10‐5 お願いします!
ハーブの香りが漂う良質そうなお洒落なフレンチ店。フランスという国がここにあるわけではないが、それに真そっくりな雰囲気のこの店で、俺とセレナ、そしてミリエルの三人で夕食を食べていた。俺の頼んだパスタの皿はもう空っぽなのに、二人は半分以上残したまま、やれ転世魔法なんてロマンチックだの、シスターの服は可愛いだの、完全にトークに夢中になっていた。
いつになったら終わるのやら。俺はお冷を飲もうとコップに手をつけるが、それも空になっていることに気づく。追加を頼むかと顔を上げた時、セレナの驚くような声が聞こえた。
「ミリエルさんって、聖属性魔法の最上級が使えるんですか! スゴイですね!」
「まあね~」
「そっかー。それじゃやっぱり、シスターになろうとしたのも、その才能を生かそうとしたんですね」
何気なく呟かれた一言。だがミリエルは、いままで乗っかっていた話しのスピードを急激に落とすように静かになった。不思議に思って俺は彼女を意識すると、その顔はどことなく哀しみが浮かんでいるようだった。
「ミリエル?」
俺がそう聞くと、ミリエルはハッとするような反応をした。
「あ、ごめんごめん。急に黙っちゃったね」
「あの、もしかして私、悪いことを聞いてしまいましたか?」
「へ? そ、そんなことないって、もう。セレナちゃんが心配する必要ないし」
明るさを取り戻していくミリエル。その素振りは大変無理をしているようにしか見えず、俺は頬に手を当てて肘を机に立てた。つい反射的にそんな動きをしていると、横でそれを見たセレナが「あー……」と何かを察した様子を見せる。
「え? なになにどうしたの?」
俺たちの空気感に困惑するミリエル。それにセレナが答える。
「いえ、なんとなくハヤマさんが何かに気づいたのかなって思いまして」
「何か? 何に気づいたのよハヤマ」
二人の目が俺に向けられる。セレナにバレたってことは、意外と俺って分かりやすいのか? まあいいか。
「いやまあ、俺は人より嘘に敏感なだけだ」
「ええ!? 嘘に気づくとかあり得ないんだけど!?」
「別に話したくなかったら話さなくてもいいよ。黙っておきたい内容だったら、なおさら聞いてもしょうがないし」
「……その言い方、なんかムカつく」
「え!?」
最後に鋭いカウンターを貰う。別にそんなつもりで言ったわけじゃないんだが……。そう思っている間にも、ミリエルは落ち着きを取り戻し「まあいいよ。ここにいる人だったらよくある話しだと思うし」と切り出して話しを始めた。
「ウチ、出身はピトラじゃないんだ。ここより南側にある小さな田舎村で生まれたの。そこで両親に育てられて、ウチも適当に育っていって。でもそこに、ある日突然魔物が襲ってきた。小さな村にはとても対抗しきれないほどの大群だった」
急激に変わった雰囲気にセレナが息を呑む。
「あっという間に村は崩壊。ウチは家族と一緒になんとか逃げきって、遅れてやってきたピトラの兵士たちに連れられてここに来たの。でも、こっちもこっちで結構な地獄絵図で、ウチらみたいに村を壊された人が、たくさん逃げてきてたの」
「かなり大変なことになってたんですね……」
「この世の終わりって、こんな感じなんだって思ったよね。でも、そんな中でも頑張ろうとする人がいたりしたの。みんな怖くて他人どころじゃないって感じなのに、そんな人たちを助けようとしている人が。それがマザーだったんだ~」
「へえ。それじゃその時の出会いで、ミリエルはシスターを志すようになったのか?」
俺の問いかけに、ミリエルは人差し指を向けながら「そう」と答え、そのまま縦ロールをいじりながら続けた。
「ウチ、両親二人とも魔法使いで、たまたま聖属性の素質があったっぽいんだよね~。だからマザーに訊いてみたの。ウチでもマザーみたいに人を助けられますかって? そしたらもちろんですよって言ってもらえて、それから教会堂のシスターになったって感じ」
彼女はそう過去を打ち明け、最後に「ヤッバ。なんか超恥ずかしいんですけど」と目をそらした。いつもの言動からじゃ、それが本当かどうか耳を疑ってしまうようだが、これらの話しに嘘の気配は微塵もなかった。それが意外過ぎて俺は目を丸めてしまう。
「意外と、かっこいい理由でなったんだな、シスターに」
「ちょやめてよ~。理由がかっこよくても、今のウチはまだかっこいいわけじゃないし」
「そんなことないですよ。ミリエルさん、立派なシスターさんに見えますもん」
セレナにも褒められると、ミリエルが分かりやすく頬を赤らめた。色々とやかましい奴だと思っていたが、照れる姿は案外可愛いものだと思ってしまう。
「と、とりあえずありがとう。ハヤマはともかく、セレナちゃんに言われたら普通に嬉しい」
「なんでだよ……」と俺は呟くが、セレナがそれを無視するようにミリエルとの話しを続けた。
「それじゃ、ミリエルさんは両親と一緒に住んでるんですか?」
「ううん。ウチは寮でシスターたちと共同生活してるの。パパとママは国の魔道兵になってて、今も元気に働いてるよ」
「へえ~。両親揃ってスゴイですね! そしたら、あまり会う時間とかも……」
また二人だけのトークが始まった。俺はまだなくなりそうにないパスタを見て、言葉にならないため息を吐いた。いつになったらここを出られるのか。お冷を飲もうとコップに手をつけるが、それが空になっていたことを忘れていた。俺はまたため息を吐いた。
――――――
漆黒に包まれた大都市ピトラ。フェリオン連合王国で一番の規模でるその街に、今宵もいつもの静けさが佇んでいる。大きく立派に建てられた、世界的にも有名なピトラ教会堂。寮に住むシスターに精神的癒しを求めた人々。誰もが寝静まり、物音一つする気配はない。しかし、この日の夜だけは、一人のキツネの影が、月の光に照らし出されていた。
壁を背にして首を振り、くまなく辺りを警戒するキツネの獣人。教会堂から抜け出そうとしていたオーレンは、誰もいないことを確認して教会堂の裏庭から抜け出そうと走り出す。
「待ちなさい!」
老婆の声が響く。反射的に体を震わせたオーレンが、慌てるように背後を振り返る。月の光に照らされたのは、教会堂のマザーだった。
「今度はあなたですかオーレン。まさか自分たちの足で失踪していたとはね。勝手に抜け出すつもりなら、私が許しませんよ!」
「な、なんで、あんたがここに!?」
「聖堂で内緒話ししているのが聞こえてね。彼らの情報が本当かどうか見張ってみれば、この結果のようですね」
オーレンに一歩近づくマザー。オーレンは一歩後ずさりし、声を荒げた。
「頼む! 頼むから、見逃してくれえっ!」
「それはできませんよ。あなたも消えてしまうつもりなんでしょう? 今まで抜け出していった者のように」
「僕は、行かなければならない……。あそこに、あの楽園に……そこに行けば、僕は救われる」
「この教会堂から抜け出して、救われに行くだなんて、よく言えたものですね」
「あんたたちじゃ、僕らは救えない。僕らは一生救われない存在。だから、だから……」
「死神はあなたを助けはしません。いい加減目を覚ましなさい、オーレン!」
「うるさい! 僕は行くんだ、救われるんだ! 死神の手によって!」
逆上したオーレンが、なりふり構わず手を伸ばす。その鋭利な爪先が、クレメールの顔を斜めに切り裂いてしまう。
「――っああぁぁ!!」
大声で叫び出し、慌てて頬を抑えるクレメール。思わぬ出来事にオーレンも顔を真っ青に帰る。マザーはとっさに黄緑色の聖属性魔法を発動させると、魔法陣の光と共に顔の傷口が元に戻り始めていく。息切れが止まらないまま傷を治し続けていき、なんとかすべての傷を治し終える。再びマザーが顔を上げた時には、オーレンはどこかに姿を消していた。
――――――
「ふわあぁぁ……」
どデカいあくびから目を開き、木製の天井と窓から差し込む朝日が目に映った。着替えを済まし、バックパックとサーベルを気ダルそうに背負うと、俺は部屋の木製ドアを開けた。顔を出すと同時に、隣の部屋からセレナとミリエルが仲良さそうに出てきた。
「お、丁度でしたね」
「ちーっす」
私服姿のミリエルを真ん中に、俺たちはピトラの見栄えのいい道を歩いていく。シスターって清楚のイメージがあったが、彼女の場合は余裕でおへそをチラ見せする服を着ている。シスターの休みって、こんなにギャップがあっていいものなのか? それより、どうしてミリエルがセレナと同じ部屋で寝てたかというと――。
「いやあ、セレナちゃんの話しマジ楽しいね! ウチも色んな所旅してみたーい!」
「ミリエルさんの話しも面白かったですよ! シスターの仕事って大変ですけど、素敵だなって思いました!」
二人はかなり打ち解けてしまったようで、夕食が終わって宿までついてきて、一つのベッドの上で楽しい女子会でもしていただろう。
「セレナちゃんのパンツピンク色だったっけ?」
「いやんミリエルさん、なんですか急に。そしたら私もミリエルさんの色聞いちゃおっと」
「ウチ? ウチは攻めの紫だよ! キャー!」
「攻めてますね~」
もう朝からテンションが高すぎる。それにこんな大通りで堂々と話す内容がそれかよ。幸い人はいないからいいものの、お前らの品位が一気に暴落しているぞ。
「朝から元気だな、お前ら」
「ハヤマは元気じゃないん? ウチが癒してあげるよ~シスターだから」
「いや、別にミリエルからの――」
「ミリエルちゃん!!」
語尾を強調され、心の中でどうでもいいだろうと思いながら渋々それに従う。
「ミリエルちゃん、の癒しは別にいらない。逆効果になりそうだ」
「そんなこと言っちゃって~。可愛い女の子にキョドッてんじゃないの~?」
普通に腹が立つ言い方をされる。それに乗っからまいと彼女の顔を無視してみせると、「あ! むう!」と逆ギレしてきた隣で、セレナが見えてきた教会堂を指差した。
「見えてきましたよ、ピトラ教会堂」
「ホントだ早いな~。セレナちゃんたちとも、ここでお別れだねぇ」
ミリエルが俺たちの前に出ながら振り返り、両腕を上げて今にも「バイバイ」と言うのかと思った。だがその瞬間聞こえてきたのは、彼女ではなく教会堂の入り口に出てきたマザーの大声だった。
「――ミリエル!!」
「うっわやっば。じゃあね二人とも!」
「あ、お元気で……」
セレナが別れを言い切るよりも先に、ミリエルは教会堂まで走り出してしまった。外で寝泊まりするのはさすがに駄目だったのだろうか。俺はそう思いながら、ミリエルがマザーのお叱りを受けるところを眺めていた。しかし、マザーが慌ただしい顔をしているのを見て、すぐに様子が変であることに気づく。
「なんだ? 怒ってるわけじゃないのか?」
異質さの正体を知ろうとよーく見てみる。すると、マザーの頬に出来たばかりの切り傷がついているのに気づき、思わず驚いてしまった。
「顔に傷がついてる!」
「え? 誰にですか……って本当です、マザーの顔が!」
セレナも傷に気づいた時、マザーの話しを聞いていたミリエルが、また昨日と同じように教会堂の外側を走り出していった。マザーはやれやれと首を振っていると、仕方なさそうにその後を歩いて追っていく。ミリエルに浮かんでいた血相を変えたような表情。それに反応する女が隣にいるのは、もう分かっている。
「……ハヤマさん。気になりませんか?」
「そうだな。絶対面倒事だと思うけどな」
「私、行って見てきますね!」
マザーとミリエルの後を追って駆け出したセレナ。バックパックも背負っているのによう走ると思いながら、俺も彼女の背中を追っていくのだった。
「ミリエルさーん!」
教会堂の裏手に真緑に広がっていた庭。草原の一つひとつが丁寧に手入れされているようで、体を伸ばしたり動かすには十分すぎるそのスペースで、セレナはしゃがみこんでいたミリエルに最初に近づいていった。マザーと俺も後に続いて二人の後ろに立つと、ミリエルは地面に付着していた赤黒い液体をじっくり眺めていた。
「……まさかこれ、マザーの血ですか?」
静かに、だがどこかに怒りがこもってそうな声色に、マザーは「そうですよ」と答え、そこから話しを展開する。
「実は昨日、あなた方のお話を聞いて、失踪事件の真相を確かめようとしたのです」
「俺たちの? ですか」
「盗み聞きするつもりではなかったのです。たまたまミリエルの大声が聞こえて、何かと思ってつい」
「あー……」とミリエル。そのまま「それでそのケガは?」と続ける。
「昨夜、私は誰かが失踪しないか見張るため、教会堂の周りを見回っていました。すると一人いたのです。教会堂を抜け出し、死神の潜む山へ向かおうとする者。……オーレンが」
「オーレンさんが!?」
ミリエルが大きな声を張り上げる。かなりの驚きようだったが、俺とセレナもそんな表情を浮かべていた。オーレンと言えば、ミリエルのことを娘だと信じ込んでいるキツネの獣人のことだ。
「どうしてなのマザー!? ウチ! 毎日オーレンさんの面倒を看てたんですよ!」
「恐らく、彼の中で限界だったのでしょうね。心の中の絶望の深さに、我々の奉仕では癒せなかった」
「そんな……」
ミリエルは顔を俯かせ、その顔を真っ白にする。あまりの悲しみに、彼女は今にも膝から崩れ落ちそうだ。
「残念ですが仕方ありません。彼らから教会堂を出ていったのなら、私たちも救う理由がない」
「……マザー。ウチらじゃどうすることもできないんですか?」
「私たちは救いを求める者に、暖かな光を与える存在。救いを求めない者を、わざわざ救う理由はありません。それも、抜け出したというのならなおさらです」
「そう、ですか……」
依然、ミリエルは頭を上げない。下ろしている両手は、強い握りこぶしが出来上がっている。
「ミリエル。あなたが気に病むことではありません。この責任は私にあります。最初の内にもっと別のやり方を模索するべきでした。私の失態です」
「いえ、マザーが間違えることなんて……ウチのせいです……」
暗く、鬱々たる会話が、ただ意味もなく続けられる。話せば話すほど彼らは責任を感じていって、続けば続くほど自分たちが無力だと言っているようで、聞いているだけの俺たちも気持ちがどんよりと重くなっていく。いくら自分を責めようとも、オーレンが逃げ出したという結果は変わらないというのにだ。
俺は彼女らを横目に流すと、ミリエルが見ていたマザーの血の跡にしゃがみ込んだ。乾いた状態でも微かに感じられる、鼻をつくような臭い。頭を上げると、それが続く経路が赤く目に浮かぶように鮮明だった。俺は前を向いたまま立ち上がる。
「ミリエル。俺ならお前にチャンスを与えることができる。けれど、それがまた悲しみを生まないとは言い切れない」
「……それ、本気なの?」
瞬時に察したような低い声に振り返ると、既にミリエルは覚悟を据えた瞳を俺に向けていた。
「色々訳あって、臭いの先を辿ることができるんだ。血の臭いは独特で結構強いから、引っかいた部分についている限りは追えるはず。それを追うかどうか決めるのは、お前の選択次第――」
「お願いします!」
俺が言い切るよりも先に、ミリエルは頭が腰の位置に来るまで下げていた。不意をついた速さと予想もしてなかった言葉遣いとお辞儀に、俺は少しうろたえてしまう。それでも、選択を曲げる権利は俺にはない。
「分かった。セレナも行こう。魔物が現れたら厄介だ。マザーはどうしますか?」
「老体には走る体力なんてありません。足手まといになるだけですよ」
「そうですか。分かりました」
そう言って俺は振り返ろうとしたが、それをマザーの「その前に」という一言が止めた。マザーはミリエルに険しい顔を向ける。
「本当にいいんですねミリエル? 彼はあなたに何を言うか分かりませんよ?」
ミリエルがマザーに正面から向き合う。
「行きます。ウチ、人を癒し、助けるためにシスターになったんです。それにシスターじゃなくても、チャンスがあるなら最後までそれを捨てたくないんです」
真っすぐはっきりと口に出された決意。まるで人が変わったような彼女の姿に、マザーは表情変えずにこう言った。
「なら行ってきなさい。そして、必ず帰ってくるのですよ。あなただけになろうとも」
ミリエルはまた深くお辞儀をする。十分に誠意と感謝をマザーに示すと、体を起こしながらすぐに振り返り、「お願い!」と俺に言ってきた。それにうなずきながら「すみません、これ預かっといてください」とバックパックを降ろした。セレナも同じようにする。そして、俺は一本の線を描くように漂っている血の臭いをたどって、教会堂の裏庭を走って出ていった。