られると、ざあっと薄桃色の花弁を散らす。ジャスティンは仰向けのままそれを見ていた。
「綺麗だな」
「シヴィルお嬢様がお好きで、ここに植えられたそうですよ」
「ん……、そういえば、チレージョを見ながらお茶するんだって、シヴィル姉様が言ってたっけ」
「お花見と仰られていましたね。ジャスティン様もいかがですか?」
「うん」
チレージョの木の下で、茶を飲みながらチレージョを眺める。ハラハラと舞い散る薄桃色の花弁が綺麗だ。
チレージョを見ているとシヴィルを思い出した。チレージョの花の色はシヴィルの髪色に近い。ステラはもっと赤に近い桃色だ。きっとステラはドゥシャンの赤が強く出て、シヴィルの髪は祖父エリックの水色で少し薄くなったのかな、等と考えた。
自分の前髪を摘んだ。ジャスティンの髪は青い。父の水色と母の紺色が混ざりあった濃いめの青。この髪の中にも母が潜んでいた。きっと自分の血にも。
花見の後、家中を散歩してみた。ステラの部屋は別に用意されていて、母の部屋はそのまま遺されていた。庭や食堂や客間、サンルームや廊下でも、母を見かけたり話した事を思い出した。家には母との思い出が沢山詰まっていた。
食事の時にステラから、母との思い出話を強請られたから、思い出しながらポツポツ語った。
それから数日の間、朝からステラにしごかれて、花見をして散歩して、食事の時は家族の思い出を語り合って過ごした。
1週間程過ごしたステラは、皇都で社交があるからと戻る事になった。
きっと寂しいのは、孤独になるからであって、ステラが恋しい訳では無い。でも、また今日から1人でご飯かと思うと、やはり寂しく思う。
この時期にジャスティンを1人にしたくないと、ステラも考えたのだろう。社交シーズンが終わるまで、騎士団を休職しないかと提案された。
「そんなに休んで大丈夫かな?」
「問題ないわ。学園生にも、休職中の従騎士はいるみたいよ。学園生になったら3年も休むのだもの。それに比べたら大したことないわ。訓練は皇都でも出来るもの」
「じゃあ、そうする」
提案に沿って休職届を出した後、ジャスティンもステラと皇都のタウンハウスに向かった。
領地に帰る時は1人だった馬車に、今はステラがいる。少し冷静になったらわかった事だ。ステラは媚びを売るためなんかじゃなくて、自分を心配して来てくれた事。実際ステラが構ってくれなかったら、きっと1人で塞ぎ込んでいたし、1人のご飯は美味しくなかっただろう。
「あの」
「なぁに?」
「……ありがとう」
馬車の音に掻き消されそうな小さな声だったが、言うべきことは言えた。ステラにも聞こえていたようで、嬉しそうに微笑んだステラも、「ありがとう」と言った。
お互いの「ありがとう」が、何に対してなのか、互いに説明も聞き出しもしないまま。馬車に揺られながら、少しだけ距離を縮めたステラとジャスティンは、他愛もない話をしながら、皇都へ向かった。
2人の帰宅から程なく、ギデオンとステラは結婚した。その頃には、裏庭のチレージョは散り、緑の新芽が顔をのぞかせていた。