11‐2 メンドーだなー
黒い装束に身を包んだ人間の男。ギラっと睨みつけてくるようなつり目に、一部赤に染まり、目につきそうでつかない長さのヘアスタイル。そいつが俺たちのことを見ると、少し驚きを見せながらも、生意気な余裕を見せびらかすように顔を上げた。
「君は確か、コロシアムの時のか」
「やっぱりお前か」
かつて俺は、スレビストコロシアムの最強トーナメントでこの男を見ていた。トーナメントの二回戦で当たった彼は、魔剣レッドフリーズで俺を圧倒し、さらには魔法使い最強の座を手にした男でもあった。
「久しぶりだな。ええっと確か……」
「ハヤマだ。ハヤマアキト。こっちはセレナ」
悩みだした彼に俺は改めて名乗る。それにアマラユはなぜか不適に笑ってみせる。
「フフ、そうだった。中々特徴的な名前だと思っていたんだった」
「そう、かもな……。というか、さっきの転移の魔法だろ? なんでこんなところに出てきたんだ?」
俺がそう聞くと、アマラユは俺たちの背後にある、さっき出てきたばかりの村に目をやった。
「あの村を眺めるためだ」
「眺める? どうしてだ? 芸術家か何かか?」
冗談混じりの質問に、アマラユはおかしそうに両手を上げる。
「まさか。予感がしているんだよ、私は」
「予感?」
「そう、予感だ」
なんだか胡散臭い占い師が口にしそうだな、と俺は思った。だが、次にアマラユは、あまりに予想外な言葉を平然と口にするのだった。
「――あの村は、魔物に襲われるだろうね」
不穏な一言に、俺の体は一瞬で固まる。突然現れておきながら、こいつは何を言ってるんだ? その予感は本当か? と聞こうと俺はした。だが、最初の頭文字が口から出た瞬間、それをかき消すような悲鳴が村から響いた。
「ウワアァーー!!」
慌てて村に振り返る。俺たちが出てきた村の出口。そこに一人の男性が走っていると、その後ろを、狼のような魔物が追いかけていた。しかも奥には煙が上がってるところもあって、瞬く間に悲鳴が連鎖していくのも耳に入ってくる。
「マジかよ!?」
「ハ、ハヤマさん!」
セレナが慌てた眼差しで俺を見てくる。
「どうせ行くんだろ! 速く行くぞ!」
どうせセレナの言いたいことは分かってる。それに、村にはお世話になったお祖母ちゃんがいる。俺はセレナにそう言うや否や、村に向かって一目散に駆け出した。セレナも隣を必死についてくる。だが、その背後からアマラユがついてくる様子はなかった。
村に近づき、目印もない入り口に入っていく。柵や壁となるものがなかったこの村には、外敵からの侵入を守る術がないようで、そのことを村の崩壊具合が証明している。村自体は高低差のない平坦な地形。土を整備しただけの道と、それに沿って民家や店が建てられ、離れに畑があるだけのいかにもな集落だ。
突き当りを曲がっていき、その先に農具を手に牽制していた男性の前にいた、黒い狼の魔物に切りかかってみる。「ふん!」と勢いよく振り下ろし、鉄を叩いたような固い感触が手にジーンと跳ね返る。魔物の胴体は真っ二つに分かれて倒れると、慣れない手つきでサーベルの刃をそこから引き抜き、緑のグロイ液体がべっとりついているのを目にする。
「ハヤマさん!」
「おう!」
セレナに呼ばれ、俺はサーベルをそのままにまた走り出していく。お祖母ちゃんのいる家は反対側で、まだまだ距離がある。急がなければ。そう思った時に限って、面倒なことはいきなり起こる。
最後の一本道。この数百メートル先がお祖母ちゃんの家だと走り続けていると、通り過ぎようとした隣の民家が音を立てて崩れ落ちた。
「っな!?」
溢れ出た土煙に視界を妨げられ、思わず足を止めて目を瞑り、口元を腕で覆う。隣から「ゴホッゴホッ!」と咳込むセレナの声が聞こえたが、それを心配するよりも先に晴れた視界から、三体の影とうなり声が聞こえてきた。
「ッチ! 三体新手か!」
「リトルウルフです! 噛まれないように気をつけてください!」
セレナの忠告を受けながら、俺はおとり役として前に飛び出る。全長一メートルにも満たない、中型犬のような狼たち。真っ黒の毛は皮膚のように固まっていて、噛まれたらひとたまりもないような牙を晒して威嚇しながら、魔物さながらの赤黒い鋭い目を俺に向けてくる。今にも襲い掛かってきそうな雰囲気を前に、俺はサーベルを両手に持って牽制する。動きを見せようとするリトルウルフには、直接体を向けて刃先を見せつける。そうして彼らの目を俺に釘付けに出来た時、背後のセレナが動き出した。
「はあ!」
透明な風の衝撃波が、一番右のリトルウルフに直撃した。顔面に切れた跡を残して吹き飛び、鼻がぱっくり割れたその魔物は、地面に倒れて息を絶つ。
残りの二体がセレナを見る。その内の一体が走り出したのに、俺はすかさず反応した。
「させるか!」
一歩足を前に出しながら、サーベルを真っすぐに突き出す。走り出した魔物がそれに振り向くと、丁度その体を貫通するようにサーベルが奥深く突き刺さった。リトルウルフは悲鳴を上げる間もなく息絶え、さっさとその体からサーベルを抜き取り、俺は残り一体のリトルウルフに振り向いた。そいつは既に、セレナとの距離を縮めるように駆け出している。
「サイクロン!」
叫ぶと同時に、魔物に向かって風の魔法陣が光りだそうとした。俺は嫌な予感が走る。発射と共に衝撃音を響かせた風魔法。その魔法は地面にぶつかって消え、そこにいたはずのリトルウルフは跳びかかろうとジャンプしていたのだ。
「――っは!?」
「グオオォォ!」
セレナの頭上に魔物の牙が迫っていく。
「セレナ!」
一心不乱に飛び出し、俺は彼女の体を押し倒す。そしてリトルウルフの開いた口に、サーベルの刃を合わせて攻撃を防ぐ。一匹の猛犬が飛び込んだ勢いを片足をドンッと強く踏んで耐え、ピキキキと、サーベルから聞いたことない悲鳴が出てくる。
「ぐっ! ――きちいな!」
強い力に体が押され始めると、一度噛みついたおもちゃを絶対に放さない犬のように、頭を振って抵抗してきて、俺の腕が右に左にと、いとも簡単に振り回される。おまけに、もがくように腹を蹴ってくる後ろ足も、大きさに見合った強さで吹き飛ばされそうな衝撃だった。
「ぐっぐっぐっ!? こいつ! セレナァ!!」
振り向けないまま必死にそう叫び、彼女にヘルプを頼む。
「あ、は、はい!」
慌てた様子の返事が聞こえ、すぐに魔法の風がうなるのが聞こえる。そして「ウインド!」という叫び声と共に風の衝撃波が飛んできた。だが、その衝撃が、サーベルを握る俺の肩に伝わり、俺は地面に転がりながらサーベルを離してしまった。
「だは!?」
「はっ!? ご、ごめんなさい!」
慌てて駆け寄ってくるセレナ。それよりも俺の目は、サーベルと共に吹き飛んだリトルウルフにいく。
「くそ、武器なしか」
「ごめんなさい。私のせいで」
「反省なら後だ。今は集中しろ」
魔物が俺たちを睨んでいて、その足下にサーベルは転がっている。とても武器を取り戻せる状況ではない。ここにきて、リトルウルフ一体に手こずることになるとは。そんなことを思って立ち上がっていると、魔物が痺れを切らすように走り出してきた。距離を詰めてきては、またさっきと同じように地面を蹴って俺に飛び込んでくる。
「っく!」
慣れた動きで身を横にそらし、魔物の攻撃をかわしてみせる。そのタイミングに合わせて、セレナがいつも通り魔法陣を光らせる。
「風よ!」
着地した魔物に向かって魔法が放たれた。俺が避けて、セレナが倒す。それが俺たちの本来のやり方だった。だが、今まで成功し続けていたそのやり方は、今日は歯車が外れたように噛み合わないようで、セレナの風魔法は魔物の横を通り抜けてしまった。
「また外れた?!」
「――マジか!」
自分でも意外そうな顔をしているセレナ。リトルウルフの牙がそっちに向けられると、今にも飛びかかろうと腰を下ろしていた。俺は血相を変えながら地面を蹴り出し、目一杯腕を伸ばす。
――間に合え! ただ一心にそう思っていた瞬間だった。
「――雷鳴よ!」
とうとう飛びかかってきたリトルウルフ。その横から雷の弾丸が飛んできたかと思うと、そいつの体は一瞬で吹き飛んでった。
「な、なんだ?!」
魔物は地面に倒れたまま、体をピクピクと痙攣させている。一瞬すぎた出来事に状況が理解できていないと、向かい側から馬の足音が複数重なって迫っているのに気づいた。背後につく四頭と、いかにも兵士であるのを示す西洋風鎧。それを従わせるように先頭を走る栗毛の馬の騎手は、緑の衣装とあたかも貴族だと分かるような肩マントをしており、白髪の短くまとめた顔は、俺より少し幼く見えるようだった。その彼が俺たちの前で馬を止め、残りの兵士たちは先へ走り去っていく。
「無事……だよね?」
馬から降りないまま、少年は曖昧な聞き方をしてきた。かっこいい登場の割にちょっと拍子抜けしてしまい、「お、おう。大丈夫だ」と引っかかるように俺も答えた。すると隣で、セレナが驚きの声を上げた。
「ああ! あなたはまさか、ピトラの王子様?!」
一瞬、俺は耳を疑う。
「ええ!? 王子なのかこの人!?」
「ラフィット王子ですよ。スレビストコロシアムで、ガネル国王と戦ってたのを見ましたから」
「あー、あれを見てたんだ」と白髪の少年が呟く。コロシアムと言えば、前に俺たちも参加した決闘祭りのことだが、俺には彼の顔を覚えていない。そもそも国王との対戦なんてあったっけか?
「決闘祭りのことだよな? 俺もそれを見てたっけか?」
「ああ、ハヤマさんは見てませんでしたね。予選と本選の間でエキシビションマッチがあって、それで出てきたんですよ」
「あーそういうこと」
やはり初対面であることを理解する。本選出場者がトーナメント表を作ってる間に、それが行われえていたのだろう。確かに彼の腰には刀身が短めの剣がついていて、背中にも弓を背負っている。矢筒はどこにもないなぁ、と呑気にそんなことを思っていると、これまた呑気な口調で王子は口を開いた。
「僕のことはいいからさ。君たちは早く逃げた方がいいよ。村の外で、僕の兵士が待っててくれてるから」
避難誘導をしてくれてるのか、と理解する。ふとその時、太陽が突然雲にでも隠れたのか、俺を照らしていた光が影に変わった。なんだか嫌な予感を感じて後ろに振り返る。迫り来る強靭な爪を見て、呑気だった体は一瞬でそのスイッチを切り替えた。
パッと背後に飛び退き、黒い腕が地面を叩きつける。巨大な岩でも降ったのかと思った俺は、間一髪で魔物の攻撃をかわすと、顔を上げてその正体を目にした。その魔物は狼でありながら、さっきまでとはサイズの違う、俺を超えるほど大きいウルフであった。
「んな!? さっきより特段にデカい!」
「ビッグ――いやキングウルフ!? 危険ですよ!」
セレナがそう忠告する。俺を引っ搔こうとしていた手は子どもなら軽く捻り潰せそうなほど太くて、全身には相変わらずの漆黒の剛毛が立っていた。キングウルフと呼ばれたその魔物は、俺たちを脅すかのような遠吠えをしてみせる。
「アオオォォーン」
低く野太い、本物の狼が太ったような音がこだまする。遠吠えによる圧力は強く、より一層魔物が大きく見えるようだった。
「キングはちょっと、厳しいかもな」
セレナに聞こえるようにとそう呟く。ラフィットも降りた馬を叩いて走らせていると、セレナから焦りの返事が返ってきた。
「リトルウルフの群れもこっちに!」
ラフィットたちが走ってきた方向から、リトルウルフの増援が五体。俺は急いでサーベルを構えようとしたが、飛ばされて手持ちになかったことに気づき、ヤベ! と反射的に頭の中で呟いた。それに反してラフィットは、目一杯伸びをしてから腰の剣を抜いた。
「さっきの遠吠えのせいだね。メンドーだなー」
魔物に囲まれようとしているのに、ラフィットは一切慌てる様子を見せない。状況が分かっているのかと叫んでやろうと思った矢先に、既にリトルウルフの群れも彼の前まで迫っていた。それにラフィットを背を向ける。
「え? お、おいうしろ――」
予想外過ぎる行動に俺は慌ててそう声が出たが、彼はまさかの行動を重ねると、顔つきを変えないまま俺に飛び込んできた。そして俺の肩に片足を乗っけると、耳元で「――ちょっと失礼」とだけ言って、俺を踏み台代わりにして高く飛び上がっていった。反動で俺は尻もちをついて倒れる。すぐに顔を上げてラフィットを見上げると、彼は持っていた剣を地面に投げて刺した。そして同時に、彼はその手に黄色の魔法陣を作り出す。
「テキトーに、中程度の魔法!」
微かにそう聞こえた瞬間、魔法陣から剣に向かって真下に、空を真二つにしたかのような雷が落ちた。あまりの勢いに、剣の周りにいたリトルウルフたちまで一瞬で感電していき、五体全員酷く痙攣していった。その中央にラフィットが軽やかに着地して剣を地面から引き抜くと、魔物たちは最後に体から煙を上げ、そのままパタリと、次々に地面に倒れていった。
「……マジかよ。五体瞬殺……」
俺は立ち上がるのも忘れるほど傍観してしまっていると、その間にもラフィットはキングウルフに振り向いた。魔物の赤い目が強く睨みつける中、ラフィットは臆せず近づいていく。
まさか一人で戦うのか? キング級を一人で?
俺の中で不安が積もり始めた時、キングウルフがさっきと同じように腕を上げだした。その手に押しつぶされそうになった次の瞬間、ラフィットの右足が地面を蹴り、地面と水平になるほどの勢いの横回転でそれを避けた。その間に、剣で潰そうとした手を切って血を流すという、俺でも目を見張るほどの素早い動きだった。
「っな!?」
思わず声がこぼれる。さっきまでのんびりとした口調をしていた男からは、想像もつかないような機敏さだ。
「……全く」
ひっそり呟きながら、顔をゆったり上げていくラフィット。そこで見えた彼の顔つきが、少しだけ不機嫌そうに見えると、彼は逆手持ちの剣を、スイッチを押すかのように地面を叩き、同時にその刀身に緑色の雷を纏わせた。
「面倒、なんだよね!」
ぶわっと肩マントが震えあがり、明らかに彼の雰囲気が変わった。さっと振り抜かれた剣からは雷の斬撃が飛び出し、キングウルフの顔面に飛んでは、片目に直撃して緑色の血を出血させる。
「――ギャフン」
痛みに耐えきれない魔物が、思わず両目を瞑って頭を振りだした。身動きせずにはいられないのか、手足も地団駄を踏むように動き出す。
「よくも村を襲ってくれたね。おかげでこっちは、面倒事が一つ増えたじゃないか」
心なしか、ラフィットからいら立った声が聞こえてくる。すると、悶えていたキングウルフがいきなり口を開けて噛みつこうとした。それにラフィットは剣を構えて牙を刃に引っ掛ける。だが、キングウルフはその身にあった体でグググッと上から押し付けるように力を加えていく。それに耐えきれずラフィットは、尻、背中といって、とうとう頭までもが地面についてしまう。さすがにマズいかと、俺は動き出そうとした。しかし、当の本人は不適な笑みを浮かべているのだった。
「これで、終わりだよ」
そう聞こえた瞬間、剣に一瞬だけ雷が走っていったのが見えた。魔物の全身の毛が逆立ち、低くうなっていた獣の声がプツンと途絶える。電流は口を通って魔物の体内へ、尻尾の先まで一瞬で巡っていくと、キングウルフは白目をむき、やがて地面にドスンッと音を立てて倒れた。
「ふう……」
ラフィットがため息をつく。口から剣を抜き、ゆっくりとその場に立ちあがっていると、俺は辺りに転がった魔物の死体に目をやった。リトル級五体とキング級一体。それらの真ん中に立っているのが人間一人となると、それは圧巻の光景だった。
「すげえ……。こんなに強かったなんて、びっくりだな」
「これでも王子だからね。国を守る力は、ちゃんと持っておかないといけないから」
やはりのんびりとした口調でそう言って、ラフィットは剣を振って血を払ってから、腰の鞘にそれを戻していった。