10‐2 死は常に隣にある
デリンと老人は名乗った。その彼から出てきた「禁忌」という聞き覚えのある言葉に、当然俺は引っかかっていた。
「禁忌級魔法って、一体なんの魔法を使ったんですか?」
「死属性禁忌級魔法、アンリミテッドドレイン。永遠の生を得ることのできる魔法じゃ」
「永遠の生……不死身ってことですか」
俺の言葉にデリンはうなずく。絶句していたセレナも「一生死なないってことですか?」と聞き直すと、彼の口から詳しい説明が出てきた。
「私がこの場に留まる限り、何年経とうと死ぬことはない。百年、千年、一万年経とうともじゃ」
「そうなんですね。永遠に生きられるって、とてもすごいですね」
「それじゃデリンさんは、今いくつなんですか?」
ふと沸き上がった好奇心でそう聞くと、デリンは「フォッフォッ」と笑いながら答えてくる。
「はて、何年生きたんじゃろうか? 最後に数えたのは確か……五百年じゃろうか」
「五百年!? すごい長生きなんですね」
「実際はもっとあるんじゃろうが、もう数えることにも飽きてしもうてな」
一つの魔法で五百年以上生き続けたというのか。とても驚異的な効果に感心してしまったが、セレナがデリンの地面に繋がった足をじっと見つめていた。
「でも、その代償が、その足ってことなんですよね?」
「代償を知りたがるとは、物好きな者たちじゃ。じゃが、説明よりも先に……」
言葉を区切ったデリン。その目が俺たちの奥を見ているのだと気づくと、背後にはいつの間に、一人の人間の男が立っていた。見るからに活気や精力を感じられない顔をした彼は、不適な声色でこう呟く。
「ここが、俺たちの楽園……」
「お主は望む者のようじゃな」
デリンの言葉に男はうなずき、俺たちの間を通って彼の前まで歩いていく。男は老人の知り合いなのか? 一体何をしにここに来た? 色々な思惑が頭の中を駆け巡る中、デリンは俺たちにこう話してくる。
「若き少年少女よ。後ろを向いていてくれないか?」
「え? あー、はい」
セレナが慌てて後ろを向くと、俺は少し疑うような目をデリンに向けたが、真顔のまま表情が変わらないでいると、仕方なくセレナと同じように彼らに背を向けた。デリンから目を離して時間だけが過ぎていくが、彼らが言葉を交わす様子は一切ない。だが微かに、足下で何かがうごめくような感じがして目を落とすと、地面が独りでに動いているようだった。気のせいかとも思えるほど僅かな揺れ動きだったが、何故だか背後からは嫌な予感がビシビシと感じられてしまった。
「もうよい。若き者たちよ」
デリンに言われるまま、俺とセレナが振り返る。すると、そこにいたはずの人間の男は姿を消していた。
「あれ? さっきの方はどちらへ?」
またデリンが座っているだけの光景に、セレナがそう聞く。すると老人は、耳を疑うような一言を口にした。
「土に還った」
「……え? それって、どういう……」
いきなりすぎて言葉の理解が追いつかない。セレナも目を丸めながらうろたえてる様子に、デリンは事の詳細を無感情に話してきた。
「そのままの意味じゃ。彼は今、土へと還っていったのじゃよ」
「還ったって、殺したってことか?」
敵意を抱くような目を、俺はデリンに向ける。しかし彼の青い眼差しは、それに一切動じる気配を見せなかった。
「彼の目に光はなかった。私はここで、死を求める者に、死を与える存在なのじゃよ」
死を求める者に死を与える存在?
「それじゃさっきの人は、自分から死にに来たってことか?」
「彼らにとっては、それが最後の救いなのじゃ」
「救い? 死んだら終わりなのに、どうして救いなんですか?」
そうセレナが声を荒げる。それにデリンは落ち着き払った様子で諭そうとする。
「生きることを放棄し、死を求める人間もこの世には存在する。未来に希望を見いだせない人間が、今までに何百人、何千人とここを訪れておる」
「そんな……」
「……要は、生きるのに疲れた人たちが、あなたの手で殺されるのを望んでここに来てるってことですか。わざわざあなたがする必要はないんじゃないんですか?」
「私も彼らを必要としているのじゃよ。彼らの死が、私を生かしてくれる」
まさかの受け答えに眉間にしわが寄った。彼らの死で自分が生きると?
「一体、どういうことなんですか?」
「人が亡くなった時、お主らはその遺体をどうしている?」
質問に質問で返されると、それにセレナが答えてくれた。
「安らかに眠れるよう、土に埋葬してあげてますけど。お墓も山のような形にして」
「そう。人が亡くなった時、我々はその人間を土に埋める。それはなぜか? 死体を土に還らせ、肉体に残った微かな生力を大地に与えるため。そんな理由から、その習慣は生まれたのじゃ」
「はあ」と、異世界慣れしてない俺は相槌を打つ。
「死属性禁忌級魔法は、永遠を生きることができる体を手にすること。すなわちそれは、生の根源と直接結びつくことなのじゃ」
「生の根源と直接……」
そう呟いて、俺はデリンの脚に目を落とした。
「私は禁忌を犯し、代償としてこの山に体を結ばせた。この山に還った生力が、私の体へ流れ込んでくれる。自分の体に取り込むことができる。さっきの男も土に還ったことで、今は私の命へと変わっておるわけじゃ」
デリンの口から明かされた禁忌と代償の正体。この老人は永遠の命を手に入れ、希望を失った人間の命を吸い取って今も生き続けている。その代わり、足はこの大地と一体化し、一生この場に留まり続けることになったわけだ。
「一生ここから動けない代償ですか。ここから見える世界なんて、とても退屈そうですけどね」
「死は常に隣にある。人は必ず最後に死に到達するのじゃ。我々に定められた運命じゃが、私はそれが疑問だった。なぜ人は死ななければならないのか。死ぬ必要なんてどこにあるのかと」
俺の質問にそうデリンは持論を展開していく。
「禁忌級の存在を知り、私はその真理を探ろうとした。その運命は変えられるものだと信じ、そして運命を捻じ曲げた先に、新たな世界が広がっているのだと信じて」
最後にやや興奮気味に語った彼に、俺は冷静な返しをした。
「新しい世界は、見つかりましたか?」
「ああ。見つかったとも。運命の先にあったものは、それはそれは意外なものじゃったよ」
もったいぶったような言い方に、セレナが「なんだったんですか?」と聞いたが、デリンは首を横に振った。
「お主らの知るべきことではない。これは、代償を背負う覚悟を持つ者が見るべきものなのじゃよ」
「ふーん」と俺は興味なさそうに呟いた。事実、個人的に永遠の命に興味はなかった。楽しいことも嫌なことも、永遠に繰り返される人生なんて面白みがない。遊園地のメリーゴーランドに乗っている子どもを永遠に見ていて、百年後までずっと笑顔でい続けられる人なんていないだろう。
「デリンさんの事情は分かりました。俺たちはピトラに向かいたいだけなので、道だけでも教えてもらえませんか?」
「老いぼれの話しはつまらなかったか、若き者よ」
「いえ、別にそう言うわけでは」
「フォッフォッ。別に隠さなくともよい。ピトラへの道筋なら、ちゃんと示してやるとも」
興味がない感じが見透かされたような笑い方だ。俺が嘘を見抜くように、この老人もよく人を見ているようで気味悪く感じた。さっさと教えてもらおうと口を開きかけたが、先にセレナが「あ、待ってください」と声を挟んできた。
「デリンさんって、やっぱり魔法使いなんですよね? それも、禁忌級を使えるほどの」
「左様」
「そしたら、転世魔法について何か知っていませんか? 私たち、その魔法について知らなければならなくて」
なるほど、と俺は感心する。デリンに魔法のことを聞くのは賢明な判断だろう。手がかりが増える分には、こちらとしてはありがたいことだ。しかしデリンからの返答は残念なものだった。
「いや。その魔法は知らない」
「そうですか……」
「がっかりさせたかね?」
「いえ、そんなことは……あそうだ。もう一つ聞きたかったことが」
「フォッフォッ、好奇心の多い少女だ」
「えっへへ、すみません何度も。その、どうしてデリンさんからは、魔力の感覚がしないのかが、知りたくて」
笑みを浮かべたままセレナがそう聞いた。魔力の感覚というと、魔法使いにしか分からないものだろう。
「魔力の感覚。魔法使いから溢れるものじゃな?」
「はい。私も魔法使いなので、普通だったらデリンさんの魔力を感じられるはずですけど、禁忌級を発動できる方にこれだけ近づいているのに、先ほどから全く何も感じないんです」
「なるほど。確かに強力な魔法使いなら、立っているだけでその魔力があふれ出てくるもの。私の場合は、これのおかげじゃよ」
そう言ってデリンは、ずっと木杖を握っていた右手をゆっくりと動かしていった。地面に立てていたのを横向きにしていき、腕を下ろしつつやがて足下にそれを置いた。何事もないそれだけの動作。それにセレナは、顔面蒼白させるように目を丸くし、その足が一歩後ずさりしていた。
「セレナ? 大丈夫か?」
魔力を感じられない俺はそう聞く。セレナからの返事が来ないと、デリンは再び木杖を握りなおし「感じていただけたか?」と聞いて、それにやっとセレナの口が動いた。
「は、はい……怖いくらいに……」
「フォッフォッ。面白い言い種じゃ」
デリンは愉快そうに笑っているが、セレナが軽く放心状態になっている。今までにない魔力を感じたのだろう。ますます底の知れない人物に俺は危惧するように顔を振り向けた。
「驚かせすぎたようじゃの。自分の存在を知られたくなくて、普段はこうして隠しているのじゃ」
「そ、そうだったんですね。ビックリしちゃいました」
なんとか落ち着きを取り戻したセレナ。「一体何者なんだ……」と小声で俺が呟いているのを横目に、彼女はデリンに「そ、それで、ピトラはどこにあるんですか?」と聞きなおした。それにデリンが木杖をある方向に真っすぐ向けた。
「南西の方角。およそ三十キロメートル。お主の転移魔法なら、なんとかたどり着ける距離じゃろう」
お主の転移魔法? その言葉に二人して引っかかっていると、セレナが直接「あの、私は別に転移魔法を使えるわけでは……」と答えた。この老人なりのボケなのだろうかとも俺も思っていたが、デリンはキョトンとしたような目で俺たちを見上げていると、急におかしくなったように笑いだした。
「アッハッハッハ! まさかお主、自分の可能性に気づいておらんのか?」
「え? 可能性ってどういうことですか?」
言っている意味が分からず、セレナも不思議そうにそう聞いた。するとデリンは、木杖を持つ腕を地面に円を描くように振ると、俺たちの足下に灰色の魔法陣が浮かび上がらせた。
「目的は、ピトラで間違いないな?」
確認してくるデリンにセレナはそれどころじゃないと口を開く。
「あのデリンさん! さっきのは一体どういうことなんですか! それにこの魔法は――」
「お主、転移魔法の素質を既に持っておるよ」
セレナの言葉を遮って、デリンはとんでもないことを話していた。思わず俺はセレナと「え?!」と驚く声を一緒に上げていたが、俺たちを囲んでいた魔法陣がかなり強い光を発し、一番外側の円の光が空へ向かうように一瞬でせり上がっていった。
「ぬわ!?」
「っきゃ!?」
光の柱に俺たちは包まれる。訳の分からないまま発動されたらしく、しばらくその光を眺めるしかなかった。「なんだなんだ?!」と騒いでいるのも束の間、その光もすぐに消え去ると、変わり果てた風景が俺たちの目に映り込んでくるのだった。
「こ、ここは?!」
目の前に広がっていた風景に俺は驚いてしまう。何かの間違いではないだろうか。さっきまで広がっていた木々の風景とは打って変わって、そこは黄緑色の平原が境界線の奥まで広がっていた。そして俺たちの立っていた黄土色の道。その先には、五メートルくらいにせり上がった石の城壁と、その周りを囲うように敷かれた水面。その上に掛けられた木造の橋が、城壁の中の街まで続いているのだった。
「あの街はもしかして、ピトラ!?」
セレナがそう叫び、俺は呆然としてしまった。はたから見たら、滑稽な立ち姿をしているだろう。だがそれだけ、俺たちの脳の処理速度では、現状を把握しきることで精一杯だった。
「おいおい、まさか森から王都までの瞬間移動したってか」
「そう、みたいです……」
「なんだったんだよ。なんかお前に転移魔法の素質があるとか言ってたよな?」
「そうですけど、転移魔法なんて使えませんよ。お母さんにだって言われたことないですし」
「じゃああれは嘘だったってか? そんな素振り一切なかったけどな」
「じゃあ、本当にそれがあったってことなんですか?」
俺たちは慌ただしくそう話し続けていく。ふとお互いに黙って丸くなった瞳を確認してると、急に冷静になって俺はこう呟いた。
「……とりあえず、歩くか」