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10‐4 来てくれたか! 愛しの娘よ!

 虹色に彩られたガラスを夕日の光が貫き、教会堂に入った俺たちを照らしてくる。奥で開かれたままの扉の中には、真ん中に空いた大理石の威厳ある通り道と、それを挟み込む長椅子がいくつも並んでいた。その一番先にあるのは、牧師さんなんかが喋りそうな台と、神聖を表す美しく透明感のある壁装飾。マザーはその聖堂には進まず、扉の前を右に曲がると、俺とセレナはマザーに続いてその奥へと歩いていった。


「――教会堂にいるのは、シスター以外にどなたかご存じですか?」


 突然マザーにそう訊かれ、俺たちは知らないと顔を見合わせてからセレナが「いいえ」と口にした。


「神に仕えてお祈りを捧げるシスターと、一緒に信仰してくれる教徒さん方と、その子どもたち。それ以外はほとんど、救いを求める者たちです」


「救いを求める……」


 俺は何気なくそう呟くと、マザーは進行方向を右に曲げ、すれ違うシスターたちの挨拶を受けながら先にあった扉を開けた。先の廊下の横につけられた階段を俺たちは上っていく。


「魔王が世界に現れた時、ここフェリオン連合王国及び中立の国は、十分な戦力が足りておらず、その支配下を魔王に委ねる選択をしました。我々は一切の抵抗をしない。その代わりに、民たちの命は奪わないでくれと」


「魔王さんがその提案を聞き入れたんですか?」


 セレナがすかさず聞き、マザーは首を横に振った。階段を上り切り、人気ひとけのない廊下を歩いていく。


「当然、この街は魔物たちの脅威に脅かされました。その恐怖は、人々の身と心を大いに震え上がらせた」


 ある扉の前まで来ると、マザーはそれに向き合うように足を止め、シックな黒いドアを押して開いた。その中を見た時、俺は病室で患者が寝ている風景を一瞬で思い出した。六つ並んだベッドに、それぞれ人間、または獣人が寝転がっていたり、座るようにして本を読んでいたりしている。


「ある者は家族を奪われ、ある者は家を壊され、ある者は体の一部を失い、ある者は精神が幼子に戻ってしまった」


 何人かはマザーの登場に顔を振り向けたが、誰も笑わず、むしろ表情一つ変えないまま、また自分たちのしていたことに戻っていった。どこか寂し気な顔をして布団にうずくまっていく中年男性や、肘から下を失い、包帯でグルグル巻きにされている女性。口が開いたままで、何も考えてなさそうな表情のシマウマの獣人など。彼らは全員無感情な機械のようで、彼らが全員被害者なのだと容易に理解できた。


「最近の私たちの仕事は、彼らを救い導くことがほとんどなのですよ」


 そう言ってマザーは、部屋の隅に立てかけてあるほうきを手にしてぱっぱと掃除を始めた。そうしている時、俺たちの立っている入り口から一番近くにいたキツネの獣人が、不安そうに口を開いた。


「マザー? あの子は今日も来てくれるよね? 来てくれるよね?」


「来ますとも。焦らなくても、もうすぐ現れますよ」


 マザーはホコリに目を向けたまま、いつもそうしているかのように適当にそう返した。キツネの獣人は顔にしわがついていて、四十代辺りまでいってそうな顔つきだった。片耳が噛み切られたように千切れているのが痛々しい。


 ふと、背後の廊下から誰かが歩いてくる気配を感じた。振り返ってみると、それはミリエルだった。酷くしょげた顔をしていると、いつもの調子はどこにも見当たらない。セレナも「戻ったんですね」と声をかけたが、ミリエルは疲れ切ったような愛想笑いを浮かべると、俺たちを押しのけるように部屋の中へ入っていった。彼女を見た瞬間、キツネの獣人は嬉しそうに声を張り上げた。


「来てくれたか! 愛しの娘よ!」


 娘!? 思わず声に出してしまいそうになるのをぐっとこらえる。ミリエルはキツネの獣人を「お父さん」と呼ぶと、彼の片手を両手で包み込むように握った。


「今日もお仕事だったのかい?」


「うん。もうすっごく疲れちゃった」


「そうかそうか。お前は働き者なんだな」


「えっへへ。お父さんに褒められるの嬉しいな」


 親子の会話が始まった。さっきまでの不安顔が、意気揚々と晴れているキツネ。なおも口から出てくる言葉の一つひとつが、とても軽やかで楽しそうな声色だ。


「今日はどんな仕事をしたんだ? お父さんに聞かせてくれないか?」


「今日はお買い物。近くの商店街まで行って、お料理の材料を買ってきたの。今日の料理はね……」


 しかしミリエルの受け答えは、俺にはどうしても覇気のない乾いたものに聞こえていた。うっすら見える横顔からも、笑みを浮かべたまま、目だけは無心のままでいるようで、彼にかけている言葉がどれも嘘のような、というより、適当なものに聞こえてしまう。


 まさか、と俺が思った時、手短に掃除を終わらせたマザーがほうきを片付け、入り口を出る前に

「今日は五分だけだよ」とミリエルに告げておき、俺たちを手招きして部屋から出ていった。マザーが部屋の扉を閉めると、来た道を戻ろうと歩き出した。それを追いかけて俺はマザーに聞いてみる。


「マザー。一つ聞きたいことが」


「なんですか?」


 一応部屋に聞こえないよう、階段を降り始めてから俺は話す。


「その、ミリエルがさっき相手していたキツネの獣人。あの人、多分ミリエルのお父さんじゃないですよね?」


「え?! そうなんですか?」と驚くセレナ。マザーはそれを肯定してきた。


「あの人、オーレンさんはね。大事な一人娘を失っているのよ。それが相当大きなショックだったのでしょうね。この教会に訪れて、ミリエルを見た瞬間、自分の娘だと言い始めたのよ。金色の髪がそっくりだと言ってね」


「思い込んでる、ってことか」


 人間とキツネくらい見分けられるはずだ。それなのに彼は、それが分からなくなってしまうほど精神が病んでいるということか。自分の娘が分からなくなってしまうとは、どれほどショックを受けたのか。……あまり想像したくない。


「それじゃミリエルさんは、あのオーレンさんに合わせて、娘さんになりきってるんですか?」


 そうセレナが聞く。


「私たちも散々言いましたよ。彼女はあなたの娘さんではないと。けれどもオーレンさんはそれを受け入れなかった。しまいには娘を奪うなと、攻撃的になったりもして、私たちもこうするしかなかったのです」


 闇が深い。もういくところまでいってしまってる感じだ。階段を降り切って聖堂までの廊下を歩いていると、マザーがその開いたままの扉の前で足を止め、俺たちに振り返った。


「最初の質問に答えていませんでしたね」


「最初の質問?」とセレナは呟き、俺が「失踪のことですか?」と思い出す。


「そう。この教会堂で預かってる患者が、最近よく失踪しているのです。今日も一人、人間の男性がいなくなったばかり。今まで面倒を看てあげてたのに、嫌になってしまいます」


 愚痴をこぼすマザー。俺は「最近になってからなんですか?」と聞いた。


「そうですね。最近、変な噂が流れてからですね」


「変な噂?」


 俺は深く聞いていく。


「死神の潜む山です。聞いたことありませんか?」


 俺は頭からハテナマークを浮かべ、セレナも「死神? いえ、ここに住んでる人じゃないので」と口を開いた。それにマザーは「ミリエルのお友達なのに?」と呟き、セレナは分かりやすくギクリとしてしまう。構わずマザーは話しを続ける。


「フェリオン連合王国の北は山岳地帯になっていますが、そのどこかの山に死神が潜んでいると言われているんです。シスターたちの間では、私たちが目を離してる間に、死神が山から下りてきて連れ去っていると噂しているのです」


「死神が連れ去るなんて……考えただけでも恐ろしいですね……」


 セレナの体が異様なほどブルブルと震えている。たかが噂話しではないかと思ったが、こいつの場合は違うのだと思い出す。


「そういやお前、幽霊とかが苦手なんだったな」


 死神が山から下りて連れ去っていく。悪さをする子どもに言いつけるような話しだが、俺にはある人物が頭に浮かんで離れない。ここに来る前に迷い込んだ森。思えば山道を登っていって出会ったあの老人は、他人の死をもって自分を生かしている。今日だって丁度、俺たちの前で一人の人間を土に還したと言っていたし、その人間も、マザーの言っているのと同じ男性であった。


 ……まさかな。


 真相を確かめようと、俺はマザーに口を開こうとする。だが、すぐに背後から「ふわあ!」と大きなため息が聞こえてミリエルがやってくると、俺の口を遮ってマザーに話しかけた。


「今日も終わりました、マザー」


「お疲れ様ですミリエル。今日はもう休んでいいですよ」


「え? いいんですか? さっきのだって五分だけで、いつもより少なかったのに」


 ミリエルがそう聞くと、マザーは俺たちに背を向けようとした。


「お友達の相手をしてあげなさい。最近働きづめでしたから、あなたにも息抜きが必要でしょう?」


「マザー……ありがとうございまーす!」


 満面に浮かべたミリエルの笑み。今度は本当の、心からの言葉であると、マザーはそのまま歩いていき、俺たちの前から姿を消していった。ミリエルはよほど嬉しいのか、金髪の縦ロールをいつもより早く回していじっていると、そのまま俺たちに振り向いてきた。


「いやあマジサンキュー! あんたらサイコー!」


「サイコーって、そもそもお前が勝手に巻き込んだんだけどな……」


「あれ? そうだっけ?」


 とぼけた顔をするミリエル。これも本心からの言葉だと気づき、俺はほとほと困るような表情を浮かべるが、すぐにさっき言いそびれたことを喉奥から取り出そうとした。


「あそうだ。この際お前に聞くが、今日教会から失踪した男の人って、どんな顔をしてるんだ?」


「え? なによいきなり?」


「心当たりがあるかもしれないんだ。その人が失踪した場所に」


「……ホントなの?」


 ミリエルは髪をいじる手を止め、いきなり神妙な声色になってそう聞いた。意外な反応だと思いながら、俺ははっきりうなずく。すると彼女は、俺の手を取って聖堂の中、長い木椅子の端まで連れていった。セレナも慌てて後を追ってくると、そこに座らされてミリエルが顔をぐっと近づけた。


「四十代の男性。体は細みで顔も病人みたいに白い。心当たりある?」


「そ、そうだな。四十で細くて白い男……」


 勢いにのけぞりながらもそう呟き、頭の中の記憶と照らし合わせていく。横に立っていたセレナも

「もしかして……」と呟いていると、やはり俺の予想は当たっていたようだ。


「何か知ってるの? その反応は知ってるよね?」


 今度はセレナに食い入っていくミリエル。その圧に「えーと……」と戸惑っているのを、俺はミリエルの肩を掴んで優しく引っ張った。


「落ち着け。あくまで可能性の話しだ。そうじゃないのに勝手に騒がれても困る」


「でも!」


 今まで一番大きな声が、聖堂の中で反響する。人っ子一人いないこの空間で、彼女の残響だけはっきり聞こえていると、やっと彼女は冷静になれたのかストンと椅子に座りなおした。


「ごめん。ちょっと大きな声出ちゃった」


 急激に素直になってそう呟くミリエル。彼女の心の中の焦りを感じながら、俺は出会った時の愚痴を吐く姿を思い出した。あれだって本心から言っていたような感じだったのに、失踪と聞いていきなり走り出したり、嫌な顔しながらもキツネの獣人と話したり。彼女の本当の想いはどっちなんだと、そんな疑問が湧く。


「シスターなんてって愚痴ってた割には、ちゃんと怒るんだな」


「教会の仕事は最悪よ。でも、だからって人を癒すのが嫌いなわけじゃない。私は、みんなが幸せになってほしいって、誰よりも思ってる」


「……そうか」


 若干涙目になりながら彼女はきっぱりそう言い切った。俺は考えを改める。ギャルで外見は全く似合っていないシスター。でも心の奥底には、しっかりとした信念が宿っている。


「マザーにもよく言われるんだ。ミリエルは感情的になるまで早すぎだって。それを直せるならウチもすぐ直したいよ。けど、どうしても思い通りにならないとつい、さっきみたいに……」


「変なこと聞いて悪かった。俺たちからもちゃんと話す。ここに来るまでに起きた、お前たちの言う死神とのやりとりを」


「死神とのやりとり……死神に会ったっていうの?」


 道に迷って山で迷子になってから、デリンという老人とたまたま出会ったこと。そこに一人の男が現れ、彼の魔法によって土に還ったこと。彼の目的が永遠の生であり、それが禁忌級死属性魔法で可能なこと。そうして最後に、いきなり転移の魔法でワープさせられて、詳しい道のりまでは分からないことを、俺たちは全部話した。


「場所は分からないんだ……」


 最初に出たミリエルの感想はそれだった。


「かろうじて分かることと言ったら、分かれ道から歩いて半日くらいで出会ったってことくらいだな」


「新しくできた道のことでしょ? だったら多分、このピトラからでも一日あればたどり着ける範囲のはずよ。見つけるのが一番いいんだけどなぁ……」


「見つけてどうするつもりなんだ?」


「決まってるでしょ? ウチの患者を土に還さないでくださいってお願いするのよ」


 ミリエルは当然でしょ、という顔をしていたが、その答えに俺は「うーん……」とうなってしまう。セレナが「何が引っかかるんですか?」と聞いてきて、俺はもう一つの真実を彼女に明かした。


「今日デリンの元にいった男の人が、彼を見てなんて言ったか分かるか? 『ここが俺たちの楽園』って言ったんだ」


「はあ!? なにそれあり得ないんだけど! こっちがどんだけ面倒みてやったと思ってるの! こっちのが断然楽園でしょう! 可愛いシスターだって多いのに!」


 彼女の怒りもごもっともか。それでも人は最大の救いを求めてしまう。それがたとえ死であろうとも。それを求める人間が、さっき一人いたわけだ。


「救いを求めてこの教会に来て、更なる救いを求めて死神の潜む山へ。そんな奴らを相手するんじゃ大変そうだ、シスターって仕事は」


「全くもってそうだっつの! ……でも実際、ここで回復して、今は仕事を見つけられた人だっているんだから。まあほとんどの人が、今もまだ教会で寝泊まりしてるけれど」


 最後はシュンとなって、嫌そうに呟いてからミリエルは立ち上がる。


「そんじゃ、ウチは寮に戻るね。今日はありがとう、色々聞けて良かった」


 そう言い残して立ち去ろうとする。その後ろ姿をセレナは少し心配そうな目で追っていると、「あの!」と彼女の足を止めた。


「もしよかったら、一緒にご飯とかどうですか? 私、ミリエルさんのこと色々知りたいです」


「エエ! ナニ! 誘ってる! ウチのこと!?」


「そ、そんな意味では……」


「アッハハ! 冗談。でも嬉しい! 私、同い年くらいの女友達、あんまいないんだ。周りのシスターってみんな二十代以上だから」


 ミリエルはグイッと距離を詰め、彼女の手をスッと両手で握る。


「よろしくね! えーとえーと……セレナちゃん!」


「あ! そうですそうです! よろしくお願いします、ミリエルさん!」


「さんは嫌だな……ミリエルちゃんって呼んで! ハヤマもそれでお願い!」


「え? 俺もかよ!」


「そう! それで決まり!」


 彼女の独断でそう決められてしまうと、ミリエルは振り返って聖堂を出て行こうとしながら「着替えてくるねん~」と言って姿を消した。

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