9‐5 あなたの夢を私も応援したい。
「新しい可能性? それって、理魔法のことですか?」
エングがここまでたどり着いた理由を、俺は立て続けにそう聞いてみる。
「そうですね。今から五年くらい前。当時から理魔法の研究に明け暮れていた私は、ある時、ビットウォープの存在を知って、スレビスト王国に来たんです」
水の魔法が使えるようになった、あの黒い液体の素か。
「それを調べれば、理魔法に近づくことができる。正直直感とも言えるその思考で、私は行動に出たんですよ。無事ビットウォープを手に入れるまではよかったです。けれどその時、思わぬ出来事が起こってしまいました」
「魔王様のご登場、ですよね」
エングではない声に振り向くと、ソルスがリビングフロアに顔を出してきていた。
「あの時は大変でしたよね。最初は国が動いてくれたから、すぐになんとかなるだろうって思ってたのに」
「私にとっては最悪のタイミングでした。外を歩けば魔物だらけ。ログデリーズ帝国に戻ることができなくなってしまったのです」
「うわ……」とセレナが相槌する。
「お金も必要最低限しかもってこなかった私は、知らない国で一人取り残されてしまいました。街で助けを求めようとも、みんな自分たちのことで精一杯でそれどころではない。おまけに人間と争ったことで、嫌味を言われることだってありました」
いたたまれない気持ちになって、俺は反射的に視線を落とした。
「けれどそんな時、私は魔力を感じました。この獣の国に魔力とは。まさかと思ってそれを辿っていった先に、この海沿いのログハウスと、彼がいたのです」
そう口にしながら、エングの目はソルスに向けられていた。俺たちの視線の的に、ヤギはあどけない顔をしてみせる。
「いやあ、それが最初の出会いでしたね、エング先生」
「そうだったな。当時のお前は、まだ自分が魔力を持っていることに気づいていなかった。試しに私が魔法を教えてみると、いきなり好奇心を爆発させた」
「そうですそうです。あの時自分が魔法を使えたのが、なんだか楽しくて。その時から僕は、魔法使いになろうと思ったんです」
「そうだったな。それで、私が魔法を教える代わりに、ソルスは私を彼らの家族に紹介してくれて、一人だった私を助けてくれた。その時のことは、今でも感謝しているよ」
「いやいや、困ってる人を助けただけですよ。それに、エング先生の教えのおかげで、僕は最上級魔法まで使えるようになったんですから」
二人が昔を懐かしみながら談笑する様を、俺も心が温まるような気持ちで聞いていた。それはセレナも同じだったようで、「お二人の仲の良さは、そういうことだったんですね」と呟いていた。
「ソルスのご家族様には、随分と世話になりました。人間を非難する獣人もいれば、あんな状況でも優しくしてくれる獣人もいてくれる。私もそれを見習おうとして、この王国に魔法学校を作ろうとしているのです」
「エングさんの夢はそこからですか」
「そうです。知っての通りここは荒野だらけですから、きっと魔法が発達すれば、ログデリーズ並みの、いえ、それ以上の発展が見込めると、私は思うのです」
壮大で惚れてしまうような目標に、セレナが音が鳴らない程度に拍手しだす。
「エング先生たちならいつかできると思いますよ。そうだ! 私たちも協力します! 金貨なら丁度、この前の決闘祭りで余分に持ってますから!」
そう進言したセレナが、部屋の片隅に置いてあるバックパックへ近づこうとする。しかしそれを、エングが止めようと落ち着き払った声を出した。
「気持ちだけで十分だよセレナ君。君たちの旅はまだまだ長い。お金は余分に持っておくべきだよ。失敗した私からの、ちょっと大事なアドバイスだ」
そう言われてしまうと、さすがのセレナも進めていた足を止めて「そうですか……」としょげた顔をした。
「今持ってる分は、二人で使うには多すぎるくらいなんですけどね……。うーん、転世魔法の手がかりも調べてくれた分、何かお返ししたいんですが……」
「お返しだなんてそんな。私としては、子どもたちの相手をしてくれたり、ギルドの仕事を手伝ってくれただけでも十分貰っているよ。おかげで、大好きな研究に集中できたわけですし」
なんとしてもお礼をしたいセレナと、十分だと主張をやめないエング。平和な口論バトルでも始まるのかと思うと、そこにソルスが呑気な一言を挟んだ。
「気にし過ぎだよセレナちゃん。エング先生は偉大だから、いつか天から大金でも降ってくるよ」
「どういう理論だそれ……」
俺は思わずそうツッコんでしまった。神の存在よりも信じられないだろうと、そこまで思った瞬間だった。
ガシャン! と音が鳴り、セレナの「きゃ!?」と驚く声と共に、全員の目が壁の窓に一瞬で移った。さっきまで閉められていた横開きの窓は、誰かが強く手で押したかのように開いていて、ひゅうひゅうと海風が入ってくる。なんの前触れもなく開かれたそれに、自分の身が勝手に硬直していくのを感じる。すると、風と共に一枚の紙がひらりと中に入ってくると、それは空飛ぶ絨毯のようにひらひらと降下しながらソルスの元へと向かっていった。
「なんだこれ? ……ん?」
彼が紙とにらめっこを始めている間、エングと俺は勝手に開いた窓に近づき、エングは顔を外に出し、俺は木造りの窓を調べてみた。汚れや欠けた部分もなく、特に気になるところはない。外から来る風も、大した強さではなく、顔を戻したエングもよくわからないという表情を浮かべていると、俺は自分の手で窓をぴしゃりと閉めた。やはり何もないな、とエングと顔を合わせた時、ソルスが大きな声を上げた。
「エング先生! ここにすごいことが書かれてますよ!」
ぱあっと晴れた顔をしていたソルス。エングは彼に近づいて紙を受け取り、そこに書かれている内容を読み始めた。
「なになに? あなたの夢を私も応援したい。ぜひ今すぐ海岸へお越しください。計り知れない大金を用意して待っております。……イタズラ好きの山羊より」
「なんだそれ」と俺は真っ先に呟く。怪しさ満点の招待状だが、ソルスはまんまとそれを信じ込んでいて「大金ですよ大金! 行きましょうよエング先生、今すぐに!」と催促するのだった。
「いや、さすがに行かないぞ。これは誰かのイタズラだ。内容が怪しく、筆跡も知らないものだ」
「ええ!? 折角のチャンスを無駄にするんですか先生!」
「ここに書いてあるのは全部適当なことだ。何が目的かは分からないが、こんな見え見えの誘いに私が乗るわけないだろ」
「ですがですが、海岸ってすぐそこじゃないですか~。たとえこの話しが適当だったとしても、大して損もしませんよ」
「はあ……全く」
エングが呆れたように頭を抑える。これは助け船を出した方がいいのだろうか。いきなり外から舞い込んできた手紙と、嘘八百なその内容。どう考えても厄介そうな迷惑レターでしかないわけだが、すぐにその事実を確認できてしまうのもそうだ。
「私は行くべきだと思います! 大金が手に入ったら、夢の実現に近づけますよ!」
もう一人の頭ピンクもこう言っていることだ。ここは黙って、彼らに嘘があるという現実を見せた方が早いかもしれない。
「……エングさん。行くだけ行ってみましょうか」
すっかり冷え切った夜中の海岸。つい腕をこすって完封摩擦を起こしたくなりながら、靴を脱いだ裸の足に、ひんやりとした砂が気持ちよく触れてくると、俺たち四人は、ログハウスのすぐふもとの、無人の浜辺に来ていた。
「……誰もいないな」
「……誰もいないですね、先生」
分かり切っていた答えが出てくる。ただ波の揺れる音と、肌に冷たく触れる風だけがその場に漂ってくるだけだった。
「やはり言った通りだろソルス。さっきの手紙はイタズラだったんだ」
「そうみたいですね。えー、大金くらい降ってくれればいいのに」
「どんな高望みだ……」
前にいる二人がそう呟く中、俺の隣で「イタズラだったんですね……」とセレナも小さく呟いていた。あの時から成長してない姿に、俺は呆れてものも言えない。
「分かったから帰るぞ。寒くて体が凍えそうだ」
「エング先生が一番温かそうですよ」
来た道を逆戻りしようとエングが歩き出し、ソルスも後に続こうとする。俺もあくびをしながら歩き出そうとすると、ふとセレナから小さく「あれ?」と呟くのが聞こえた。
「どうした? 戻らないのかセレナ?」
「……いえ、気のせい、でしょうか」
「何が?」
辺りをキョロキョロと見回すセレナ。何かを探しているような素振りだが、周りには誰もおらず、当然海の中にだって人の気配はない。だが、「おかしい」とエングも呟いていると、彼も辺りをキョロキョロとしているのだった。
「ソルス。感じないか?」
「感じるって……これってまさか、魔力?」
ソルスの言葉にセレナの目がはっきり見開かれる。
「やっぱりそうですよね! 誰かの魔法を使った感じがしますよね!」
俺も辺りを見回してみる。誰かが魔法をと言うが、ここにいる三人は何もしていない。辺りは海か岩壁。下は砂浜だし、空にだって何もない。
「魔法って。誰も使ってなさそうだが、っつ――!?」
最後まで言いかけた時、突然空に太陽が光った。いきなりの強い日差しに、思わず腕を覆って目をグッと瞑ってしまう。背後からエングが「なんだ!?」と叫ぶのが聞こえてきて、すぐに何か異変が起きているのに気づいた。無理やり目を光に慣らし、腕を下ろす。するとその異変は、太陽以外にも現れていた
「セレナ!? お前、その恰好!」
彼女がいつも来ているオレンジのワンピース風装束。それが今、黒のバニーガールにへと変貌していた。頭にもちゃんとウサミミがついており、黒網タイツとハイヒールもつけていたが、子どもっぽいこいつには全然似つかわしくない。
「ハヤマさんだって!?」
セレナが俺に丸まった目を向けてそう言ってきた。パッと俺は体に目を落とす。そこには胸筋の割れ目が見えるようなバニー服。股間部まで広がったその布地の下に、セレナと同じ黒網タイツとハイヒールがつけられていた。一瞬にしてギョッと全身が震えてしまう。モフモフの尻尾もついているし、まさかと思いながら片手を頭に持っていくと、ウサミミまでちゃんとつけられているようだった。
「な、なんなんだこれはあ!!?」
「な、なんなんですかこれえ!!?」
盛大に二人の声が海へと消えていく。どうしていきなり服装が変わったんだ!? それもなぜよりにもよってバニーコスなんだ!?
「一体どうなってるんだよ! エングさん!」
全く状況理解ができなくてエングに振り返った。するとそこでも、奇妙な衣装チェンジが行われているのだった。ソルスはヤギのくせに頭にシカの角が生えており、体も茶色一色のダボダボな服を着せられている。鼻も真っ赤な丸い付け鼻がついていて、演劇界なんかで見るシカ役の人間みたいだ。
一方エングも、赤を基調にした上下に黒いベルト。頭に白いポンポンがついた赤帽子をかぶり、一番特徴的な白いもさもさの髭がついていた。二人合わせてサンタクロースになりきっている。
「なんだなんだ!? なんなんだこれは!?」
「うわ!! 大変身ですよエング先生! 冬まつりの衣装お似合いですね!!」
うろたえるエングに対し、なぜかルンルン気分のソルス。とりあえず今は楽しんでる場合ではない。
「エングさん! これは一体、どうなってるんですか!」
「分からない! 急に魔力の感じがしたから何かと思ったら、空が晴れて俺たちの服装が変わっていた。こんな魔法が果たして……」
そこまで言いかけると、エングは何か閃いたかのようにパッと目を見開いた。
「そうだ! 最上級闇魔法だ!」
「最上級闇魔法?! それが原因なんですか!」
「最上級闇魔法イリュージョン。幻惑を見せる魔法で、私たちに幻を見せているんです!」
「幻!?」
ことの正体が予想外過ぎて叫んでしまう。それと同時に、俺の頭にコテッと小さな何かが落ちてくる衝撃がすると、俺の目の前に緑色の気色悪いスコーン、死属性の効果を持った理グルメが宙に浮いて留まった。
「なんだ?! 勝手に宙に浮いてる? これも幻か?!」
「いや、違うみたいです!」
エングがそう言ったのに振り返ると、彼の手にも同じスコーンが握られていた。ソルスとセレナの前にもそれは浮いていて、突然人数分用意されたそれは、まるで食べてくださいと言ってきているようだ。
「これを食べろってことなのか?」
目の前のスコーンを手に取ってみる。確かな感触が伝わり、ほのかに苦味と甘みの混ざった匂いを感じた。
「これも敵の罠か?」と怪しむエング。それにソルスが「これ、僕が作っておいたものですよ! 間違いありません!」と叫び、我先にそれにかじりついていった。
「……うん、やっぱり僕の奴だ。毒なんかは入ってませんよきっと」
そう言って、ソルスは最後までスコーンを口にした。すると突然「……ああ!?」と、何もない空中を見て叫び出した。「なんだソルス!」とエングが聞くが、彼は硬直したまま何も話そうとしない。
「ええい! 食べたほうが早いか!」
エングが大きな口でスコーンを丸のみする。それにならって俺もスコーンを口に運ぶと、強い苦味が中に広がった。口をすぼめてしまいながらも、なんとか全部口にして顔を上げた。するとそこには、前にも見たことがあるヤギの老婆、その幽霊が俺たちを見下ろしているのだった。