10‐1 ここで永遠に生き続けている者なり
歩いて食べて、歩いて夜を迎えて食べて寝て。途中に村があったら金貨と資源を交換して、また歩いて食べて、夜に眠って……。そうしてエングの研究所を出てから一週間以上が過ぎた頃。
「新しい国に来たってのに、何もないな、ここ」
俺とセレナはスレビスト王国を抜け、中立の国と呼ばれるフェリオン連合王国の土地に足を踏み入れていた。しかし、目的のコルタニスまではまだ遠く、俺たちは未だ、平坦で何もない道を歩き続けていた。
「元々人口が少ない国だと聞いてましたけど、人気も全く感じませんね」
「変な方向に進んでないよな?」
「そんなことないですよ。コルタニスに向かう途中で、王都のピトラにたどり着くはずですから」
見渡す限り広がっている草原の中、セレナはそう説明する。途中で王都ということは、そこで食料なんかの資源を調達するのだろう。そう納得して歩き続けていると、いきなり現れた分かれ道の前で足を止めた。
「分かれ道だな」
二本に分かれた黄土色の道。行き先を指し示す看板などはない。どちらに進めばいいのか、地図を持っているセレナに聞こうとしたが、既にセレナは地図を持って首をかしげていた。
「おかしいですね。地図を見ても、分かれ道なんて書かれてません」
「マジかよ。最近できた道とかか」
「うーん。この地図も、村に置いてあった古いものですからね。そうかもしれません」
地図を畳んでしまおうとするセレナ。道の先を見てみても、どちらも山か森に繋がっているようで、街に続いているかどうか分からない。地図を調達しようにも結構な距離を戻ることになるし、ピトラまでの道しるべを知らない俺たちは、その場で立ち尽くすしかなかった。
「自分たちの直感を信じるしかないな」
「直感を信じるんですか……まあでも、進むしかありませんもんね」
「せーのの合図で、自分の行きたい方向を指差そうか」
「分かりました」
「いくぞ? せーの」
人差し指で俺は右の道を指差す。それに対し、セレナも同じ方向を指差していた。
「お? 気が合いましたね」
「マジかよ。お前と一緒なのは逆に不安だな」
「そんなことないですよ。冗談言ってないで、早く行きましょう」
セレナが先に歩いていったのを皮切りに、俺もその道に足を踏み出していった。まあたとえ違ったとしても、面倒なことは起こらないだろう。
「ブギャアアァァ!」
山の深い森林地帯に入った俺たちに、魔物が威嚇するように叫び出した。初めて異世界に来たときに目にした蜂の魔物。最初に背中を取られたリトルワスプが、俺の頭上で強靭な針を見せてきていた。
「どうしてこうなった……」
鬱蒼とした森の中、俺はそう叫ぶ。ただ続いていた道を歩いてきただけなのに、どうしてここで魔物に襲われなきゃならないんだ。
「ブアアァァ!」
いきなり刺してこようとしてきたのに対し、俺は魔物の動きを捉えて、片足を引いて攻撃を避ける。そのタイミングでセレナが「はあ!」と威勢のいい声を上げると、撃ち込んだ風魔法がリトルワスプを奥の木へ跳ね飛ばした。
「なんとかなったか。……おっと」
視界に入ったもう一体に近づこうと、俺はセレナの元へ走り込んだ。その肩を掴んで自分の体を前に出し、サーベルを突きたてて牽制する。リトルワスプはその剣先に怯むように動きを止めると、残像を残す勢いでその場から姿を消した。俺は焦らず経験と直感を頼って振り返る。
――ドンピシャだ。
力強く右腕を振り切る。肉を切る感触が、紙のように柔らかく伝わってきて、リトルワスプの体は綺麗に真っ二つに切れて地面に倒れた。
「ふう。これで全部だな」
完全に息絶えたのを目視で確認し、サーベルの刃についた血を拭きとろうと、不要な紙が入っているバックパックに手を伸ばした。
「まさかリトルワスプと出くわすなんて」
「久々に魔物と出会ったよな。まあ倒せたからいいとして、だ……」
鉄の刃の輝きを完璧に取り戻すと、それを鞘に納めようとしながら、見渡す限りの緑一色を目に映した。
「俺たち、完全に迷子だよな……」
「うう……やっぱりそう思いますか……」
「そう思うしかないだろ。道が途切れてから結構歩いてきたけど、街なんてどこにも見当たらないぞ」
分かれ道を選んだ時は、山は反対側の方にあったというのに、どうしてこっちがその山へと続いていたのか。歩いてきた道も途切れ、入り組んだ森の中では方角を知ることだって難しい状況だ。
「どうしましょうか。来た道戻りますか?」
「覚えてるのか?」
「いえ、全く」
「だよな……」
荷物を背負って歩き続けた分と、急に魔物に襲われた分の肉体の疲れ。そして、迷子になってしまったという精神的な疲れに襲われ、俺は力が抜けるようにその場に座り込んでしまう。「大丈夫ですか?」と疲れた声で聞かれ、「うん、限界が近いわ」と素直に答えた。セレナは大きなため息をつく。
「はあ……せめてこの森を抜け出さないと。いつ魔物に襲われるか分かりませんし」
地べたに転がっているリトルワスプの死体を見てみる。こいつから放たれる悪臭が、ずうっと鼻をついてきて鬱陶しい。虫独特の臭いに血が混じった感じ。多分カナブンの数倍は鼻を刺激してきてる。
「死体の臭いが酷い。鼻がひん曲がりそうだ」
「そんなに酷いですか?」
セレナの返事が意外で、俺は顔を上げた。もう鼻が麻痺してしまいそうなくらいに感じているのに、彼女は至って平気そうだ。
「まさか俺だけ?」
「私は平気ですけど」
「……となると、やっぱそういうことか」
すぐに原因が分かった俺はうなだれるように肩を落とした。それにセレナは「なんですか?」と聞いてくる。
「この前の理魔法だ。ほら、開けた瞬間にパイが顔面に飛んできただろ?」
「あー、確か鼻が利く魔法、でしたっけ?」
「きっとそれに違いない。ここまで来る間にも、やけに色んな臭いがするなって思ってたんだ。すぐ消えるって言ってたはずなのに、厄介な魔法だ。……あ、死体とは別の匂い」
不意に新たに感じた臭いに顔が上がる。感じたのは虫のような臭さと、ほんのり甘さのある香り。よく確かめようと俺は立ち上がった時、その臭いは急接近してきているのに気づいた。
「近づいてる!」
「え? 一体どこから――」
背後から忍び寄ってくる羽音に気づき、セレナが言い切るよりも先に俺は後ろに振り返った。目に映ったのは蜂の魔物。体はさっき倒したのより倍はあって、人間とも比べられるくらいに巨大だ。尻尾についた黒い針も、俺たちの頭を貫くには十分すぎる大きさだ。
「デカい!」
「キ、キングワスプ!?」
なるほどキング級か! そう理解している時には、既にキングワスプは俺に向かって飛び込んんでこようとしてきていた。
「セレナ!」
名前を叫んで彼女を後ろに下がらせる。そうして自分はサーベルの柄に手をかけると、その状態のまま、尻尾の針に意識を向けた。強い集中力でじっくり、冷静に、最後まで見落とさず。ピンポン玉を打ち返すように慣れた感覚で、俺は攻撃を避けようとしたその時だった。
「――ブガッ!?」
突如後ろによろめくキングワスプ。その胴体には、白い煙で作られたような剣が突き刺さっていた。「なんだ!?」と驚いていると、新しいのがもう一本、更に一本、駄目押しに一本と、次々に現れては魔物の体に刺さっていく。セレナの仕業ではない。彼女も唖然とした表情で突っ立っている。誰かが近くにいるのかと俺が思った時、また新たに浮かび上がった煙の剣が、ゆらゆらと宙を漂っていき、そしてキングワスプの頭上でピタッと動きを止めると、最後はギロチンのようにスパッと真っ二つに切り裂くのだった。
ドゴッと鈍い音を鳴らして落ちる生首と胴体。それに驚いて「うわ!?」と俺は叫ぶ。
「んな、なんだったんだ今の!? 急に煙みたいな剣が出てきたぞ!」
そう言って顔を上げてみたが、キングワスプを倒した煙の剣は、もうすべて消えてなくなっていた。
「魔力の感覚がしてました。多分誰かの魔法ですよ」
「魔法? でも、お前以外の魔法使いが、この辺りには……」
セレナと一緒に辺りを見渡してみる。やはりどこを探しても、俺たち以外に人は見当たらない。なんだか寒気を感じてしまう。正体不明の魔法は、一体どこから来たのか。
「ん? この臭い、人か?」
「ハヤマさん?」
鼻に魔物とは別の異臭が吸い込まれてくる。油っぽいようなそうじゃないような、それでも線香の焼けたような匂いだけは確かに感じられる。それに誘われるように俺は歩き出していくと、セレナも黙って後をついてきた。
木々の間をかき分けていく度に、不気味に漂うその匂いがどんどん強まってくる。間違いなくこの先に誰かいる。他に感じる匂いもなく、さっきの魔法がこの匂いの先にいると思った。そして、山の斜面を登り続けていった先で顔を振り返ると、ついにこの匂いの元を発見した。
「あれは……人? どうしてこんなところに?」
真上を見れば切り立った崖。そのふもと、俺たちが立っているところと同じ位置に、小さく座り込んでいる人間がいた。全身が地面と同化しているようなほどこげ茶色で、一年以上切ってなさそうな灰色の髪をみだらに垂らしている。
「お休み中でしょうか?」
地面に顔を向けていた彼(?)は、座ったまま身動き一つしない。確かに眠っているようで、俺はセレナにどうしようかと聞くように目を合わせた。それにセレナは人間に向き直り、自分から先に歩み寄っていった。俺も後に続いて近づいてみると、その人間は異様な雰囲気を発しているのに気づいた。小さく見えた体は酷くやせこけていて、腕の骨や肋骨なんかが浮き出ている。脚の部分は黒く汚れた布が敷かれていて見えなかったが、あぐらをかいていそうな両足も、きっと木の枝のように細いことだろう。うねうねとした木杖を片手に突き立てたまま眠っているのは、なんだか仙人を彷彿とさせてくる。
「……ほう」
急にしゃがれた声が聞こえて、俺とセレナはギョッとするように足を止めた。いつの間に仙人は起きていたのか、突発的に喋りかけてくると、髭のないしわだらけの顔を上げ、青い瞳を俺たちに向けてきた。
「これは随分、若い者が現れたな」
老朽化した機械のように、ゆったりと口を開いて喋る老人。顔つき的には多分男性のようだ。
「あ、すみません。起こすつもりじゃなかったんですが……」
慌ててセレナが弁解する。
「気にするでない。最初から眠ってなどおらぬよ」
「そ、そうですか」
セレナが驚いたままなのを察し、俺が口を開いていく。
「さっき魔法で俺たちを助けてくれたのは、お爺さんだったんですか?」
「私はただ、耳障りな魔物を土に還した。それだけじゃよ」
やはり、さっきの煙のような剣の魔法は、この老人の魔法だったらしい。すかさずセレナが「そうだったんですか。おかげで助かりました。ありがとうございます」とお礼を口にしたが、老人の口からは予想外の一言が返ってきた。
「命を助けられてお礼をするとは……」
「え? 助けてもらったので、お礼をするのは当然かと……」
当然のことをセレナは口にする。もしや助けるつもりじゃなかった? いやだったら、さっきの魔法で俺たちを襲ったりもできたわけだし……。俺でも老人が何を言ったのかしっかり理解できないでいると、老人は納得するようにうなずき出した。
「……なるほど。お主ら、ただの迷い人か」
「う! ば、バレましたか……。あの、ここからピトラまで行きたいんですけど、道を知ってたりしませんか?」
その質問に老人はゆっくりうなずいた。まさかの肯定に俺たちはホッと胸をなでおろし、セレナがまた彼にこう聞いた。
「もしよければ、道案内をお願いしてもいいですか?」
「それはできない。私は訳あって、ここから動くことができないのじゃ」
訳あって? 不意に俺は、布がかかった足下に目がいった。
「もしかして、足を痛めたとかですか?」
「え? そうだとしたら大変です! お助けしないと!」
すぐにセレナがそう乗っかってきたが、老人はいやいやと頭を振っていた。そして、「私がここから動けないのは……」と言葉を溜めると、手で布を掴み「禁忌を犯したからだ」と、引っ張りながらそう呟いた。そうして俺たちの目に映った彼の脚に、セレナが言葉にならない悲鳴を上げた。地面と同化するほどの肌の色。脚も全く同じ色をしていると、あぐらをかいていた老人の脚は、膝から下からがそのまま、地面の土と完全に繋がっていたのだった。
「じ、爺さん! これはどういうことなんだ?!」
埋もれているわけではない。繋がっている。一体化している。もはやまるで、この老人本人が、地面から生まれ出てきたような感じ。その異質過ぎる光景がどうして起きたのか聞くと、老人は含み笑いを浮かべたような顔でこう話した。
「我が名はデリン。死属性禁忌級魔法、アンリミテッドドレインを発動し、禁忌を犯した者。代償として、ここで永遠に生き続けている者なり」